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33.閑話 御主人さまとわたし 時々御主人さまのおともだち

 わたしのご主人は、とても欲張りな人なの。

 お散歩に出かけると、しょっちゅう女の子ばかり拾ってくる。


 男の子を拾ってきたらお前が怒るから……なんて言うけれど、当たり前でしょ!

 女の子を連れてくることだって許しがたいのに、競争相手が男の子になったら、たまったもんじゃないわ。どうせいつか御主人さまは結婚しちゃうんだから、それまではわたしと蜜月でいて欲しいのに。


 考えても見てよ。家の中にいるのに、毎日ご主人様を取り合う相手がいるのよ。うんざりしちゃう。確かにわたしも拾われてくる女の子たちと同じ養い子っていう同じ立場だけど、わたしが一番最初にご主人様に拾われたから、とりあえず文句言う権利あるわよね。


 わたしがご主人様に出会ったのは、ある春の暖かい昼下がり。ようやく厳しい冬が終わり、巡ってきた春の陽気を楽しんでいる時に、あいつらはやってきた。


 突然現れた網を持った怖いおじさんたちは、いきなりわたしの仲間を檻に入れ始めたの。わたしは追いかけ回されて泣きながら逃げて……途中で力尽きた。親に捨てられたんだもの、もともと体力だってないし、体だって周りの子どもに比べてずっと小さい。逃げ続けるなんてできっこない。


 この国は、わたしたちみたいに親がないものにとって厳しい国。冬を乗り越えられないものも大勢いる。悪い大人に捕まって売られることだってあるし、最悪殺されることだってあるの。周りの人はみんな見て見ぬ振り。しょうがない、所詮はみんな他人なのだから。


 わたしも毎日誰かに媚を売りながら、日々食事にありついていた。本当は見知らぬ誰かに体を触られるのなんて嫌だったけれど、そうでもしないと力の弱いわたしは生き残れなかったから。足元に擦り寄って、可愛らしく目を潤ませて。だいたいは残飯が多かったけれど、たまに豪華な食事をくれる人もいて、そういう時は本当に嬉しかった。


 でもその姿を良しとしなかった人がいたみたい。やせっぽちでガリガリのわたしが、街の片隅で生きていくことくらい許してくれたっていいのに。親切な人が分けてくれるご飯以外はいつも生ゴミを漁っていたから、盗みだって働いたことないのにね。まあ生ゴミまみれのわたしが嫌だったのかな。


 捕まったわたしは、おじさんたちに小さな檻に押し込められそうになりながら、必死に叫んだ。このままだと死んじゃうんだって、本能で気づいたから。こんな小さな体のどこからでるのかと思うくらい、大声だったのよ。

 お願い、お願い! 誰か助けて!


「その子はうちの子だよ。返してくれない?」


 やや低く心地よい声と共に、わたしのからだはひょいっと抱かれた。それが今のわたしのご主人様。

 もう大丈夫、そう抱きしめてもらった喜びを一生わたしは忘れないわ。

 しかもとっても綺麗な人だったから、わたしは本当にラッキーだったのよ。


 ご主人様はエキゾチックな顔立ちをしている。どうやら異性にモテモテらしい。

 そうね、わたしはあの艶のある黒髪が好きだわ。残念ながらわたしは、まだらなこげ茶色の癖っ毛だから。


 そのあとは生まれて初めてお風呂に入れられたり、お医者さんで予防接種をしたり、この国で義務づけられている個体番号を体に入れられた。それに邪魔な首輪もつけられた。


 痛いのもきついのも本当は嫌だったけど、ご主人様曰く、わたしたちみたいなのはこの番号と首輪がないとどんな目にあうかわからないんだって。誘拐されたら、もう二度と会えない可能性もあると言われたから、泣く泣く諦めたのよ。


 わたしは毎日お家でのんびり過ごしている。

 ご主人様はしょっちゅうお出かけするし、わたしも出かけたいけれど、ご主人様は決まってダメだよと笑う。

 まるでママみたい。心配性なのね。


 仕方ないから、わたしはいつも窓辺で外を見ている。

 ご主人様が住んでいるお家はとても広くて高い場所にあるから、この街がずっと遠くまで見える。


 今日はご主人様はお友達のためにチョコレートを買いに出かけるって言ってたなあ。辛党のご主人様はチョコレートなんて普段は食べないんだけど、今度の週末にお友達が、海の向こうの遠い国から遊びに来るんだって。わざわざ手間をかけておやつを事前に買いに行ってもらえるなんて、お友達が羨ましすぎるわ。


 おうちの中はどこに入ってもいいけれど、一箇所だけ入ってはいけないお部屋がある。それはご主人様の寝室。

 わたしは一日中一緒にいたいのに、ご主人様はそうじゃないなんて悲しい。

 ご主人様の疲れたからだを、わたしが癒してあげるのに。わたしのからだで温めてあげるのに。

 わたしは専用の小さなベッドで横になる。寂しい寂しい。ご主人様、早く帰ってきて。


 あっ、足音だ! ご主人様が帰ってきた!

 大急ぎでドアの前に行って、入ってきたご主人様に抱きつく。

 お帰りなさい、わたし、お利口にしてご主人様のこと待ってたのよ。


 ん? 何これ……また違う女の子の匂いがする!

 キッとご主人様を睨むと、大慌てでご主人様が言い訳を始めた。


「ごめんよ。でも見殺しにはできなくて」


 ふん! また女の子拾ってきたのね。

 もうこれで何回目よ。身綺麗にして番号と首輪をあげて、毎日お姫様みたいに扱ってたら、みんなご主人様のことが大好きになって大変になるのは当たり前でしょ!


 いつもひいひい言いながら、里親さんを探しているのに、また女の子拾ってくるなんてバカじゃないの。

 何よ、別の女の子触った手で、わたしのこと触らないでよ。

 わたしはベッドに潜り込んでふて寝する。


 わたしがご主人様の一番になりたいのに、いっつもご主人様は新しい女の子にかかりきり。

 お前たちみんなが幸せになってほしいだなんて、欲張りなんだから。


 ご主人様はいつもこう言うのよ。

 お前たちが一番可愛い、うちの子達が一番可愛いって。

 でもわたしは、わたしが一番可愛いって言ってほしいの。

 ご主人様の一番になりたいのよ。


 それでも、わたしたちのことを愛してくれるご主人様がわたしは大好きなの。

 もう知ってるわよね?


 わたしのご主人様は、とても欲張りな人なの。

 とても優しくて、世界一大好き。






 今日もまたやってしまった。

 ついこの間反省したばかりだというのに。

 家にいるお姫様に怒られるのが怖い……。


 おずおずと家の扉を開ける。

 一目散に駆けてきたこげ茶色の毛玉は、ボールのように私に体当たりをしてきた。その瞬間、懐の存在に気づいたのだろう、ものすごい顔でこちらを睨みつけてくる。


 ごめんよ、でも見殺しにはできなくて。


 そう言い訳した時の顔の、怖いこと怖いこと。

 まさに般若だね。まあ肉食だから、もともと牙もすごいしね。


 でも本当に仕方ない。繁殖期でもないのに、子猫が溝にはまってるなんて。

 やっぱり外出するんじゃなかったなあ。神様、少しは休ませてくださいよ。この間、ようやく別の子を里親さんに引き取ってもらったばっかりなのに。


 最近オープンした話題のチョコレートショップに行く予定だったから、せっかくおしゃれして出かけたのに、全身汚れがひどいし、にゃんこと一緒にお風呂に入らなきゃ。洋服の汚れは諦めるしかないか。ブローした髪もぐちゃぐちゃだ。


 この国は日本と違って、にゃんこに厳しい。

 途上国だから、シェルターなんてないし、ちょっと迷惑だと思われれば速攻で駆除業者がやってくる。

 その先にあるのはもちろん殺処分だ。


 家族の一員にするのも大変だ。

 避妊手術をして、予防接種をして、ちゃんとマイクロチップを入れてあげて、血液採取して、複雑な申請をして……。

 でもこれができないと、日本に一緒に行くこともできない。

 それで置いてけぼりになったにゃんこのお世話をしたこともある。


 異国の一人暮らしで、なぜか扶養主になってますよ。


 これに合わせて、しっかりした里親さんも探す必要があるから、しばらくは拾ってきたこの子にかかりきりになるだろう。

 これから、自分も含めて女ばかりのかしましい生活になるわ。

 いじけてしまうだろう愛猫の姿を想像し、しばらく美味しい猫缶でご機嫌をとるしかないと私はため息をつく。


 そういえば、今日はなんでチョコレートショップになんて出かけたんだっけ? いくら話題の店とはいえ、辛党の私はあまり魅力を感じないはずなんだけど……。

 ふと猫神様に愛されてるねえって笑われた気がした。にゃんこへの愛はいつもマックスなのに嫌われちゃう、と笑う誰か。それが誰だったのか私は思い出せなかった。







 最近、ご主人様の様子がおかしいの。三十路に入ってから急に物忘れがひどくなったなんて言ってたけど、本当に呆けたんじゃないかと心配になるわ。


 あの日新入りを拾った日も、どうしてチョコレートショップに出かけたのか覚えていなかったみたいなの。ご主人様が自分で言ってたのよ。ベルギーで修行した人がお店を開いたらしい、こりゃあかおるが喜ぶぞってね。


 あ、かおるっていうのはご主人様のお友達ね。フラダンス教室で知り合ったらしいわ。普通引っ越しなんてしちゃうと、猫も人間も交流なんて途絶えるんだけど、この二人は今も結構仲が良いみたい。国をまたいで遊ぶんだもの。すごい時代よね。


 よく考えれば、うちに新たな女の子が来てしまったのも、かおるのためにご主人様がわざわざチョコレートショップに出かけたのがそもそもの原因なのよね。ご主人様を使いぱしりにしたあげく、新たな火種を呼び込むなんて、かおる許すまじだわ!


 だいたい辛党のご主人様が、わざわざ甘味を買いに行くってことをかんがみても、どれだけ歓迎されているかわかるだろうに、いっつも申し訳なさそうな顔をして遊びに来るのよ。まったくご主人様のお友達だっていう自覚を持って、もっと堂々としていただきたいわ。ってまあそれは置いとくとして。


 このかおるっていう人、猫好きなのにあんまり猫に好かれない可哀想な人。かくいうわたしもその一人。別にね、あの人そう悪い人じゃないのよ。部屋に来ても、わたしたちを追いかけ回したりしないし、甲高い声を響かせて騒いだりもしないし、しつこくかまってくることもないわ。貢物だってすごいのよ。日本でしか売ってない、美味しい猫缶やおやつ、それに素敵なおもちゃもたくさんくれるんだから!


 でもね、わたしたち猫って敏感だから、あのお友達の匂いがだめなの。やあね、別にあの人が臭いわけじゃないわよ。確かにわたし、人様の足の裏をついくんくんしちゃうけど、その時はご主人様が言うところのすごい顔判定でなかったし。日本人としての体臭としてはわりかし普通の方よ……ってそんなこと聞いてなかったわね。


 そうそう、人間にはわからないでしょうけど、あのお友達の魂の匂いとでも言うのかしら? かおるっていう人間のそばにいると妙な居心地の悪さを感じて、ぞわぞわするのよね。ほら、猫って何にもないところをぼうっと一点見つめてたりするでしょう。ああいう時はね、いろいろ視えてたりするのよ。ふふふふ。


 ちなみに、かおる本人も、自分自身に違和感というか、異質であるという認識は持っていたみたい。まあ、それを単なる運の悪さで片付けようとしているところにはびっくりしたけど。


 でもねえ、歩道を歩いていて急にふと違和感を感じて立ち止まったら、車道を走っていた車がパンクして数メートル先に突っ込んできたとか怖すぎない? 猫でもないのに感じる違和感って何? わたしたちが視たら、何かおかしなものが視えちゃうんじゃないの?


 そうそうこんなことも言ってたわね。かおるが住んでいる場所は、「きゃっちせーるす」っていうのがとても多いんですって。彼女、真面目な人だから、今まで面倒な相手を無視したりせずいちいち律儀にお断りしていたんですって。人間って面倒ね。わたしなら無視アンドダッシュで逃走ね。それでね、ある日お友達とこんなおしゃべりをしていたんですって。今度聞かれたら偽名とデタラメな電話番号書いてやろうって。


 最寄りの警察署の電話番号書いてみたら面白いだろうなあ、偽名はちょっとかっこよく水城かおるなんてどうかななんていろいろくだらないことを夜中までバカみたいにしゃべっていたらね、まさに「すみません水城さんのお電話ですか」って見知らぬ番号から変な電話がかかってきたんだって。やだ、もうそれホラーじゃない。その話聞いてたご主人様も鳥肌たってたし、わたしも思わず尻尾ぼふってなっちゃったわよ。何なのかしらね、その電話の相手。あらやだ、思い出してたらまた尻尾ぼふってなっちゃったわ。


 つまり、まあなんていうか、ご主人様のお友達のかおるっていう人は変わってるわけ。わたしたち猫は、不思議なものも結構視えるし、好奇心旺盛な子も多いから、普通ならかおるに懐く子が現れても不思議じゃないわ。でも、ちょっとかおるは普通じゃない。なんとも言えない危うさと居心地の悪さを抱えて生きているから、わたしたちも少し距離を置いて暮らすしかない。まさかそんなことはないとは思うけれど、かおるの周りの地面って、いつか底なし沼や落とし穴になりそうで、ちょっと心配なのよね。


 そういえば、さっき掃除してたご主人様、わたしのお気に入りのねずみのおもちゃのことを胡散臭そうに眺めてたわね。こんなの買ったっけなんて言ってしげしげと見てたけど、まさかゴミ箱に捨てたりしてないでしょうね? かおるっていう名前はついに出てこなかったみたいだったけど、ご主人様、本当に大丈夫かしら?


 あんなご主人様を見ていたら、まるで、そんなお友達なんて最初からいなかったようにさえ思えてくるんだけれど、わたしもちょっとボケてきちゃったのかしらん。


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