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32.方向音痴なあたしと真夜中の訪問者 後編

 誰かの前で涙を流したことなんて、何年ぶりだろう。どんなに辛いことがあっても、人前で泣いたことだけはなかった。どんなに理不尽な目に遭っても、その場は笑ってやり過ごしたんだっけ。可愛い女の子が泣いていたら慰めたくなるけど、ブスが泣いたらウザいだけっていうのは職場の同期の言葉だったか。


 あたしは突風吹き荒れる部屋で、ぼんやり考える。心の声を素直に表に出すって、すごいんだなあ……。あたしを抱きしめる男の言葉が真実なら、室内をズタズタに荒らしたこの風と雪も、あたしの意思で止めることができるのだろうか。吹雪が吹き荒れる中で半裸で過ごすなんて、正気の沙汰じゃないけれど、不思議なことにあたしの体は寒さなんて微塵みじんも感じなかった。


 そもそも映画のヒロインのように、イケメンの腕の中で抱きしめられているなんて、信じられない。そのイケメンがあの毒舌冷淡猫ってところも信じられないとこなんだけれど。


 今までずっと我慢して泣いていなかったせいか、涙の止め方がわからない。ずっと胸元でしゃっくりあげるあたしを、目の前の男はあたしをいい子いい子しながら、ただ抱きしめていてくれる。急に優しくなんてするなよ。あたし、イケメンに免疫ないからころりと転がっちゃうじゃないか。


「あなたはこの世界に歓迎されているんです。あなたの魂は、誰よりも深くこの世界とつながっている。望めば叶わぬものなどありません。誰かに無理強いされたり、望まぬ相手に膝をつく必要などないのです。あなたが手を貸したいと思えば、姫君を助けてやればいい。けれど、姫君とこの国の行く末など知らぬと思えば、逃げ出しても良いのです。現に、姫君を愛し子と呼ぶハイエルフも妖精女王も積極的な介入は避けているでしょう? 本当にこの世界をどうにかしたいのなら、彼らも傍観すべきではありません」


 あなただけがその責を負う必要などないのですよと、端正な顔に幾つも傷を作った男は、赤い血がその白い司祭服につくこともいとわず、ますます強くあたしを抱きしめた。こんなに傷だらけになって申し訳ないと思いながら、その頬に手を伸ばせば、柔らかな光がてのひらから溢れ出し、もとのなめらかな皮膚がそこにあった。


 自意識過剰で気恥ずかしいが、あたしの心が凪いだせいか、風も急にその勢いがなくなり、部屋には静寂が訪れる。シュワイヤーが指を軽く鳴らすと、それに反応したのか扉はぱたりと閉じた。やはり部屋の中はかなり冷え込むらしい。風が止んだせいか、シュワイヤーが白い息を吐きながらあたしを見る。


「先ほども言いましたが、少し考えればわかるくらいあなたは力に溢れた存在ですよ。いきなり現れたあなたに、なぜ精霊王たちが懐いたと思うのです。いくら幼くとも、格下相手に身の内をさらけ出すほど彼らは愚かではありません。その忌々しいカイル王子の指輪もそうですよ。あんなにむやみに力を注ぎ込んだ指輪、普通の方がつけたらまず間違いなくその力が暴走して飲み込まれるでしょうね。ハイエルフや妖精女王の未来に干渉できたことに至っては、もはやあなたにしかできません。何を恐れるというのです」


 さらりと衝撃の事実をあたしに告げる。それでもあたしは、いまだこの現実をどう受け止めていいのかわからなかった。だって、急にこんなにかしずかれたら、戸惑って当たり前でしょ? 着の身着のままで異世界に連れてこられた時は目の前のことに対処するだけで精一杯だったし、とりあえず長いものに巻かれてひたすら未来視を繰り返していた時は悩まずに済んでいたなんで、社畜精神の極みもいいとこだ。


「いきなり美人でスタイル抜群になるとか、どんな高位種族をも凌ぐ力とか、正直ズルいと思う。この世界で一生懸命生きている人にとっては、詐欺みたいな話じゃない? 何の努力もなしに、そういう人間が現れるなんてさ」


 チートすぎると言っても伝わらないだろうから、あたしはとりあえずそう伝えた。そりゃあ確かに、この世界に来たときに言語チートは手に入れたけれど、言葉がわからないんじゃ生きていくこともままならないからそこは仕方ないと思う。


 まあ、全てが話者の母国語に変換されるというのは効果がありすぎる気もするけれど、相手の警戒心を解いたり、会話をしていてしっくりする、よりなじみのある表現をするためには必要な措置かもしれないし。でも今のあたしにあるこの力は、過ぎた力じゃないのか。


「あなたはこの世界では魔女ですので、普通の人間の枠にはまることはないのですが……。まあいいでしょう。これなら、どうですか? 今まで辛かった分のご褒美だと思えばいいじゃないですか。あちらの世界で修行して手に入れた力ですよ、あなたの力は。もともとの魂の資質があったことを差し引いても、今の力はあなたの努力の結果だと断言できます。それに心配せずとも姿かたちががかわったことも、何の不思議もありませんよ。」


 まるでお姫様を前にしたかのように、男はあたしにかしずく。今までの虫けらみたいな扱いから急に手のひら返しを受けて、それなのにそれを嫌だとは思わない馬鹿で単純なあたし。今はただこの男に甘やかされたい。


「そもそも、あなたは生まれ変わったも同然なんですから。あなたが眠りについている間に、冬の一の月、二の月が過ぎ去りました。今は冬の三の月ですが、もうすぐそれも終わり、間も無く春の一の月が訪れます。眠りについていた魔女が、さなぎから羽化した蝶のように、美しい姿に変化したとしても誰も驚きません。平凡顔の魔女よりも、よっぽど人心をつかみやすいというものです」


 あたしの髪を梳きながら、さらりとひどいことを言う。けれどその形の良い手は壊れ物を扱うように優しくて、お姫様のように扱われたことのないあたしは、くたりと自分の目の前の男に体を預けてしまう。今まで誰も認めてくれなかった努力を認められたこともあって、あたしの胸はじわりと温かくなった。


「どうせ卑屈なあなたのことだから、自分の姿が変化したせいでみんな優しいんだろうとか、強大な力があるから擦り寄ってくるんだろうとか、いろいろ考えているんでしょうが、そんなこと考えても無意味ですよ。人間界で生きていく以上、損得を計算するのは当たり前です。せっかく綺麗な顔や魅力的な肢体を手に入れたのです。いちいち細かいことは気にしないで好きに動いたら良いではありませんか。顔が綺麗なだけで、周囲が好意的に動くことに苛立ちを覚えても、仕方ないだけです」


 何だよ、優しくするならもっと言葉を選んでよ。女の子……って年でもないけど、やっぱりみんな素敵な男の人に優しくされたいのよ。永遠の憧れ、舐めんじゃないわよ。それとも何、あたしはお姫様になれない人種だといいたいの? けっ、どうせあたしは姫君みたいな女性じゃないわよ。思わずあたしは可愛げなく、嫌味の一つでも言いたくなる。


「何よ、あんたなんかずっと姫君にベタベタしてたくせに。いまさら調子のいいこと言っちゃって。姫君の膝の上で喉を鳴らして、くつろいじゃってさ。あんなに鼻の下伸ばして、デレデレしてたくせに」


 急に優しくなった幻獣は、あたしの言葉に心外だと言わんばかりに目をまたたかせた。思わず突っ込んだあたしは、どうせ可愛くない女さ。こういうことを言うから、モテないんだよね。でも、あたしの口調がどこか恨めしそうで、いじけ気味なのは仕方ないと思う。確かに久しぶりに泣いてすっきりしたし、抱きしめて慰めてくれたことも感謝している。


 今だって、あたしは彼の腕の中なのだし。それでも今まで散々あたしに向かって罵詈雑言吐いてきて、その一方姫君には猫ちゃんの姿でごろにゃんって甘えてきたことを考えると……。何よ、あたしにもその柔らかそうな毛皮、撫でさせなさいよ! お腹もみもみしたいし、肉球だってぷにぷにしたいんだから!


「おかしいですね。予言の魔女は『あの子が不幸になるのはお前も嫌だろう』としか言わなかったはずですよ。いつ自分が姫君を一番大事なんて言いました?」


 返ってきた言葉に、今度はあたしの方がぽかんとなる。今のあたしは、間抜け面を晒しているに違いない。いや、美人になったから、間抜け面でも鑑賞に耐えうる顔なんだろうけども。


 あれそうだっけ? まさかのお前の思い込み的な返しに、あたしは動揺する。薔薇園でいきなり『物忘れの姫君』のことを説明されたせいか、姫君が不幸になるのが嫌ならあたしを離宮に連れて行けと話しているように聞こえたんだよね。


 確かに、よくよく思い返してみれば、おばあちゃんは『おまえだって、あの子が不幸になるのはいやだろう』としか言わなかったような気もする……。あの子って、てっきり姫君のことだと思っていたけれど、まさか初対面のあたしのことだったの?! その割には、えらくあたしへの当たりが厳しかったように思いますけども。あたしの疑問に、白皙はくせきの美貌を持つ男は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「内に秘められた人間の力を爆発させるには、相手を怒らせるのが手っ取り早いんですよ。だんだん、自分の現状を嘆きもせず、能天気に笑うあなたにイライラが募って、過剰に攻撃した感は否めませんが」


 えっと、ということは最初から優しく接してもらえたり、詳しい事情を話してもらえればもっとスムーズにいった可能性が高いですよね? 力を解放させるのに、怒り以外の方法もあったような……。こんなに客室を荒らすこともなくて済んだのではないでしょうか。


 あたしは惨憺さんたんたる有様の部屋を見ながら考える。壁に亀裂が入り、シーツもカーテンもズタズタ、備え付けられていた鏡にも思い切りヒビが入っている。あああ、これ誰が謝るんだろう……。もしかしなくても、絶対あたしだよね、その役割。


「ああもう、ごちゃごちゃ煩いですね。自分に自信がない人間を奮起させるべく、ひどい言葉をぶつけて怒らせようとしたり、わざと誰かと仲良くして嫉妬させようとしたりしても不毛だとよくわかりました。あなたみたいに鈍感な人間には、わかりやすい形で示して、体に覚えさせることが必要なようですね」


 シュワイヤーはむんずとあたしを抱き寄せると、そのまま勢いよく床に押し倒した。毛足の長い絨毯が敷きつめられているから痛くはないものの、いきなり視点が変えられたことに一瞬焦る。逃げ出そうにも、腹の上に思い切り体重をかけられているから、思うように体が動かない。


 強制的に真正面を向かされたまま、銀の髪を持つ男の端正な顔が自分に近づくのを見つめるほかなかった。ちょっと、近い、近過ぎ! 至近距離から、髪と同じ銀色の長い睫毛に縁取られた、金の瞳があたしを見据える。


「お望み通り、これからはでろでろに甘やかしてあげますよ。恥ずかしくてのたうちまわらないように、今のうちに覚悟しておくことですね。これ以上何か言うようなら、床からベッドに場所を移して、むつみごとしか口に出せないようにしますが、どうしますか」


 そのままあたしの返事を待つことなく、唇をむ。ヤバいヤバい、こいつ猫のくせにキスがうますぎる。後ろに逃げようにも床に押し倒しされているからどうしようもない。いやいやと首を振ろうものなら、おとがいに指をかけてそれすらも封じられた。そのまま口内の歯列をなぞるように、柔らかい舌が責め立ててくる。


 さらに手馴れた様子で、ピアニストのように綺麗で長い指があたしの両耳をふさいだ。恥ずかしいくらいの水音が自分の中で響く。耳をふさぎながらキスをするなんて、ズルい。そのまま耳を舐めたりしちゃダメ! 耳は弱いの、感じちゃうの! あたしの腰がガクガクしていることに気づいたのだろう、にやりと凶悪な笑みを浮かべながら、シュワイヤーはあたしの足を高く持ち上げようとする。


 あなたの力でこの離宮の温熱機構にも損傷が出たようですし、夜通し裸で温め合うのも悪くないですね、なんていいながらブラウスの前ボタンの残りを外し始める自由な男。色気のかけらもないなんて言いながら、かぼちゃパンツを脱がせようとするんじゃない。こら、どさくさに紛れてあたしの脚を割り行って、膝を差し込むんじゃない。


 ダメダメ、このままじゃ快感に流されてしまう。正直に言ってしまえば、今すぐベッドにいってしまいたい。でもその場の雰囲気で流されると痛い目を見ることは、長いとは言えない人生の中でもよく身にしみていた。あたしは腰を突き上げてくる甘い疼きと、だらしなく口から漏れる甘い声をこらえながら、ベッドへの連行を断固拒否するのだった。


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