31.方向音痴なあたしと真夜中の訪問者 中編
神様からの返事はそうそう期待できなかったので、とりあえずあたしは鏡を見ながらぴょんぴょんその場でジャンプを繰りしてみた。おおっ、何がとは言いませんがゆっさゆっさ揺れております。我ながら壮観だわ。これでお胸が大きい女性の贅沢な悩みを口にできる権利を手に入れたわけだ。
これまで、「先輩、胸がない方が走りやすいですよ」とか、「胸が大きいせいか肩こりがひどくて」なんて言われ続けて来たからね。ふと思い立って気をつけをしたまま足下を見ようと思っても、途中で高い山に遮られて、お腹を引っ込ませるくらいでは、簡単には確認できません。くうう、何という幸せ。
足もすらりと長くて、明らかに体格が変わっているのだ。寝る前は膝丈だったスカートが膝上のミニスカートに早変わり! ちなみに今までの買い物では、マネキンとは違ってミニスカートを膝丈で履いてました。この野郎、ミニマムサイズはミニスカート履くなってことか。
安産型だったといえば聞こえが良いが、要はデカ尻だったお尻もまるでハリウッド女優のように、きゅっとしまった小さなお尻が重力に逆らって天を向いている。ありえない……。今までパンツスーツを履けば、部内の男性陣から「パッツンかおたん」なんて、とんでもない名前で呼ばれていたっていうのに。なんせスーツの上と下の号数違ってたからね。今なら細身のパンツスーツだって、すべて履きこなせるわ。
調子に乗って鏡の中の美女と半裸でいろんなポーズをして楽しんでいたあたしは、鏡の中にきらりと金色に光る二つのものを見つけた。前ボタンを外し、にわかに豊かになった胸を露わにしていたあたしは、ブラウスを慌ててかきよせる。そのまま急いで振り返ると、そこにはバルコニーにつながるガラス製の開き戸があるばかりだった。
部屋の中を見渡しても、灯りをどうやってつけてよいかわからないし、懐中電灯の代わりになりそうなものも見当たらない。水差しの時みたいに、灯りよともれと言いたくても何に言えば良いのかわからないし。仕方なくゆっくりと扉に近づき、暗闇の中目を凝らせば、しなやかな銀色の猫がバルコニーからこちらを見つめていた。
外はひどい吹雪だというのに、この獣はちっともこたえる様子がない。背中に雪が積もることもなく、雪の中に埋もれることもないなんて、一体どういう仕組みなのか。風や雪がこの幻獣を避けているとでも言うのだろうか。昨日の外の様子を思い出しながら、あたしは考える。
確かに昨日も雪混じりの強い風が吹いていたけれど、こんなに激しくはなかった。今は遠くに雷鳴も響き、まるで春の前の嵐のようだ。一晩で季節が真冬から春先まで自分を取り残して進んでしまったかのよう。
「覗き見なんて趣味が悪いわ」
姫君のセリフを思い出しながら、あたしは気取ってゆっくりと小首を傾げてみせる。そのまま部屋の扉を開けぬまま外の幻獣に声をかけた。ついでとばかりに一世を風靡したお笑い女性二人組のように、前かがみで谷間を強調して見せる。どうだ! お胸がささやかな時にはできなかった悩殺ポーズも、今なら完璧だぜ!
当たり前だろうが銀色の猫はあたしにツッコミを入れることもなく、ゆっくりとバルコニーを部屋に向かって進んでくる。やはり、猫の後ろに足跡がつくことはない。個人的にあたしは、コンクリートや雪の上に残る動物の足跡が大好きです。誰も聞いてないけど。
バルコニーと部屋をつなぐ扉の前までやってきても、幻獣は歩みを止めることはない。そのまま扉に向かって進むと、どういうわけかするりとそのしなやかな体を部屋の中に滑り込ませた。猫が部屋にやってきた後に確認しても、やはり扉は閉まったまま。なんというマジック!
やはり幻獣は雪になど濡れていなかったのだろう。部屋に敷かれた毛足の長い敷物に水たまりができることもなかった。にゃんこ用のミニドアも取り付けずに便利なことですね、なんてどうでもいい感想が出てきて、つい笑ってしまう。
「ようやく目覚めましたか」
部屋に身を置くなり、人型をとった彼はあたしを見るなりそう声をかけてきた。さらさらと揺れる銀の髪と同じ色をした眼鏡が、きらりと光る。昼間は単に白に見えた彼の司祭服も、薄闇の中じっくりとよく見てみれば、繊細な刺繍が銀糸によって施されていた。
もともとあたしに対しては、冷たい笑顔しか見せたことのないシュワイヤーは、ことさらに抑揚のない声であたしに尋ねてくる。部屋は薄暗いし、彼の表情をうかがい知ることはできない。もしかして、会うなりへらへら笑う緊張感のない私に怒ってらっしゃる?
「ごめんなさい。昨日の夕方から記憶がないの。気づかない間にぐうすか寝ちゃったみたい。姫君が戻る前にあたし一人寝ちゃって、姫君は困ってなかった? みんなあたしが起きるの待ってたのかな?」
「昨日……ですか。まああなたにしてみれば昼寝でもした感覚なんでしょうね。」
こちらの気も知らないでと言わんばかりにそっぽを向く。よくわからないが、やはりシュワイヤーは怒っているようにみえた。そういう場合は、低姿勢で謝るに限る! 速攻で謝罪の言葉を口にしたあたしを見て、彼は不愉快そうに眉をひそめた。どうにも我慢できなかったように、苛立ちをぶつけてくる。
「どうして謝るのです。何なんですか、馬鹿なんですか。何か謝らなければいけないことをあなたがしたのですか。世界を渡ったのですよ。あなたは知らないでしょうが、力もなく、この世界に受け入れられない魂なら、消滅してもおかしくないのです。ジュムラーがあなたに行ったことは、人殺しに近い乱暴なことなのです。決して、聖女の意思があったとしても、通常なら考えられません!」
ということは、通常ではない出来事が聖女側に発生したんだろう。どちらかというと勝手に連れて来られたあたしに、こう熱く語られてもどうしていいかわからない。しかもさりげなくあたしを貶めてるし。
「なぜ、それほど自分を卑下するのです。何か言われてもへらへら笑ってばかりいて、恥ずかしくないのですか。このまま、無力な自分は何もできないと、何を言われても仕方ないと甘んじるつもりではありませんよね。そもそも夜中に男が淑女の部屋に無断で立ち入ってきたのに、叫びもせず、ましてや普通に会話するなんて! 誰か確認できる前、あなたも裸を隠すように服を手繰り寄せていたでしょう。それが今はどういうことです、そんな格好、花街の女性でもしていませんよ」
言いたい放題の相手に、さすがのあたしもかちんとくる。その何もできないあたしに、いろいろ無理難題を押し付けてきたのはどこの世界の人間だよ。自分だって、姫君の幸せのためにあたしを利用してるじゃない。それにしても、この猫、花街に行ったことあるのかしらん。かなりあたしの姿が破廉恥なのは認めるけど、結構こういうコスチュームプレイが好きな変態なお客さんもいるはずだわ。
どうでもいいことを考えて心を落ち着かせていると、それを見透かしたように銀色の猫があたしをさらに叱責してくる。
「ほら、何かあるとすぐにそうやってどうでもいいことを考えて現実から目をそらす。どうして反論しないのですか。どうしてすぐに相手に従ってしまうんです。その奴隷根性、主体性のなさが、見ていてイライラします。殴りつけたくなるくらいにね。このままでは、あなた利用されるだけ利用されて、すぐに死にますよ」
あたしが反論しないことに、イライラしたかのように暴言を重ねてくる。ちょっとそれはあんまりなんじゃないの。あたしの顔色が変わったことに気づいたのか、男はさらに続ける。
「予言の魔女の頼みなんて、断ってしまえばいい。姫君にほだされる必要なんてない。精霊王たちのしつけはこの世界の住人の仕事、妖精女王やハイエルフの未来なんて視る必要もない。それにカイル王子の言葉をまに受けすぎです。どうして、物事の裏を考えないんです。どうして、もっと自分を大事にできないんです」
「だってしょうがないじゃない。今までそうやって生きてきたんだもの。急にそんなこと言われたって、あたしわかんない! どうしていいかわかんないよ。尊ばれる存在なんでしょう、幻獣って。そんな幻獣のあんたに何がわかるっていうのよ!」
あたしは思わず、叫ぶ。泣くもんかと思っていたくせに、思わずぽろりと涙が一粒こぼれ落ちた。イライラしたあたしに呼応しているかのように、強い風が窓を叩きつける。シュワイヤーが開けなかった扉を、強い風が押し開けた。一気に部屋になだれ込んできた冷気は、カーテンや寝具を滅茶苦茶に煽りながら、部屋中に吹き荒れる。雪は思っていたよりも粒が大きくて、肌に触れるたびにぴりぴりとした痛みを感じた。
あっさりと元の世界への帰還を諦めてみせたのは、それ以外に選択肢がなかったからだ。元の世界でも取り立てて秀でたところのなかったあたしが、誰の助けも借りずに異世界に放り出されて生きていけるなんて甘いことは考えられなかった。
だからこそ、魔女と姫君の提案を受け入れたんだから。あたしにだって、損得の勘定くらいできる。けれど、選択肢があまりにもなさすぎて、笑って諦めるしかなかっただけ。
もとの世界でもそうだった。妹と違ってあたしは可愛くないから、家庭内で待遇の差が出た。親だって人間だもの、同じ娘ならこけし顔よりフランス人形のような妹の方がいいだろう。お堅い職業の父が、会社を辞めて芸能事務所に所属させたいなんて本気で言うくらいには可愛い妹だったから。正面切って、あなたは顔で生きていけないから勉強をがんばりなさいと言われることがどれだけ辛いか。
アイドルを夢見る両親と妹だったから、あたしだけ家族の中であぶれてしまった。あたし一人家族をなだめて、地に足ついた生活をさせるようにたしなめて……。結局妹には嫌われちゃったけど。
学校でも会社でもそうだ。どれだけ努力しても結果がついてこないから、いつもみんなに笑われ馬鹿にされていた。いじられ役なんて、誰が楽しいもんか。それでもあたしがいつも笑っていたのは、そうするしか方法がなかったからだ。
どんなに頑張ってもパッとしない、でもいつもにこにこしていて頼みごとを断らない都合のいい子、それがあたしだったから。恋人に二股されても、手酷い扱いを受けても、笑うしかない。都合のいい女だとしても、誰かに必要とされることがどれだけ嬉しかったか。いつも笑っていれば、いつの間にか心が鈍くなって、何を言われても気にならなくなった。
「勘違いをしているようなので、言っておきますが……。あなたの目の前にいる男も、そう恵まれた環境で育ったわけではありませんよ。記憶もないほど幼い頃に、中の界からこの人間界に転がり落ち、自分が幻獣と知らぬまま普通の猫として生きてきました。自分が幻獣とわかったのも、タチの悪い魔導士に使役されて、死にかけた時です」
ふっと、今までの人を小馬鹿にしたような表情が柔らかいものに変わる。どこか寂しそうなその顔。
「ようやっと中の界にたどり着いてみれば、同じ力を持つ幻獣たちには、人間界で育った臭く卑しいものは去れと、再び人間界に落とされる始末。そこで目が覚めたのですよ。予言の魔女に出会ったのはその後です」
銀色の光を纏う男は、荒ぶる風をものともせず話し続ける。いつの間にかこぶし大まで大きくなった氷の塊は、目の前の男の綺麗な顔に切り傷を作っていた。白い肌に散る鮮やかな血が、そこだけいっそ幻想的なくらいだ。
「泣けばいい! 泣き叫んで、力を解放してしまえばいい! 今のあなたは、まだ自分の非凡さを理解していません。この世界の風も水も、本来幻獣を傷つけることなどできないはず。それでもあなたの力に呼応した風と水は、こうやって血を流させる。あなたの肉体の変化は、この世界にあなたの魂が受け入れられ、力を使うことができるようになった何よりの証拠です。これでもまだ現実を受け入れないおつもりですか」
何で、急にそんなことを言うの。まるであたしの気持ちなんて最初からお見通しみたいなことを言うの。
「魂の合わぬ、理の異なる 異世界でもいじけずに前を向いて歩いてきたあなたには、力がある。わかっているでしょう。この世界の理とあなたの魂は信じられないほど深くつながってきます。それこそ不自由な神や幼き精霊王たちに比べてみて遜色ないほど、あなたは人の体とは思えない過分な力を奮うことができる。今までどんなに苦しくても、笑って生きてきたことは無駄ではありません。実らぬ努力を続けてきたことに、意味がないわけではないのです。だから気づいてください、自分の価値に。自分で自分の力を貶めないで」
あたしがへらへら笑っている時には毒舌で冷淡だったくせに、涙を見せたら急に優しくなるなんてひどいやつ。堰を切ったように泣き崩れるあたしを、シュワイヤーはそっと抱きしめてくれた。