29.閑話 カイル王子の休息
「よろしいのですか?このような場所に一緒に寝転がられて」
寝台で眠る異世界の魔女の隣で、堂々と大の字になるカイル王子に向かって、シンシアはため息をつく。異世界の魔女に元精霊王と普通ではない二人だが、一応年頃の男女なのだ。後ろ指を指されかねない。誤解を生むような行動は慎んで欲しかった。
一応幼き精霊王たちも同じ寝台にいるが、大抵のものの目には見えない。そもそもメイドだって通常はいないものとしてその存在を扱われる。変な噂が立てば、周囲がうるさいと彼女はひっそりとため息をついた。
応接間で大丈夫だと健気に笑っていた異世界の魔女は、ハイエルフの未来を二度視た後、そのまま目覚めることなく眠り続けている。未来視からこちらに戻ってきたカイル王子いわく、単に疲れて眠っているだけだということだが、あまりにも深い眠りに少しばかり疑問を持つ。
好きでもない女を運ぶのになぜこの俺が手伝わなければいけないのかという王子の愚痴混じりの介抱だったために荒っぽい運び方だったのだが、それでも魔女は目覚めない。疲れがたまっているとはいえ、ここまでこんこんと眠り続けるものだろうか。まるで羽化する前の眠り続けるサナギのようだと、少しばかり失礼なことを考えながら、妖精女王は元精霊王に声をかける。
「こういうことを平気でなさるから、姫君に嫌われるのですよ」
年頃の女性の気持ちを考えろと、同じ女性の立場から彼女はたしなめる。ふらふらと娼館に出入りしたり、未亡人と逢瀬を楽しんだりするカイル王子。これでは、愛しているという言葉を姫君が冗談としてしか受け取らず、王子のことを邪険に扱うのにも仕方がない。いくら政略結婚とはいえ、あまりにもお遊びが過ぎる。カイル王子はその忠告をおかしそうに一蹴した。
「俺はね、永遠に続く生に飽き飽きとしていたんだ。いたずら好きだと言われるお前たち妖精よりも、意思をもつ精霊が気まぐれなのは、一貫した合理性や善悪の判断と言った主体的な判断が、負担にしかならないからさ。面白いことをただ楽しみ、興味はすぐに移り変わる。はっきり言ってしまえば、終わることのない生命には、お馬鹿さんであるくらいでちょうどいい。さもなければ、己の生に膿んだ精霊は暴走してこの世界を破壊するだろうね。転生前の俺が力を制御できず暴走を繰り返したように」
万能ではない神の代わりに、誰かがこの世界を調整しなくてなならない。終わることのない観察と調整。時は流れ、たくさんの人間が生まれ死んでいく。神からの贈り物を分かち合えず、人は憎み、奪い合い、殺し合う。永遠に続く愚かな同じことの繰り返し。時に静観し、時に介入し、時に力を分け与え、それでも変わらぬ世界。むしろ、変わらぬこの醜い世界こそが神の望みなのかと疑問に思うほどに無意味な作業。
「己の存在さえ厭わしくなれば、世界まるごと終焉を望んだとしてもおかしくはないだろう? 気の遠くなるほど、長い長い時間をかけて、自分の体が腐り落ちていくような感覚なんだ。終わることのない生命を持ち、この世界の安定を保つということは。世界の安定を保つために、人間寄りの魂を精霊王に込めたんだ。当然の結果だね。いっそ、あのスカしたハイエルフに精霊の管理も任せときゃあ良かっただろうに。あいつみたいに植物寄りの魂の持ち主の方が、長い時間に膿むこともないとなんでカミサマは気づかないんだか」
かつて魔王と呼ばれたことをカイル王子は思い出す。そんなややこしい魂を転生させねばならないものなのか。この世界に吸収するのも危険で制御できぬほど危ういのか。精霊王の時も神の考えはわからなかったが、神との繋がりがより希薄になったと今の状態では、もはや推測することしかできない。
「あの恐ろしいほど穏やかな精霊の生に比べて、この人間の不自由な生が何と面白いことか。肉体に引きずられ理性は保つことなく、自分の欲求も制御できず、好きな女一人ものにできない。その女の未来さえ不確かだ。あっさりと死ぬかもしれないし、今以上の魂の輝きをもつかもしれない。俺を睨みつける時の揺れ動く魂の輝きをお前にも見せてやりたいよ。精霊王だった時の凪いだ時間に比べて、濁流にもみくちゃにされるような人生が俺はたまらなく愛おしい。その濁流に飲み込まれて俺やお前や、リーファやこの世界そのものが消えることになったとしても後悔しないくらいにね」
あれほど嫌っていた争いごとを、なぜ人間が止められぬのか知ってしまったと男は嗤う。この醜さも不合理さも今は全てが美しい。一時の快楽を後先なく求める雄の本能に抗う必要がどこにあるというのか。それとも妖精女王が後生大事にしている掌中の珠を戯れにもてあそんで良いのかと問えば、彼女にきつく睨まれ仕方なさそうに肩をすくめる。そのまま王子は穏やかに眠る魔女の首を軽くしめながら耳元でささやいた。
「なあ、理の違う世界から訪れた魔女。俺をもっともっと楽しませてくれ。愛するリーファの幸せだけをただ祈れるように。俺はリーファの笑顔も泣き顔も同じくらい大好きなんだ。リーファを泣かせた奴を痛めつけて、それをリーファに見せつけたいくらいに。未来でなぶられていたのと同じように、リーファを犯し辱め、その姿をみんなに晒してやりたくなるくらいに」
苦しそうに眉をしかめる魔女の顔をひとしきり見ると、満足したのか王子はその手を緩める。瞳を昏い色に染め上げながら、精霊王だった男はうっとりと夢想する。好きな女をただひたすらに甘やかすのもいい。姫君の望み通り各国の安定を図り、自分が治める間だけでも平和な世を与えるのはたやすいが、あえて自分に懐かぬようになぶるのもまた面白い。
王位継承権など必要とあればどうにでもなる。この胸に広がる温かさも、きりきりと刺さる痛みもどちらも同じくらい甘美なもの。人間の身体で手に入れた幸せを、舌の上で上等な飴を転がすように王子は堪能するのだ。
「そんな戯言ばかり言っていると、魔女殿に魂のかけらも残らずふき飛ばされますよ。魔女殿は、魂の適合しない、理の違う世界で必死に生き残りました。それどころか、能力に突出した部分のない平凡な人間と同程度にまで己を高めているのです。魔女殿にふさわしいこの世界で、これから魔女殿は急激に変化するでしょう。もともとの魂の輝きにふさわしく、目立たぬ容姿もきっと驚くほどの美しさに。その能力も無駄な負荷が取り外された今、自覚すれば昔のあなたすらしのぐはず。無駄口を叩き、人生を謳歌したいのならば、道を踏み誤るのは得策ではないでしょうね」
急遽案内したために、まだ宿泊準備の整っていなかった客室を手早く整えながら、妖精女王は端的に指摘しておく。姫君付きのメイドの数は少ない。信頼できるものしか身の内に入れぬ姫君の性格ゆえ仕方のないことだが、メイド業務を一手に引き受ける女王としては、これ以上王子のどうでも良いお芝居に付き合う気は無かった。
妖精女王の言葉に、もちろんわかっていると男は答える。自分の隣に眠るのは、ただの方向音痴の女ではない。人々が道を踏み誤ることのなきよう、その進むべき道を指し示してくれる導引の魔女なのだから。女が目覚めれば、変な二つ名をつけてくれるなと懇願することが目に浮かび、心躍らせる。破壊願望は無くならないが、健全な若き成人男性として、面白おかしい人生を堪能する予定なのだ。前世の記憶に引っ張られるつもりはない。そうでなければ、記憶持ちで転生した意味がないではないか。
いたずらを思いついたように眠る女の頬をつつくと、王子は自分も一眠りするべく瞳を閉じたのだった。