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28.閑話 予言の魔女とハイエルフの秘密のお茶会

 予言の魔女は、一人のんびりと紅茶を味わっていた。外はまた強い北風が叩きつけているようだが、この温室の中はいつでも春のように暖かい。ずっと昔、幼い頃を過ごした懐かしい故郷の春のように。今は亡き、遠いふるさと。目を閉じれば、そこに広がるのは一面の薔薇。美しい薔薇と一緒にいたはずの家族の顔は、とうの昔にぼやけ、もう思い出すこともできない。


 契約を交わした銀色の幻獣は律儀に離宮での出来事を報告してくれる。報告という名の愚痴や文句を聞きながら、魔女は年若い異世界の娘に想いを馳せる。こちらが拍子抜けするほどあっさりと、頼みごとを引き受けてくれたあの娘。


 初めて見たときは、背も低く体付きも華奢だったために少女かと勘違いしたが、どうやら成人していたらしい。理の違う世界から突然連れて来られたというのに、泣きもせず、怒りもせず、ひたすら人の話を聞いていたのが印象的だった。


 魔女は不意に人の気配に気づき、顔をしかめる。昔は異世界を渡る手段を探して世界中を渡り歩き、たくさんの人と関わり合いを持ったものだが、ここ最近は王侯貴族の愚かさにすっかり嫌気がさしていた。だからこそ普通の人間や並みの魔導師連中には来れない場所に住処を設けて、ひなびた生活を楽しんでいるのだ。


 それにもかかわらず、勝手にこの場所に浸入できるような相手は数える程しか居ない。魔女は心底嫌そうにため息をついた。


「おやまあ、年寄りが一息ついているっていうのに、断りもなくずかずかと入ってくるのは一体誰だい。もう少しいたわって欲しいもんだね。そんな礼儀知らずを知り合いに持ったつもりはないよ」


「これはこれはご機嫌麗しゅう。予言の魔女殿はあいも変わらず手厳しい。せっかく長年の友が来たというのに」


 にこにこと笑顔を振りまきながら、愛想良くハイエルフは挨拶を口にする。この笑顔に騙されて、何度面倒臭い頼みごとを引き受けたことか。魔女にしてみれば、胡散臭い笑顔を振りまく若作り爺さんが押しかけてきたとしか思えない。いやそれだけではない苦い思いも思い出し、魔女はそっとそれに蓋をする。


「何が友なもんかい。厄介事があるときにしかこないやつなんて、知り合いで十分さ。疫病神と呼ばれないだけ、感謝しておくれ」


 鼻息も荒く、魔女は答えた。せっかくのお茶が不味くなっちまうと魔女は罵る。お気に入りのカップでとっておきのお茶を入れたというのに。名工の作ではないが、手にしっくりと馴染む大きさと重さを持ったこのカップでお茶を飲む時間を、魔女はことさら大事にしていた。


「招かれざる客に出すお茶なんてないよ。それでよければ、適当に座るんだね」


 ハイエルフはおどけるように肩をひょいとすくめると、冷たいあしらいを気にかける様子もなく椅子に腰かけた。ハイエルフにこんなぞんざいな物言いできるものなど世界広しといえどそういない。数少ない茶飲み友達を、彼はとても大切にしていた。一向に相手に伝わる様子はなかったが。だから今日も彼は、無害な茶飲友達を装う。


「あの幼き魔女殿には至れり尽くせりだったようではないか。そなたの幻獣から聞いているぞ。せめてその半分でも、我をもてなして欲しいものだな」


 カップを後生大事に抱えながら、こちらを睨みつける予言の魔女を見やる。その手のひらの中のカップが、自分が作ったものだと知ったら、魔女はどんな顔をするだろうか。


「あいにくあたしは博愛主義者じゃあないんでね。あんたをもてなしてやる義理はないさ。あの娘は、あたしと同じく、よくわからぬままこの異世界に放り込まれたんだ。故郷を奪われたもの同士、少しは良くしてやりたいって言うのが、人情ってもんさ」


 ちらりと意味ありげに老婆はハイエルフを横目で見る。どこか憎々しげなその瞳。


「この世界の人間たちは、やれ魔女だ、やれ聖女だと持ち上げるけど、特別な力云々の前に、相手も心を持った一人の人間だってことを忘れちゃいないかね。中の界の連中は礼儀知らずで、好意を持った相手のことにしか興味がないし、あたしは頭が痛いよ」


 お前も礼儀知らずのうちの一人だと言われたことも気にせず、ハイエルフは魔女の言葉をにこにこと聞き続ける。


「だいたい魔女だなんて難儀な呼び名だよ。神の声を聞けるのに神殿に上がらない人間のことを魔女だなんて言ってるけど、とんでもない。誰が好き好んで来たわけでもない世界の神のために、神殿に上がったりするもんかね。もともと、自分には信じるものも、守りたいものもあったっていうのに、それを捨てて簡単に知り合ったばかりの神を敬えるはずもないだろう」


 この世界の人々への不満と神への不敬を一気に言い捨てると、魔女は忌々しそうに紅茶を口に含む。口いっぱいに広がる芳醇な香りが、ささくれだった心を落ち着かせてくれる。


「その割には、そなたもあの幼き魔女に大した情報もやらず放り出したではないか。そなたの幻獣もえらくあの娘に厳しい。」


 ハイエルフの言葉に、魔女はぶっきらぼうに返事をする。こんな男にいちいち説明してやる義理もないが、自分の身内が言われなき誹謗中傷を受けるのは我慢ならなかった。


「シュワイヤーは、あの娘を見ると昔の自分を思い出してイライラするのさ。幼い頃に中の界で親とはぐれてこっちの世界に来ちまって、ただの猫として生きてきたからね。猫の世界に馴染めぬまま、記憶もないせいで解決する術も持たず、異物として生きてきた自分を思い出してイライラするのさ。だからあの娘に冷たく当たる。感情を爆発させろ、早く自分の力に気づけってね」


 泥だらけで小さく震えていた幻獣を保護したのは、先代の魔女だ。代替わりしても恩義を忘れることなく、忠実に仕えてくれる幻獣を魔女は殊の外大切にしていた。例えその幻獣の性格と口に多少難があったとしても気にならない程度には大事に思っている。


「あんなおかしな状況にも関わらず、泣きもせず、怒りもせず、それなりに適応しているのはおかしいだろう? 自分の存在が消えたときいて、仕事に穴を開けずに済んだなんて喜ぶ人間がどこにいるっていうんだい? どんなにひどい扱いを受けても、あっさりと笑い飛ばし、すぐに忘れて前を向く。いくら自分の世界に未練がなかったとはいえ、普通はこうはいかないさ」


 かわいそうな娘。泣き方を知らない娘を見ていると、この世界に来たばかりの自分を思い出す。あの娘と自分と、どちらがより不幸で幸せなのか、魔女にはまだわからない。けれど、どうか幸せになってほしいと魔女は願った。


「あの娘は自分には何の力もないと思い込んでいる。そりゃあこの世界に生まれるべき魂が、全くの異世界で育ったんだ。どんなに努力してもうまくいかないことも多かっただろうさ。自分の心を守るために、極端に鈍感になるくらいにわね。それでもそうやって適応して生きてきたんだ。大したもんだよ。その力を自分にふさわしい世界で開花させてやれば、あの娘は今まで以上に楽に生きることができるはずさ」


 話し疲れたのか、魔女は紅茶にたっぷりと白砂糖を入れる。温かい紅茶に落とされたきめ細かな砂糖の粒は、ゆらゆらと紅茶の中でもやに変わりすぐに見えなくなった。まるで適応できなかった異世界の魂が、理の違う世界に瞬間的に吸収されてしまうのと同じように。


「今回ばかりは、あたしもあのどうしようもない神の関係者に感謝するよ。普段は魂が別の世界に入っても、神にとって面白おかしいタイミングでしかこちらに戻さないからね。救い上げられる前に病死したり、事故死したりする者がどれだけ多いことか。それが今回偶然とはいえ、リーファにも良い影響を与える時間軸でこちらに寄越してくれた。立役者の聖女とその崇拝者に感謝しようじゃないか」


 感謝など欠片も感じさせぬ声音で老婆は語る。その皮肉めいた言葉に、ハイエルフは魔女の心の遠さを思い知る。こんなに近くにいるのに、ハイエルフと魔女の心は恐ろしいほどに遠いのだ。


「まあそれにしても、リーファも自分が泣いてすがった相手が、元はただの一般人だとは想像もしていないだろうねえ。もともと心根の良い姫君だから、そうと知っていれば、あの娘の言葉を冗談や謙遜と思わずに真摯に向き合っただろうに」


 ハイエルフはいつになく熱く語る魔女に内心驚いていた。長い間色々な場所を旅してきた魔女。戯れにその美しさを誉めたら、次に会った時には老婆に姿を変えていた偏屈な女。いつでも容姿を元に戻せるというのに、老婆のままでいるところを見ると、案外気に入っているらしい。


「助けを求めるお姫様が、一人から二人に増えたからね。まあその一人は、自分がお姫様だってことにも気づいていないけれど。さあこれから忙しくなるよ。あんたもあんたの愛し子が幸せになるチャンスが巡ってきたんだ。しっかり働いてもらうよ」


 自分にとってはお前こそが救われるべき姫なのだが……。けれどその言葉を伝えたところで魔女は喜ばないだろう。きっといつも通り冷ややかに、彼女は自分を突き放す。それがわかっているから、彼は隣で今日もお茶を共に味わうのだ。今はそれで十分。


 あの銀色の猫が、きっと伝えているはずだ。リーファとハイエルフが結ばれた場合の未来図を。それは数ある選択肢の一つであり、可能性の欠片に過ぎない。


 けれどきっと魔女は快く思わないだろう。決して本人が認めることはないだろうが。魔女に快よく思われないことこそが、こんなにも嬉しいのだなんてことはおくびにも出さず、ハイエルフは魔女の言葉にただ是と答えるのだった。


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