23.方向音痴なあたしとメイドな妖精女王 中編
あたしは人影に近づくべく、前に進む。
さっさと歩いていきたいものの、一面の花畑だから、どうも自然に親しんでいない人間しては、どこをどう歩いていいものやら悩む。このまま歩くと、確実に下に咲くお花は踏みつぶされちゃいますよ。いいのかしら。ぐちゃぐちゃに荒れたりしない?
覚悟を決めてドキドキしながら足を進めると、カサカサと足下の草花に靴が当たる感触はする。にも関わらず、踏みつぶされた様子はない。
ふと思い立って花畑にしゃがみこむと、手近にあった赤いガーベラに手を伸ばした。
そっと柔らかな花弁をなでれば、ガーベラはくすぐったそうに揺れる。顔を近づければ、甘い香りがただよってくる。そのまま葉と茎もなでてみて触れることができることを確かめたあと、おもむろにガーベラを引っこ抜こうと力を入れた。するとなんということか、手の中にあったはずのガーベラは一瞬で消え去りなくなってしまった。うわあ、不思議、不思議。
一体どういう仕組みなんだろう。この世界で、あたし一人だけが異質だ。
カイル王子は、五感すべてで体験すると話していたような気がする。「視る」って言ってたから、映画みたいな情景をただ眺めるだけかと思っていたけれど、思ったより世界をリアルに感じている。
いわゆるVRMMOほどではないけれど、映画を見るよりはずっとリアルな世界にいる。確かにこれじゃあ、この世界の人にとってはどちらが現実なのか混乱することもあるのかもしれない。
ちなみに、あたしの姿って相手に見えるんですかね? いきなり切りつけられたりしないよね?
てくてく歩いて行くと、誰かさんたちの会話が耳に入ってくる。
見渡す限りの花畑なので、あたしの姿をさえぎるものは何もない。
普通ならあたしが相手を見えるのと同じように、相手もあたしが見えるはずだ。相手から何らかのリアクションがなければ、あたしはこの世界から認識されていないということになる。悲しいことに、あたしは普通に考えて自分が怪しいと思われるだろうことに自信があった。
このお花満開の麗らかな春に、ムートンブーツはおかしいだろう。
「ねえ、どうして パパと ママは けっこんしたの?」
姫君によく似た女の子は、まだ三歳くらいだろうか。あどけない顔で、父親に聞いている。
可愛いねえ、ちょっと舌ったらずなところがまたいいね!
聞くよねえ、女の子ってこういうの好きだよね。小さくても恋バナしちゃうよね! もしかして、パパと結婚したいなんて可愛いこと言ってくれるのかな?
「それはね、ママのことが大好きだったからだよ。パパがママにお願いしたんだ」
一般的には花マルに思えるパパさんの答え。
ところがその答えが不満だったのか、女の子は唇をとがらせる。
「えええ? どうしてえ? パパと ママが けっこんしなかったら、ママは おひめさまで、パパは じょおうさまだったんでしょう? きれいな はねで、おそらだって とべたんでしょう?」
パパさんは、一瞬眉をひそめるとすぐに笑顔でそれを隠して、女の子に向き直る。ママがお姫様で、パパが女王様ってなに? 王様の間違いじゃあないの?
パパさんは確かに中性的だけれど、女性には見えない。それにパパだしさあ。
まあそこはとりあえず置いておいて。
きれいな羽で……いうことは、やっぱりこのパパさん、シンシアさんの親戚なのかな? シンシアさん、妖精族の羽があったもんね。
「誰にそんなことを聞いたんだい?」
「うんとねえ、このまえ おうちに きた おきゃくさん!」
「そうか、そういうこと言ってたかあ」
元気よく女の子が答える。パパさん、ニコニコしてるけど、あれ絶対に怒ってるね? うん、きっとこの間来たお客さんとやら、今度ボコボコにされるよね。パパさん、そういう顔してた。
「あたしも おひめさまが よかった! やだやだ、どうして パパたち けっこんしちゃったの?!」
出た! この頃の幼児必殺なぜなにどうして攻撃!
あたしも知り合いの子どもたちに悩まされたもんさ!
それにしてもやけに絡むと思ったら、ポイントはそこだったのか。まあ小さい女の子はみんなお姫様好きだよね。
「たとえ東の国がなくなっても、東の国の王家の血を継ぐ君は、まぎれもないお姫様さ。でもね、東の国だとか妖精女王なんてどうでもいい。パパにとってはそんなこと関係なく、君はパパの大切なお姫様なんだよ。パパの可愛いお姫様、さあ笑ってごらん」
急に恥ずかしくなってしまったのか、あっかんべーっとしながら女の子はちょこちょこ走り出していく。
「シャンシーニ」
あたしの後ろから現れた黒髪の女性が、パパさんの背中に抱きついて甘い声でその名前を呼んだ。
ちょいびっくりしたあ。覗き見に夢中になってたわ。
「またそんな子どもみたいな真似をして……」
腰に手を当てて、女性を諭すその男性の姿は、先ほどあられもない姿を見てしまったシンシアさんにやっぱりよく似ている。
女の子が離れたからか、パパの顔ではなく、愛する奥様を見つめる素敵な旦那さまの雰囲気だ。
「ふふふ、わたくし本当に幸せだなあって思ったら勝手に体が動いたのよ」
女性は、いたずらっ子のように片目をつぶって見せた。ゆっくりとその言葉を噛みしめるようにつぶやく。
「わたくしだけこんなに幸せになっていいのかしら。あなたにたくさんの仲間と守るべき国を捨てさせて……。自由に空を飛ぶこともできなくなってしまったのに、そのくせ最期まで一緒にいることもできない」
女性は、何かを懐かしむかのように男性の背中をなでる。
「貴女の幸せがわたしの幸せです。そんな余計なことをお話しする口はこうしてしまいましょう」
二人の影が、ゆっくりと重なり合う。
映画のワンシーンのように美しいキスだった。深く長いくちづけ……。
さすがに至近距離だと、あたしも恥ずかしいよ!
「わたくし、たくさん子どもを産むわ。男の子も女の子ももっとたくさん。その子たちが結婚して子どもを産んで……そうやってずっと誰かがあなたのそばにいるわ。あなたが1人になって寂しい思いをしてしまわないように」
「それは、今夜お相手をして頂けるということですか?」
パパさんのちょいセクハラ発言に、頬を真っ赤に染める。
それは子持ちの女性とは思えないほど、初々しく可愛らしかった。
わあ、新婚かと思うほどにイチャイチャですね。
その後も続くイチャイチャラブラブから視線を外すと、ゆっくりと周囲の風景がぼやけていく。これがいわゆる糖分多めなカップルなのか……という妙な感想も出てきた。
あたしはゆっくりと目を開ける。そこはお茶をしていたあの部屋だ。あたしの本体はここにあって、精神体だけあっちにいってたのかしら?
それは後から確かめることにして、ゆっくりと椅子から立ち上がる。右手の薬指にはめられた指輪がきらりと光った。
「で、どうだった? 妖精族は不死身の軍隊になってたか? 辺り一面、燃え盛る炎だっただろう?」
わくわくした様子で、嬉しそうに不穏な発言をするカイル王子は放っておくに限る。カイル王子、お前は一体なんなんだ。
あたしは、おずおずとシンシアさんに声をかけた。
「あのう、シンシアさんに双子のお兄さんとかいたりします?」
シンシアさんは、うっすらと笑いながら首を横に振る。
次の質問は勇気がいるなあ。
「シンシアさん、妖精族の女王様なんですか?」
あたしの質問は予想の範囲内だったんだろう。驚きもせずに、シンシアさんはゆっくりとうなずいた。