13.方向音痴なあたしと銀色の猫 前編
姫君のお手伝いをすると決めた上で、あたしは一つ確認しておきたいことがあった。
ちらりと、姫君の膝でくつろぐシュワイヤーに目をやる。
あいつ、目つむってやがる……。
ちょこんと箱座りで眠るにゃんこは大好きだけど、このまま姫君の話を聞くのはちょっと辛い。
一度気になったせいか、確認したくてたまらなくなる。我慢はできそうにない。
仕方ない、起こすか。どうせ本気で寝てるわけないんだろうし。
「失礼ですが、化粧室はどちらに?」
その瞬間。シュワイヤーがカッと目を見開いてあたしを睨みつけてきた。
おお、怒ってる怒ってる。そんな顔してると、姫君がびっくりするよ?
口うるさい君のことだから、淑女にあるまじきとでも思ってるんでしょうよ。
今回はそれが狙いだから結構結構。乙女にあるまじき捨て身の作戦だけど。
初デートで彼氏の前で、「ちょっとトイレ」なんて死んでも言えなかった高校時代が懐かしいわあ。
メイドさんが案内してくれそうだったがあえてそれを断り、一人でドアの外に出る。いつもなら方向音痴のあたしが一人でウロウロするなんて無謀だけど、今回はツレがいるから安心安心。
ほらね、扉を閉める間際に、予想通りするりとシュワイヤーも外に出てきた。
「淑女にあるまじき発言までして……。一体何が聞きたいのですか」
心底嫌そうに、あたしに尋ねる。
あんたの大好きな姫君が頼りにしている人間ですよ。もう少し気を使ってもらえませんかね?
「あたしさ、もとの世界に戻れるのかな?」
予言の魔女に聞けなかった疑問を、足元の銀色にゃんこにぶつけてみた。
失礼なことに大あくびをしてから、シュワイヤーはあたしを見上げる。
「そんなことを聞いてどうするんです?」
いやいや、そんなどうでも良さそうに言わないでよ。
こちとらこの質問ぶつけるのに、どれだけ緊張したと思ってるのさ。
「そりゃあ、覚悟の仕方が違うよ」
あたしの一言が気に食わなかったんだろう。
猫の目に物騒な光が見える。
おいおい、人の話はちゃんと聞いてよ。
「別に、帰れるから手を抜くとかそういうんじゃないよ。でもね、もとの世界のあたしがどう処理されてしまうのか、それが気になるのは当然のことでしょう」
理の異なる世界に来たあたしは、もとの世界でどういう扱いを受けているんだろう?
この世界の時間軸は異なっていて、ほとんどあの瞬間から時が動いてないとかだったらどうする?
違う世界で数年過ごして、あたし一人だけおばちゃんになって戻ったりしたら笑えない……。
もしくは失踪扱いになっていて、会社では取引先に行く途中で失踪した奴として有名になってるとか。
個人的にこれが一番最悪ね。この先、現在進行形でもとの世界の皆さんに多大なる迷惑をおかけしていることを実感したくはない。
もし戻れても現代の神隠しとかで大騒ぎだし、会社もクビになっている可能性が高いし、人生終わってる。
実は時の流れが違いすぎて、もうこの瞬間には百年くらいたっているとか。
もうあたしを知る人の人生が終わってしまってるなら、あんまり思い悩まずにすむね。
他に可能性があるのは……。
「あなたを迎えに行ったジュムラーが、自分のうつせみをこの世界に置いていったのとは異なり、あなたはあなたのいた世界から根こそぎ連れてこられました。もとの世界に戻れるかは神の領域であり、答えられません。恐らく、あなたの存在はもとの世界から消え、なかったことになっているのではないでしょうか」
あっさりと、シュワイヤーはあたしに告げる。
もとの世界には、もはやあたしが存在していた事実そのものがなくなっているらしい。
帰れるかどうかは神の領域って、それ実質無理なんじゃない?
相川かおる 中堅社員独身、思ったよりあっさりともとの世界からデリートされてました。
今後、あちらの世界を心配しなくても良くなったというのを、素直に喜んでいいのかは微妙なところてす。
帰れないと聞いたのに、思っていたより傷つかなかった。
まあ夢多き若者と違って、あたしはちょうど疲れていたしね。
彼氏はこの間別れた。
両親との仲は正直なところイマイチで、あたしと妹との仲は最悪。実家はないものと考えている。
友達は少ない。
会社は正直しんどい。
あ、なんか目から変な汁が出てきた。あれ、これ何で塩っ辛いの?
いいわ、あたし心機一転ってことでこの世界でがんばろう。
姫君、あたしあなたに尽くすんで、あたしの生活の保障をどうぞよろしくお願いします。
「この世界の常識、あなたに聞かず、姫君に聞いてもいい? あたしが万能じゃないってわかって、姫君はがっかりするかもしれないけど、期待させてから裏切るような真似はしたくないんだよね」
一応、この点も確認しておく。
社会人になって学んだことは、自分にできることとできないことを把握しておくことの大切さ。
大風呂敷広げておいて、実はできませんでしたっていうのが一番タチが悪い。
あたしはこの世界の常識を知らないし、今後王宮や神殿とやりあう中で、姫君にフォローして頂かないといけない場面も多々あるはず。
できないこと、知らないことは最初から言っておきたい。
まあ最弱のあたしは、基本的に何もできないけどね。
銀色にゃんこは、ぷいっと顔を背けたまま返事もしない。
まあ文句がないということは、勝手にやれということなんだろう。
それじゃあ好きにやらせてもらいますよっと。
聞きたかったことも聞けたし、あんまり長時間外にいるわけにもいかず、そそくさと部屋に戻る。
ちなみにせっかくなので、トイレも使ってみました。
ありがたいことに自動洗浄でした。ボットンじゃなくて、よかった。




