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12.閑話 魔女のアップルパイ

 甘くておいしい、魔女のアップルパイ。

 あなたもどうぞ召し上がれ。



 村はずれに住む魔女のアップルパイは、絶品だ。

 しかもどうやら、幸せの魔法までかかっているらしい。


 魔女は数年前にこの村にやってきた。

 若く年頃だというのに、艶やかな黒髪を結い上げもせず、無造作に風になびかせているような娘。


 村の子どもたちは珍しがって魔女の家に押しかけるから、魔女はいつも子どもたちの面倒を見ていた。

 魔女なのにおしわがないのねなんて子どもたちが言うと、魔女はいつもすましてこう答えるのだ。


 本当は二百歳のおばあちゃんなの。でも大人の人には内緒よ。


 村社会は閉鎖的だから、よそ者はなかなか受け入れてもらえない。

 けれど、魔女だけは別だ。


 神の言葉を聞くことができるものは、神殿に上がるのが通例だ。

 その中でも特に力が強いものは聖女の称号を賜る。

 稀に神殿に上がらず、諸国を渡り歩くものがいる。それが魔女だ。

 神殿もないような小さな村々は、遠い中央の神殿の聖女よりも、魔女の方がずっと身近な存在だった。


 魔女にだって名前はある。

 それでもいつの間にか、みんな魔女のことは魔女さんと呼ぶようになった。

 お医者さんが、いつでも先生と呼ばれてしまうようなものかもしれない。

 実際、魔女は簡単な薬の調合ならできたのだから。


 魔女は村にはない知識を持っていた。美味しい食べ物のレシピも。

 中でも村人を驚かせたのが、魔女が作るアップルパイだ。


 王族でもない限り、甘味などそうそう味わえない。

 それほど、砂糖もバターも白い小麦粉も贅沢品だ。


 魔女がアップルパイをみんなに振る舞ったのは、村に住んで初めての冬のある日。

 この村で取れた薬草と砂糖を、行商人に交換してもらったのだと。

 たったこれだけの砂糖にしかならなかったけれど……と魔女は小さな小瓶を見せながら話してくれた。


 その年みんなが食べたアップルパイは、小さなスプーン一口だった。

 それでもこの幸せをみんなが分かち合い喜んだ。


祈りを捧げましょう。


 魔女が言うと、村人たちは自然と手を組んだ。

 魔女はあえて、神に……とは言わなかった。祈りを捧げる相手は人それぞれだ。

 そう魔女が思うからこそ、魔女は神殿には上がらず、諸国を巡っているのだから。


 翌年、魔女のアップルパイは少しだけ大きくなり、村人たちは二口のアップルパイを食べた。

 その翌年、魔女のアップルパイはもう少し大きくなり、村人たちは三口のアップルパイを食べた。

 

 魔女がきて、一年経つごとに村は豊かになる。

 一年経つごとに、アップルパイの大きさも大きくなる。


あとどれくらいしたら、お腹いっぱいアップルパイが食べられるかな?


 そう尋ねる子どもたちに、魔女は目を細める。


大丈夫、きっともうすぐお腹いっぱい食べられるようになるわ。


 少しずつ大きくなるアップルパイに、少しずつ豊かになる村を実感しながら、村人たちは畑仕事に精を出した。


 その頃から、魔女のアップルパイは近隣の噂になっていった。

 その味だけではなく、村が豊かになるその魔法が欲しいと。


 今まで冷害に悩まされていた村は、魔女が来てから豊作続きだ。

 魔女の家に遊びにくる子どもたちは、病気知らず。流行病で死んだものもいない。

 体が弱かった木こりの妻は、アップルパイを食べた後あっという間に元気になって、三人の子宝にも恵まれた。


 そんな魔女のアップルパイだから、みんなレシピを知りたがる。

 そんなとき、魔女は困ったようにこう言うのだ。


普通のアップルパイよ? みんなと一緒に食べるから、特別なの。


 それでもアップルパイのレシピを欲しがる人は後を絶たない。

 とうとう魔女が住む村を治める領主まで、魔女の家にやってきた。


 アップルパイのレシピを知りたがる、領主の使いはしつこかった。

 どんなに魔女が説明しても、諦めない。


魔女殿、あまり強情ですとこの村が困ったことになりますよ。


 そんな言葉を領主の使いは口にする。

 魔女に取り次ぐ、村長の顔色が悪くなった。きっと村長は、首を縦に振らない魔女の代わりに、今までも散々言われてきたに違いない。


 魔女が村に居着いてから、ずつと気のいい相談相手だった村長。優しい村人たち。

 流れ者の魔女にも本当によくしてくれたから、魔女は心苦しかった。


 そしてある冬の昼下がり、魔女は自宅に領主の使いを呼んだ。


アップルパイを差し上げます。


 そう言った魔女の言葉に、領主の使いは小躍りして喜んだ。

 魔女はその日のうちに領主の屋敷へ行き、アップルパイを作ってやった。


出来立てのアップルパイは、どうぞみんなと分けてお召し上がりください。


 そんな魔女の一言など、領主の耳には入らなかったに違いない。

 領主は目の前のアップルパイを見つめたまま、魔女を追い返したのだから。


そろそろ、引越しかしら?


 魔女は領主の屋敷からの帰り道、歩きながら考える。


 あの領主は、悲しいほど卑しい感情を垂れ流しにしていた。

 もともと寒村だったあの村を放置していたような領主なのだ。期待はしていなかったが、やはり残念だった。


 別に魔女のアップルパイには、たいした魔法などかけていない。

 少しだけ、食べる人の気持ちに寄り添うように、魔女が思いを込めただけだ。


 おいしい、たのしい、そんな気持ちで食べてくれたら、そのアップルパイは至上の食べ物になるだろう。

 不治の病に効くと信じれば、体の回復力が増すだろう。

 大地の恵みをもたらすと思えば、畑仕事に精を出し、結果として豊作につながるだろう。

 辛いことがあっても、希望があれば、明日への力を生み出してくれる。


アップルパイは分け合って食べる食べ物だ。


 みんなで分け合えば、それはみんなに少しずつ良い効果を生む。

 幸せな気持ちがみんなに行き届く。特別なことはないけれど、満ち足りた毎日に満足する。


 反対に己の欲望しかかえりみずに食べたなら、どうなるだろう。

 食べた量が少なければ、ちょっとしたもやもやで終わるかもしれない。

 では全部独り占めしたならば……?


 領主はどうだろう。

 金が欲しい、贅沢をしたい、アップルパイのレシピを教えぬ魔女が憎い。

 領主の気持ちは、自分勝手な気持ちであふれていた。


 分け合って食べるように言い添えたが、きっと自分一人で食べ尽くしてしまうに違いない。

 欲望のままに、金や美しい女や贅沢な暮らしを望む男がどうなるか。

 魔女は髪の毛一筋ほども興味が湧かなかった。

 ただ自分の愛した美しい村が変わってしまうであろうことだけが残念だった。


次はどこへ行こうかしら。


 天気は崩れかけている。今夜にはひどい吹雪に変わるだろう。

 魔女はため息をつき、家路を急いだ。




 甘くておいしい、魔女のアップルパイ。

 あなたもどうぞ召し上がれ。




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