10.方向音痴なあたしと物忘れの姫君 中編
次の瞬間、あたしの足元から銀色のもふもふが転がり出てきた。
「にゃあ」
シュワイヤーは嬉しそうな声を上げて、姫君の足元に近づくと体をこすりつける。
そして、理知的なまなざしはどこへ行ったのやら、蠱惑的な瞳で見上げ姫君におねだりする。
撫でて、撫でて! もう好き、好き!
姫君は少し呆気にとられた後、可笑しそうに笑った。
「あら、可愛い間諜だこと。こちらにいらっしゃい」
姫君はシュワイヤーを手慣れた様子で抱き上げると、すべすべの毛並みを撫でてやる。
にこにことシュワイヤーを撫でる姫君。
姫君に撫でられて、ご満悦のシュワイヤー。喉もぐるぐる鳴っている。
なにこれ、あたしすっごい置いてけぼりなんですけど。
ってか、あいつなに一人猫ぶってるわけ?
瞬間、シュワイヤーが冷たい瞳であたしを見据える。
説明はご自分でお願いします。ミジンコ並みの脳みそでもそれくらいできるでしょう。姫君に人型になれることを伝えた場合は……おわかりですよね?
声はなかったけど、言いたいことはわかったよ。
やだもう、まさかの丸投げきたよ。
あたしこんなに猫好きなのに、いっつも可哀想な扱いばっかり受けてる気がする。
にゃんこよ、あたしの愛を受け止めて!
「それで、そちらの方は?」
姫君があたしに声をかける。
このタイミングで、どうやって出ていけばいいんですか?
あたしは出るに出られずもじもじする。
「にゃあ」
なかなか出てこないあたしにいらついたのか、シュワイヤーが声をかける。
まさかの裏切りにあたしは肩を落とす。
なんだよ、完全にあんた姫君側じゃないっすか。
「ど、どうも、初めまして」
仕方なくあたしは柱の影から顔を出す。
姫君の視線が痛いです。それに毒舌にゃんこの視線も。
「あらまあ、初めまして。可愛らしい魔女さん」
いいえいいえ、魔女だなんて。そもそも魔女は数百年も前のおとぎ話の中にしかいないのでは?
「あら、そんな足のラインの見えない靴を履いていらっしゃるのに? ここはヒールを履いてこそ、女性として見なされる国なのはご存知でしょう?」
どうやらここは、国を挙げて脚フェチが蔓延しているようです。
重労働でヒールを履いていたら、腰が壊れますよ。
それにあたしの国では、魔女はトンガリ帽子に、先がくるりと反り返った靴というイメージですけどね。
まあ、所変わればってことかな?
「あの、あたしは魔女ではなくてですね、ちょっと頼まれて……」
「あらじゃあ、魔女のお弟子さんなのかしら? ふふふ、これも修行のおひとつ?」
ああ、どうしよう。この姫君はあたしより年下のはずなのに、翻弄されちゃう。
あたしが困っていると、姫君はシュワイヤーを下に降ろし、腰を低く落として淑女の礼をとった。
「申し訳ありませぬ。つい遊びが過ぎました。わたくし、東の国の第一王女リーファと申します。予言の魔女殿より、すでに贈り物と一緒に言伝を受け取っております。理の異なる世界から来られた稀人よ、どうぞわたくしをお救いください」
予言の魔女って…….おばあちゃん、やっぱり主要人物ですやん!
自分の予言の後始末をあたしに押し付けるなんて、それどんな罠ですか?
先に話を通して置いてくれたり、にゃんこに道案内とかさせなくていいから、もうあたし抜きで話を進めて。
しかも、何気にあたしにすごい力があるように勘違いされてるみたいだけど、どうすんのこれ?
まったくしてやられたわ。そうよ、あんな機密情報をポロポロ出してくるなんて、一般人のわけないじゃない。
「どうぞ、こちらへ」
姫君自ら、あたしたちを応接間に案内してくれた。
申し訳無さすぎる。
部屋の中は驚くほどスッキリしている。お姫様のお部屋って、もう少しきらびやかなものなんじゃないの?
思うことはあるけれど、とりあえず白いソファに座らせてもらう。
シュワイヤーですか? あたしとじゃなくて、姫君と一緒ですよ。
「何もない部屋でお恥ずかしいのですが、よろしければどうぞおかけになって。予言の魔女殿より、アップルパイを頂いておりますゆえ、お茶と一緒にいただきましょう。お話はお茶と一緒にね? シンシア、お茶を」
姫君はメイドに声をかける。
またきたよ、アップルパイ。確かにほっぺが落ちそうなくらい美味しかったよ。あのサクサクのパイ生地も、甘くとろける柔らかなリンゴも、思い出すだけで生唾ゴクリ。
でももう騙されないんだから! またうっかりしてると何か嵌められそう。
「アップルパイはお嫌いでしょうか? 昔から甘味は貴重なものでしたから、誰かと分け合って食べねばならぬというのが、古くからの言い伝えなのです。どうぞよろしければ、せひ」
姫君は少し困ったように笑う。
美人はそんな顔も綺麗だね。むしろ憂い顔の方が、美人度が三割り増しのような気もします!
「……それでは、ぜひ」
思わずそう答えたあたしを、シュワイヤーは確かに馬鹿にしたような顔で見ていた。
何よ、あんただってちゃっかり姫君のお膝でまるくなってるくせに。
シンシアという落ち着いた雰囲気のメイドさんがお茶の準備をしてくれている横で、姫君はぽつりぽつりと話し始めた。
「先ほど皆様がお見かけになった男性が、こちらの国の第一王子であるアルバート様です」
ああ、やっぱり王子サマか。
あんなんが王子じゃあこの国も心配だわ。
あたしの感想に、姫君はくすりと笑い鮮やかな濃紺の扇で口元を隠す。
「文武に秀でておられる優秀な方なのですが……。もともとアルバート様のお母上が身分がそれほど高い方ではなかったために、第一王子でありながら王位継承権の順位が一番目ではなかったのです。最近になって、第二王子であるカイル様が王位継承権を放棄したために、アルバート様の王位継承権第一位が確定しました。しかし今更というお気持ちもおありでしょうし、すでに想う方もいらっしゃるようです。王族にお生まれになったがゆえに、翻弄されてお気の毒な方でございますわ」
姫君、顔が笑ってますよ。
さりげなくアルバート王子を貶めてるのがいいですね。
オブラートに包んでいるけれど、『アルバート様はお勉強はできるけれど、政治能力は皆無。王族としての責任感も判断能力もなく、恋に溺れる甘ちゃん』って表現してるからね。
だいたい自分の待遇に不満があるなら、それは自分の身内側と調整するべき話で、立場の弱い姫君に八つ当たりしていい話じゃない。
そもそも東の国から人質で連れて来られ、異国で過ごす姫君の立場を理解していれば、先ほどのような発言はできないはず。
「姫君は、もしかして第二王子のカイル様とやらがお好きだったのですか?」
多分違うと思うけれど、一応確認しておく。
「いいえ。もともとわたくしは、聖女様から頂いた祝福のおかげで、男性の顔がわかりませんから、正直どちらがお相手になっても良かったのです」
姫君は澄ました顔で、とんでもない発言をした。