悪趣味な床屋さん
山本という男は仕事帰りに、髪を切ろうと思い、新しくできた床屋へと行った。
「いらっしゃいませ」
清潔そうな若い男性が笑顔で答えた。
「今日は何しに来たんでしょうか?」
「髪を切る以外に何があるというんだ」
山本は変なところに来てしまったと後悔したが、仕方ないと自分に言い聞かせた。
「それでは席みたいなところに座ってください」
山本の不安が膨れ上がる。
「では、どのような髪形にしますか。お任せですね。分かりました」
もはや、山本の心は不安しか残っていない。
「やっぱり、帰ります」
「ええっ、何で帰るんですか」
「どう見ても怪しい床屋さんじゃないか」
「気のせいですよ。実際にここの床屋は切り方が上手いって有名なんですよ」
「信じがたいな」
「本当です。ほら、そこの賞状が証拠です」
確かに若い男性の言う通り、『第二十八回 日本床屋大賞 第一位』と書かれた賞状が飾られていた。
「本当なのか」
「はい。だから、安心してください」
山本は渋々、席に座った。
「じゃあ、もう君に任せるよ。変なのじゃなければ」
「ありがとうございます。お任せなんて、ずいぶん無責任な方ですね」
「お前が言ったんだろ」
「では、この中でどのハサミがいいか選んでください」
若い男性から3つのハサミを見せられた。
赤いハサミと青いハサミと緑のハサミ。
「このハサミはどう違うんですか?」
「色だけが違います」
「殴られたいのか」
結局、青のハサミを選んだ。
「それでは、休憩に入ります」
「仕事しろ」
山本は心どころか体にまで不安が充満している。
「いや、ハンサムになりましたね」
「まだ、何もやってないだろ」
「もみ上げはやりますか」
「はい、お願いします」
「唐揚げはいりますか」
「いりません」
若い男性はついに山本の髪を切り始める。
「お任せと言いましたが、お客さんに気に入ってもらえるように、いくつか質問をしてもいいですか?」
「いいですけど、切り始めてから聞くんですね」
「はい。では、リーゼントとスキンヘッド、どっちがいいですか」
「選択肢が狭まりすぎですよ」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
山本は普通に短く切ってくれるように頼んだ。
「面白くないなー」
「無駄口をたたかないで自分の仕事に集中してください」
「うわっ、やばい。やっちまったな」
「どうかしたんですか」
「言ってみたかっただけです」
山本の不安は怒りへと変貌した。
「お願いしますから、髪を切っている時だけは二度としゃべらないでください」
「それはこっちのセリフです」
山本の拳が強く握りしめられた。
堪忍袋の緒が切れかかります。
「お客さん、なんか怒ってるみたいですけど、リラックスしてくださいね」
「ええ、リラックスできるものならしてみたいですね」
「では、ここで一句。優しい床屋さんだから私に金をくれ」
「あなた、俳句を知らないでしょ」
「はい、なのでとりあえず2000円をください」
成立しない会話。
「もう、いい加減にしてくださいよ。変なこと言わないでください」
「はは、面白い冗談ですね」
山本は殴りたい衝動に駆られたが、そこは大人。
グッとこらえました。
「子供の頃から、床屋さんになるのが夢だったんです」
「はあ、そうですか……」
若い男性が急に昔の話をしゃべり始めた。
「私は昔から床屋さんを目指していたんですが、親には消防士になれと言われたんです。65回くらい言われました」
「ずいぶん言われましたね」
「はい、それで私は……」
そこで女性の声がした。
「何やっているんですか。橋田さん!」
店内の奥から女性が現れて、若い男性に歩み寄った。
「あれ、どうしたんですか。あわてちゃって」
「あなた、自分のしていることが分かってます?理容師でもないのに」
そこで山本が話に割って入った。
「待ってください。理容師じゃなかったら、あなたは誰なんですか?」
「私ですか?消防士であり、ここの常連客でもある橋田です」
山本が橋田のことを殴ったのは、言うまでもないだろう。