16
瘴気との戦いから一週間経った。
この一週間、ミーシャはひたすら台所で鍋を振るったり肉を焼いたりしていた。
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仮称結界班全員で転移陣を使い、土の神殿に戻ると、騒然とした雰囲気が漂っていた。
自身の血で汚れた体を土竜の森の温泉で清めたマーサ達は、驚くほど痩せ細っていた。
神子とは魔力の塊のようなもので、魔力が失われた分、体の肉も痩せ衰えたらしい。
半分気絶したような状態のリーに純度の高い酒を無理矢理飲ませ、少しでも魔力を回復させる。
喉が焼けるようなキツイ酒に意識がハッキリしたのか、リーが少しだけシャンとして、目の前に置かれた大量の料理をマーサ達に言われるがままに平らげていく。
台所では、神官達や領軍食堂の料理人達が、リゾット等、食べやすい料理を大量に量産していた。
それを次から次へと、普段では考えられないスピードで食べる神子達に運ぶ。領地の土の神子の結界の中に保護されていた面々が、慌ただしく次から次へと料理を運んでいた。
ミーシャ達もそれに加わる。
酒瓶の口を開けて、神子達に渡す者、あいた皿を下げる者、バトンリレー方式で料理を運ぶ者、全員が兎に角動き回った。
それが落ち着いたのは、リーが皿に突っ伏すように寝てしまってからだ。
マーサはまだ酒を飲んでいたが、他二人も寝ると言って、土竜の森の中にある其々の家に向かった。
火を吹きそうなキツイ酒をグビグビ水のように飲んでいるマーサに声をかけた。
「母様は寝なくて大丈夫なの?」
「んー、これ飲み終わって一服したら、一旦寝るわ。ミーシャ達も風呂にはいってご飯食べたら、今日は休みなさいな」
「うん」
「母様」
「んー?」
「お疲れ様でした」
「……ふふっ。ありがとう。ミーシャもお疲れ様」
マーサはそう言うと、近くに小さい子供がいないことを確認してから、煙草に火をつけた。
聞きたいことは色々あるけど、また今度でいいや、と胸の中にしまいこんだ。
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戦闘と封印を終えた翌日。
また違う異変が起きた。
リーが5歳くらいの子供の姿になったのだ。
大声で泣いているところを、サンガレア領軍神殿警備隊隊長が発見・保護した。
ミーシャ達も驚いたが、マーサ達も驚いて飛び上がっていた。
フェリが神に話を聞いてくると、慌てて神殿に向かい(神殿の最奥にある祭壇だと、より神々と話がしやすいらしい)、マーサとマルクの二人がかりで泣きわめくリーを宥めた。
泣いているリーをあやしながら、二人でご飯を食べさせていると、フェリが戻ってきた。
「兄さん。なんだって?」
「どうも、消耗が激しい故の応急措置みたいなもんらしい。魔力がある程度回復したら、自然と元の姿に戻るそうだ」
「だってさ。良かったな、リー」
その場にいた全員が安心したように息を吐いた。
リーは鼻をぐずぐず言わせながら頷いた。
手はしっかりと抱っこしているマーサの服を掴んでいた。
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そんなわけで、絶賛欠食児童状態の神子様方の胃袋と魔力を満たすべく、交代制でひたすら料理を作っていた。
ストレス等が大きかったのか、どうにも情緒不安定なリーのことは、事態を聞き付けて慌ててやって来た火の神官長を中心に皆で面倒みることになった。
幸い子供が多いため、皆小さな子供の扱いは慣れている。情緒不安定ではあるが、中身まで退行したわけではないので、些か注意が必要ではある。
台所でミネストローネを煮込んでいたミーシャに三女のナターシャが声をかけた。
「ミィ姉様。手紙きてるよ」
「手紙?どこから?」
「王宮薬師局」
「あらまぁ」
ナターシャから手紙を受け取ってその場で封を開け、読む。
「職場からなんだって?」
「事情は陛下から聞いてるから、神子様方が回復するまで仕事を休んでこっちの加勢してろってさ」
「あら、それは良かったわね」
「本当。そろそろこっちから手紙でも出そうかと思ってた位だから、ちょうどいいわ」
読み終えた手紙をズボンのポケットにつっこむ。
スープをナターシャに味見してもらうため小皿にとりわけ、渡す。
「美味しい」
「ん、よかった」
魔導コンロの火を止める。
一旦寝かせた方がより美味しいため、蓋をしておく。夕食の頃にはちょうど食べ頃になっているだろう。
「ねぇぇぇぇさぁぁぁぁぁぁん……」
リーの泣き声が聞こえた。
慌てて、台所を出てリーの姿を探すと寝床にしてる部屋から泣きながら出てくるところだった。
この一週間でリーはすっかりお姉さんっ子になっていた。
チラッと聞いた話では、マーサはなんとなくリーの母親に似ているところがあるらしい。
リーは泣いたら必ずマーサを呼んでいた。
リーを抱っこして、背中をポンポン軽く叩きながら揺する。ナターシャが耳につけているピアス型の通信具で、森の中で寝ているマーサを呼ぶ。
「リー様、母様すぐ来るよ」
「リー」
「ほら来た」
直ぐ様現れたマーサにリーを預ける。マーサは随分と細くなった腕でリーを抱っこしてあやした。
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その日の夜のことである。
夕食を食べ終わった頃にマーサが突然言い出した。
「ミーシャやマーシャル達はそろそろ王都へ戻りなさいな」
「えっ!?」
「何で!?」
「お前達仕事も学校もあるだろう?それにマーシャルなんて卒業試験と国軍の入隊試験があるじゃないか。イーシャ達も同じ歳の友達ができたんだろう?長々とこっちにいて留年でもしたら一緒に卒業できないぞ?」
マーサの言葉を引き継ぐようにフェリが言った。
ミーシャと同じく表情筋が残念なマーシャルは表情が変わらなかったが、イーシャ達が渋い顔をした。
「確かにそうだけど……」
「私は残れるわよ。職場から神子様方が結界を張るまでこっちで回復の手助けをしろって、手紙きたもの」
「あら、そうなの?」
「うん。ほら」
マーサにズボンに入れっぱなしだった手紙を差し出す。マーサはざっと目を通すと手紙をミーシャに返した。
「この際、有り難く申し出を受けさせてもらいましょうか。落ち着いたら私からお礼の手紙を書くわ」
「うん」
「じゃあ、学生組は明日王都に戻るということで」
「でも大丈夫なの?人手が足りないんじゃない?」
「大丈夫よ。この一週間、ひたすら食っちゃ寝して多少は回復してるもの。そろそろ落ち着いてくる頃よ。勿論、魔力はまだまだ回復してないけど、じり貧の状態は脱したし、新たな神殿の建設が終わるまでに回復させればいいからね」
「普段よりは食べるし、いつも以上に寝るが、少なくともこの一週間程は一度に食べたりしないから大丈夫だ」
「ミーシャやアマーリエ達もいるし、色んな人が加勢してくれるから大丈夫よ。なんとかなるわ」
口々にそう言われて、マーシャル達は渋々頷いた。
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ミーシャが夕食の片付けを終え、煙草を吸うために庭に出ると、先客がいた。
マーサだ。
「母様」
「ハイ。ミーシャ。お疲れ様」
煙草をふかしながら、ヘラリと笑って弛く手を振るマーサの隣に座って、煙草を取り出す。
薬草を用いた薬煙草というものが存在するため、煙草は薬師の嗜みである。
火をつけ、深く息を吸い込んで吐き出す。紫煙の向こうには一番星が見えた。
「聞こうと思ってたんだけど、母様って煙草吸うのね」
「ミーシャができた時から禁煙してたんだけど、もうダメね。一度吸っちゃったら、次は二度と禁煙できる気しないわ」
そう言ってマーサは小さく笑った。
「別にいいんじゃない?神子の体って恐ろしく丈夫で便利にできてるんでしょ?煙草吸って何か影響あるの?」
「体への影響は全くないけど、ほら、子供って親の真似したがる年頃があるじゃない?成人してたら兎も角、子供のうちに煙草吸ったりするのは良くないからさ」
「あぁー、なるほど」
「でも、また吸っちゃったからなぁー。分別のつかない小さい子から隠れてコソコソ吸うしかないわねぇ、今度から」
「ふふっ。母様、私が調合した煙草いる?」
「あ、欲しい。実はめちゃくちゃ気になってたのよね」
「近いうちに時間みつけて調合しておくわ」
「ふふっ。ありがとう」
「いーえ。煙草は薬師の嗜みだけど、家族じゃ私とお爺ちゃんしか吸ってないでしょ?ちょっと肩身狭かったのよね」
「ハハハッ。そりゃ、家族の殆どがまだ子供じゃない」
「まぁね」
二人とも一本目を吸い終わって二本目に火をつける。
「母様、もう一個聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「先代火の神子のこと」
「……あぁ」
「前の瘴気戦の時に亡くなったのよね?」
「まぁね。うーん、ちょっと長くなるわよ?」
「いいわ。ずっと気になってたから」
ーーー
土の神子と同じく、およそ2000年ぶりである先代火の神子は、マーサが神子になって8年目に現れた。
彼はマーサと同じ国の出であったが、彼にはいくつかのイレギュラーが重なっていた。
一つは、火竜がまだ未熟で成体になっておらず、記憶の共有すらできていなかったこと。
神子の献属である竜は、其々の歴代の神子の記憶を有し、神子として顕れた者とそれを共有することで、神子は神子として成る。
しかし、今回は火竜が幼すぎて、それができるまで、あと十数年かかるといった状況だった。
二つ目は、土の国と火の国が休戦中とはいえ、油断できない緊迫した状況にあったこと。
元来、宗主国同士で争うことも、神子同士で殺しあうことも禁じられている。
しかし、2000年前の火の神子がその禁を破った。それから、ずっと緊迫した状態が続いている。
三つ目は、神子以外の者が巻き込まれてこの世界にやって来たこと。
神子と同じくらいの年頃の子供で、言葉も通じないため、こちらは同郷のマーサが引き取り、現在も弟のように可愛がっている。
四つ目は、現れた神子本人が、兎に角子供であったこと。
現れた当初は16歳であった。
多少なりとも分別がついていい年齢ではあるが、マーサ曰く、躾のなってない五歳児のような者であったらしい。
その頃はマーサが瘴気の浄化が終わっておらず、余裕がなかったため、フェリとマルクで彼の面倒をみていたそうだ。
そんな中、瘴穴が開いた。
当然、戦えない火の神子は置いていき、三人で戦った。
しかし、先代火の神子はマーサ達が思っていた以上に子供で、愚かであった。
勝手なことをしないよう、見張りつきで火の神殿の一角に保護もとい閉じ込めておいたのを、火の神殿ごと火事にして献属を使って抜け出し、挙げ句瘴気にその身を乗っ取られた。瘴気に体を奪われたら、それはそのまま死を意味する。
止めを刺したのは、振り回されながらも彼を可愛がろうとしていたフェリだった。
彼の肉体ごと瘴穴を塞いだそうだ。
戦いから、ボロボロの瀕死な状態になって戻った火の神殿は地獄絵図のようだったそうだ。火の神子の炎は、普通の人間には消せない。中にまだ逃げ遅れた者もいるのに、手をこまねいて見ているしかできないような状態であった。
怪我は神々にパッと治してもらったが、失われた魔力までは戻らない。しかし、そのじり貧の魔力を振り絞って、マーサ達は火を鎮火し、助けられるだけの火の民を助けた。
今の火の神官長は全身に火傷のあとがあるが、それはこの時のものである。
火の民には、特に当時を知る火の神官達には、火の神子に対して不信感を抱いているものが少なからずいるそうだ。
当代の火の神子としてリーはそれを払拭しなければならなかった。
たとえ、どれだけ無理をしてでも。
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聞き終えた後、言葉が出ずに溜め息だけこぼれた。
「リー様、無理せざるを得なかったのね」
「そうね」
「明日からリー様の好きなもの作るわ。それくらいしか私にはできないもの」
ミーシャがそう言うと、マーサはフッと笑った。
「そうしてあげてちょうだい。リーはお肉と甘いものが好きよ」
「……肉、ね。ステーキの焼き方でも習いに行こうかしら……」
「ハハッ。お願いね」
「うん」
寝ると言うマーサと別れて台所に向かう。手を洗って、明日の仕込みをしている人達に加勢して、野菜を洗う。
作業をしながら、ミーシャの頭の中にはどこの店の料理人に美味しいステーキの焼き方を習うか、ということしかなかった。