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羊の短編集。

バースデーソングは歌わない。

作者: シュレディンガーの羊

「え、蓮太郎、知らないっすか?」


驚き半分、呆れ半分で首を傾げられて、俺の方が聞き返したかった。


「今日、2月4日が誕生日っすよ」





いつも通りのツインテールを見つけて、後頭部を持っていた小箱で軽く叩いた。


「やる」

「れんたろー?」


振り返った智葉(チハ)の手に小箱を載せてやれば、同じ年の幼馴染はきょとんと俺を見て首を傾げた。

結い上げられた色素の薄い茶色の髪が、さらさらと風になびく。


「れんたろー、なにこれ?」

「お前、今日誕生日なんだろ、やる」


人に何かを贈るなんて我ながら柄にもないことをしている。

ただ、借りを作りたくなかったのだからこれでいい。

取り敢えず、こいつのことだから適当に食べ物でも与えておけばいいだろう。

それで借りを返せるならなんて単純で簡単なことだ。

目についた店で、これまた目についたもの。たったそれだけの陳腐な縁。

目をぱちぱちと瞬いて、智葉が小箱を見下ろす。


「れんたろーが、わたしに……?」

「これで借りは返したからな」


お祝いの言葉も特に必要とは思わない。

そもそも、過ぎた一年を痛感させられるような、そんなものにどう意味があるのか理解できない。

憮然とした態度で見ていれば、智葉は小箱で口元を隠しながらふふふと笑った。


「なんだよ」


その緩み切った目元に、零れる笑い声に不機嫌になる。

こんな適当に買ってきた小箱ひとつで笑顔になれるなんて、なんて安い奴だとうまく言葉にできない苛立ちに目を細める。

そうすれば、見下ろされた智葉はまるで宝物を見つけた子供のようにふにゃりと笑った。

なんだ、ともう一度聞く前に、智葉は言う。


「れんたろーからのプレゼント、嬉しい」


幸せそうに、まるでいま世界中で自分が一番幸せとでも言いたげなその笑顔に、瞬間的に思った。

駄目だ、と思った。

そして、気づけば反射的に智葉の手から小箱を取り上げていた。

智葉はすぐにはなにが起きたのが理解できなかったらしい。

数秒遅れて、ふえ?と空になった手のひらに呆ける。

それから、俺の右手に握られている小箱を見つけて、こてんと首を傾げる。


「れんたろ?」

「やらない」


硬く零れたのはそんなまるでガキのような言葉で、


「これはやれない」

「え、なんで? わたしにくれるって」

「駄目だ、気が変わった」


乱暴に小箱をポケットに突っ込めば、ぐっと智葉の顔が泣き出しそうに歪む。


「なんでくれないの! れんたろー、くれるって言ったじゃん!」

「気が変わった。それでいいだろ」


短く言葉を返して、くるりと踵を返す。

もと来た道を戻ろうと歩き出せば、背中越しに智葉が喚く。


「くれるって言ったくせに! れんたろーのばかばかばかばかぁあっ!」


その声から逃げるように早足で俺は元の道を戻った。





正直、どうして智葉から小箱を取り上げたのか自分でもよくわからなかった。

ただ、駄目だと思った。こんなものでは駄目だと。

こんなものであんな笑顔になられるのは筋違いだと思った。

この苛立ちが何に対するものか自分でもわからない。

まとまらない思考に、苛立ちに、どんどん早足になる。

ポケットに突っ込んだ手が小箱に触れて、ようやく足が止まった。

気づけば、小道を通り越して大通りまで出てきてしまっていた。

人が行きかう賑やかさにため息を零して、ふと横を見遣ればショーケースに映った自分と目があった。

不機嫌そうな目つきの悪い目がこちらを睨むかと思えば、それはどこか困り果てたガキのようだ。

舌打ち交じりに目を逸らす。

こんな適当に選んだものをあんな風に喜ばれるのがお門違いだと思った。

目についたところで値段も何も確認せずに、食べ物でも買い与えればいいという考えで買った、そんなもの。

そんなものに対して、あんな風に喜ばれることが無性に腹立たしかった。

問題はどうしてそのことに苛立ったのかだ。理由のわからない苛立ちは本当に厄介だ。

取り返してきた小箱ではなく、別のもの。


「あいつの好きなもの、」


いつも何が好きー?と尋ねるのは智葉で、それに俺はよそ事をしながら適当に答えるのが常だった。

智葉が何を好きかはいつも俺が尋ね返さなくとも、勝手に智葉がニコニコしながら話していて、俺はそれをやはり適当に聞き流していた。

嘘をつくのが下手くそで、すぐ顔に出る智葉のことは、解りやすい馬鹿だと思っていた。

楽しければ笑い、怒ると頬を膨らめ、その感情表現は子供のそれと一緒でくるくると目まぐるしく変わる。

喧嘩をしても、次の日には喧嘩をしていたことさえ忘れてにこにこと俺に話しかけてくる。

喧嘩してたんじゃないのか、と呆れて指摘すれば、忘れてた!なんて馬鹿正直に驚く。

俺の誕生日の一週間前から当人である俺がまったく気にしていなかったのに一人でそわそわとして、当日にはホールのケーキを持って来さえした。

その的外れな行動に誕生日なんて大したことじゃないと眉を顰めれば、一緒にケーキを食べたかったのとはにかまれた。

そのくせ、その後に渡されたプレゼントは俺の本当に欲しかったもので、一瞬本気で驚いて、対して智葉はふへへといつも通りに腑抜けた笑顔を見せていて、それがとても腹立たしかった。

こうして思えば、智葉は俺の好みも性格も知っていて、代わりに俺は何も知らない。

智葉の好きなものが一つも思いつかない。


「馬鹿はどっちだ」


苛立ちの対象は、聞かなかった俺なのか、それとも肝心なことは何も語らない智葉なのか。

聞いてないこともぺらぺらとよく話すくせに、誕生日のことは俺に言わなかった。

俺の誕生日の方がよほど、よく喚いていた気がする。

あの時は智葉が会う人会う人に、今日が俺の誕生日だと宣伝するものだから、今までにないほど多くの人からおめでとうと言われた。

うるさい、煩わしい、と口を閉ざせば、智葉は隣で嬉しそうに笑っていた。

小箱の角を触っていた手をポケットから出す。

要は、こんなもので喜んだのは俺がやったものに智葉が満足したということに他ならない。

ちっぽけな小箱を受け取り、智葉は酷く嬉しそうに笑った。

智葉が嘘のつけない人間だからこそ苛立った。

智葉が気を遣って、喜んだのならまだ良かった。

本当に欲しいものではないと心の隅で思いながら、俺を気遣って笑ったならいっそその方がまだよかった。

でも、違う。

智葉は俺がやったあんなちっぽけなものに本気で喜んだ。

中途半端な気持ちでやったものを、あんなふうに喜ばれるのは絶対的に何かが違うと思った。

それは自分がいかに智葉のことを知らないかということを、本人を証人に証明することと同じだ。

知っていると期待されていたかったわけではない。

それでも、


「気に喰わねぇだろうが」


認めれば、それは自分の負けず嫌いの精神に火をつけて、だから俺は駆けだした。





「れんたろー」


夕焼けがそろそろ夜に飲み込まれる空模様は、不安定なオレンジと紫のグラデーション。

ゆるゆると顔を上げれば、やはりそこに立っていたのは智葉だった。


「……なんだよ」

「みっくんから聞いたの」


音もなく微笑む智葉はいつもより幾分大人しい。

とんとんとん、と階段を上ると俺の横に腰を下ろす。


「わぁー、ここって街をぜーんぶ見下ろせるんだね! すっごい綺麗」

「綺麗、ね」


荒んだ心にはなんて似合わない景色だろう。

綺麗だと思えない自分には文字通り綺麗すぎる景色だ。

日が暮れれば、夜が来て、そして今日という日は終わる。


「ね、れんたろー」

「なんだよ」

「さっきのプレゼントやっぱりちょうだい」


予想通りの言葉に、自嘲が零れる。

わかっている。こいつは、智葉はそういう奴なのだ。

だからこそ、俺はきっとこいつに違うものをやりたかった。

ぶらぶらと足を揺らしながら、智葉が舌足らずな言葉をつづける。


「みっくんから聞いたの。れんたろー、今日一日走り回ってくれたんでしょ? 私に違う何かをくれようとしてくれたんでしょ?」


口の軽い友人に舌打ちする。

あいつになど、話すのではなかった。

こういう時は頼りになるだろうと思って、事の顛末を話してはみたものの、にやにやとした笑いしか寄越さなかった。あとで、殴る。

智葉が黙り込んだ俺など気にせずに、いつもと同じように俺を呼ぶ。


「ね、れんたろー」

「嫌だって言ってんだろ。だいたいお前みたいに何をもらっても喜ぶような奴には贈る甲斐ってものがねぇんだよ」

「ちがうよー」


立ち上がった智葉はくるりと俺を振り返る。

長い髪がさらりと揺れて、オレンジ色の空をバックにふわりと顔が綻ぶ。


「智葉はれんたろーがくれるものが一番嬉しいの」

「!」

「だから、れんたろーがくれるならなんでもにやけちゃうくらい嬉しいの!」


ふへへ、と口元を隠す掌は小さくて、耳まで真っ赤にするくせに、その癖なんのてらいもなく俺を見て笑って。

悔しいくらいに智葉は智葉だった。

往生際の悪いガキのように目を逸らす俺は本当に馬鹿のようだ。

微かに顔が熱いような気がするのは、まぎれもなく気のせいだ。


「……なら小石やっても、喜ぶのかよ。なんでもいいのかよ」

「そんなことないよ。智葉はその箱が欲しいんだもん。れんたろーが一日走り回ってくれたってことが詰まってるその箱がいいんだもん。いまはそれが欲しくてしょうがないんだもん!」

「おま、」

「あ、わかった! こういうの付加価値っていうの!」


もう何も言えなくなるとはこういうことか。

にこにこと笑うこの幼馴染は嘘なんてつけない馬鹿で、まっすぐに気持ちを投げてくるから逃げようもない。

痒いようなくすぐったいような感覚。

自分の感情が上手くつかめなくて苛立ちのようなものが沸き上がるのに、その癖どこか胸が浮つく。

持て余すようなそれに、無理やり口を引き結んで、ポケットに手を突っ込んで角が少しひしゃげた箱を取り出す。


「ほら」

「わ、とととと」


普通に渡すなんてそんなことを求められても今は無理だ。

放ってやれば、危ないながらもちゃんと両手でキャッチする。


「しょうがないからやる」


ぞんざいな一言をどうしても口にしてしまうのは、智葉が素直なせいだと思いたい。

何もかも思った通りに口に出すこの幼馴染の隣で、同じように話そうとするものなら自分の素直な言葉などなんてちっぽけなものか。

キャッチした箱を恐る恐る確かめた智葉は、箱をぺたぺたと触って確認して、ぱぁっと表情が明るくした。


「れんたろー、ありがと!」

「……はいはい」


そんな嬉しくて仕方がないという笑顔を軽々しく向けるなと、また怒りたくなるのはどうしてだ。

ため息をつく俺の横に、そわそわと落ち着きのない智葉が再び腰を下ろす。


「ね、れんたろれんたろ!」

「……勝手に開ければ」

「うんっ!」


満面の笑みで、リボンに手をかける智葉に今度は苦笑が零れた。

お前は待てと言われた犬か。

それでも、それほどうきうきしながらも、包装を破くのではなく、丁寧に慎重にリボンやテープをひとつずつ取り去っていく智葉に、無意識に何かを言いかけて、


「智葉、」


伸ばした手が智葉の肩に触れるか触れないかのうちに、彼女がわっと声を上げるものだから慌てて手をひっこめる。


「チョコレートだぁ!」


箱の中には二粒のチョコレート。

しかも、溶けかけで本当にもう格好がつかない。


「美味しいっ!」


その内のひとつを口に入れて、ふにゃりと幸せそうに智葉は笑う。

本当に格好がつかない。

今回は自分自身につくづく呆れる。


「ね、れんたろー」


そんなそっぽを向く俺を智葉が呼んで、なんだよ、と振り返れば口の中にチョコレートが放り込まれた。


「!?」


完全に予想外の事態に、目を白黒させてしまう。

思わず、怒鳴ろうとすれば、にへへっと智葉がつんっと俺の頬をつつく。


「ね! 美味しいでしょ!」


花のように笑う智葉に毒気を抜かれた。

口に広がる甘ったるい味は、らしくない味。

おそらく、俺一人なら決して選び取らない、そんな味。

この幼馴染には本当に敵わない。

呆れと安堵とが頬を微かに緩ませる。


「というか、お前、二粒しかねえのに俺に一粒やるなよ。取り分減ってんだろ」

「いーの! れんたろーと一緒に食べられたって思い出もくっつくでしょ? 私、本当にれんたろーがくれたから嬉しいんだよ? 簡単に喜ぶような女じゃないのね、わかった?」

「はいはい」


ぞんざいに返事を返せば、よろしい!と大きく頷く。


「えへへ、うっれしいなー。みっくんに自慢しちゃおー、れんたろーがチョコレートくれたって」

「……勝手にしろ」

「あ、やっぱりやーめた!」

「? なんで?」

「自分の中だけの秘密にしといて、時々こっそり思い出して、一人でにこにこにやにや幸せにすることにする!」

「……それ、そうとう怪しい危ない奴だろ」

「いーの!」


勢いよく立ち上がった智葉はとんとんとん、と階段を下りて振り返る。


「れんたろー、これからも私をよろしくね!」

「……ま、幼馴染だからな」


くすぐったいような、変な気持ちに襲われて、そっけない返事で誤魔化す。

帰ろ、と手を伸ばす智葉に、俺も腰を上げた。


なお、後日、智葉の友人に「誕生日に逆チョコとかやるなー」とすれ違いざまに棒読みで言われ、大ダメージを受けたことは余談である。




おそらく、この後バレンタインデーで

「……ここでチョコレート貰ったら、チャラじゃないのか(呆然)」

みたいな馬鹿なことになると思います。ホワイトデー頑張れ。


友人の誕生日祝いに書きました。


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