思想(舞華&信也)
私は静の車に乗り込んでスタジオに向かった。
私達は車内で口を開く事もなかった。
“自分の命と引き換えに―――――。”
静の言葉を否定する事が出来なかった。
そんな誓いはしていないけれど、今後もしないという保証はない。
もうこれ以上大事な物を何も失いたくない。
GEMは……静は、私だけのものじゃない。
彼らに何かあればたくさんのファンが嘆き悲しむだろう。
市原さんが何を企んでいるのか分からない。
麗ちゃんが目を覚ますまで、私が彼らを守らなきゃ……。
麗ちゃんにGEMの一番いい音を届けなきゃいけないから。
サイドブレーキを掛けた音が聞こえて私は顔を上げた。
車は既に事務所の駐車場に停められていた。
「俺達は大丈夫だ。心配すんな」
私の握りしめた手を優しく包み込んで静は微笑んだ。
手の甲に感じる絆創膏の感触。
『手……大丈夫?』
「平気だって言っただろ」
静の手が私の頬を撫でた。
どこか寂しげな静の眼から視線を逸らす事が出来ない。
微かに煙草の匂いがする。
『時間……』
静に両手を掴まれ、引き寄せられる。
私の身体はすっぽりと静の腕の中に収まってしまった。
「絶対に……おかしな事は誓うなよ。お前の心だけじゃなくて身体まで失ったら俺は正気じゃいられねぇからな」
心だけじゃなくて……?
それはどういう意味?
私が静を見上げると、静の唇が私の唇に触れた。
軽く触れるだけのキスだったのに、慣れているはずの静も口元を手で覆いながら微かに顔を赤らめている。
恥ずかしくて目を合わせる事が出来ない。
どちらともなく身体を離し、私は真っ赤な顔を見られないように彼に背を向けた。
「もうすぐ……時間だな」
車内の時計が八時五十五分と表示していた。
エンジンを切った静はさっさと車を降りてしまったようで、ドアの開閉の音だけが聞こえた。
先に行ってしまうかもしれない。
そう思ったけれど次の瞬間、助手席のドアが開いた。
「遅刻するぞ」
私の左腕を掴んだ静はいつもの口調でそう言った。
見上げると、二年前と同じ優しい眼をしていた。
それが嬉しくて……でも、辛くて。
私は静の胸に顔を埋め、背中にそっと両手を回した。
静が好き。
私が、絶対に守るから。
これ以上、誰も傷付かないように……誰も失わないように。
だから、麗ちゃん……早く戻ってきて。
神様……麗ちゃんを返して下さい―――――。
早く……私が動けるうちに……。
静は黙ったまま、優しい手で私の髪を梳いた。
集合時間の九時になっても静斗が来ていない。
これは珍しい事だ。
意外に静斗という男は約束の時間前にやって来る。
それが、五分も過ぎているのに姿を現さないのは何かあったのかもしれない。
昨日、怪我もしていたし……熱でも出したか?
俺はポケットから携帯を取り出した。
「信也、どうした?」
司が不思議そうに俺の顔を見上げながら近付いて来た。
そういえば舞華の姿もないな……。
通常は結城さんか司とやって来るのに、今日は二人ともスタジオに揃っている。
「司、もしかして静斗を何処かに呼び出したか?」
聖ルチアとか。
「舞華を連れて来る様に頼んだが、どうして分かった?」
やっぱりそうか……。
「舞華の事話したのか?」
「……知ってたのか?」
「そりゃ、知らない方がおかしいだろ」
俺は煙草を灰皿に押し付けて体内に吸い込んだ煙を吐き出した。
「それもそうだな。涼と英二には話してないだろうな?」
「当たり前だ」
司は苦笑しながら俺の腕を叩いてスタジオを出て行った。
舞華を迎えに行っただけなら心配はないだろう。
そう思いながらも、俺の足は非常口に向かっていた。
スタジオの非常口を出ると、すぐに駐車場が見えるのだ。
重い扉を開けると、塀の向こうで何かが動いた。
一瞬だったので猫なのか人なのかも確認できなかった。
俺は特に気にする事もなく、静斗の車に視線を移した。
抱き合う二人の姿に驚き、目を見開く。
恋人同士なら特に驚くような光景ではないはずなのに……。
俺の眼には幸せそうな二人、とは映っていなかった。
二人とも辛そうな顔をしていたのだ。
まるで……別れを惜しむ恋人達のようで、見ている俺まで胸が締め付けられる。
どんな気持ちで二人は抱き合っているんだ?
何が二人を苦しめてるんだ?
市原か?
麗華か?
「市原……?」
その名前を口に出して、俺は壁の向こうに視線を戻した。
さっき一瞬見えたのは市原だったのか……?
俺達を潰す材料を探し回っているのかもしれない。
「静斗、舞華! 早く中に入れ」
もしかしたら今のを撮られているかもしれない。
昨日、感じた視線は?
あれもか……?
俺は壁を一発殴って社長室に向かった。
ご覧頂ありがとうございます。
ようやく半分くらいでしょうか……。
長くてすみません。
次回更新9月10日です。