願い(司&静斗)
静斗が私の隣に腰を下ろした。
「以前お前、結城さんと舞華を跟けて来ただろ? あの後、一瞬だけ悩んだんだ」
この事を話した方がいいのか、話さない方がいいのか。
舞華と静斗が距離を置いている事もあって悩んだ。
「今回はどういった心境の変化だ?」
「お前、馬鹿か? お前は舞華の何だ?」
舞華の男だろ?
また付き合い始めただろうが。
幼稚園児並みの交際とはいえその事実は変わらない。
「付き合ってる男に隠し事するのはどうかと思ったんだ。結城さんだけが知ってるのも面白くないだろうし」
嫌っている男だけが真実を知っているのは不愉快だろう。
それに、二人の付き合いが健全なものだからこそ隠し事はあってはならないと思った。
そういうところから綻びが生じてくる。
そして気が付いた時には修復不可能な状態になっているものだ。
静斗は無理に訊こうとはしないが、やはり知りたいだろうし。
「舞華はただ麗華のためだけにここに来てる。自分の目や声なんかどうでもいいらしい」
以前、何を祈っているのか訊いた事がある。
「舞華は……麗華の目が覚めるなら一生色が分からなくても声が出なくても構わない、と言った。それだけじゃ足りないならと、あいつは麗華が目を覚ますまで人に弱音を吐かない事と人前で泣かない事を誓ったんだろう。これは舞華から聞いたわけじゃないが私は確信してる。あいつは麗華のためならそういう事を平然としてしまう奴だからな」
静斗が両手の指を絡ませながら力を込めていくのが分かる。
爪の先の方だけが白く変わっているからだ。
そしてその手が小さく震えていた。
「私は何もしてやれない。あいつの仕事のサポートくらいしか出来ん。しかし、これ以上変な誓いを立てられたら堪らん」
舞華という人格が破壊されてしまう。
「俺に……何が出来る?」
静斗は眉間に絡めた両手をぶつけながら呟く。
「私よりは出来る事がたくさんあるだろ。あいつの内面を支えられるのはお前だけだと思ってる」
人知れず手話を学んで、舞華のペースに合わせる事が出来る静斗だからこそ話そうと思ったのだ。
「今後は訊きたいと思った事は私に訊け。分かる範囲で教えてやる」
私は腕時計で時間を確認して立ち上がった。
「舞華をスタジオまで連れて来い。私は先に行く」
ここに来ている事さえ話してしまえば、静斗に隠している事などほとんどない。
ほとんど……な。
本当に舞華の限界が近いと分かっているのはおそらく私と結城さんだけだろう。
美佐子さんや敦さんも知らないもう一つの隠し事。
静斗の口から質問がないという事は、昨日は大丈夫だったらしい。
「八時半になったらチャイムが鳴る。そしたら舞華に話し掛けても大丈夫だ」
私は背中越しに手を振って車に向かった。
舞華があの事件以来毎日ここに通っているという事は分かった。
朝も夕方も来ていると聞いて、朝、スタジオに現れる時間と夕方の長めの休憩時間も納得できた。
司を見送って立ち上がり、俺は再度扉の隙間から舞華の背中を見つめた。
元々細身だが、あの事件以来舞華は目に見えて痩せてきている。
痩せるというよりもやつれたと言った方が正しいかもしれない。
健康的には見えない痩せ方だからだ。
声の出ない舞華は一人で何処かに出掛けるなんて事はしない。
家とスタジオとこの教会を行き来するだけなんだろう。
今の俺には何処かにつれて行ってやる事も出来ない。
舞華や麗華がマスコミに晒される事を美佐子さんは嫌っている。
勿論、俺や信也だって同じだ。
限られた範囲でしか行動できない今の俺に何が出来る?
司は俺に出来る事はたくさんあると言った。
しかし、何一つ浮かんでこない。
俺は髪を掻き乱した。
俺に出来る事なんか本当にあるのか?
舞華の望む音を出す以外に手伝える事があるのか?
大きな溜め息を漏らすと同時に敷地内にチャイムの音が鳴り響いた。
顔を上げると、舞華の隣に居たおばさんが立ち上がった。
振り返ると同時に俺に気付き、驚いた表情を見せた。
以前会った時よりも随分痩せたし老け込んでいる。
この女も二年間、苦しんでいたのかもしれない。
染める事も忘れたような白髪の目立つ髪。
あの時の威光も感じられない。
「貴方……舞華の……」
信也の母親は俺に歩み寄り、揺れる瞳で見つめてきた。
「舞華を……お願い。このままではあの子まで……」
小さな声だった。
信也の母親が何を言いたいのかは最後まで聞くまでもなく分かった。
縁起でもない言葉を発しかけた信也の母親は、口元を両手で押さえて逃げるように教会を出て行った。
正面に建つ像が聖母マリアなのか聖ルチアなのか俺には分からない。
そんなもんに興味なんかないし、誰だって構わない。
しかし、その像は優しく微笑みながら舞華を見下ろしていた。
頼むから……俺達から舞華まで奪わないでくれ。
俺は教会内に足を踏み入れ、舞華の肩を掴んだ。
舞華の肩が大きく震え、脅えながら顔を上げる。
だが、俺の姿を見て安心したかのように小さく微笑んだ。
「時間だぞ」
舞華の手にはロザリオが握られていた。
宗教的なことは俺にはさっぱり分からないので、このまま連れて出ていいのかも分からず、声を掛けただけで教会の外に出た。
少ししてから舞華が出てきた。
やはりすぐに連れ出さなくて正解だったらしい。
『司は……?』
「先にスタジオに行ってる」
『……呆れた?』
舞華の手が控えめに言葉を紡ぐ。
「別に? ただ、俺は宗教とかに頼った事もないし頼ろうとも思った事がないから理解はしてやれないけど……舞華には必要なんだろ? 俺は舞華に必要なものを否定する気はない」
気が済むまで縋ればいい。
そうでもしなきゃ立ってられないなら、俺は何も言えない。
俺にとって重要なのは、舞華が舞華である事だけだ。
「自分の命と引き換えに……なんて変な誓いだか願いだかをしなきゃいいさ」
舞華は俺の言葉に苦笑した。
本当は、その言葉を否定して欲しかった。
絶対にしないと言って欲しかった。
なのに……舞華の手は俺を安心させてくれるような言葉を紡ぐ事はなかった。
ご覧頂きありがとうございます。
少しずつしか話が進んでなくてすみません。
次回更新9月3日です。