解雇(信也&司)
一週間、そういう約束で羽田さんの代わりに市原という男がGEMのマネージメントをする事になった。
正直、羽田さん以外なら誰でも同じだと思っていた。
しかし、それはどうも勘違いだったらしい。
昨日も散々睨まれたはずの市原だが、今日もスタジオにやって来て俺達の音を聴く事もなく司と舞華を口説き始めた。
俺達はその様子に呆れて言葉もなかったが、静斗は違う。
先日から再び舞華と付き合い始めた静斗は異常な程神経質になっている。
そして……。
「貴様何しに来てんだよ! 邪魔すんなら二度と来んな!」
とうとうキレた。
まぁ、当然だろう。
「俺、何かしました?」
市原は今日もヘラヘラと笑う。
本当にコイツは空気が読めないヤツだと思う。
これで局の人間と上手くコミュニケーションを取れるのか不安になる。
「お前何しに来たんだ?」
英二が市原の後ろ襟を掴んだ。
「え……?」
さすがに英二に睨まれて市原はビビッているようだ。
俺と英二は強面だ。
更に英二はデカイ。
傍で見下ろされると怒っていなくとも後退りしたくなる。
「このレーベルの女を口説くな」
いや、このレーベルの女を口説くなとは言わないが、今は勤務中のはずだ。
勤務中に女を口説く事に問題があると俺は思う。
……が、そんなツッコミを入れられる雰囲気ではない。
「だって、二人とも可愛いじゃないっすかぁ」
市原は舞華と司を見ながらニコニコと笑っている。
この男には英二の睨みも効果なかったらしい。
視界の片隅で涼が静斗の腕を掴んでいる。
多分手が放れたら市原を殴り倒すだろう。
「市原……悪いが辞めてくれ」
俺は一つの決断を下した。
相談の必要性も感じない。
今日もこの状態では一週間なんてとんでもない。
三日間俺達もよく我慢できたものだ。
「お前の仕事は何だ?」
「皆さんのマネージメントっす」
俺の問いに市原ははっきりと答えた。
答えだけはマトモだ。
「女を口説くのがマネージメントか? 笑わせるな」
英二は冷静なように見えるがかなり怒っている。
「貴様のマネージメントなんかお断りだ。美佐……社長にもこっちから言わせてもらう」
英二は市原の後ろ襟を掴んだまま外に連れ出した。
「アレどう思う?」
静斗の腕を開放した涼が司の顔を覗きながら尋ねた。
「最低、最悪、問題外、絶対に受け付けないし話にならない、無理、ありえない。口調も顔も身長も何もかも気に入らない。人間性以前にあれじゃ仕事も出来ないだろうな、空気も読めない奴は同じ空間に居てもらいたくないし、舞華を口説いた時点で完全に終わった」
司は冷たい表情で一気に言葉を吐き出す。
何よりも瞬時にそれだけの言葉を並べられる司がスゴイと思う。
「何であんなヤツ選んだんだ?」
司は不機嫌そうに扉を睨みつける。
「羽田さん以外なら誰だって同じだと思ったんだが……ここまで苛々するとは予想外だな」
扉を閉めて鍵を掛けた英二が呟く。
「お前がやれよ、司」
静斗が司の肩を叩いた。
市原が出て行って多少落ち着いたようだ。
「お前なら俺達だって安心だ。舞華は喋れねぇし、お前くらいしか思い浮かばねぇ」
静斗の言葉に俺達は確かに、と頷いた。
なかなか良い人選だと思う。
「おいおい、勝手に決めるな。私は学生だぞ」
「もう内定も決まってんじゃねぇか。研修とか何とか美佐子さんに適当な口実作ってもらって一週間やれよ」
なんとも強引な静斗らしい口調。
舞華の手を見ながら司は困惑の色を浮かべている。
おそらく舞華も俺達と同じ考えなのだろう。
スゴイ速さで二人の手が動き、なにやら話しているんだろうが声がないので全く意味不明。
静斗も暫く二人の手を見ていたが途中で分からなくなったらしく視線を逸らした。
「早過ぎて読めねぇ……」
しかし、静斗の目は優しく舞華の顔を見つめていた。
「信也、美佐子さんのところに付き合え」
舞華に言い負かされたらしい司が髪を掻き乱しながら振り返った。
「決まりか?」
「美佐子さん次第だ」
俺は司と共に社長室に向かった。
その時、プリプロスタジオの前に市原の姿はなかった。
美佐子さんの居る社長室の前で私は足を止めた。
「信也、本気か?」
正直、あまりやりたくないので社長室に入る前の最終確認。
「あの男がきちんとマネージメントをしてくれると思っての発言か?」
いや、それは違うだろ。
あの男はおそらく……いや、絶対に出来ん。
何でこのレーベルに入れたのか疑問なくらいだ。
信也が社長室の扉をノックして室内に足を踏み入れる。
「司、諦めろ」
信也は微笑みながら私の腕を掴んで美佐子さんの前に突き出した。
「伯母さん、司をマネージャー代行にして欲しいんですけど」
美佐子さんは驚いたような顔で私を見た。
「市原のヤツ、俺達の音も聴かずに舞華と司を口説き始めて静斗がキレたんです」
静斗だけじゃないだろ……。
ま、それだけでも充分理解してもらえるだろうけど。
「市原君が?」
美佐子さんは不思議そうな顔をしている。
何故だかは分からないが、信也の言葉を素直に信じてくれてはいないようだ。
美佐子さんが持つあの男の印象と、私達が見たあの男は随分とは印象が違うのかもしれない。
「で? 市原君は?」
そういえばスタジオの所には居なかったな……。
「英二が追い出したら何処か行ったみたいですよ。スタジオの所には居なかったんで」
美佐子さんは顔を顰めた。
「市原君、どんな雑用も嫌な顔しないでやってくれるような真面目な子だって聞いてたのよ。遅刻も無断欠勤もないし、事務所内じゃクレームなんて受けたことなかったんだけど……どうしちゃったのかしら?」
美佐子さんは右手を頬に当てて考え込んでいる。
私と信也は顔を見合わせた。
どう考えても同じ人物の話とは思えない。
「とにかく、舞華を口説く時点でアウトですよ。静斗の機嫌も悪いし、あれじゃ安心して任せられない」
まったくもってその通り。
私は信也の言葉に小さく頷いた。
「まぁ、話は分かったわ。市原君に連絡を取ってみるわね」
美佐子さんが机の上の電話に手を伸ばし、ファイルを見ながら番号を押す。
何故かRECランプが点滅している。
「もしもし? 市原君、今どこに居るの? ……もしかしてお酒飲んでない? 貴方勤務中に何してるの?」
美佐子さんの顔が険しくなる。
「……もう明日から来なくていいわ」
一方的に美佐子さんは受話器を下ろした。
これは……今のはクビ宣告じゃないのか?
「司ちゃん、羽田君が戻るまでGEMをお願いね。彼は使えないわ」
私に微笑んだ目の奥で怒りを感じたのは気のせいではないだろう。
私は辞退する事を諦め、頷いて社長室を出た。
「信也……美佐子さん何か怒ってたよな?」
「あぁ、こういう時は逆らうなよ」
「言われなくとも逆らうか。私だって舞華と麗華の友達やって長いんだ、美佐子さんの取り扱い資格は持ってるさ」
私の言葉に信也が噴き出した。
「美佐子さんは危険物か?」
「それに等しいと思わないか?」
あの人は爆発物並みに危険だ。
扱い方を間違えれば爆発する位に。
その後の大惨事は想像したくない。
何と言っても顔が広い。
色んな業界にコネがある。
政界・財界・IT業界・建設業界・芸能界は言うまでもないが……とにかく顔が利く。
あの人は本気で怒らせたらまずい人種だ、と思うのは私だけではないはずだ。
「今のはどう表現する?」
「導火線に火が点いたダイナマイト、もしくは噴火直前の小規模噴火を繰り返してる活火山」
私は信也と顔を見合わせ、声を出して笑った。
信也が声を出して笑うのは久しぶりだ。
その顔を見れただけでもマネージャーを引き受けてよかったのかもしれないと私は思った。