偽者(舞華&涼)
スタジオを無事に抜け出した私はタクシーに乗るために乗り場へと向かっていた。
駅からそう遠くないため、駅に行けばタクシーには乗れると分かっていた。
木に囲まれた街灯の少ない夜道を足早に進み、見えてきた駅の明かりに安堵の息を漏らす。
ロータリーに辿り着くと、バッグの中からメモ帳とボールペンを取り出して“東京、中野駅”と書いて停まっているタクシーの運転手さんに見せた。
「東京?」
運転手さんは顔を顰める。
私は運転手さんの言葉に小さく頷いた。
「お客さん喋れないの? 耳は聞こえる?」
運転手の言葉に再び頷く。
「ちょっと待ってな。女の運転手のほうが安心だろ? 今日走ってる奴がいるから乗せて貰うといい」
運転手さんの気遣いは嬉しいけれど、司が気付く前にここを離れなきゃいけない私のとっては素直に喜べるものではなかった。
私は待っている間に携帯電話を開いた。
この携帯電話は司のものだ。
司がシャワーを浴びている間にすり替えた。
私の携帯電話は電話帳登録がほとんどされていない。
情報を得るには司の電話が必要だった。
私は迷う事無く若林さんのアドレスを呼び出してメールを打った。
『こちらは相変わらずだ。そちらはどうだ?』
当然司の口調を真似て打つ。
どんな事でもいいから何かヒントが欲しい。
返事はすぐに返ってきた。
『こちらも相変わらず動きはないよ。美佐子社長が信也と静斗の件を認めたくらいかな』
信也さんと静の件?
私は携帯電話で芸能関係のニュースを探した。
芸能ニュースはGEMの見出しが並んでいた。
内容は信也さんが麗ちゃんと結婚していた事から始まり、麗ちゃんの事件にまで及んでいた。
今現在も意識がない事、事件のショックで私が声を失った事、私が静の恋人である事……。
司達はこれを隠していたのだ。
あのマンションに居れば追い掛けられるから私をここに避難させてくれたのだろう。
私は自分の手が震えている事に気付き、傍にある自動販売機でミネラルウォーターを購入した。
バッグの中にある薬を取り出し、決められた用量を体内に流し込む。
これさえ飲んでおけばパニックにはならないと司が教えてくれた。
……大丈夫、私はまだ大丈夫。
自分がおかしくなりつつあるのは分かっている。
でも、GEMを……麗ちゃんを守らなきゃいけないから。
まだ動かなきゃいけないから……私は薬に頼るしかないのだ。
市原さんの言葉を聞いてから色々な事を考えた。
彼が何をしてくるのか分からなかったから。
考えれば考えるだけ服用回数は増えたけれど、まだ大丈夫。
このニュースは私の想定内。
だから大丈夫……大丈夫。
もっともっと最悪なケースを考えていたからこの程度では取り乱せない。
今は近くに結城さんも司もいない。
自分自身で感情をコントロールしないと……。
私はミネラルウォーターをバッグに差し込んで大きく深呼吸をした。
すぐ傍でクラクションが聞こえた。
一台のタクシーが私の目の前に停まり、運転席から女性が降りてきた。
「東京まで行くっていうお客さん?」
三十代くらいの女性の言葉に私は頷いた。
「最初に確認したいんだけど、お金はちゃんと持ってる?」
無賃乗車のニュースはよく聞く。
結構な距離があるので確認も仕方ないのだろう。
私は財布の中から取り敢えず五万円を取り出し、女性に差し出した。
そして、メモ帳に“預かって下さい。着いたら精算して下さい”と書いて見せた。
彼女は安心したようにそれを受け取ってから私からペンを奪い“確かに五万円お預かりしました”と書き、彼女自身の名前を記入してくれた。
預かってない、と言われたら困るので、私も一筆書いて頂こうと思っていた。
彼女はそれを分かってくれたらしい。
私が微笑むと女性も微笑んだ。
「さて、出発しましょうか。中野駅だっけ?」
車に乗り込むと、彼女はさっさと車を発進させた。
「静斗、ちょっと代わって」
僕は静斗から携帯電話を半ば奪うように取り上げた。
「もしもし、司ちゃん?」
『涼?』
「うん。あのさ、さっき僕にメールした?」
一時間ほど前、僕にメールが来た。
司ちゃんからだと思ってたんだけど……。
『メールなんかしてない』
司ちゃんの答えに僕は溜め息を吐いた。
「司ちゃん、舞ちゃんは多分一時間以上前に抜け出してる」
スタジオ内からメールを送る事はしないだろうから。
『どういう事だ?』
「一時間以上前だけど、僕に司ちゃんの携帯からメールが来てた。こちらは相変わらずだ。そちらはどうだ? って」
細かい事情は書かなかったけれど、きっと舞ちゃんは気付いてしまった。
運転免許のない彼女が動く方法はひとつだけ。
「司ちゃん、タクシー乗り場を探して舞ちゃんが来たか確認して。今すぐに。で、絶対に司ちゃんの携帯に電話しないように」
僕は静斗に携帯を投げて自分の携帯を取り出した。
メールは一度だけ……。
こちらが舞ちゃんだと気付いた事が知られれば、電源を切られてしまう。
連絡手段を失ってしまったら舞ちゃんを見つけられない。
どうにか司ちゃんに連絡をしているのだと信じ込ませておかなければ……。
「おいおい、暗い顔して葬式みたいだな」
英二と結城さんがシャワーを浴びてやって来た。
「舞華が消えた」
静斗の言葉を聞いて結城さんの顔が蒼褪めていく。
「結城さん、舞ちゃんは司ちゃんの携帯を持ってます。連絡はまだ取れるけど、相手が舞ちゃんだと気付かれたって分かったら電源を切られるかもしれません」
「ったく……アレ持たせて正解だな」
結城さんは溜め息を吐きながら社長のパソコンを立ち上げた。
全員がその様子をじっと見つめている。
そして……。
「関越乗ってるな……」
マウスを操作しながら結城さんが呟く。
「関越?」
「あぁ。多分こっちに向かってるんだろう。よかった、あいつが持って出てくれて。置いて行かれたら俺達も動けなかったしな」
結城さんは顔を上げて苦笑した。
「舞華達に渡した防犯ベルはセキュリティ会社が作ったGPS機能付きのやつだ。携帯だと相手が調べてるのがバレるしな」
確かに。
携帯電話のGPS機能は相手に居場所を教えていいかを尋ねてくる。
つまりは機能を使えば探している事がバレてしまうという事だ。
「さて、どうするか……」
結城さんは社長の椅子に腰を下ろしながら画面を睨んでいた。
「お前らならどこに行く?」
静斗は電話を終えて、畳んだ携帯を強く握り締めながら僕たちに尋ねた。
「……事務所?」
「ないな」
信也の言葉を結城さんが否定する。
「麗華のところ」
「ソレもないだろ」
英二の言葉は静斗が苦笑しながら否定した。
「市原君のところ、かな」
「あいつが市原の住所を知っているとは思えない」
確かに、舞ちゃん自身が市原君の住所を訊くとは思えないけど……。
「あいつ……女口説く時中野に住んでるとか言ってなかったか?」
英二も気が付いたらしい。
「そう、必ずそう言ってた。最寄り駅が中野だってね」
僕の言葉を聞いた静斗は、無言で立ち上がった。
「おい、シズカちゃん」
結城さんは何かを静斗に向かって投げた。
パシッと小さな音と共に静斗がソレをキャッチした。
「お前も持っとけ。舞華と合流できるように指示くらい出してやる」
静斗はソレを握った手を小さく振って社長室を出て行った。
おそらく持たせたのは防犯ベル。
僕達が出演する番組の放送まで二十時間を切っていた。
次回更新12月10日です。