衝撃(拓斗&涼)
軽く音を纏めてスタジオを出た俺は、病院に向かって車を走らせていた。
舞華と司が軽井沢へと向かう前に麗華の顔を見に行くだろうと思ったからだ。
舞華は暫くの間麗華と会う事が出来ない。
それに……舞華の薬を多めに貰っておく必要がある。
さっき電話した時は二人で外出していたようだから間に合うと思った。
俺は助手席に置いた小さな紙袋を見つめ、顔を顰めた。
「こんな物が必要になる時代だもんな……」
そんな呟きと共に漏れる溜め息。
声の出ない舞華には必要かもしれない。
そう思って用意した物。
備えあれば憂いなし。
使わないに越した事はないが、万が一の事を考えると持たせておきたかった。
病院まではあっという間だった。
駐車場に車を停め、いつもの裏口から真っ直ぐに麗華の病室に向かう。
取り敢えず顔が知られているし、M・Kの仕事をしている以上細心の注意が必要だった。
早くから情報を掴んでいる奴らがこの辺に潜んでいるかもしれない。
そう思うと正面からなんて入れやしない。
病院の最上階にエレベーターが停止してドアが開く。
エレベーター脇の自動販売機の前に舞華の姿を見つけ、間に合ったと安堵の息を漏らす。
「舞華」
声を掛けると舞華は小さく微笑んで買ったばかりの缶コーヒーを俺に差し出した。
「サンキュ、司は病室か?」
缶コーヒーを受け取りながら尋ねると、舞華は小さく頷く。
舞華を外に出したという事は綾香に話をしているのかもしれない。
そう思った俺は、その場で紙袋を舞華に見せた。
「取り敢えず持って行け。クリスマスプレゼントじゃなくて護身用だ」
俺の言葉に舞華の顔が曇る。
「お前は声が出ない。万が一を考えたら当然の事だ。使わないに越した事はないけどな。世の中は物騒だ、備えがあればいざという時安心だろ?」
舞華の頭を撫でると幾分表情が穏やかになった。
市原の事は禁句だ。
他のレコーディングメンバーにも軽く話はした。
だから心配はないと思うが、ヘタに雁字搦めにすれば疑われる。
程よい今までの距離を保ちながらの警戒は神経を遣う。
司は平気そうな顔をしていたが一番神経を遣うポジションにいる。
これを持たせた程度では何も変わらないかもしれないが、ないよりはマシだ。
舞華は俺の目の前で紙袋を開けて中を覗く。
小さな袋が三つ入っているはず。
「お前と司と綾香の分」
舞華はその中の一つを手にとってテープを丁寧に剥がした。
中を覗いた舞華が小さく噴き出す。
「使い方は知ってんだろ?」
俺の問いに舞華は笑顔で頷いた。
中に入っているのは小学生などが多く持っている防犯ベルというやつだ。
「出掛ける時は絶対に持っとけよ?」
舞華は頷いて着ている服のポケットにソレを突っ込む。
「本当はすぐに引っ張れるようベルトループなんかに付けとく方がいいんだぞ?」
舞華はくすくすと笑いながら自動販売機で缶コーヒーを買う。
舞華が四本目を買ったところで俺は手を差し出して舞華の手の中から二本を引き取る。
司と舞華と綾香の分なら三本で充分なはずだ。
「他にも誰か居るのか?」
でなきゃ数が合わない。
舞華は手首の内側に人差し指と中指の二本を置いてから親指を一本立てた。
親指は男。
脈を測るようなあの手は……あ、そうか。
「医者?」
舞華が笑顔で頷く。
おそらく麗華の主治医だ。
「麗華に何かあったのか? って訊いても俺には手話が分からんしな。病室行くか」
舞華を病室に向かわせて俺はその後に付いて行く。
病室のドアをノックしてから開けた舞華はおそらく司にだろう、手を動かして何かを伝えている。
俺が来た事か?
なんて思ったが違ったようだ。
「あぁ、ブラックだろ?」
司と舞華の会話はコーヒーの事だったらしい。
「さ、本田先生のところにも寄らなきゃならんしお暇するか」
どうやらギリギリ間に合ったという感じらしい。
「麗華……?」
司の怪訝そうな声が聞こえた。
麗華がどうした?
「よっ」
俺が顔を出すと司が振り向いて苦笑した。
何だ?
「聞きましたよ、結城さん。舞華ちゃんに仕事押し付けたんですって?」
綾香が俺に笑顔を向け、司の視線が病室内を彷徨う。
そういう事か……。
「まぁな。全ては静斗のせいだぞ。俺が悪いわけじゃない。あいつが怪我さえしなきゃ俺はちゃんと自分の仕事を片付けられたんだからな」
そういう事にしておけ。
俺は司の顔を見ながら小さな溜め息を吐いた。
舞ちゃん達を見送った静斗は紙袋を広げ、中から箱を取り出して僕達に渡し、一人無言でエレベーターに乗って部屋へと帰って行った。
「本当、お前らには迷惑ばっか掛けて悪い」
信也が箱を握り締めながら呟いた。
「何言ってんの? 僕達は今までもこれからも運命共同体でしょ? 嬉しい事も辛い事も分け合ってきたし、それはずっと変わらないよ」
信也はまた、自分が抜ければ……なんて考えたんだろうけど、そうはいかない。
僕達の音は僕達にしか出せない。
「舞ちゃんも言ってたでしょ? 僕達の音は四人が揃わなきゃ出せないって。GEMの音は僕達にしか作り出せないし代わりになるヤツなんかいない」
信也は苦笑した。
おそらく僕の言葉のせいで抜けるという言葉を出せなくなったからだろう。
でも、それでいい。
僕達は麗ちゃんに音を届けなきゃいけないから。
「とにかく帰ろう。いつまでもこんなとこにいたら風邪引くよ」
僕はエレベーターのボタンを押した。
英二は箱を軽く振って首を傾げ、リボンを解いた。
そして箱の中を覗き、顔を顰めた。
「どうしたの?」
僕が覗き込むとそこにはイヤーモニターが入っていた。
「あいつらしいな……」
英二が呟く。
確かに舞ちゃんらしい。
これからも頑張って欲しいという言葉が聞こえてきそうだ。
「だから皆の名前が書いてあるんだね」
全員の耳型を持っているのは美佐子社長だ。
舞ちゃんは美佐子社長に頼んで作ってもらったんだろう。
「AKIさんは市原の事を何も知らされていないから合流した時の会話には気を付けて」
羽田さんが険しい表情をしていた。
「羽田さん?」
何かを隠しているように感じて僕は羽田さんの顔を覗き込んだ。
「俺が入院してる時、病院でAKIさんを見掛けたんだ」
「麗ちゃんのとこでしょ?」
「麗華さんのとこでもないし神経科でもない場所で」
「おい、エレベーター着いたぞ!」
信也の声が羽田さんの言葉を遮る。
信也を見上げるとその顔色は悪く、箱を握る手が小さく震えていた。
何かを知っているけど隠そうとしてる……。
誰だってそう感じただろう。
英二も何か言いたげな顔をして僕の顔を見ていた。
羽田さんも信也の顔を見て続けようとした言葉を飲み込んだ。
エレベーター内に重い空気が漂う。
ようやくエレベーターが開き、冷たい空気が吹き込んでくる。
「信也、僕達に何か言う事は?」
僕達よりも先にエレベーターを降りた信也はさっさと自分の部屋に向かっている。
「まだ……何も話せない」
冷たい風が僕の許に小さな声を届ける。
その声は微かに震えていた。
信也らしくない声。
「すまん……約束なんだ」
誰との?
そう問いたかったが、信也は部屋の中に入ってしまい、僕の問いは言葉として口から出る事はなかった。
「羽田さん、舞ちゃんどこから出てきたんですか?」
僕は羽田さんに尋ねた。
「精神科の診察室から……。結城さんと一緒にいたから間違いない」
「「精神科……?」」
舞ちゃんが精神科から出てきた?
「なるほど。今回の軽井沢もそういう理由からか」
英二が呟く。
「考えるまでもなく麗華の事が原因だろ。精神的に通わなきゃいけないくらいあいつは参ってる。信也が話せないのは責任を感じてるからなのかもしれない」
僕達の前では特に変わった様子は見掛けないけど……。
そう思ったが、僕は次の瞬間自分の鼓動が倍の速度で脈打ち、全身に鳥肌が立った。
「もしかしたら……舞ちゃんはあの日に壊れてしまったのかもしれない」
麗ちゃんの事件の日に。
舞ちゃんの心は砕けてしまったのかもしれない。
結城さんはずっとそれを知っていたのかも。
美佐子社長が舞ちゃんを連れて行かないのはどうしてだろう?
「羽田さん、さりげなく美佐子社長に舞ちゃんの通院について訊いてみてもらえませんか?」
「涼?」
英二が顔を顰める。
「もしかしたら美佐子社長は知らないのかも……」
「んな馬鹿な」
「僕の勘が正しければ、知ってるのは結城さんと司ちゃん、そして信也。その三人だけ」
無理に羽田さんを復帰させたのもおかしいと思った。
司ちゃんは確かに手話が出来るし、舞ちゃんの親友だし、傍にいてあげたいとは思うだろう。
でも……結城さんの仕事をするためだけに軽井沢に行く必要があるのだろうか?
今まで結城さんがやっていたように事務所の敷地内にあるスタジオでも出来るはずだ。
そう思うと舞ちゃんを軽井沢に行かせる理由が分からなかった。
舞ちゃんには今回の騒ぎを知らせたくないのかもしれない。
舞ちゃんに知られないように適当な理由をつけて軽井沢に向かわせ、多少騒ぎが落ち着いた頃に呼び戻す気なんじゃないか?
それだったら納得がいく。
僕は舞ちゃんからのプレゼントを握ったまま再びエレベーターのボタンを押した。
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次回更新10月29日です。