懸念(舞華&司)
私は司の運転する車で病院に向かった。
顔馴染みの看護師に会釈をしながら歩き慣れた廊下を通って麗ちゃんの病室の前に立つ。
暫く来れないと思うと麗ちゃんや綾香さんに申し訳ない気持ちになる。
扉をノックすると明るい綾香さんの声が返ってきた。
「よっ」
司が扉を開けて中に居る綾香さんに笑顔を向ける。
「あら、こんな時間に珍しい。今日オフだっけ?」
「あぁ。あいつらは相変わらずスタジオだけどな」
「あぁ、そんな事言ってたかも。オフ=曲作りだものね」
いつもの調子で話す二人の傍で穏やかな顔をして眠る麗ちゃんを見た途端、私はその場から動けなくなった。
先日行った検査の結果、麗ちゃんの身体に異常はなかった。
それ自体はほっとするものだった。
でも……夢を見ているのかもしれない、とその先生は言ったらしい。
私は綾香さんからそう聞かされた。
もしかしたら麗ちゃんに伝わってしまっているのかもしれない。
不安定な気持ちも不安も……。
私は自分の掌をじっと見つめた。
「舞華、どうした?」
振り返った司が顔を曇らせる。
『麗ちゃんに触るのが怖いの……麗ちゃんに全部伝わってしまいそうで、麗ちゃんに心配掛けちゃいそうで……』
「お前の不安も恐怖も悲しさも焦燥感も全部伝えてやればいい。魘されるくらいならさっさと目を覚ませばいいんだ」
司はそう言って私の腕を掴んで麗ちゃんの手に重ねた。
麗ちゃん、大丈夫だよ。
私は大丈夫。
GEMの皆も大丈夫、大丈夫だから……。
考えが纏まる前に重ねてしまった手を離す事もできず、私はただ心の中でそう呟いた。
でも、ゴメンね。
暫くの間会いに来れないの。
今から結城さんのお仕事のお手伝いで軽井沢に行かなきゃいけないから。
次に来れるのは来年になってからだと思うけど、心配しないで。
麗ちゃんの手をぎゅっと握って私は微笑んだ。
そして、その手を離して持っていた紙袋を麗ちゃんに握らせた。
「あら、それなぁに?」
綾香さんが笑顔で尋ねる。
『クリスマスプレゼントです。麗ちゃんに似合いそうなピアスを見つけたんです』
手話で答えると司が読み取り、訳そうとした。
「司は黙っててっ! んと、これは何? 次のはプレゼントでしょ?」
「今日何日だ?」
「あ、ちょっと早いけどクリスマス?」
「正解」
「で、麗華ちゃんでしょ? あ、中身はピアス!」
「間が抜けたぞ」
「でも、合ってるでしょ?」
「前後は合ってるけどな」
この二人は仲がいいのか悪いのか……。
私は麗ちゃんの手を使ってラッピングを解いた。
小さな箱の中に納められた化粧箱を取り出してそっとそれを開く。
「あら、綺麗なピアス。麗華ちゃんに似合いそうね」
「そう言ったんだよ」
「え?」
きょとんとする綾香さんの顔を見て司が噴き出す。
私は苦笑しながら麗ちゃんの耳にピアスを嵌めた。
凄く似合ってる。
きっとこのピアスが麗ちゃんを守ってくれるよ。
「多分年内はもう来れないから麗華を頼んだぞ」
「任せなさい」
胸を叩きながら笑う綾香さん。
私は化粧箱を閉じて箱に納め、ベッド脇のテーブルにそっと置いた。
麗ちゃん、行ってくるね。
麗ちゃんの手を握って心の中で呟くと、麗ちゃんの手が動いた。
私の手を握り返したのだ。
「舞華?」
驚く私に司が顔を顰める。
司を見上げて重なった手を指差すと、司が麗ちゃんの手に触れて目を見開いた。
「舞華を引き止めてるみたいだな」
その口調が何故だか硬くて、私は違和感を覚えた。
最近そういう事が多い。
皆の態度が不自然に見えてしまう事が……。
でも、今はそれどころではない。
引っ張ればすぐに抜けてしまう程度の力だけど、麗ちゃんが私の手を握り返した。
その小さな反応が凄く嬉しくて、私は司に対して抱いた違和感を追求することなくナースコールを押した。
「舞華、飲み物を買ってきてくれ」
私はそう言って舞華を病室から追い出した。
病室の中には私と綾香、そして麗華の主治医。
綾香は私が舞華を病室から出した途端に表情を硬くした。
なんとなく感付いたのかもしれない。
「年末年始、とんでもない状況になると思う」
私は前置きもなくそう切り出した。
「とんでもない状況って?」
「週刊誌に麗華と舞華の記事が載る。それで舞華を人里離れたところに隔離する事にしたんだ。舞華にはこの事は知らせてないし年内に戻って来るつもりもない。GEMも多分身を隠すと思う、綾香には申し訳ないが……」
「麗華ちゃん、本当に舞華ちゃんを引き止めたのかもね」
麗華の顔を見ながら綾香が呟く。
「双子って変なトコが通じ合ってて怖いよな。舞華もそれで麗華に触るのを躊躇った」
本当に伝わってるならさっさと目を覚ませ。
舞華をラクにさせてやってくれ。
舞華はGEMとM・Kとお前を守るために無理をし過ぎている。
「お前だって分かってんだろ? さっさと目を覚ませよ。いつまで寝とく気だ?」
私は麗華の腕を引っ叩いた。
麗華は表情を変えもしない。
「司っ!」
「痛いなら痛いと言え、文句があるなら昔みたいに喧嘩を売ってこいよ。こっちはそんな顔見飽きてんだよ。いい加減目を覚ませ」
綾香は困惑した表情で私と麗華を見る。
「事情は先ほど社長さんから電話で伺っています。看護師達にも緘口令は敷きました」
主治医の言葉に私は顔を上げた。
「こいつに何か変化があったらこの番号に知らせて下さい。私の携帯番号です」
ポケットから取り出した自作名刺を医師に手渡し、私は再度麗華の腕を叩く。
「寝てて知らないなんて認めない。さっさと帰って来い、現実をその目で見て肌で感じろ。舞華を通してじゃなくお前自身で。お前なら舞華の状況だって分かってるはずだろ、いつまで甘えとく気だ?」
「めでたい正月にはならないわけね」
「波乱の正月だろうな」
考えるだけでも気が重い。
「本田医師のところには……?」
「これから行きます」
本田という医師は舞華の主治医だ。
幾分多めに薬を処方してもらう必要がある。
それと、万が一に備えて近場の病院への紹介状も書いてもらうつもりだ。
「舞華ちゃん、どうかしたの? 大丈夫?」
「あぁ、心配するような事じゃない。綾香は麗華の事だけを考えてくれ。舞華は私がフォローする。そのために羽田さんが予定よりも早く復帰したんだからな」
その言葉を聞いて麗華の担当医が顔色を変えた。
綾香も知っていると思っての発言だったようだ。
気まずい空気が流れる。
麗華をずっと見てきた綾香は何故か舞華の変化にも敏感になっている。
ただでさえヘタをすればバレてしまいそうで私も緊張するというのにこの台詞だ。
なんとなく気付かれてしまったのではないだろうか?
いや、声や目の件だと誤魔化せるかもしれない。
しかし、二年間この病院に通っている綾香だ。
本田先生がそのどちらにもいないという事を知っているかもしれない。
その時はどうやって誤魔化そう……?
頭をフル回転させて悩んでいると病室の扉がノックされ、舞華が顔を覗かせた。
『司は珈琲でよかった?』
「あぁ、ブラックだろ?」
舞華は小さく頷く。
「さ、本田先生のところにも寄らなきゃならんしお暇するか」
麗華の手をぎゅっと握って立ち去ろうとすると、麗華の手が私の手を握り返した。
「麗華……?」
舞ちゃんをお願い……。
気のせいかもしれないが、そんな声が聞こえた気がした。
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次回更新10月22日です。