八
随分と話し込んでいたものだ。鎮が気付いたのは母が呼びにきた時だった。
「食事の用意ができました。ご一緒で構いませんか?」
「私は気にしない。お前達がただの小娘にやたらと気を使っているだけだ」
慈乃は気遣いなくと言っているようには聞こえない。何しろ相手は帯刀している国家機関の人間だ。恐縮するのも当然なのだが。
「では、娘のように扱っても構わないと?」
「麻子」
「私は母というものを知らない。そのように対応できないが」
無愛想でない慈乃など最早考えられなかった。
「じゃあ、慈乃ちゃん。こちらへどうぞ」
母のこの順応の早さはなんなのだろうか。鎮も驚いた。さすがに変人だと友達に言われただけのことはあるのかもしれない。
その上、慈乃の方も満更でもなさそうに見えるのである。
食卓を見て、鎮はまた驚いた。いつの間にこんなご馳走をこしらえたのだろうか。
「お口に合えばいいのですが……」
「気にするな。私は基本的に残飯専門だ」
冗談のつもりなのだろうか。いや、「食事なんてろくに食べられなかった」とも言っていたのだ。
慈乃もさすがに食事の時まで胡座ではなかった。それどころか、正座している様は背筋が伸びて綺麗だった。やはり、態度が悪いのはわざとやっているのか。
食べ方も綺麗で、口を開かなければ良いところのお嬢さんではないかと鎮は思うわけである。
「慈乃ちゃん、お風呂、お先にどうぞ」
食後暫くして麻子は言う。そして、慈乃が口を開くよりも早く続けた。
「いつも最後だとか言いそうですけど、そうはいきませんからね。後がつっかえるのでさっさとお願いしますよ。それとも私と一緒に洗いっこでもしますか?」
完全に先手を打っている。もうお見通しだというかのように。
手招きする麻子に、慈乃が大人しくついていき、少し離れたところで大きな紙袋が渡されるのを鎮はぼんやり見ていた。
「こちらをお使いください。町で買ってきたものと、近所のお嬢さんが使っていたものをいただきました」
いつの間にそんなことをしていたのか。尤も、慈乃も準備不足だからと機関に帰る言い訳にできないことはわかっているだろう。村人達は留めるために何でもするのだろう。
「すまない。普段の任務なら荷物を持ってきたが、日帰りのつもりだったもので」
「随分と強行なスケジュールですね」
「機関から脱走するだけで一苦労だったからな」
刑務所ではあるまいし、脱走とは穏やかではない。しかし、あまり聞かない方がいいことのようだった。どうしても慈乃は取り戻さなければならなかったのだろう。
「他に必要なものがあれば、言ってくださいね」
「手間をかけてすまない。請求書は機関の……」
「お気になさらず。それよりも、鎮のことをお願いしますよ」
いきなり自分の名前が出て、鎮はドキリとした。不思議に思ったのは慈乃も同じのようだ。
「そこは村と言うところじゃないのか?」
「言えば、反発するでしょう」
「確かに、ひどく親切な村人もいるが、腐敗した人間も多い。前者を思えば救ってやりたくもなるが、後者を思えばいっそ滅びてしまえとまだ言いたくなる」
慈乃の心はまだ変わらないようだ。村人の意識が改善されなければ慈乃も彩乃の二の舞になるのかもしれない。たとえ、巫女が神様の機嫌を取ろうと村人が変わらなければ、神はこの先、何度でも怒る。
「あと、お姉さんお荷物を村長が届けにきましたよ」
「そうか……」
「どうしますか? 嫌なことを思い出すなら、預かっておきますけど」
「いや、使えるものもあるかもしれない」
そうして、慈乃は鞄と紙袋を手に麻子と共に部屋の方へと向かって行った。
暫くして、風呂から出てきた慈乃は髪を下ろし、肩にはタオルをかけ、Tシャツにハーフパンツという何とも言い難い格好をしていた。たとえ、腰にしっかりとベルトをして帯刀していることを除いても。
鎮も彼女を異性として期待していたわけではないが、風呂上がりの色っぽさというものはない。鎮もこんな真夏には湯船に浸からないのだからシャワーだけで済ませたというのもあるかもしれない。
それにしても、慈乃の顔色は風呂上がりとは思えないほど悪かった。
「……すまない。包帯はあるだろうか?」
彼女にしてはひどく言いにくそうに問うものだから、三人とも唖然とした。
しかし、慈乃は腹をタオルで押さえている様子だった。はっとして慈乃に駆け寄ったのは麻子だ。
鎮と司に見えないところに彼女を引っ張り、そして、息を呑む音がはっきりと聞こえた。
「どうして、言わなかったんですか!?」
「言えば帰れたのか? 私は機関に次の巫女を派遣しろとお願いするようなお使いは嫌だ」
そんなことを言っている場合なのだろうか。麻子はかなり慌てた様子で救急箱を探しているようだった。
だが、麻子は気が動転して場所を忘れているようだ鎮は近くの棚から救急箱を取り出して持って行く。畳の上に座った慈乃はまだタオルで腹を押さえていたが、そのタオルには真紅のシミが見えた。
「大体、傷口が化膿したらどうするつもりだったの!」
「その時はその時でいいかと」
半袖のTシャツにハーフパンツという出で立ちのせいで手足が露出し、傷跡の数々が露わになっている。スカートとソックスの隙間から見えた太股に痕があるのを鎮は見てしまっていたが、それにしても傷だらけだ。
「って言うか、そんな怪我……」
呆然と呟いて鎮は思い出す。
そもそも、横になっていた時から、様子がおかしかったのではないか。
「いくら巫女に合わせて任務が選ばれると言っても、こなせるというだけで無傷でいられるかどうかは運と能力を発揮できるかにかかっている。まあ、この傷は訓練と姉の嫌がらせによるものも多い」
まるで彩乃に殺されそうになっていたかのようでもある。最早、巫女というよりも戦士でもある。
「つまり、あの女が死んだ頃、私も死にかけていたわけだ。と言うと、大げさだが、道具がなかったせいで、やばい目に遭った。ご神託も当てにならないものだ」
神託のことを話した時から既に彩乃のことだけでなく、慈乃自身のことも言っていたのかもしれない。
気付きもしなかったことを鎮は後悔する。もし、こうなる前に見抜いていればと思わずにはいられなかった。
「次の任務も受けられず、休まされていたが、あれが死んだという知らせを受け、今こそ奪われた物全てを取り返さなければと思って飛び出してきたわけだ。危うく売られるところだったが、間に合って良かった」
慈乃にとって片時も手放せないような大事なものなのだろう。村長と夫人のあの様子を見てしまっては待ったところで返ってくるとも考えにくい。装飾品はパワーストーンで作られているようで確かにとても高級そうに見える。
「とにかく、部屋に! 手当しますから」
「そんなに深い傷じゃない。ちょっと開いただけだ」
包帯を要求しておいてそれはないだろうと鎮は思う。不遜な慈乃が申し訳なさそうに頼みに来るのだからただ事ではないはずだ。
「ああ、タオルは姉の持ち物だから汚しても……」
「そんなこと気にしてる場合じゃないのよ! どうして、あなたは自分を大事にできないの!?」
麻子は気が動転していた。落ち着いているのは慈乃本人だけとも言える。
「そのような教育は受けていないからだ。神のために命を捧げることを厭うなという教えの下……」
家畜のように飼育されてきて、姉には疎まれていたというのだから自分を大切にしないのもわからないでもない。
「いいから来なさい! 早く安静にして寝るのよ!」
麻子ははっとして、慈乃の腕を掴む。そのまま少し強引に部屋まで引っ張っていった。




