六
「機関の話とは言っても、どこから語ればいいか……どういう切り口にすればいいか」
口を開く慈乃はまた何かを察したのだろうか。鎮の口から言葉が零れるより前に言った。
「俺が気になること、聞きましょうか?」
自分が聞いて、彼女が答えてくれれば鎮はそれでも構わなかった。
「いや……」
慈乃は仰臥したまま首を横に振る。それから何かを考えるような仕草に入った。
訪れた沈黙にどうしたものかと鎮は視線をさまよわせて、司が置いていった扇風機を思い出した。
「あ、長袖で暑くないですか? クーラーはないですけど、扇風機なら」
日差しのきつい真夏日だ。部屋は日陰になっているが、彼女は冷房のある都会暮らしに慣れていることだろう。しかも彼女は長袖の、全く涼しげでないセーラー服を着て袖を捲るわけでもない。
「お前が暑ければ付ければいい」
慈乃の場合、遠慮しているわけでもなさそうだった。思えば彼女は涼しげで汗一つ掻いていないようだ。
暑さに慣れているのか、巫女とはそういうところも違うのかと鎮が考えてしまうほどだ。
居たたまれなさもあって、鎮は扇風機をつけてみる事にした。窓は開いているが、あまり風は入ってこない。少し風を掻き回した方がいいだろう。
プラグをコンセントに差し込み、スイッチを入れる。弱々しい風が吹き始めて、高さや向きを調整して鎮が座り直す内に慈乃の考えは纏まったようだった。
「巫女には賞味期限があるんだ」
一体、どこから始めようと言うのか。衝撃的な発言に鎮は驚いて、手にした麦茶を零しそうになるくらいだった。
「何だってそうだろう? 定年というものがあるし、スポーツ選手なんか寿命が短いだろう?」
慈乃は何を驚くんだとでも言いたげだ。
言われてみればその通りだが、慈乃の言葉選びが悪い。何にしてもそうだ。彼女はきっと嬉々として悪い方を選ぶのだと鎮は理解した。
「老いれば鈍くなる。若い内に神の怒りを鎮めるために全国を渡り歩いて、衰えが見えれば引退だ」
随分とシビアだ、というのが鎮のが感想だ。スポーツ界などよりもよほど厳しいのではないか。
「現役を退いた巫女は時代の巫女を生まなければならなくなる。跡継ぎを生産するにも若い方がいいからな」
生産とは嫌な言い方だが、これも彼女なりの皮肉なのだろう。何よりも慈乃は鎮に口を挟む暇を与えなかった。
「だが、巫女というのはほとんど産まれた時から機関にいて外界の男と恋に落ちるはずもない。より力のある巫女を産ませるために機関の男達と交わらせる。覡……男の巫女であったり、研究者であったり、機関は優良な種を抱えている。決まった種はない」
慈乃は父親を単に種としか思っていないらしかった。機関の内情は鎮の想像を遙かに越えていた。別世界だからと言って決して幻想的ではない。ひどく生々しく、気持ち悪さを麦茶で飲み下そうとしたが、そこに留まってより存在感を示すばかりだった。
男もいるのかという疑問を挟む間もない。
「だから、巫女は自分の母親を何々の母と呼ぶ。私が熊野の母と呼ぶように。彼女もそういった巫女製造機の一人だった。巫覡を一人産めば手当が貰える。子育ては、機関に専門の教育者がいる。機関にはゆりかごも墓場もあるのさ」
母親であっても他人なのだと慈乃は言う。腹から出てきただけで愛を注がれてもいない。ただただ巫女を作り出すためだけのシステムが確立しているのだろう。狂っていると鎮が感じるほどに。慈乃が製造だなんだと言うのも頷けるくらいだ。
「霊能力と言われるものが強い人間を連れてくることもあるが、純機関産の巫女が多いのはそういうことだ。母達は常に妊娠しているような状態だ。一ダース産んだ母もいるくらいだ。
「一ダース……」
「十二人だ」
わかっているとは言えなかった。そんなことが言いたいのではない。
慈乃は量産型でも消耗品でも使い捨てでもないと言ったが、機関ではそう扱われているように感じられる。慈乃は機関のやり方に好感を持っているわけでもなさそうだ。
好感など持てるはずもない。おぞましいくらいだ。
「気持ち悪くなったならやめるか?」
慈乃は言うが、相変わらず天井を見上げたままで鎮を見るわけでもない。気配を察したのか。
「いえ、続けてください」
油断すれば吐きそうではあるが、鎮は全て聞こうと決意していた。自分にしかできない気がしていた。
「だから、私達も年子だ。尤も、熊野の母は私を産んだ後に亡くなったから下はいない。上もあれだけだ」
この世にたった二人の姉妹、父親の違っても母は同じ、それでも二人の繋がりは希薄だったのか。他人のように生活してきたのか。一人になったことに安堵しているのだろうか。
「熊野の母がどんな人だったか、私はよく知らない。だから、誰に似たのかも定かではないが、……あれはとにかく派手好きだった」
あの姿を見ればわかる。巫女をやっていい人とは鎮も思えなかった。
「本来、巫女とは未婚の若い女でなければならない。それは神楽の巫女も同じようなものだが、あれはひどい男好きでもあった。風俗店のコスプレと揶揄されていたこともあったな。非常に図太い神経で、そんなことまるで気にしていなかったが」
産まれた時から機関で飼育されて、繁殖させられるような、そんな動物的なイメージが鎮の脳裏に浮かぶ。
「外に出れば男と遊んで、全くお盛んなことだった。品位を下げると内部の抗議もあったが、実力があっては仕方がない。任務さえこなせば良し、という空気も少なからずあるものだ。特例とも言えた。憧れて真似しないようにというお達しもあったが」
完璧に不良巫女だ。鎮は思うのである。
「尤も、彼女の力を増幅させていた装飾品は全て私のものだ。巫女の装飾品は使い手が念を込めるが、あれはそれがひどく苦手だった。種違いでも同じ熊野の血が流れている私のものは使いやすかったようだ」
「慈乃さんは機関で一番なんですよね?」
「そういう言い方はあまり好きではないが、現状では主席だ。熊野の母も現役時代、とても力のある人だったと聞くし、種との相性が良かったんだろう。それを疎まれた」
姉と妹、慈乃は姉を他人扱いするが、彩乃はそうでなかったのかもしれない。自分より下の者が才能を持っていれば妬ましくなるのは鎮とて理解できる。巫女に限らず、何にしてもそうだ。そういう時、世の中の不公平さを感じるのだ。鎮は将来自分の居場所を見つけられるか不安にも思っている。結局は妥協するしかないのかもしれない。
「何度か、あれに惑わされた男達に襲われそうになったことがある」
慈乃の衝撃的な発言は続く。そんなことがあれば、近寄ってくる相手を警戒するのも当然と言えるのかもしれない。これは彼女が選んだ世渡りの方法なのかもしれない。彼女なりの自分の身の守り方なのだろう。
「そんなことして、神様には怒られないんですか?」
「機関に神はいないのかもしれない」
何とも奇妙な発言だった。彼女達は神に仕えていると皆思っている。それも表面的なものなのだろう。
「道具さえあれば、あれもかなりの実力者だった。そして、私は邪魔だった。数々の嫌がらせを受けたものだ。食事なんてろくに食べられなかった」
道具を奪い、妹さえ排除しようとする。鎮にはあの彩乃がそんなひどい姉には見えなかった。それでも、慈乃に彩乃を悪く言う理由があるか。
「説教はやめてくれよ。死人に口なし、死者のことは悪く言うなとは言っても褒めるべきところが浮かばない。私は悪口を言っているのではない。事実は隠蔽すべきでないというだけだ」
鎮の心を見透かしたように、慈乃が言う。彼女は自分のことであっても、淡々としている。
「自らの力を分けた道具を奪われて無能と化せば切り捨てられもしただろう。けれど、私は今日まで丸腰で任務をこなしてきた」
慈乃が言うことが凄いのかどうかは鎮にはわからない。巫女の仕事をその目で見たというわけでもない。彩乃は皆家から出るなと言って一人立ち向かって、朝に死んでいるのが見つかったくらいだ。
帯刀していた彩乃が命を落としたというのに、何も持たない慈乃が生きているとは不思議にも感じられることだった。




