五
慈乃を連れて父と共に鎮が帰宅すると母が驚いた顔で出迎えた。
「あなた……」
「うちで預かることにした」
簡潔な一言だったが、すぐに状況は飲み込まれたようだ。
「大したもてなしはできないですけれど……」
「気にするな。私はさっさと帰りたい」
本心なのだろう。それを取り繕いもしない。そして、両親も何も言うまいとしたようだと察して鎮も黙る。
客間で慈乃はまた胡座をかいていた。そして、鎮達親子三人をじっと見た。
「お前達の名は何と言う?」
「守司と申します」
「妻の麻子です」
父、母と淳に名乗り、慈乃が鎮を見た。
「で、少年、お前は?」
「鎮です」
そう言えば、道案内を引き受けたにも関わらず、名前を名乗ってもいなかったと鎮は思い出す。
「まもりまもる?」
名字と繋ぎ合わせて、慈乃は少し不思議そうにする。いつものことだと鎮は思う。自分の名前を口にする時、相手がお決まりの反応をする。
「そ、そうです」
鎮は少し恥ずかしい気持ちになりながら頷く。両親の前ではこの名前に多少なりとも不満を持っていることは言えるはずもない。
「字はどう書く?」
「守護神の守でまもり、鎮魂の鎮でまもるです」
「鎮守のつもりか?」
慈乃は眉間に皺を刻んでいるが、鎮にはよくわからない。
いつもどうしてこんな名前にしたんだと内心憤っていたりもする。しばしば「どちらが『まもり』で『まもる』なのかわからない」と言われ、間違われることも多い。
「小さい頃は、もりちんってあだ名を付けられて、何だか凄く嫌で泣きました」
それどころか『ちん』と呼ばれることも多く、本気で嫌がってもやめてもらえなかったくらいだ。
「どっちが命名した?」
何にそんなに興味を持ったのか、慈乃は問う。
「その時、たまたまいらっしゃった霊能者のおばあさんが名付けてくれたんですよ。とても素敵な方でしたので」
そうなのだ。鎮の名付け親は見知らぬ老婆だ。縁もゆかりもない得体の知れない人間の言うことなどどうして聞いたんだと八つ当たりをしたことさえある。
「なるほど」
慈乃は納得した様子でそれ以上自分から口を開くわけでもない。
「お昼はお食べになられていますか? 大したものはご用意できませんが……」
「いや、問題ない」
「では、くつろぎください。夕食の時間になりましたら、お呼びしますので、それまではご自由になさってください」
くつろげるか、などという文句はなく慈乃は頷いただけだった。
「部屋にご案内します」
立ち上がったのは司だ。うむ、と頷いて立ち上がった慈乃は鎮を見た。
「鎮を話し相手に借りて構わないか? どうせ、外には自由に出られないのだろう?」
慈乃の言葉に司が鎮に促す視線を送ってくる。どうせ、暇だし、同じ家にいれば気にもなる。鎮も黙って立ち上がり、二人の後についていく。
「どうぞ、この部屋をお使いください」
通された部屋に文句を言うわけでもなく慈乃は入っていく。
「鎮、くれぐれも失礼のないように」
司に背中を押され、鎮も室内に足を踏み入れる。
そして、監視の意味もあるのだと悟ったのだ。
扉が閉められ、慈乃は適当なところに胡座をかく。鎮も座ろうとしたところでノックの音が響いた。
「鎮、開けてくれるかしら?」
麻子の声だった。
鎮がそっと扉を開ければ、トレイを持って立っている。その後ろには司も立っている。
「麦茶とお菓子をお持ちしました。よろしかったらどうぞ」
麻子はそっと慈乃の前にトレイを置く。麦茶が並々と注がれたグラスが二つと少しばかりの菓子が並んでいる。
「お気遣いどうも。腹が減ってもお前の息子をとって食ったりはしないさ」
慈乃は特にニコリとするわけでもなく、嫌みっぽい。麻子は嫌な顔をするわけでもなく、穏やかに笑った。
「慈乃さんは面白いお嬢さんね」
鎮も母のことならばわかる。これは決して皮肉ではない。どこかずれて「お前の母ちゃん変だよな」とよく友人らに言わせる麻子は本気でそう思ったに違いない。これには慈乃の方も少し面食らったようだった。
麻子が出て行くと司が部屋の隅に扇風機を置いて出て行った。
再び扉が閉まると、慈乃は麦茶を飲み干し、携帯電話を取りだす。
しかし、すぐにポケットにしまい込んだ。
「くそっ、携帯も通じないとは、これだから田舎は嫌なんだ!」
慈乃は悪態を吐く。
「田舎じゃないところにも行くんですか?」
こういうところばかりだと言ったのは彼女だ。
「まあ、基本的にはド田舎を回っているが……」
「ド田舎……」
そう言われても仕方がないと鎮も思う。学校は山を下り、町まで行かなければならないし、バスも本数が少ない。慈乃が言うように携帯電話も圏外だ。
「うちの電話、使いますか?」
携帯電話が使えなくとも、電話があれば鎮達は不便も感じない。そういった縛りのないゆるやかな暮らしもいいものだ。
「いや、使わせてもらえないだろう。連絡されると、こちらには不都合があるんだろうからな」
慈乃は首を横に振る。鎮は優しい両親がひどいことをするとは思いたくなかったが、村人達のあの様子はかなり追い詰められている。
「ああは言ったが、きっと既に村長殿が連絡済みだろう。あれはかなりの狸だ。悪いことにはかなり頭が回る」
「狸……」
慈乃とのやりとりを見ていれば、腹に何か持っているようにも感じてしまう。村人思いのいい村長とは言い難い。村人達が「前の村長さんの方が……」と影で言っているのを耳に挟むこともあるくらいだ。
「まあ、どうにかなるさ。そうすぐに片も付かない。私が帰らなければ機関も動く」
慈乃は諦めてゆったり構えることにしたようだ。鎮としても物騒なことはやめてほしいものだ。特に両親には巻き込まれてほしくない。
「慈乃さん、と呼べばいいんですか?」
「ああ、熊野と呼ばれるのは好まん。どの母親から出たかを示すだけのものだからな」
熊野と書いてゆやと読むのは鎮にとって不思議なことだった。しかしながら、この様子では聞けそうもない。熊野の名を彼女は疎ましく思っているようだ。
「慈乃さんはいくつですか?」
「さっき、学生証見ただろう?」
確かに鎮は確認させられた。そこにはきっと彼女の年齢も書かれていたのだろう。
「そんなじっくり見る余裕なかったですって」
あの時は鎮も緊張していた。名前と顔写真くらいしか目に入らなかった。それだけを確認することに必死だった。
「神楽学園高等部二年。今年、十七になる」
「俺より一つ年上ですね」
鎮も年下ではないだろうとは思っていたが、妥当なところなのかもしれない。
「じゃあ……」
「あれは享年十八歳だ。年子なんだ。尤も、これからは私だけが歳をとるものだが」
彩乃のことを問う前に慈乃は察したのだろう。答えと共に余計な言葉がついてきた。しかし、彼女はどうにも気配か何かに敏感なようだった。
「どうして、そんな態度なんですか?」
ついつい聞いてしまって鎮は後悔した。これでは感じが悪いと言っているようなものである。
「態度がでかいって言いたいのか? ふてぶてしいと?」
「い、いえ、決してそんなわけでは……」
ないとは言い切れない。少なくとも思ってはいるが、言えるわけもない。
「巫女は化け物扱いされたり、なめられたり大変なんだ」
「わざと、ですか」
強気に出なければいけない場面もあるだろう。しかし、鎮には毒々しさを感じる。
「大半はあの姉のせいで歪んだ。私の人格の問題は全てあれのせいだ」
自分がひねくれていることを認める発言だった。慈乃がいつからそうだったか、鎮には知る由もないが、全て彩乃のせいにするのは間違っていると思ってしまう。
「お姉さんとは……」
そもそも、二人はどういう姉妹だったのか。機関での暮らしも鎮には想像もつかない別世界である。
「まあ、時間はある。私も少し休みたいところだ。機関の話から始めてやろうか?」
「お願いします」
聞けるものなら聞きたい。鎮がぺこりと頭を下げれば慈乃は座布団を折って枕にして畳の上に寝転ぶ。
そうして天井を仰いだ彼女は些か安堵したようにも見える。何か楽になったような、そんな表情にも見えたが、鎮には触れられない領域が確実に存在する。
疲れていたのかもしれない。元々は回収しに来ただけだといっていたくらいだ。それにしても、何か引っかかる。鎮は釈然としない気持ちだった。




