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神楽  作者:
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 大蛇池――大きな池は古くから大蛇が棲むとされてきた。実際、いるとわかった今では近寄りたくないというのが鎮の本音である。

 慈乃は始めから池のことを知っていた。どこまで知っているかはわからないものだ。

 その慈乃は池に着くなり、一心不乱に池へと遺骨を撒いている。ぽちゃぽちゃと投じられる音には耳を塞ぎたくもなるものだ。

「よくも平然と撒けますね」

 思ったことがぽろりと鎮の口から零れた。だが、口を塞いでも手遅れだ。

 しかし、慈乃は一旦手を止め、鎮を一瞥しただけだった。

「お姉さんのものを身につけて」

 似合ってはいるが、彼女が身につける装飾品は全て彩乃のものだ。それをつけていた彩乃の姿を鎮は思い出す。二人はまるで似ていないのに、やはり思い出さずにはいられない。

「笑わせるな。あんなの、姉じゃない」

 きっぱりと慈乃が言い切り、鎮は複雑な感情を抱く。彩乃にそれほど好印象を持っていたわけでもない。知っているのかと言われれば、全く知らない。しかし、これほど憎悪されるような女かと言えばそうも思えないのだ。

 鎮は一人っ子だが、兄弟がいる友人もいる。仲が悪いというものもいるが、可愛いものだ。

「同じ女の腹から出ただけで、種違いだし、姉だと思ったこともない。あれが私を妹と思わなかったように私も姉とは思わなかった」

 確かに姉妹は全く似ていない。

 彩乃の明るい茶色に染めた髪はゆるやかに波打ち、かなりしっかりと化粧をしていた。背は慈乃よりは低いか、それでもずっと肉付きが良かった。太っているというほどでもなく、健康的な柔らかさを感じさせた。上着こそ半袖でスカートも短かったが、同じ制服でも彼女の場合はいかがわしい店の衣装のようですらあった。

 都会の人間として真っ先に思い浮かぶような女だった。おおよそ巫女には似つかわしくない容姿だった。

 慈乃は染髪もせず、化粧してもいないが、栄養が足りているようには見えないのだ。言葉遣いも乱暴で態度も高圧的である。

「言っただろ? 私は奪われたものを取り返しにきた。それだけだ」

 彼女は何度もそう繰り返してきた。

 あの彩乃が人の物を奪うだろうか、被害妄想ではないかと鎮は思うわけである。

「私はあれに何もかも奪われてきた。刀も装身具も、だから取り返しに来た。まさか名前まで盗られるとはな。考えたこともなかった」

 慈乃は彩乃に対する敬意のようなものは微塵も感じさせない。本当に奪われたのならそれも納得できるところだ。確かに熊野彩乃は熊野慈乃を名乗っていた。それがどういうことなのかも鎮にはわからない。

 そこで散骨を終えた慈乃はくるりと鎮を振り返った。

「お前は、神に仕える者がなどと言ったが、押しつけの巫女像にすぎないさ」

 鎮の中の巫女像は神社にいる普通の巫女である。彼女の言う通りかもしれない。神楽機関の巫女は巫女装束の代わりに制服を着て、帯刀している。

「どうして、そんなに彩乃さんを嫌うんですか?」

「単に同じ女の腹から出た他人だからさ」

 答えは簡潔だったが、鎮は理解できない。母親が同じならば他人であるはずがないのだ。

「お母さんが同じなのにですか?」

「同じ熊野の母から出たから熊野姓を名乗っているだけだ。血の繋がりに意味はない」

 母親までも蔑視するようで益々鎮は混乱した。

「神楽の巫女をお前達の基準で考えるなよ」

 結局のところ、巫女の世界など窺い知ることはできない。こうして近くにいても別世界の人間ということだ。同じ物差しでは測れない。

「神楽の巫女なんか清廉潔白の処女じゃないんだ。童貞やら変態やらの価値観で見ると後悔するぞ」

 ひどい言い草だった。自分はそんなんじゃないと言いたくてもまた制されてしまう。

「私の用は済んだ。さっさと帰らせてくれ」

「でも……」

 神は鎮まったわけではないだろう。このまま彼女を帰して良いのか鎮にはわからない。

「運が良ければ神託によって別の巫女が派遣されて来るさ」

 慈乃は言うが、彼女は滅べと言ったのだ。二度も幸運が訪れるとも限らない。

「案内してくれ。私は方向音痴なんだ」

 鎮はどうすることもできず、村の入り口まで彼女を案内してやることにした。

 気になることはあるが、これ以上の無駄話を慈乃がしてくれるとは思えない。説得ならもうとうに失敗しているのだ。


 もうすぐで村から出られるというところで、鎮は腕を掴まれた。振り返ればやはり慈乃であるが、その表情は険しい。

「ここからは私が先に行く。真っ直ぐでいいんだろう?」

 鎮の耳元で囁いて慈乃が前に出る。その淡々とした足取りを鎮も黙って追う。そもそも、道なりに行けば町まで下りられるはずなのである。

 その先に人影があった。数は五人、村の男達だ。

「お嬢さん、あんたを帰すわけにはいかないんだ。戻ってくれるね?」

 そう言った男の手には鉈が握られている。他の男達もそうだ。斧を持っていたりもする。その中に自分の父がいることに気付いて鎮は愕然とした。

「父さんまでなんで……」

 このまま彼女を帰していいのか、鎮としても迷う部分はあった。だが、こうして待ち伏せしているとなると異様なことのように感じる。帯刀しているとは言っても、たかだか一人の少女に大人の男が五人がかりとはやりすぎだ。

「仕方のないことなんだ、これが村のためなんだ。お前のためでもある」

 理解してくれ、と父親が言っている気がして、鎮は迷った。鬼気迫る顔の彼らが慈乃を信じているようには見えない。恐怖から逃れたいだけのようだ。これで救われるとも思えない。

「子供に信心を教えなかった奴らが偉そうに」

 大蛇の伝説は鎮も小さい頃聞かされた。悪いことをすると池の大蛇に食べられてしまうよ、と言い聞かされたものだ。しかし、迷信だと笑う大人もいた。だから、鎮も信じなかった。村には祠があるが、昔からあった形だけのものだと思っていたくらいだ。

「子供の前で乱暴なことはしたくない」

 他の男が言う。鎮がいなければ、今頃男達は強引な手段に出ていただろうか。

「私は暴力には慣れているが」

 慈乃は男達を挑発するかのようで、鎮は思わず彼女の服の裾を掴んでいた。

 彼女は身ぐるみを剥がそうとするものを返り討ちにしてきたというほどだ。男達が引かなければ彼女は撃退して去っていくのだろう。目の前で父親を傷付けられるようなことは避けたいものだ。

「チッ……面倒臭い奴らだ」

 舌打ちをして、慈乃は両手を上げる。降伏ということだろう。

「だが、相手は巫女殺しの神だ。私を人質に機関へ連絡するよう村長に言え。機関の者達を呼んで、儀式が必要になる」

 事は鎮達が思うよりずっと深刻なのかもしれなかった。

 男の一人が前に出てきて、慈乃の腰へと手を伸ばす。

「それまで刀を預かろう」

「触れるな!」

 ぴしゃりと鋭い声が男の手を止めさせた。

「これ以上、穢れると役に立たなくなるぞ」

 脅しを含んだ声だったが、男は訝しげにしている。鎮もわからずに慈乃を見上げた。

「そもそも、これは人斬りの刀ではない。邪悪なものしか斬れないなまくらだ」

 彼女達は唯一帯刀を許されているが、人を斬ったなどという話は一切聞かない。田舎で情報が入りにくいこともある。機関がもみ消しているということも考えられる。

 けれど、その純白の柄や鞘の刀で人が斬れると思いたくもなかった。

「面倒は家で見ましょう」

 そう申し出たのは鎮の父だった。確かに鎮の家には部屋が余っていて、客が来た時には泊められるようになっている。

 彩乃が泊まっていたのは村長の家だが、慈乃が連れて行かれればどうなるかもわからない。軟禁、という言葉さえあったくらいだ。自由は奪われると思って間違いないだろう。

 だが、鎮は自分の両親のことをわかっているつもりだ。ひどいことができる人間ではない。慈乃もまた嬉々として暴力を振るうわけでもないはずだ。

「世話係にこれを付けてくれるのなら」

 慈乃は上げたままの手で鎮を示した。彼女も諦めたようだ。

 だから、自分の目が届くところに慈乃が来る。そのことに鎮は安堵を覚えていた。

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