三
「今度こそは信じます。だから、どうかお守りください」
村長が頭を下げれば皆が続く。
断れば、実力行使に出るだろうという怖さがあった。それは鎮の両親にも言えたことだ。だから、鎮は恐れていた。
「巫女は量産型じゃない。消耗品じゃない。使い捨てじゃない。死んですぐ代わりがあると思うな」
前の巫女は死んでしまった。それは事実だ。
しかし、鎮には少女がそれを悲しんでいるようには思えなかった。彼女の物を平然と身につけている。怒りは巫女を死なせたことには向けられていない。
「第一、私は彼女の代替品じゃない。奪われた物を取り返しにきただけだ」
少女の手が装飾品に触れ、刀に視線をやった。だから、始めから彼女は帯刀していなかったのか。
二人の巫女の関係はわからない。そもそも、巫女達の生活を彼らは知らない。
「能面みたいな顔で気持ち悪い」
声はぽつりと村人の中から聞こえた。鎮の友人の母親だった。彼女は昔から少しきついところがあると鎮も少し恐れていた。
「今、誰が言った? ああ……お前だな?」
くるりと少女が振り返って、村人それぞれの顔を見る仕草の後、指さした。背を向けていたし、全く面識がないはずであるのに、正解だった。先ほどのこともそうだ。背中にも目がついているのではないか。それとも、巫女はそういう不思議な力を持っているのか。
「能面とは言うが、どの面だ? 小面か?」
少女は何を言っているのか。その問いには代わりに答える者さえもいなかった。
「いや、孫次郎だと思うことにしておこう」
一人納得したような少女だが、状況は何も変わってはいなかった。
「これならば前の巫女さんの方がよほど……」
「派手な女の子が来たとは思ったけれど……」
村人達は口々に言い始める。少女への不満を遂に隠さなくなったようだ。
「あの子は熊野慈乃さんだったか」
「熊野、慈乃だと?」
少女の怒りに触れた気がした。元々、愛想はなかったが、今は本当に怒っているとわかる。
けれども、鎮にできるのはその後ろ姿を見上げることだけだ。スカートとソックスの間、露出した足にひどい傷跡があることに気付いて、そこを見ないようにしながら。
「前の巫女の名前ぐらいご存じでしょうに」
今度は村人達が攻撃する番か、村長夫人が笑う。空気はどんどん悪くなり、鎮は息苦しささえ感じて、今すぐにここから逃げ出したいとさえ思っていた。
「おいおい、ふざけるな。熊野慈乃は私の名前だが?」
「いいえ、確かに彼女は熊野慈乃と、ここに名刺と誓約書がある」
村長は思い出したように書類を懐から出し、少女へと掲げた。
「くそっ、あのアバズレが……!」
少女の突然の悪態に村人達はどよめく。心底、前の巫女を嫌悪しているような口ぶりだ。
そして、抱えた骨壺を叩いて示す。
「これは熊野彩乃、私の姉だ」
村人達が驚きの声を上げる。
だが、鎮は何に驚いたらいいかわからなかった。
姉妹が全く似ていないことか、姉が死んだというのに淡々として憎悪さえ見せることか。ただでさえ、仲間が死んだというのに落ち着きすぎていると思ってはいたが。
「尤も、種違いだがな」
異父兄弟ということか、似ていないのも納得できるが、それにしても少女の態度は常識を外れているかのようだった。
巫女を常識に当てはめることが間違いなのか。
「少年、来い」
「は、はい!」
呼ばれて鎮はやっと立ち上がった。そして、少女の隣に立つ。
「確認しろ」
そう言って少女から手渡されたのは二冊の手帳だった。緋色の表紙に金色の文字は『神楽学園生徒手帳』と読める。
確認しろと言われて、鎮は開く。そこには学生証が収まっている。
「こちらが熊野、慈乃さんです」
間違いなかった。人相の悪い写真だが、熊野慈乃は確かに隣にいる少女であり、熊野彩乃は今や骨となってしまったあの少女だ。
「そういうことだ」
鎮が閉じた手帳を返せば少女――慈乃はポケットに押し込む。
「では、失礼する。非常に不愉快だ。さっさとここから出たい」
そうして、彼女は皆に背を向ける。嫌な空気の原因は大いに彼女にあると鎮は思う。
だからこそ、自然と口が開いていた。
「見捨てるんですか?」
「ああ、そうだ」
問えば、彼女が振り向く。文句など言わせないように鋭い目に射られて、それでも鎮は引くわけにはいかなかった。
「それが神に仕える人の言うことですか?」
神楽機関の巫女と一般の巫女では異なるところもあるが、不信心ではできないはずだった。
「信じぬ者まで神が救ってくれると? めでたい頭だな。お幸せすぎるよ、少年。実に平和ぼけしている」
先ほどまで怒りを露わにしたかと思えば、慈乃は今度は笑っている。
「考えろ。今、日本中が神の怒りに触れている。なのに、全てを鎮めるには全国の巫女の数は圧倒的に少ない。深刻な巫女不足なのに、また一人、ここで死んだわけだ」
大蛇村のようなことは全く珍しくない。ニュースでやっているくらいだ。今回、早い段階で大蛇村に巫女が派遣されてきたのも運が良かったということになる。
どういう基準で巫女が送られてくるかは定かではない。神楽機関は神託によって選ばれたと回答しているが、それを信じる者がどれだけいるか。抽選だという話もあるくらいだ。
「信心深く巫女を必要としたって、得られないところだってある。だから、私はこんなところに留まっていられない。私を待っている人間がいる。私はとても忙しいんだ。回収のために通りがかっただけだ」
慈乃は回収を強調する。その程度にしか思っていないということだろう。
「派遣された巫女の質に問題があったと機関に申し立てます」
村長は少し強気に言うが、少女はそれを笑い飛ばす。
「上がそんなものに取り合うか」
上――神楽機関の上層部はどんなものなのだろうと少年は考えてみる。妙に怖いところのような気がするものだ。
「悪質な巫女だろうと、神託により選ばれた者だ。馬鹿みたいに信じる奴らがいれば立派に務めを果たせるさ。現にあんなんでも実績はあったんだ。道具も優秀だったしな」
そう言って慈乃が刀を撫でる。
「大体、あれの質に問題があると言うのなら、私はもっと悪徳だが」
自分で悪徳を認めるとは一体どれだけ不良巫女なのか。前の巫女――彩乃も見た目は十分に不良だったと鎮は思う。他の巫女を見たことがないだけに何とも言えないものだが。
「熊野慈乃という巫女は機関に属する中で現在最も実力のある巫女だと聞いておりますので」
「調子がいいものだな」
少女はうんざりしているようだった。鎮も同じ村に住む者として嫌悪するところはあるのだが。
「だが、他の土地の奴らはもっと素直だった。これでは神が怒るのも無理はない。何がリゾート開発だ。先祖代々の土地を大事にして守れ、金の亡者どもめ」
吐き捨てられるのはあまりに辛辣な言葉だ。軽蔑しきった少女の目を見てしまって、鎮はぶるりと震えた。
「二度はない。日頃の不信心がたたったんだ。諦めて滅びろ」
後悔してももう遅いとでも言うかのようだ。更に慈乃は続ける。
「お前達が滅んだ後で、この土地は適切に浄化されるだろう。神の怒りを鎮め、他の地への見せしめとなる。どこにでもいるんだ。助かりたい。でも、機関はいけ好かないなんて奴らは大勢」
本気だと鎮は感じた。村長を始めとする村人達もそうだろう。
「村を守るためならば、あなたを軟禁するのも辞さない」
「今度は脅しか、げすな奴らだ。だから、救われないと気付け」
慈乃はやれやれと肩を竦める。
「我々との誓約は熊野慈乃さんとの間で成り立っています。あなたが熊野慈乃だと言うのなら、これはまだ有効なのでは? まだ終わっていませんよ」
「そういうところばかりは小狡い」
村長が誓約書を掲げる。熊野慈乃の名前と拇印、約束事は仕事の終了後のことまで書かれている。
「それほど我が身が可愛いか。その誓約の内容を理解もしなかったくせに。そんなに助かりたいならどうして信じられなかったんだ。卑しい者どもめ」
村人達は黙り込む。そして、慈乃は鎮を見た。
「行くぞ、少年! 池に案内しろ」
「は、はい!」
逆らえるはずもなく、鎮は慈乃の後について村長の屋敷を出た。彼らは追ってはこなかったが、これで終わるのかと思えば複雑な気分だった。




