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神楽  作者:
2/19

 少年は空に怯えた。

 濃い青空と取り囲むような白く大きく厚い雲。強い日差しの中、際立つその白さになぜか閉塞感を覚えていた。落ちてきそうだとさえ考える。

 果てまで行けば、あの雲に手が届くだろうか。雲の上に乗りたいなどと言ったのは昔のこと、今はそうも思えない。綿菓子のような可愛らしいものにも見えない。

 押し潰されそうで、空が綺麗だとは笑えそうにはなかった。

 庭に咲くひまわりの黄色とのコントラストも少年は嫌だった。何もかもが嫌になる。

 なぜ、こんな気持ちになるのかわからない。もっと怖い物を思い浮かべることは容易い。つい先日のことを考えれば体の震えが止まらなくなる。

 だからこそ、この穏やかさがたまらなく恐ろしいのかもしれない。憎しみさえ覚えている。

 彼女がやってきたのも、こんな空の日だった。


 少年は今年で十六になる。高校に通っているが、今は夏休みだ。しかし、取り立ててすることもなく一日の大半をぼんやりとテレビを見たり、本を読んだりして過ごしていた。課題はもうほとんど終わってしまったのだ。

 特別友達が多いわけでもなく、遊びに行く場所も限られている。山や川に入って遊ぶ時期はもう過ぎたと思っている。

 こんな田舎の村では仕方のないことだと少年は言い聞かせるようにしていた。町に出るのも億劫だ。

 特に今は時期が悪すぎる。あんなことがあった後では家の中にいた方が賢明だと信じている。村を出て行こうとする者も多いくらいだが、出て行けば祟りがあるとも信じられている。

 大蛇村(おおじゃむら)、大仰な名前の由来である言い伝えの大蛇が実在すると知ってしまった今となっては。


 ふと、外に人の気配を感じた気がして少年は顔を上げる。そして、言葉を失った。

 セーラー服姿の少女が外を歩いている。少年が通う高校も古めかしいセーラー服だが、まるで違うものだ。その色はあまりに鮮烈だった。

 純白の長袖の上着に鮮血を思わせる真紅の襟に、同じ色のスカートは毒々しくもある。目を引くのはそれだけではない。

 腰には白く太いベルトを巻いている。

 その姿は日本で唯一帯刀を許された存在、神楽機関の巫女であることを示している。少年がそれを見るのは二度目だ。しかし、彼女の腰には帯刀ベルトこそあるが、肝心の刀を下げていなかった。

 少年は思わずサンダルを履いて外へ出ていた。

「ああ、人がいたか……」

 大して感動した風でもなく少女が言う。どうでもいいとも思っているかのようでもある。ゴーストタウンだとでも思っていたか。

 全く違う。少年がそんな感想を抱くのは無理もないことだった。

 腰まで届く艶やかな黒髪を結い上げ、少年の感覚からすれば畏怖の念を抱くほどに綺麗な顔をしていた。

 背は少年とさほど変わらない。非常に華奢で、膝上のスカートから伸びる白いソックスに包まれた足は棒のようだ。

 キリリとした鋭い目が少年を見た。それだけで言葉が詰まるのを感じた。

「少年、村長の家はどこだ?」

 問われる前から少年には少女の行き先が大方想像できていた。

『坊や、村長のお家はどこかしら?』

 少年の脳裏に声が蘇る。

 先日来た少女もそうだった。彼女と同じように神楽機関の巫女が村長を訪ねてきた。

 尤も、容姿は巫女とは思えないほどけばけばしく都会的だった。東京から来たと言うのだから当然だと思えた。

 彼女よりももっと短いスカートから肉感的な太股が覗いていた。それだけで村の少年達は盛り上がったものだ。媚びるような声が耳に張り付いているかのようだ。

 だからこそ、この彼女の方が巫女らしいと少年は思うわけだ。髪も染めず、きちんと結い上げ、化粧もしておらず、凜としている。

 健康的とは言い難いのと些かどころかかなり前の巫女よりも感じが悪いのが気にかかるのだが。

「この裏ですけど……ご案内します」

 裏へ行けば村長の屋敷はすぐにわかるのだが、少年としては気になるという気持ちもあった。昼から少年の両親も村長の家へ行くと言って、まだ帰ってきていない。あわよくば動向を探ってやろうと思ったのだ。

「親切だな。なんの見返りがほしいんだ?」

「み、見返り?」

 思わぬ問いに少年は首を傾げた。なぜ、そんなことを言われるのかわからなかった。

「無償の親切があると私は信じない。何事にも裏があるものさ。我々とて親切でこんなことをしているわけではない」

 裏がないと言えば嘘になる。しかし、それは彼女に求めるものではない。少年は悲しい気持ちで彼女に声をかけたことを少しばかり後悔していた。

 少女はそんなことなどお構いなしである。

「飴玉の類は持っていないんだ」

「俺、そんなつもりじゃあ……」

 飴玉などいらない。駄賃などいらない。少年はそう言いたいのに、彼女の強すぎる瞳に制されてできなかった。

「案内すると言って、路地裏に連れ込まれて身ぐるみ剥がされそうになるというのはよくある話だ」

 なんと物騒だろうか。少年は愕然とした。こんな田舎では連れ込めるような場所も限られているというのに。やはり都会は物騒だと少年に思わせた。

 同じ国でありながら危険なところもあるものだと、ぼんやり考えるわけだ。

「私はその手の類は全て返り討ちにしているが……昔、間抜けな巫女が身ぐるみ剥がされたばかりか、強姦されて、殺されたという話があってな」

 益々物騒だ。少年には信じ難いことだった。

 けれど、それは巫女もか弱い一人の少女であるということなのかもしれない。

「だから、私はお前のような何もできなさそうな人畜無害の者でも疑ってかかることにしている」

 それも無理もないと少年は納得してしまった。そもそも、世界が違うのだ。

「巫女って大変なんですね」

「面倒臭いばかりだ」

 前の巫女も巫女らしくないところがあったが、やはり彼女もらしくないと少年は思うのだ。

「でも、俺も村長の家に用があると言うか……前の巫女さんも俺が案内して」

「ああ……あれは礼に体でも差し出したか?」

「な、なんてことを言うんですか!?」

 淡々と、ひどいことを言う少女を少年は信じられない気持ちで見た。前の巫女を『あれ』などと言うことも、品のないことを言うことも。

 しかし、それ以上の言葉は紡げなかった。

「案内してくれるんだろう? 面倒な仕事はさっさと済ませてしまいたいんだ」

 そうだった。少年が言い出したことだった。渋々、少年は先導して村長の屋敷へと向かう。



 村長の屋敷の前につき、少年は少女を一度窺い見た。無言のまま促されてチャイムを鳴らす。

 村長はすぐに出てきた。

「お待ちしておりました。どうぞ、お上がりください」

 少女を見てすぐに村長は言う。この姿を見れば皆わかる。ここには先日別の巫女が来たばかりでもある。

「待っていろと言ったつもりはないが……たかだか引き渡しにご大層な人数だ」

 少女は肩を竦める。

 玄関に並べられた靴の数からか、それとも人の気配を感じたからか。だが、ここには少年の両親も来ているのだ。きっと、村中の大人がここに集められている。

 ふと、村長が少年に気付き、訝しげに眉根を寄せる。

(まもる)君……?」

 狭い村であり、近所でもある。村長と少年――鎮は面識があった。それこそ赤ん坊の頃から知られているくらいだ。

「私が道案内を頼んだ」

「そうか。では、もうお帰り。家で大人しくしているのだ」

 鎮としては、どうして、皆が集まっているのか知りたい部分があった。そのために道案内を買って出たのだ。だが、今日の村長は何か張りつめているようで恐ろしい。

 そうあしらわれては鎮は何も聞けず、すごすごと帰るしかなくなるわけだ。

「おい、私の道案内を勝手に帰すな」

「ですが……」

 村長は困惑した様子だが、少女は無視して鎮を見る。

「飴玉一つで雇ったんだ。今帰られると契約不履行になる」

 鎮は驚いて少女を見た。話がまるで違う。飴玉などないと言っていたのに。

「どうせ、やることがないなら、立ち会え」

「え?」

「用ならすぐ終わる。お前、暇だろ?」

 些か失礼な言いようではあるが、その通りだった。少年は黙って頷く。そして、村長もそれ以上は何も言わず、靴を脱ぐ少女の後に続いて鎮も上がった。

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