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神楽  作者:
19/19

終章

 鎮の目が覚めたのは早朝のことだった。随分と眠っていた。

 まだ両親が起きるにも早い。もう少し寝てしまおうかと鎮が考えたところで、ふと慈乃のことが過ぎった。

 極力音を立てないようにそっと部屋を抜け出して、慈乃の部屋の方へ向かう。扉は開け放たれている。きちんと畳まれた布団がある以外はなにもない。荷物の類は少なかったが、消えている。

 まさかと玄関の方へ行けば、靴がない。

 こんなことは二度目だ。もう出て行ったのか、挨拶もないまま、鎮は軋む体に鞭打つようにして走る。体は池の方に向かっていた。

 池に近付けば、その姿があった。

 制服を纏った慈乃と樹雨が池に向かって跪いて手を合わせている。

 声をかけられず、鎮はその様子を見守る。


 やがて、立ち上がった慈乃が気付く。樹雨の方は困ったような顔で見てくる。

「まだ寝ていていい時間だ」

 慈乃の方も些かばつが悪そうでもある。

「勝手にいなくなるつもりだったんですか」

「私達の役目は終わった。後のことは皆わかってる」

 肯定ということなのだろう。あのまま鎮が目覚めなければ、彼女は消えていた。村のどこにもいないということになっていたのだろう。

「別れを言う時間もくれないつもりだったんですか」

 あんまりだと鎮は思う。

 彼女にとって自分は何だったのだろうか。道案内したことも、彼女にとってはどうでもいいことだったのだろう。

「樹雨、先に行ってろ」

 慈乃が言えば、樹雨は少し嫌そうな顔をしながらも肩を竦め、ひらひらと手を振って去って行った。

「役目が終われば去る。それだけだ」

「あなたも風ですか」

「野宮に比べればそよ風だ」

 彼女もなかなかに強烈であるのによく言うものだと鎮は思うわけだ。

「別れの言葉を交わすことに何の意味がある?」

 彼女にとっては仕事で寄り付いた村の一つ、村人の一人にしか過ぎないのかもしれない。今までいくつもの土地を周り、神の怒りを鎮め、この先もまだ続けるのだろう。

 自分のことなどすぐに忘れてしまうだろうとわかっているつもりだった。

「まだ飴玉をもらっていません」

 慈乃を留める言葉が欲しくて、鎮は言う。飴玉一つで雇ったと言ったのは慈乃だ。その場凌ぎの嘘だったに違いない。それを持ち出されるとは思っていなかっただろう。

 そんな言葉も彼女は忘れてしまっただろうか。

 ここで彼女が飴玉を出せば全ては終わる。けれど、彼女は持っていないと確信していた。

「まったく、欲深いやつだ。今度からは必須アイテムだな」

 やれやれと笑って、慈乃がポケットを探るが、手の中は空だ。

「なら、代わりに俺も連れていってください。ここから連れ出してください」

 どうして、そんなことを言っているのか鎮自身がよくわかっていなかった。今までこの村から出たいと思わなかったわけではないが、切実だったわけでもない。

「お前はこの村を守れ。もう二度と今回のようなことがないように語り継いでいくんだ」

 残酷なことを言うものだ。鎮には村を出るなと言われているように聞こえた。

「きっと、みんな、忘れません」

 野宮は皆に見せた。それを忘れられるはずがない。彼女の思惑とはそういうところにあったのだろう。慈乃もまた自分が戦う姿を見せることで祈りの力を得ようとした。

 夢と思おうとしても無理なのだ。そして、誰も忘れてはいけないのだ。

「誰かが覚えてる。誰かが伝える。だから、自分はいいや、か?」

 慈乃の声は低く、少し咎めるような声音に変わった。そういう小さな不信心がやがて今回のようなことを引き起こすとでも言いたげだ。

「慈乃さんの側にいたいんです」

 言ったところで、慈乃が喜ぶわけでもなかった。

「頭は大丈夫か?」

「なぜか、そう思うんです」

 鎮にもわからないことだった。それが恋心なのかもわからない。彼女と一緒にいたのはほんの数日のことだ。一つ屋根の下にいて、特別何かがあったわけでもない。

「それは都会への憧れにすぎないんじゃないのか?」

 ないとは言わない。だが、違うと鎮は思う。それこそ、いつかは行ってみたいと思うものの、強い願望ではない。ちょっと観光ぐらいしてみたいという程度のものだった。

 尤も、今の感情もただ単純にこのまま慈乃と別れたくないというだけなのかもしれないが。

「今まで人攫いもしてきたでしょう?」

 たとえ、今、自分が消えても神楽機関が色々と手回しをしてくれるだろうと鎮は思う。

「機関にとっては朝飯前ではある。だが、私の主義じゃない。たとえ、力のある者を見つけても見なかったことにする。お前はあの優しい両親を悲しませる気か? 種馬になりたいのか? 好き者だな」

 慈乃が嘲りを含んだ笑いを漏らすが、鎮にショックはなかった。このまま黙って慈乃を見送るくらいならば、どんなにひどいことを言われても平気だった。

「慈乃さんは本当は機関が嫌いなんじゃないですか?」

 巫女の仕事を幾度もこなしながらも嫌っているように感じられる部分もある。いざ神の前に立てば、きちんと仕事をこなす。そうして、彼女は一番の巫女になったのだろう。樹雨も一目置いている部分がある。

 結局のところ、彼女達の仕事は信心を持たせることに行き着くのかもしれない。多少、力を利用して信じざるを得ない状況を作り出すこともあるだろう。

 八百万の神と言われるが、神は多く実在し、土地を守っている。だが、人々がそれを忘れ、信心をなくしたがために彼女達は残酷な指名に縛られる。

 彼女はどうしようもなく囚われているのだ。

「好きだと言ったことがあるか?」

「それは肯定ですか?」

「いや、機関への反逆で処罰を受けるのはごめんだ」

 慈乃が首を横に振る。不都合があれば、肯定も否定もせずはぐらかすのだろう。彼女はずるい。

「自分でもわからないんです」

「だから、私と来ればわかるとでも?」

 鎮は頷く。答えは慈乃にあるような気がするのだ。あるいは答えなど出なくても、慈乃といられればそれでいいのかもしれない。彼女の支えになりたいなどとはおこがましいことなのかもしれないが。

 それは、神楽機関に入りたいということとは同義ではない。

「いつか、この村を抜け出して、迎えに行きます」

 今が駄目ならいつか、高校を卒業して外に出ることも可能なはずだ。

「生意気なことを。私が再びお前を連れ出しに来る方が早いかもしれないだろう?」

 その点では慈乃の方がずっと自由がきくと言えるのかもしれない。命令とはいってもどこへでも行く。今回に関しては彼女は機関を抜け出してもいる。だからと言って、戻る気はあるのだろう。処罰を受けるのか、不問になるのかは鎮にはわからないことだが。

「じゃあ、信じて待ってていいですか?」

 慈乃に信じろと言われれば今なら信じられる。彼女は正しいのだから。

「可能性の話だ。その方がずっと現実的だというだけだ」

 つまり鎮が言うことは現実的ではないと言っているのだろう。

「私は嘘吐きで気まぐれでとっても多忙だ。きっと、忘れるさ」

「たとえ、忘れても思い出させます」

 これから先、彼女にいくつの出会いがあるかはわからない。それこそ、本当に彼女に恋をする人間がいるかもしれない。

 けれど、忘れもしないくせに、とも思うのだ。

「では、楽しみに待っていよう。お前が心変わりすることなく、立派になって、私が生きてることを」

 慈乃が微笑む。そして、右手を差し出してくる。握手を交わして、鎮は小さな手だと思う。この手で刀を握り、神の前でも臆することなく振るって見せたのだ。

 あっさりと手を離して慈乃は荷物を持ち上げる。もうこれ以上引き留められるつもりはないということだろう。

「さよならだ、鎮」

「どうかお元気で」

「お前もな」

 慈乃の最後の言葉は白々しくも感じられたが、彼女らしさでもあるのかもしれなかった。

 そうして、去って行く背を鎮はいつまでも見ていた。小さな背が教えてくれたことは大きい。鮮烈な白と赤が森へと消えていく。

 思えば、彼女がこの村にきた時、初めて会った村人は自分だっただろう。そう考えれば、見送ることは当然だとも言えるものだ。

 そして、鎮は静かに池へと手を合わせた。

 いつか、また彼女と再会できるかと言えば、確信はない。いつか自分も忘れるのかもしれない。だが、先のことなど考えられないのだ。

 頭上で雲が早く流れてく。あの雲はどこへ行くのだろう。風はどこへと吹き、運ぼうと言うのだろう。

 もう空に押し潰されそうだとは思わない。怖くはなかった。

これにて神楽、完結となります。

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました!

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