十五
ゴロゴロ、ゴロゴロと雷鳴が響いている。朝から続いている音は目覚ましには物騒で、今も不安にさせる。
何よりも心をざわつかせるのは、その空模様だ。黒い雲に覆われた空ならば良かった。なぜ、こんなにも晴れ渡っているのか。曇天ならばまだ良かったのに。
この天候でも野宮は祭りの決行を指示した。屋内だから問題ないと村人達を説き伏せて。
そして、集会所で鎮は言葉を失っていた。
目の前に二人の美女がいる。艶やかな浴衣に身を包んでいるが、腰には帯刀している。一方は慈乃だ。髪をアップにして花の飾りを付けているが慈乃だとわかる。
もう一方の美女は見覚えはある気がした。動く度に鈴が鳴る。
「なんで僕がこんなことに……」
美女が嘆息した。慈乃はにやにやしている。
「ま、まさか、樹雨さんですか?」
野宮の仕業なのか、化粧もして樹雨は完璧な女性に見えていた。慈乃と並んで何の違和感もない。
「他に誰がいるんだ?」
樹雨が答えない代わりに慈乃が言う。肯定なのだろう。
鎮とてわかっているのだ。樹雨以外にありえないと。この動く度にリンリンとなる鈴の音は確かに樹雨だ。
けれど、妙な気分になるような美人があの樹雨だなどとは認めたくないのである。
「華やかさが足りないからな」
確かにあまり若い女性の姿もないし、着飾ることを躊躇っている風もある。しかしながら、樹雨の女装とは、鎮は言葉に困るわけだ。
「まあ、楽しめ。私達はやることがあるから、一緒にはいられないが」
慈乃はひらひらと手を振る。二人でこれからどこかに行くのだろうか。何かを語る気はなさそうだ。
「大丈夫なんですか?」
「まあ、野宮にもケジメというものがあるのだろう」
慈乃は肩を竦め、樹雨は答える気など微塵もなさそうだ。その野宮もどこかにいるのだろう。
祭りと言っても食べ物が振る舞われ、野宮の提案でカラオケ大会や隠し芸大会などが企画されたが、急であることと不安からか、あまり盛り上がっているとは言えなかった。
ふと気付けば慈乃と樹雨がいない。先ほどまでは見えるところにいたのにどこにもいない。何をしようと言うのか、気になって鎮はふらりと村人達の集団から離れた。
雷鳴は続いているが、雨はまだ降らない。鎮は二人が絶対に外にいるという確信を持っていた。
池か祠だろうと、まず祠に向かう途中、二人ではない人影を見た。抜け出してきた後ろめたさもあって、鎮はそっと木陰に隠れる。
中年の男が煙草を手に祠の前に立つ。まるでヤクザ、同じ村人とは思いたくないような柄の悪い男だ。
「あんな怪しいばあさんの言いなりになりやがって……」
聞こえてきたのは悪態だ。怪しいばあさんとは間違いなく野宮だろう。鎮も反論できない。彼女の怪しさは自他共に認めていると言っていいのかもしれない。
「こんなもんがなんだってんだ」
男が吐き捨てながら煙草を祠に押し付ける。なんて罰当たりだろうか。そして、鎮は思い出すのだ。
この素行の悪い男が誰だったかを。村長の息子であり、リゾート開発を強行しようとしている男だ。強欲息子、放蕩息子と何度か耳にしたことがある。
「ふざけやがって……!」
男は祠を蹴り飛ばす。二度、三度、鎮はぞっと寒気を覚えた。固まっていた体が動き出し、一気に血が上っていく。隠れていたことなど忘れて飛び出す。
「ダメですっ!」
祠の前に滑り込むようにして立ちはだかる。
「あぁ? 何だ、てめぇ」
凄まれて、それでも鎮は両手を広げて立つ。
「どけ!」
蹴り飛ばされて、転がっても鎮は懸命に体を起こした。わけもわからないまま守ろうとして、祠に覆い被さるようにした。
「どけって言ってんだ!」
鋭い怒号と共に引き剥がされて、殴られる。二度、三度、頭が揺れて動けなくなるとぽいと捨てるように投げられる。
「神様なんてもんはいねぇんだ。全部、あのイカサマ機関が仕組んだことに決まってんだ!!」
吐き捨てる男の声と共に、鎮の目の前に何かが落ちてきた。それは祠であったはずのものである。信じられない気持ちで顔を上げれば、祠は無惨に破壊されていた。
「フン!」
最後にもう一度、男は祠だったものを蹴飛ばして去っていった。
鎮はひどい喪失感を味わっていた。それは絶望だ。他の何物でもない。希望が潰えて、目の前が真っ暗になるのを感じている。
「ごめんなさい……」
祠の残骸に触れて、鎮は思わず謝罪を口にしていた。誰に対してかは自分でもわからないものだ。
決して立派とは言えない小さな祠だったが、確かに必要なものだったのだと感じている。
ゴロゴロと空を裂く音が一際大きくなった気がした。
鎮の胸に今までに感じたことがないほどの怒りと悲しみが宿る。とても大事な物を壊されてしまった気持ちで、痛みを無視して体に鞭を打つ。
行かなければならなかった。大蛇池へ、きっと慈乃と樹雨はそこにいる。
池に近付けば、二人の姿が見えてくる。二人は少し離れたところから池を見つめているようで背中を向けている。
「慈乃さん! 樹雨さん!」
力一杯、鎮は呼びかける。二人が同時に振り返る。やはりどちらも美女だ。しかし、そんなことを考えている場合ではない。
二人を見つけて安心したことで、鎮の膝が崩れ落ちる。呼吸は乱れ、声を発そうとすれば殴られて切れた唇が痛む。
どちらも何も問わない。わかっていると言うかのように再び池に向き直る。
鎮も心配されたいわけではない。
「まったく、やってくれる」
誰に対しての言葉が、慈乃がぽつりと漏らす。その手は腰の刀にかかっている。
一体、誰に対する言葉だったか。鎮に問う余裕もなく、樹雨も険しい表情をしていて、ただ事ではない空気がある。
「予定よりかなり早まった。その上、荒療治ときた。寿命が縮みそうだ」
鎮には慈乃らしかぬ言葉に思えた。彼女も何かを感じているのか。
「ビビるなよ、樹雨」
慈乃が樹雨に声をかける。誰が、と樹雨は吐き捨てて扇子を手にするが、鎮の前にいる彼の体は強ばっているように見える。鎮の中で二人はプロだ。神楽機関の巫覡だ。
けれど、彼らにも恐怖はあるのだろうか。
「君といるとスリリングすぎると思い知ったよ」
樹雨は硬いまま肩を竦める。
「これは野宮のせいだ」
「まったく……本当に女性ってこわいね」
女という生き物は男とは違う。樹雨はそれを今思い知らされているようだ。彼の今の見た目は女にしか見えないのだが。
「これを機に去勢しろ」
「ひどいね、君はほんとに」
そんなことを言っている場合ではないのではないかと鎮は思うわけだが、彼らに言っても無駄なのかもしれない。
「私はこういう場面に慣れすぎてるのかもしれないな。恐怖も高揚もない」
刀に手がかかりっぱなしだが、慈乃は表情を崩さない。
「そうだよ。僕はあんまり大物が回ってきたことないから、苦労も知らないんだよ。この刀も本当に飾り物同然なのにさ」
樹雨も腰の刀に触れる。どういうわけか扇子を持ったことを鎮は不思議に思っていたが、彼は普段そちらを扱わないようだ。
あの紅白の制服と刀は特別な存在であることの証、畏怖の象徴だ。身につけていることに意味があるとも言えるのかもしれない。
巫女も万能ではないのだろう。それぞれに役割があるとも言えるのかもしれない。
「だが、お前のサポートがないと困るんだ」
「僕の想いに応えてくれるわけでもないくせに、まったくひどい女だよ、君は……!」
樹雨はぶつくさと言いながらも、やる気はあるようだった。慈乃に必要とされることに喜びを感じているようでもある。
「我々は主役じゃない。主役あってこその脇役だ。いや、そこは野宮次第か……シナリオは最悪だがな」
慈乃にとっても歓迎すべき事態ではないのだろう。そのことが鎮の心を重くする。
「そんな顔されると僕達の死のリスクが高まるからやめてよね」
「いたっ!」
扇子で頭を叩かれて鎮はうずくまった。そんな顔とは不安な顔か。振り返りもしなかったくせに、この男は背中に目でもあるのだろうか。




