十四
「おい、冗談だろ」
「ええ、冗談ですよ」
あっさりと野宮は認めた。
「いくら樹雨ちゃんが反抗期で遊んでくれないからって、そのためだけにこんなことしませんよ」
慈乃の顔には野々宮ならばやりかねないと書いてあるかのようだ。鎮も思う。彼女ならば何をしても全く不思議ではない、と。
「いや、待て。樹雨が反抗期じゃなかったことがあったか? お前に対して」
それこそ三人の関係は慈乃と樹雨が生まれた頃からのものだろう。
「そうねぇ、あれは五歳の時だったかしら。折角、樹雨ちゃんのために服を縫ってあげたのに、逃げられてしまったわ」
「お前が真っ白なフリフリのワンピースなんか作るからだろ」
「だって、樹雨ちゃん女の子みたいに可愛かったから絶対に似合うと思ったんだもの」
気の毒に、と鎮は心の中で樹雨に同情していた。
「慈乃ちゃんは着てくれたのに。並べて写真撮りたかったのに」
フリフリのワンピースを着る慈乃が見てみたいと鎮が思えば、彼女に睨まれた。考えがばれたのだろうか。
「あの女にとられて破かれたがな」
当時既に姉妹の仲は険悪だったらしい。
「思えば、わたくしが抱っこさせてもらおうとすると、樹雨ちゃんが泣き出して大変だったわ」
その光景が目に浮かぶようでもある。
「樹雨が気持ち悪くなった原因はお前か」
「何がいけなかったのかしら?」
野宮は首を傾げる。慈乃はうんざりした様子で溜息を吐いた。それは最早本能的に身の危険を感じているのかもしれないと鎮は思う。樹雨にとって野宮はトラウマでしかない。
「馬鹿話はここまでにして、用があるなら、さっさと済ませろ」
村人は既にほとんど集まっていると言っていいだろう。彼らは何事かと様子を窺っている。
「この状況に乗じて悪徳商法でもやるつもりか?」
「なんて人聞きの悪い。欲を出せば神様がお怒りになりますよ」
野宮は十六年前に来た時も決して金品を要求することはなかったという。しかしながら、慈乃は訝しんでいる。
「お前の趣味の絵やら陶芸やら買わされた人間を大勢知っているが」
「あれは欲しいとお願いされたからお譲りしただけですよ」
野宮は笑っているが、慈乃は信じていない様子だった。
野宮は人生を楽しみすぎている。機関の陰りなどまるで感じさせずに。慈乃もこうなればいいと思うが、微妙だ。ここまでなると極端な気もするのだ。
「見届けるんじゃなかったのか?」
慈乃の声は怒気をはらんでいる。余計なことをするなと言わんばかりだ。
「悪いようにはしませんよ。ただ、わたくしも責任を感じておりまして」
「風は気まぐれだ。荒れ地に吹いても言い逃れはできよう」
にっこりと笑う野宮と睨む慈乃、現役の巫女と引退した巫女で因縁があるのではないかと鎮は思うわけだ。
「勝手にしろ。不都合があればぶち壊すだけだ」
吐き捨てて慈乃は後方へと向かっていく。その後ろに樹雨がついていき、鎮も続く。しかし、すぐに慈乃に押し戻され、母親のところへ行くわけだ。
村人達の前で野宮はパンパンと手を叩く。
「さて、皆さん。もうおわかりでしょうね」
っその声は低く落ち着いて、先ほど樹雨を追いかけ回してふざけていたとは思えないものだ。
「わたくしは十六年前、この村に来て、忠告しましたよ」
そこには野宮の静かなる怒りが込められていただろうか。
「行いを改めなければ破滅する、と」
そこで野宮が言葉を切る。
「ですが、無視されたと言っていいでしょう」
彼女にとっては裏切られたも同じことだろう。彼女は裏切り者達の前に立っている。自分の言葉を信じなかった者達の前に。
「どうか、どうかお救いください。あなたは本物だったと信じます」
村長が言う。夫人も共に頭を下げる。他の村人達もそうだった。助けてください、と口々に言う。
「わたくしは救えません」
きっぱりと野宮は言い切る。村人達は今度は慈乃達を振り返る。
「彼女達もそう。不信心だからこそ神は怒るのです。信仰できぬのなら、この地を捨ててしまいなさい」
非情に野宮は言葉を続ける。
「そんな……」
「リゾート開発が悪いと言っているのではないですよ。そのために神を蔑ろにするなと言っているのです。たとえば、祠を無闇に壊せば本当に祟りがありますよ。これまで何度も警告はあったはず」
村人達は黙り込む。病や蛇の大量発生、鎮にも心当たりがある。リゾート開発のために祠を取り壊すというのは有名な話だ。あんなものに意味はないととりわけ主張した者がいた。
「わたくしも村の発展を願うことが悪だと言っているのではありません。信仰を捨てたことを責めているのです。前の村長さんはとても信心深い人だったのに」
今はここにいない人のことを言っても仕方がないと野宮もわかっているはずだ。今の村長はまるで違う。あの一族は金の亡者だと言われているのを鎮も耳に挟んだことがある。
「今度こそ信じます」
村長は言う。声は震えているが、演技だと鎮も気付いていた。
「口先だけでしょう。あなたは」
老獪も野宮を欺くことは不可能だろう。慈乃や樹雨だけならどうにもできたかもしれないが、野宮はこういった場面にも慣れているのかもしれなかった。妙な迫力があると鎮はぼんやりと思うのだ。
「彩乃さんにもそうやって上辺は取り繕っていたのでしょう? あの子はあなたを信じたのに、あなたがあの子を殺したようなものですよ」
慈乃もそうだった。皆が彩乃を殺したと言った。そうではないと鎮は思っていたのに、今は否定できずにいる。
「彼女を殺したのは神でしょう。そもそも、あんなものが神とは……」
「神様を化け物にしてしまうのはあなた方です」
神が怒ったからこそ、こうなった。その原因は村人全員にある。
「あなたが醜い欲を捨て、心を入れ替え、村人達に呼びかけていればこんなことにはならなかったかもしれない」
巫女が来て、それで終わりだなどと思ってはいけなかったのだ。
「わたくしにとって巫女達は我が子同然。娘を奪われた母が黙っていると思いますか?」
野宮は慈乃や樹雨を昔からかわいがってきた様子だった。他の巫女達も同じことなのだろう。
「この安寧を得るためにご先祖様達が犠牲になったと考えなかったのですか? きちんと歴史をお調べになりましたか?」
野宮は皆に語りかけるようにする。
「かつて荒ぶる神を鎮めるために犠牲となったものがいるのですよ。人身御供という形で」
その昔、大蛇は暴れたと言う。
悪さをすると大蛇に食べられてしまうよ、と言われた記憶は鎮にもある。昔、そうして食べられた人がいると聞いた時には怖がらせるためだと思っていた。伝説は伝説だと思っていた。
「祀ること、忘れないという約束で贄を必要としなくなったのに」
小さな祠でも大事なものだったのだと今ならわかる。野宮の言うことが理解できる。
「だから、彩乃お嬢さんは自分の身を捧げなければなくなったのですよ」
彩乃は特に外傷もなく倒れていたと言う。刀を抱くようにして。火葬され、骨は慈乃が大蛇池に撒いた。あれには意味があったのだろう。あの時は慈乃の真意も不明だった。
「あとは祈りさえあれば、神は落ち着いてくださるでしょう。なのに、あなた方は自分のことばかり。慈乃さんを引き留めて二の舞になさるおつもりでしたか?」
誰も何も言わないが、違うと言いたげにしている。しかし、野宮の表情は険しい。
「恥を知りなさい!」
鋭い一喝だった。集会所内に響き渡り、シンと静まり返る。
そこでまた野宮がパンと手を叩く。打って変わった笑顔で皆はポカンとする。
「というわけで、お祭りをしましょう」
急に明るく野宮が言い放つもので、誰も対応できなかった。
「神様のために祈って歌って踊ってお酒を飲みましょう。そうねぇ、明後日がいいわ。明日準備しましょう。ああ、これは決定ですよ」
うふっ、と野宮は笑う。まさか自分が飲み食いしたいからではないだろう。ちらりと鎮は後ろを振り返ってみた。慈乃は肩を竦めただけだった。
祭りとは言っても、御輿などがあるわけでもない。準備とは言っても主に女性達が料理をするくらいだ。
司は買い出しに、麻子も仕込みだなんだと忙しくして鎮も何となく会場の掃除などに駆り出されていた。
これで何が変わるのだろうかと思わないわけではない。野宮の思惑もわからないし、慈乃と樹雨は彼女に連れられて町の方に行ってしまった。
村長は表向きは野宮に従うようにしているが、何を考えているかわからない。それに、役者が足りないのだ。
聞きたいことを慈乃に聞けるわけでもなく、鎮はもやもやしたまま過ごしていた。




