十三
「君、どれだけ僕のことが嫌いなんだ」
「同じ空気を吸っていると思うだけで虫酸が走るくらいには」
ひどい言いようだった。最早、全身全霊で拒絶しているということではないか。
「君か、校内の空気清浄機の数が足りないと投書したのは」
「暇潰しだ」
忙しいと言っていたかと思えば、今度は潰す暇があるらしい。一体、何をしているのだと鎮は思う。機関の管理下にある神楽学園では案外普通の学園生活が送られているのか。
「姉に抑圧されて鬱屈した私の楽しみはと言えば気持ち悪い奴に日頃の仕返しをするぐらいしかないものでな。そういう意味ではお前は実におもしろいよ、樹雨」
日頃、樹雨に迫られて慈乃は辟易しているのか。
「で、フンドシに限らず今は勝負パンツを持ってきたのか? はいているのか?」
実に気の抜ける質問だった。慈乃はジンクスでも信じるのか。いや、デマを流したのは彼女本人なのだから、嫌がらせ以外の何者でもないだろう。
「何でそう君はパンツにこだわるんだ。いや、君に限ったことでもなさそうだ。どうして、女性はそうパンツが好きなんだ」
樹雨は他の女性からもセクハラを受けているのだろうか。気になっても聞けるものではない。鎮にとって樹雨が怖いのは変わらないのだ。
「パンツが好きなのはババアだ」
「いやいや、君や君の姉上に限らず、女性は随分と鬱屈してるよね。だからって、数少ない非常に貴重な覡であるこの僕にセクハラすることで発散する必要ってないんじゃないかな? フンドシが嫌ならってTバックプレゼントしてくれた子もいるし、ほんといらない配慮だよね」
聞いてもいないのに、樹雨は答えた。ひどく饒舌だ。
「あー女性用の下着をくれた子もいたっけ。いや、ほんとさ、ふざけてるよね。あー、男性用のガードルももらったよね。ほんとどうしろって言うんだ。僕に何を求めてるって言うんだ」
こうなるとうるさいくらいである。樹雨は泣きそうな顔をしている。
「で、どうなんだ?」
慈乃は容赦がなかった。ついに樹雨はすすり泣きを始めてしまった。
「おいおい、泣き虫樹雨。泣いて許してもらえると思うなよ? 調子に乗りやがって、ただで済むと思うな」
鎮もぞっとする慈乃の笑みだった。
「さて、話は終わりだ。さっさと出てけ」
「ひどい、君は本当にひどい」
ぐすぐすっ、と樹雨が泣いているのに慈乃はお構いなしだ。
「村長のところに行くなり下見なり好きにしろ」
しっしっ、と慈乃は手を振る。樹雨は縋るような目を彼女に向ける。
「一緒に行ってくれないの?」
「大蛇池に沈めてやろうか」
「心中する?」
「大蛇への贄にしてやる」
いよいよ本気でやりそうだと思ったのか、樹雨はそそくさと退散していった。案内はいらないのか。鎮は気になったが、慈乃に制された。
「いいんですか?」
「あれは、一人なら迷わない男だ」
「はぁ……」
よくわからない答えに鎮は困惑する。だが、慈乃はそうなのだ。意味深な言葉ではぐらかす。いつもそうやっているのだろうか。
「樹雨のところはかなり特殊だ。巫覡の中でもお幸せな奴だ。だから、あんなんになったとも言える」
残念というか気持ち悪いというかよくわからないと鎮は思うのだ。
「道成寺の母は一人の男と愛し合って決して他の男とは交わらない。父親の方も同じだ。種をまき散らさない。子育ても任せっきりにはしない。機関の中にあって、ごく普通の家庭のように」
普通であることが機関では普通ではない。作るだけ作って専門の者に育てさせることを当たり前としている。樹雨こそまともな人間に育ちそうなものではあるが、慈乃らに常日頃いじられているようだ。
「樹雨も長男だから下の子供達の面倒を今でも見ている。あいつには血の繋がる弟妹が多いんだ。十人兄弟だ」
「お、多いですね……」
樹雨が一番上で他に九人いるとなれば下はかなり小さいのだろうかと鎮は考えてみる。彼がそのまま小さくなったのを九人も思い浮かべてしまい、鎮は急いで頭を横に振った。幸い、十人の樹雨は出て行ってくれた。
「道成寺軍団と言う。異様な大家族だ。時々、特集が組まれる」
結局、神楽機関とは何なのか。想像上の神聖な世界とは異なり、殺伐とした印象を受けたかと思えば、それほど普通と変わりないような気もするのだ。
「本当に男性もいたんですね」
「数は少ないがな。樹雨もたくさんの妹に囲まれている。羨ましいか?」
今度は九人の女版樹雨を思い浮かべて鎮は気持ちの悪さを感じた。どうして良からぬものばかり想像してしまうのか。
「いや、きっとひどいんだろうな、と」
「気持ち悪いのは樹雨だけだ」
鎮はほっとするも、気持ち悪くない樹雨を思い浮かべることができなかった。
「一説では代々実践されてきた産み分け方法があるという説もある」
「産み分け……」
「やはり、女の方が都合が良いらしいな。まあ、巫女の方が馴染みあるだろうしな」
確かに、と鎮も思う。だが、世の中の男子の巫女さんに対する幻想をぶち壊しているのは間違いない。
この後はどうするのだろうかと鎮が思っていたところに麻子が少し慌てた様子で
「鎮、慈乃ちゃん。野宮さんが集会所にみんなを集めているのよ」
「野宮が?」
「だから、あなた達も行くわよ」
行くしかないのだろうと鎮は慈乃を窺う。
「あのババア、見届けるだけじゃなかったのか……」
悪態を吐く慈乃も野宮の意図はわからないようだ。
「で、集会所はどこなんだ?」
行く気はあるらしい。行かなければどうなるかというのもある。またあの野宮の満面の笑みを見るのは恐ろしいものだ。
集会所には既に多くの村人が集まっていた。それだけ野宮に人望があるということだろうか。
講演会か握手会でも始まりそうな雰囲気であるが、その野宮は笑顔で樹雨を追いかけ回していた。
樹雨が慈乃を見つけるなり、さっと後ろに隠れる。
「寄るな触るな隠れるな」
慈乃は嫌がって逃げる。今度樹雨が盾にするのは鎮だった。彼が逃げる度にリンリンと腰に付けた鈴が鳴る。
「や、やめてくださいよ!」
何とか樹雨から逃れようとする鎮の前に両手を広げた野宮が立ちはだかる。
「さあ、樹雨ちゃん。どんなパンツをはいてるのか、この野宮に見せてみなさい」
鎮は脱力した。何のために追いかけていたかと思えば、パンツである。慈乃に泣かされた樹雨は今度は野宮に泣かされそうになっている。
「どうして、みんな、パンツだフンドシだって……」
背後で泣かれては鬱陶しいことこの上ない。
「俺のTシャツで涙とか鼻水とか拭かないでくださいっ!」
鎮としては何をしにきたかわからなくなっていた。
「久しぶりに樹雨ちゃんに会ったから遊んであげようと思ったのに、もうっ!」
野宮は不満げに頬を膨らませる。まるで少女のようだが、老婆である。
「お前は一体、何のために人を集めてるんだ!」
「そうでもしないと樹雨ちゃん、わたくしから逃げるじゃないですか」
ぎゅっと樹雨が鎮の肩を掴むが、かなり力が入っている。痛いくらいだった。目の前にはニコニコしている野宮、助けを求めるように慈乃を見ても助けてくれそうもない。
「うふっ、まんまとおびき出されましたね」
本当に自分から逃げる樹雨を捕まえるためだけに村人を集めたのか。そうだとすれば、とんでもなく自分勝手で迷惑な老婆である。




