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神楽  作者:
13/19

十二

「慈乃、よく考えろ」

「私が何も考えていないと言うのか?」

「冷静になるんだ」

「私は冷静だ」

 鎮から見れば慈乃は確かに冷静だ。しかしながら、樹雨にはもっと彼女の感情がわかるのではないかと思うのだ。何だかんだ言いながら二人の付き合いは長そうだ。

「冷静なものか。夢見がちな少女そのものじゃないか。目を覚ませ、君の思い描くような生涯現役の巫女なんてありえない」

 慈乃は暴言こそ吐くが、巫女としての務めに対しては真摯であるのだろう。機関の話を聞いて、彼女もそう遠くない内に引退するのだろうと考えていたが、そんな構想を抱いているとは気付きもしなかった。

 結局、何を知っていると言えるのだろうか。

「ありえないってことはないだろう。野宮はある意味現役だ」

 妙に元気で若々しい老婆だが、野宮は霊能者としてかなり力があるのだろう。

「優秀な巫女は次代を作る義務がある。あの人はそれを果たしているから、今自由なんだ」

「私のような欠陥品が何人もいてたまるか。お前みたいに気持ち悪いやつも勘弁してほしいものだ」

 野宮のような人間が何人もいると考えるとそれもそれで怖い。だが、馬鹿なことを言える空気ではない。場を和ませようとしたら最後かもしれない。

 しかし、この問答は永遠に続くのではないかと感じさせるところがある。どちらも一歩も引かない。

 誰か助けて、と鎮が切実に願った時、ひょっこりと麻子が顔を覗かせた。

「お話中にごめんなさいね」

 麻子は言うが、空気を読んだかは怪しいものだと鎮は思う。

「道成寺さんはお宿はどちらに?」

「彼女を連れ帰るだけのつもりでしたので決めていませんが、どうやら帰れそうにありませんね」

 樹雨が肩を竦める。慈乃は帰る気などないらしい。少なくとも樹雨に従うつもりはなさそうだ。

「泊まって行かれますか?」

 どうしてこうも他人を泊めたがるのか。お人好しにもほどがある。だが、この樹雨を泊めるということだけは鎮としては反対したかった。しかし、発言権がないのだ。

「ええ、もちろん。部屋は慈乃と一緒でいいです。布団は並べて敷いてくれて構いませんが、一緒でも僕は全く構わないです」

 樹雨がニッコリして、鎮は頭を抱えたくなった。彼の笑顔はどうにもぞっとする。作り物であることが明らかであるからこそ怖いのだ。

「何を馬鹿なことを言っているんだ」

 慈乃はうんざりした様子だ。勝手に話を進められて一番困るのは彼を嫌悪している彼女に違いない。

「なに、手は出さないよ。僕は鋼の理性を持った信心深い男でね」

 何が鋼の理性だ、鎮は心の中で吐き捨てる。彼はどうにも蛇に似ている気がした。

「お前は村長の家に泊まるんだ。手配してある」

 先手を打ったとはこのことか。どこまで慈乃は先読みしたというのか。

「非常に優秀な覡が来ると言ったら喜んで承諾してくれた。狸と女狐だが、ガッカリさせないように」

 ニヤリと慈乃が笑えば、樹雨は顔をひきつらせた。

「それとも、町の宿に泊まるか? もれなく野宮に会えるぞ」

「うわっ、あのクソババアが来てるって? 冗談じゃない。何をされるかわかったものじゃない!」

 能面が崩れた。樹雨はブンブンと頭を振る。彼らしからぬ悪い言葉まで出てきた。

 樹雨の弱点はあの野宮なのか。昔、何かあったのか気になるところであるが、興味本位で聞けることではなさそうだ。彼は鎮の質問など許さないだろう。

「まったく、かなわないな」

 樹雨は肩を竦めて見せるがわざとらしいものだ。芝居がかって見えるのだ。

「嫌ならとっとと帰って上に報告しろ。人を寄越せと言え」

 慈乃に帰る気がないと知って鎮はほっとする。

「残るよ。君に協力しよう」

 鎮としては彼には帰ってもらう方がありがたいのだが、そういうわけにもいかないようだった。

「えらく簡単に折れるものだな。お前の協力は全く求めていないのだが」

 慈乃は意外そうだった。意地でも連れて帰ろうとすると思っていたのか。

「それが君を連れ帰る近道みたいだからね」

 確かにこのまま説得を続けても慈乃は折れそうもない。樹雨に勝ち目はないのだと鎮も思うのである。樹雨は慈乃には勝てない。それは絶対的なことに感じられた。

「君が頑固なことはよくわかっている。さっさと済ませて帰れば機関も文句はないだろう」

 樹雨が導き出したのはあくまで損得を計算した結果なのだろう。

「ということで、こいつの飯などはいらないから気にするな」

 麻子は人にご馳走するのが好きらしい。だが、今回ばかりは勘弁してほしいと鎮は思っていた。慈乃がはっきりと言えば、麻子も諦めたようである。

 樹雨が一緒では何も美味しく感じられそうにないのだ。

 それだけを聞きにきたらしい麻子は戻っていた。いっそ、鎮も手伝いをすると口実を作って離れるべきだったのかもしれないが、二人の話が気になるのも事実だった。

 好奇心は身を滅ぼすのかもしれない。それでも、たとえば、後に誰かが後世にこれを語り継がなければならないのならば、自分がその語り部にならなければと思うのだ。巫女に一番近いところにいることを許された自分が、と言えば大げさなのかもしれないが。

「ところで、お前、軽々しく協力すると言うが……勝負フンドシはちゃんと持ってきたのか?」

 麻子がいなくなったところで、慈乃が言う。

「ふ、ふんどし……?」

 思わず鎮は口にしていた。なぜ、急にそんな話になるのだろうか。

 樹雨はひどく不快げに顔を歪めたが、慈乃は楽しそうだ。

「機関はなかなか愉快な面もある」

 樹雨はその話をされたくないようだったが、慈乃を止めることはできないとわかっているようだった。少し俯き加減で、耳が真っ赤に染まっているのが見えた。

 そして、鎮は彼も人間なのだと実感するのである。人並みに羞恥心というものは持ち合わせているらしい。平然と小作りがどうのという話をしていたとしても。尤も、彼らにとってそれは恥じることではなく、義務なのだろうが。

「この道成寺樹雨、制服の白ズボンが嫌だと上に抗議したことがある」

「冬はまだしも夏は生地が薄くて下着が透けるじゃないか。そんなのありえない。僕は当然の主張をしただけだ」

 樹雨は真っ白なシャツにパンツを合わせている。シャツの胸元にエンブレムがあることから制服であるらしい。女子が白と赤なのに対して男子は白一色のようだ。

「そうしたら、お偉いさんからフンドシをプレゼントされたそうだ。しかも、紅白で」

 鎮は吹き出しそうになって堪えるのに必死だった。樹雨の恨みがましい視線が突き刺さるが、ふんどしを思えばまるで怖くなくなるのだ。

「それ以来、もれなく紅白フンドシを貰えると噂になっている」

「あんなもの貰って、どうしろって言うんだろうね」

「付けろってことに決まってるだろ」

 当然のように慈乃は言う。確かに、と鎮も頷く。鎮はフンドシを締めたことはないし、貰ったとしても使いたくないと思うわけだが。

「嫌だよ、付けようものなら、すぐに僕は笑い者にされる」

「わかってるじゃないか」

「ただでさえ、君のせいで僕がフンドシ愛好家で儀式の際には赤フンを身につけてるって噂がまことしやかに囁かれて……」

 それで、慈乃は先ほど勝負フンドシなどと聞いたようだ。

 だが、真っ赤なフンドシなど付けていれば確実に透けるだろう。それこそ、抗議した意味がなくなるはずだ。

「この前なんか、本当に普段からフンドシを締めてるのかって、尻を触られて」

「実に愉快だ。いい気味だ。次はどんな噂を流してやろうかな」

 慈乃は楽しそうだ。なかなかに悪い顔をしているが、生き生きとしているようにも見える。巫女として生かされる彼女にとって、それだけが楽しみなのかと思えば悲しくも感じるが。

「何なら、フンドシ好きは間違いで本当はブリーフ派だと言っておいてやろうか?」

「君のそのデマの拡散力は何なんだろうね。しかも、妙な信憑性があるらしい」

「それだけ、お前が皆から嫌われてるってことだろ。私が信じられてるってことじゃない」

 ああ、と鎮は納得してしまった。鎮も喜んでその噂を他人に話すかもしれない。

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