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神楽  作者:
12/19

十一

 朝、慈乃がいなくなっていた。部屋にもどこにもいない。

 出て行ったのではないかと鎮は慌てた。早くに起きて出かけていったと母は暢気なものだったが、鎮としては落ち着かないものだった。怪我が治ってしまえば、万全の状態で彼女は出ていけるだろう。

 道案内もなく、どこへ行くと言うのだろう。

 鎮は家を飛び出して、慈乃が立ち寄りそうな大蛇池と祠の周囲を探したが、見つからない。

 そもそも、昨日野宮と山菜採りに出かけて何を話したかもわからない。結局、朝食も食べないままで腹が減った鎮が家に戻ると慈乃はくつろいでいた。

「な、なんで……」

 何事もなかったような慈乃に鎮は脱力した。

「面倒な奴が来るから先手を打ってきただけだ」

「先手……?」

「すぐにわかる」

 そこで鎮の腹がぐぅと情けなく鳴ったのだった。


 慈乃がすぐにわかると言った通り、その客は昼すぎにやってきた。

 鎮が慈乃と縁側でぼんやりしていた時に、麻子が連れてきた。リリンと涼やかに鈴が鳴った。

 その人はひどく輝いて見えた。純白のシャツとパンツ、白い刀を腰に下げている。それだけでなくやけに肌が白い。日に焼けることを知らないのではないかというほど、病的なくらいに。

 背は長身というほどではないが、鎮よりは高く見える。すらりと細く、スタイルがいい。肩につくほどであろう髪を後ろで一つに結っている。

 男かと疑問を抱くような顔立ちをしている。化粧をすれば女にも見えそうなくらいだ。

 慈乃はと言えば、彼を見るなり嫌そうな顔をしている。

「迎えに来たよ、慈乃」

 笑むわけでもなく彼は言う。それこそ能面のようだと村人が慈乃に対して言ったのもわかるくらいだ。彼こそ、そういう顔に見える。

「……お前にだけは来てほしくなかったよ」

 忌々しげに慈乃は吐き出した。

道成寺樹雨(どうじょうじきさめ)、神楽機関の覡だ」

「げき……?」

「男の巫女だ」

 そう言えば、そんなことも聞いたと鎮は思い出す。

 どんな人間かと思っていたが、女装すれば巫女としても通じるような人物である。女子の制服を着ていたらわからないだろう。歳はやはり慈乃とさほど変わらないだろう。

「回収に行くと脱走同然に飛び出して行った君が帰還していない上に姉上が失敗した任務を引き継いだとこちらの村から連絡があったからね」

「色々面倒があってな」

「おおよその事情は察しているよ。どうやら君は機関に見捨てられたこの巫女殺しの村に縛られてしまったらしい。まったく可愛そうに」

 巫女殺しの村、確かにそうなのかもしれないが、殺意があったわけではないと鎮は思うのだ。

 無知だったからこそ罪なのか、不信心は悪なのか。

「前の任務での怪我もあったというから、心配した。でも、思ったよりも元気そうだ」

 口ぶりでは樹雨は慈乃を心配しているようだが、表情は変わらない。姿勢正しく正座をして人形のようですらある。慈乃の方が人間臭く感じるくらいだ。

「私はそれほど柔じゃない。大体、傷はもう治った」

 野宮の『ちちんぷいぷい!』が効いたとは冗談のようにしか聞こえないのだが、治ったのならば良いのだ。さすがにそれは言いたくないのだろうか。

「確かに君は最強の女の子だけど、人間なんだ。高が知れている」

「わかってるさ、そんなこと。私もいつかあの女のように死ぬ。為す術もなく、無力に、虫けらのように」

 やはり神の前では人は無力なのか。慈乃達の存在は鎮に無常さを感じさせる。

「帰ろう、慈乃。機関の決定は覆らない。大蛇村は地図から消える」

 樹雨は鎮のことなど視界に入っていないかのように言う。慈乃も滅びろなどと言っていたが、具体的なことを鎮は考えていなかった。だから、初めて現実を突きつけられた気がした。このままだと本当にそうなってしまうのだろう。

 大蛇村の存在がなかったことになってしまう。鎮達が生きていたことも。

 樹雨は慈乃が言うような儀式を行う者ではないのだろう。慈乃を回収しにきたともとれる。

「君でも一人で何ができる? それに、龍神との戦いを控えていたはずだ」

 慈乃が忙しいと言っていたのは嘘ではないのだろう。自分を待っているというのも。

 大蛇の次は龍神かと鎮は現実離れしているように感じるが、おとぎ話ではないのだ。大蛇が存在するならば、龍神がいないとは言えない。

 今や日本は暴れる神だらけ、神楽機関の巫女はそれらを相手にする専門の人間だ。

「熊野慈乃と大蛇村の誓約は継続している」

 だから、慈乃はこの村に留まっているはずだった。

「姉上が騙ったんだろ? けれど、約束など死にゆく者達には関係のないことだ。熊野慈乃であっても君ではない。同姓同名の別人、無効だよ。だって、捺したのは君の血じゃないんだから」

 村長達は逆手に取ったつもりだったのだろうが、樹雨は非情だった。彼にとって自分は既に死者なのかと鎮は不安にもある。

「あ、あの血ってなんですか?」

 樹雨と慈乃、二人の間には入り込みがたい空気が流れていたが、鎮はどうしても気になって問いかけてみた。

「誓約書の拇印は巫女の血で捺される」

 答えたのは慈乃だった。樹雨には一瞥されただけだった。だからこそ、聞いてはいけなかったのだと鎮は後悔した。

「姉上の尻拭いを君がする必要はない。あれは、熊野の汚点であり、抹消される。君にはいずれ新しい名前が与えられる」

 熊野、野宮、道成寺、彼ら機関の人間にとって名前は出所を表す記号でしかないらしかった。

 必要があれば新たに付けられることもあるのだろう。神楽機関とは特別な存在なのだから不思議でもない。

 この樹雨もまた綾乃の存在をよく思っていなかったらしい。死を悼む素振りなど微塵も見せない。

「そんなにこの村が気に入ったの? それとも、その少年が?」

 もう一度、樹雨に睨まれて鎮は背筋が凍り付いた気がした。彼に憎まれているようにさえ感じられた。いないものとして扱われる方がまだましなのかもしれない。何をしたわけでもないのに、殺意めいたものを向けられるくらいならば。

「機関はこの地を救わない。だから、君が望む部隊のご到着は滅びた後でのことだ。皆、罪人として死ぬ」

 本当に機関はこの村を見捨てるのか。それでも、慈乃は見捨てないでいてくれるのか。一度は彼のように非情な言葉を吐きながら。

 彼女の考えていることがわからなくて、鎮は辛かった。村人の一人として当事者であるはずなのに、まるで置き去りだ。やはり鎮は巫女殺しの共犯なのかもしれなかった。自分は関係ないとは言えないのだ。

「大体、なんでお前が来るんだ。忙しいのはお互い様だろ。面倒臭い」

 慈乃は樹雨を嫌がっているらしかった。鎮からすれば、かなりの美男であるのに不思議に感じる。

「面倒臭いとはひどいね。僕が君の将来のパートナーとなる男だからに決まってるだろう? 他の仕事キャンセルしてでも君を失えないって言うのに」

 表情からは読み取れないが、この樹雨という男は慈乃を憎からず思っているらしい。しかし、慈乃の方はと言えばあからさまに顔を歪めている。

「私はお前なんか嫌だ。絶対に嫌だ」

 慈乃には全くその気がないようだ。

「君は一番優秀な巫女だ。他より長く現役でいられるかもしれないけれど、生涯現役なんてありえない。だからこそ、君は相手を選べる」

「選択肢があって、どうして、わざわざお前を選ばなきゃいけないんだ」

「他にいい人がいるかい? それとも、全員相手にするかい? 巫女製造機に成り下がる? 熊野の母みたいに」

「好き者の姉上がご健在であれば良かったのにね。もう逃れられないよ」

 そこでようやく樹雨がクスリと笑った。だが、場を凍て付かせるだけのものだった。


「僕は道成寺の母と父に似て一途でね」

「高潔なお坊ちゃんには種を撒き散らすなんてことはできないか」

「君の姉上にも散々迫られたけど、僕は操を守り通したよ。君だけを思い続けているからね」

 二人は淡々としているが、鎮にはとんでもないことを話しているように聞こえる。二人にとっては平然と話せることなのかもしれないが、鎮には刺激が強すぎた。

 最早鎮に挟む言葉などあるはずもなかった。これは彼らの世界の話、遠く文化の違う国の話のようでもあり、ひどく生々しい。

「それに、僕と君の血の繋がりはないと証明されている。何の問題もない」

 さすがに機関も近親相姦はタブーとしているのか。

「お前は生理的に受け付けない」

「君は誰にだってそう言うだろ。わかってる。君の事はよくわかってる」

 樹雨は言うが、慈乃は彼のことが本当に嫌いなのかもしれない。生理的に受け付けないというのが鎮にもわかり始めていた。面倒臭いと言っていたことも。

 美男であることは確かだが、無表情で迫るのははっきり言ってしまえば気持ち悪いのだ。

「お前が種馬になりたくないからって私を巻き込むな。吐き気がする」

 これだけ慈乃が辛辣なことを言っても樹雨はまるで動じない。

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