着信待ちとその後の何か
着信待ちとその後の何か
僕は、携帯電話を、じっと見つめていた。
かかってくる。
かかってくるはずだ。
携帯を握る手に、汗が滲む。
僕は、そうして、小一時間程、駅前のコーヒーショップで、携帯電話と睨めっこをしている。
──最後に話したのはいつもう忘れただったか。
通話履歴を見る。三日前の午後十一時二十三分。それ以来、音信不通という訳だ。
僕が最後に入れたメッセージは、シンプルな物だった。ただ「会えないかな? 時間はいつでも良い。とにかく話をしよう」だ。
出会ってから、丸三年。
僕も、今年で三十になる。彼女もそうだ。いい加減、けじめをつけなきゃならないタイミングだ。
でも、そのキーワードを切り出そうとすると、決まって彼女は、別な話題にすり替えるか、妹分の柿岡に話題を振る。
避けている。
僕だって、覚悟は出来ていない。でも、そんな物じゃないか? お互いに足りない部分を埋めたり、掘り起こしたりするものなんじゃないか?
その時だ。
携帯電話が鳴った。
でも、彼女じゃなかった。
「何だ、柿岡さんか」
「あ、何だなんて失礼でしょ?」
「ごめん」
「今、どこに?」
「駅前のコーヒーショップ」
「今から行く。待ってて」
短い会話だった。
柿岡さんは、僕が待っている彼女の妹分のような存在だ。年下だから、僕も妹のように接している。その方が、気が楽だからだ。
「お待たせ」
「あまり待ってないけどね」
「そこは、随分待ったよとか、適当にボケてよ」
「も一回やる?」
「バーカ」
柿岡さんとは、いつもこんな感じだ。
男女の関係とは程遠い関係。一定の距離感。心地良い間隔。
「で、何やってんの? こんな所で。もう八時だよ?」
「ん? まぁ、ちょっとね」
「ちょっと?」
「まぁ、そんな所だよ。それより、柿岡君は、何故ここにいるのかね?」
「おお、そう来ましたか。私は、あなたに会いに来たのだよ」
意外な返事が返って来た。
冗談? 何かのネタか?
「佐倉さんは来ない」
僕は、全身から血の気が引いた。
柿岡さんから出たその名前は、僕が待っていた名前だ。
「……どうして」
「佐倉さんは、彼氏がいる。今、その彼と会ってる」
「……そっか」
「二股じゃないよ? あなたと会う前から付き合ってたんだよ? 知ってるでしょ?」
知らなかった訳じゃない。何となくは察していた。でも、僕は、その「彼」といるより僕といる時間の方が長いと思っていた。僕は、自惚れていたのか?
「……こう言う時、何て言ったら良いか分からないけど……」
柿岡さんは、気を遣ってくれている。それは分かっている。だけど……
「それならそうと、言ってくれても良いじゃないか!」
「……誰が? 佐倉さんが? 私が?」
「どっちでもだよ!」
僕は、後悔した。何もケンカするような事ではない。僕の勝手な思い込みだ。そう。僕の独り相撲なんだ、これは。
「……せっかく、慰めてあげようと思って来たのに」
柿岡さんが、小さく呟いた。
「何?」
「何でもない! それより、ごめんなさいは!」
「……ごめんなさい」
「よろしい」
柿岡さんは、器用にも、狭いコーヒーショップの椅子でふんぞり返った。
「で、この後は、どうするの?」
「この後……」
「目の前にいるのは、誰?」
「柿岡さん」
柿岡さんは、にっこりと微笑んだ。
「ここに、二枚のチケットがあります」
「?」
「明日封切りの映画のチケットです」
「大人二枚?」
「そう。そして、一枚は私の分。もう一枚はまだ決まっていません。これは先着順です」
僕は、もう、こう答えるしかない。
「──立候補します」
コーヒーの良い香りがした。