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ヴェスティーア家の大聖女は、戦場にいた  作者: Mel
大聖女の再来と呼ばれたその人は、戦線復帰率百パーセントの治療院にいた

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後編

 膠着していた戦いは、あっさりと終焉を迎えた。

 王国軍の死なない兵士たちによる絶え間ない波状攻撃を前に、ついに敵国が完全に戦意を喪失し、白旗を掲げたのだ。

 

 敵軍が引き揚げた戦場は、赤黒い血が水溜まりを作り、折れた槍や千切れた軍旗が墓標のように突き立っていた。

 腐った肉と鉄の錆びた匂いが風に乗って鼻を突く凄惨な光景。

 だが、勝利を迎えたはずの第一治療院は歓喜に沸くこともなく、ひどく澱んだ沈黙に満ちていた。


「よくぞやった、勇敢なる兵士諸君! これで我が国も安泰であるが……次は西国に狙いを定めるのも良いかもしれないな」


 ハミルトン殿下の高笑いだけが虚しく響く中、私はセーニャ様の天幕へと呼び出された。


 薄暗い幕をくぐると、そこには戦場の埃や血の穢れを一切寄せ付けぬ、純白の聖衣を纏った彼女が静かに佇んでいる。

 天窓から差し込む光を浴びるその姿は、大聖堂で初めて拝謁した時と何ら変わらぬ、無垢な天使そのものだった。


「お呼びでしょうか、セーニャ様」


 私が恭しく片膝をつくと、彼女はふわりといつもの愛らしい微笑みを浮かべた。


「アルヴィン。あなたは随分と長い間、この治療院を守り抜いてくださいましたね。……本当に、ご苦労様でした」

「勿体なきお言葉。聖騎士として、当然の務めを果たしたまでにございます」


 労いの言葉に深く頭を下げる。

 これから私たちは王城に凱旋し、戦勝パレードが終われば殿下とセーニャ様の華々しい結婚式典が執り行われるに違いない。

 だから、血生臭い戦場とは無縁の輝かしい未来が語られるのだと思ったのに――彼女の口から紡がれた言葉は、私の予想を超えるものだった。


「戦争は終わりました。ですから、あなたに最後のお願いがあります」

「何なりとご命令を」

「これから南の第七幕舎へ向かい、そこにいる私の伯母――テレーゼに、こう伝えてください。『もう貴女の役目は終わったのだから、出しゃばるような真似は差し控えてほしい。……そして、二度と王都にも戻らぬように』と」


 一切の感情が抜け落ちた、冷たい声。

 それは、かつて「飴玉をくれた」と語っていた肉親に向ける言葉とは到底思えぬ、絶縁状だった。


「伝え終わったら、あなたはしばらく伯母様の傍にいてください。余計な真似をしないように見張っていてほしいのです」

「それは……」


 セーニャ様には正規の護衛兵もいる。つまり、治療院の一介の警護兵に過ぎない私の役目はここで終わり、彼女と共に王都へ凱旋することは許されないということだ。


 胸の奥に失望と黒い疑念が渦巻く。

 だが、聖騎士として主の命に背くことは許されない。

 どんなに理不尽なものでも、どんなに要領を得ぬ命令であっても。


「……承知いたしました」


 深く頭を下げ、私は天幕を後にした。


 出発の準備を整えながら、私は汚れ一つない白銀の鎧を身に纏う。

 泥と血にまみれて戦い、心を壊していった兵士たち。その惨状を第一治療院という安全地帯からただ見ていることしかできなかった私には、この眩いばかりの純白がひどく空虚で、不釣り合いなものに思える。


 それでも兜の奥に自らの感情を押し殺し、背後で沸き起こる狂騒のような歓声を振り切るように、私は南の掃き溜め――第七幕舎へと向かって馬を走らせる。

 

 敵兵の姿すら見えない寂れた道を抜け、辿り着いた第七幕舎への道のりはひどくあっけないものだった。

 

 粗末な天幕をくぐると、そこには第一治療院に運び込まれた者たちよりも深い傷に苦しむ兵士たちが横たわっていた。当然だ。セーニャ様は規格外だとしても、派遣された聖女もいない以上は癒しの奇跡は望めない。テレーゼ様も力を失ったと聞いている。

 

 だというのに、その表情は思いのほか明るく、幕舎内にはどこか穏やかな空気が流れている。私がさきほどまで身を置いていた治療院とは、まるで別の場所のようだった。


 私は胸の奥に湧き上がる違和感に重い蓋をし、ただ命じられた通りの言葉を口にした。


 呼びかけに応じてくださったテレーゼ様は、確かに老いていた。だがその背中は驚くほど真っ直ぐに伸びており、セーニャ様と同じ翠色の瞳には芯の強さを感じさせられた。

 そして彼女は、セーニャ様から預かった言葉を静かに受け入れた。


 その静かすぎる佇まいに、私は言葉にできない強烈な違和感を覚える。


 ――出しゃばるような真似は差し控えてほしい。

 ――二度と王都にも戻らぬように。


 あれは本当に、伯母を疎んじたが故の絶縁状だったのだろうか。

 かつて「私を可愛がってくれた」と語った時の、あの幼い少女のような顔が嘘だったとは、どうしても思えない。


 ならばなぜ、セーニャ様は頑なに王都からテレーゼ様を遠ざけようとしたのだろうか。


(……まさか)


 脳裏に浮かんだのは、完全に心を壊し、治療院の片隅に追いやられていた――ニックの顔だった。


 戦争は終わった。では、正気を失ったままのあの死なない兵士たちはどうなった?

 殿下のことだ。役目を終えた道具など、どこかへ放り出して顧みることもないに違いないが――


 嫌な予感が、冷たい指先でなぞられたように背筋を這い上がる。


「王国の兵士諸君、君たちの働きを誇りに思う」


 私はただ一言、そんな空虚な慰めだけを置き去りにし、本来であればテレーゼ様の傍にいなければならなかったにもかかわらず、逃げるように幕舎を後にした。


 湧き上がる不吉な予感を振り払うように、王都へ向かって休む間もなく馬を走らせる。


 焦燥に駆られながら手綱を握り続け、数日後。

 ようやく辿り着いた王都は、異様な空気に包まれていた。


 大勝を収めたはずだというのに、凱旋を祝う華やかなパレードもなければ、賑やかな市場の声も聞こえてこない。通りには重武装の騎士たちが等間隔に立ち並び、市民たちは怯えたように家々の戸を固く閉ざしている。


 そして王城を囲んでいたのは、近衛兵ではない。そこに並んでいたのは、歴戦の古傷を体に遺した、旧世代と呼ばれる騎士たちばかりだった。


「……戻ってきてしまったのか、アルヴィン」


 城門の前に立ち塞がったのは、三十年前の英雄であり、私の恩師でもあるウィル聖騎士団長。その顔には深い疲労が滲んでいたが、それ以上に、長く背負い続けた荷をようやく下ろしたような、不思議な晴れやかさが浮かんでいた。


「団長……! これは一体、何事ですか。あなた方は一体何を!」


 周囲の騎士が一斉に槍を構える。それを片腕で制した団長は、あまりにも場違いなまでに落ち着いた声で言った。


「王族と、戦争を主導した血生臭い貴族どもはすべて捕縛し、北国へ送還した。前々から密かに準備を進めていたことだ。今やこの国は敗戦国だが……民の安全は保障されている。その点は安心してくれて構わんよ」


 ――クーデターだ。

 彼らは北国と密かに通じ、勝利の美酒に酔いしれる隙を突いて内部から王宮を制圧したのだ。


「馬鹿な……かつての英雄であるあなたが、何故こんな真似を!」

「分からんか? 第一治療院にいたお前なら、あの地獄を見たはずだろう?」


 団長の目が鋭く細められる。

 彼は厳しさを併せ持ちながらも部下想いの優しい人だった。だが今の団長の顔にはこれまでに一度も見たことのない、深い憎悪と悲哀が入り混じったような険がある。


「死ぬことも許されず、肉体を継ぎ接ぎされて戦場へ放り込まれる。……王家が我々に強いてきたあの愚行、施設の警備をした程度では分からんかったか?」


 愚行。確かにその通りだ。

 あれは戦略でも何でもない。ただ兵士の心をすり潰すだけの所業だった。


「だ、だからといって、こんな強硬な手段を取らなくとも――」

「……自分たちの代だけであれば、英雄という名誉と共に墓場まで持っていくこともできたさ。三十年前だけで終わらせていてくれたのなら、な」


 団長は深く、ひどく重い息を吐き出した。


「……だがな、アルヴィン。私は自分の孫に、同じような地獄を歩ませたくはないのだよ」

「地獄……」

「三十年前の戦では、間を空けてしまったが故にテレーゼ様の力が枯渇し、王家は同じ戦法がとれなくなった。だからこそ連中は、無限に駒を修復できるセーニャ様の力が尽きぬうちにと、すぐさま西方の国へ戦を仕掛けるはずだ」


 ハミルトン殿下の高笑いが脳裏をよぎる。

 

『次は西国に狙いを定めるのも良いかもしれないな』


 ――あの言葉は、ただの冗談などではなかったのだ。


「聖女の力に頼らねば戦も起こせぬような国など……滅びて当然だとは思わんか?」


 団長は自嘲するように笑い、そして重々しい視線を王城へと向ける。


「ハミルトン殿下と……最後まで好戦的だった貴族の連中は、あそこに残してある」

「あそこ……地下牢、ですか? まさか、セーニャ様も一緒に!?」

「止めてくれるなよ、アルヴィン」


 剣の柄に手をかけた私を牽制するように、団長は低く凄みのある声で告げた。


「これは三十年前から続く……我々の復讐なのだから」


 団長の言葉の意味を呑み込めぬまま、私は弾かれたように彼を押し退け、城内へと駆け込んだ。


 華美な装飾が施された回廊を抜け、冷たい石造りの地下階段を駆け下りる。

 深く潜るごとに、むせ返るようなカビの匂いと、錆びた鉄を思わせる濃厚な血の臭いが鼻腔を這い上がってきた。

 

 そして、暗い通路の奥から聞こえてくるのは――


「あぁっ! ひぃっ、やめて、もうやめてぇっ!」


 甲高い女の悲鳴に足が竦む。

 地下牢の石壁に反響するのは、獣のような呻き声と、肉を裂き、骨を砕く鈍い音だった。


「私はヴェスティーアの当主であるぞ! こんな真似をしてただで済むと……がはっ!」

「貴様ら、塵屑の分際でこの私に歯向かうなどと……ぎゃああっ! 腕が、私の腕がぁぁっ!」


 血溜まりの中で無様に這いずり回っているのは、かつて治療院でふんぞり返っていたあの尊大なハミルトン殿下と、セーニャ様の父君であるヴェスティーア当主。そして先ほどの悲鳴の主であろう――ヴェスティーア夫人だった。

 彼らを取り囲み、錆びた剣や素手でその肉体を嬉々として壊しているのは、第一治療院で何度となく目にした兵士たちだ。


 その阿鼻叫喚の地獄の中心で。

 セーニャ様は、純白の聖衣を血で一滴も汚すことなく、鉄格子の外に設えられた豪奢な椅子に深く腰掛けていた。


「助けてくれ! セーニャ、お前の力でこの暴徒どもを止めろ! 俺の傷を治せぇっ!」

「ええ、もちろん治してあげますとも」


 彼女は椅子から見下ろすように鉄格子越しに彼らを見つめ、無造作に手をかざした。

 眩い白銀の光が、血に塗れた牢の中を暴力的なまでに照らし出す。


「あ、ああ……治った……治ったぞ!」


 歓喜の涙を流す殿下。だがその直後、背後に立っていた兵士が鉄の棒を振り下ろし――


「ぎぃぃぃやぁぁぁぁっ!?」

「あははははっ! すごいですね、王族も僕たちと同じように、壊れても一瞬で直るんだ!」


 ゆらりと揺れる幽鬼のような出で立ちに一見しては分からなかったが、声で分かった。――ニックだ。

 彼は心底楽しそうに、執拗に鉄棒で殿下の足を打ち付けていた。


「な、なぜだ……セーニャ、なぜ止めない!」


 再び血塗れになりながら叫ぶ殿下に、彼女はこてんと小首を傾げた。


「いやですわ、殿下。聖女に意志など必要ない、お前は奇跡を披露するだけの人形だ、と。常々そう仰っていたではありませんか。だからこうして力を使っているのです。ただ、目の前で傷つく人を癒すためだけに」


 薄く微笑むセーニャ様に、狂乱する兵士たちは一切危害を加えない。

 彼女は鳥が囀るような軽やかな声で、楽しげに言葉を紡いでいく。


「お父様も。ヴェスティーア家の当主ともあろう御方が、その程度の痛みで泣かないでくださいな。『姉上にもそうしてきたのだから』と、気を失うまで私の骨を何度も砕き、自らの力で治すよう強要したのはどこの誰でしたか? ヴェスティーアの人間ならば耐えて当然の痛みなんですよね?」

「ち、違う! 私はただ、お前をテレーゼ()よりも優れた大聖女とするために……!」

「お母様も。私に大聖女の箔をつけるため、火で炙った鉄棒を素手で握らせては治すという見世物を強要してくださいましたね。それに、ウィリアルド様と伯母様との婚約を家の力で握り潰し、伯母様を辺鄙な修道院へ追いやったのは、誰よりも伯母様を妬んでいたからでしたか?」

「何を馬鹿な……あの女に何を吹き込まれたの、セーニャ! 私たちをこんな目にあわせるよう命じたのもあの女の仕業なの?!」

「やめてくださいな。伯母様は何も関係ありません。……まあ、恨まれても当然だと思いますけれど。伯母様の顔を傷つけてまで、本当に力が失われたのか確認していたのですから。それにこんな目だなんて……兵士の皆さんはもっと酷い目に遭ってきたのですよ? あなたたちが、そう命じたのでしょう?」


 そう微笑む娘の顔を見て、ヴェスティーア夫妻の顔が絶望と恐怖に歪んだ。


「あなたたちが伯母様に強いたように、私もこの力が尽きるまで頑張りますから。何度も、何度も、何度でも――綺麗に、治してあげますからね」


 惨劇が起きているのはこの牢だけではなかった。周囲の牢でも、かつて権勢を振るっていた貴族たちが同じように甚振られている。


 絶叫が地下牢にこだまする。

 殿下は自ら舌を噛み切ったが、その瞬間に白銀の光が降り注ぎ、瞬く間に致命傷すらも塞いでしまった。


 死ぬことすら許されない、永遠に続く狂宴。

 その光景を目の当たりにして、私は腰の剣に手をかけたまま動くことができないでいた。


 王家に仕える聖騎士として、この狂行を止めなければならないはずだ。

 彼女を斬ってでも、この地獄を終わらせるべきだ。


 そう頭では分かっているのに、地に縫い付けられたように足がピクリとも動かない。


「あ、アルヴィン……! 貴様、聖騎士だろう! 早くその悪魔を殺せ! 私を助けろぉぉっ!」


 その哀れな命乞いを掻き消すように、セーニャ様は緩やかに振り返った。


「あら……帰ってきてしまったのですね。あなたには伯母様を守っていただきたかったのに」

「セーニャ様……私は……」

「別に見ていても構いませんけれど、邪魔はしないでくださいね」


 すぐに関心を失ったようにセーニャ様は私から視線を外し、牢の中へと目を向ける。


「さぁ、もう一度。頑張りましょうね」


 その言葉とともに、地下牢は再び阿鼻叫喚の地獄へと逆戻りした。


 癒やしては壊す。

 治しては砕く。

 完全に修復された肉体へ、壊れた兵士たちが嬉々として群がっていく。


「……アルヴィン、さん」


 ふと、鉄格子の傍に近づいてきた影があった。返り血に染まったニックだ。

 虚ろな目でへらへらと笑いながら、彼は格子越しに、私を招くように手を差し伸べる。


「アルヴィンさんも……一緒に、どうですか?」


 かつて、「絶対に聖騎士になってみせますよ!」と純粋な目で語っていた少年の面影は、もうどこにもない。

 あるのは、セーニャ様への変わらぬ妄信と、終わらない破壊衝動だけだった。


「それとも……戦場に出なかったあなたには、僕たちの苦しみなんてわかりゃしないですか?」


 じっと、私を見据えるニック。

 ……私は、応じるかわりに静かに息を吐いた。


 未だ汚れ一つない、白銀の鎧の留め具に手をかける。

 ガシャン、ガシャンと、重い鉄の塊が冷たい石の床へと崩れ落ち、鈍い音が地下牢に響き渡る。

 私のことなど気にも留めず、再び大聖女の奇跡がまばゆい白銀の光を放つ。


「もう嫌だ、殺してくれ……! 終わらせてくれ……!!」

「情けないことを言わないでくださいな。まだまだ兵士の皆さんが順番を待っているのですから、ね?」


 死を懇願する悲鳴が地下牢に満ちる中、彼女は無邪気な声で手拍子を打った。


「頑張れ♡ 頑張れ♡」


 その光景に、覚悟を決めた私は、地下牢の中に足を踏み入れて――

 

 ニックの差し出した赤黒い剣へと、手を伸ばした。

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― 新着の感想 ―
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