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ヴェスティーア家の大聖女は、戦場にいた  作者: Mel
大聖女の再来と呼ばれたその人は、戦線復帰率百パーセントの治療院にいた

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3/4

前編

 儀式が執り行われる大聖堂は、むせ返るような百合の香りと、信徒や王侯貴族たちの熱気に満ちていた。


「新たな大聖女、セーニャ・ヴェスティーア様の誕生に、そして王太子ハミルトン殿下との輝かしい婚約に、神の祝福を!」


 司教の高らかな宣言とともに、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。

 祭壇の前に並び立つ二人の姿は、まさにこの国の希望そのものだった。


 十五歳を迎えたばかりだというセーニャ様は、純白の聖衣を身に纏い、まるで絵画から抜け出してきた天使のような清らかさを湛えていた。

 その隣に立つハミルトン殿下も、若き身ながら王者の風格を漂わせ、自信に満ちた笑みで婚約者の細い腰を抱き寄せている。


 私は二階の壁際で槍を手に、その華やかな光景を見下ろしていた。


「……可愛らしい方ですね。なんでも歴代最年少での就任だそうじゃないですか」


 同じく警護に就いていた若い兵士が隣から声をかけてくる。私の従弟であり、洗礼を受けたばかりのニックだ。周囲の観衆たちと同じように、彼もまたセーニャ様へ熱を帯びた視線を向けている。


「無駄口を叩くな。不審者がいないか目を光らせろ」

「相変わらずアルヴィンさんはお堅いんだから」


 軽口を叩く彼を睨みつけると、ニックは舌を出して周囲へ視線を向けた。

 聖騎士を目指してはいるものの、まだ駆け出しの少年兵だ。若さゆえの軽率さがどうしても前面に出てしまっている。


 私自身も念願の聖騎士に叙任されたばかりの若輩者だが、本日の式典では末席の警護兵としてこの場に立っている。

 失態は許されない――そう自らに言い聞かせ、気を引き締めた。


「……知ってますか、アルヴィンさん。セーニャ様の伯母も大聖女だったそうですよ」


 懲りずにニックが声をかけてくる。

 私は軽く溜息をつき、声を潜めて応じた。


「テレーゼ様だろう。……まさか、貴様は知らんのか」

「だって僕の親よりも年上の人ですよ? なんでも今じゃすっかり魔力も枯渇して、ろくに傷も塞げなくなってるそうじゃないですか。北国と戦争が起こるかもしれないって言われてるのに……セーニャ様に聖女の素質があって本当に良かったですよね」

「……口を慎め、ニック。テレーゼ様は国を救った救世主だ。軽々しくそのようなことを言うものではない」


 私が窘めると、彼はあまり反省していない様子で肩を竦めてみせた。やはりまだ幼さが抜けきっていない。それでいて功名心だけは人一倍ときている。


 叔父から面倒を見るよう頼まれている以上、放っておくわけにもいかない。どう教育したものかと思案しながら、歓声に沸く広間からふと視線を外すと――

 

 熱狂の中心である祭壇から遠く離れた、大広間の薄暗い円柱の影。

 そこに、華やかな貴族たちの輪から外れるようにして、ひっそりと佇む一人の女性の姿があった。


 洗い古された灰色の修道服。

 年齢を感じさせるその横顔には古い傷痕が目立ち、どこか深い悲しみと諦念のようなものが滲んでいた。

 彼女は、祭壇の前でハミルトン殿下に寄り添い、天使のように微笑むセーニャ様をじっと見つめている。


 ――まさか、あの御方は……テレーゼ・ヴェスティーア様?


 神殿に飾られた若き日の姿絵でしか目にしたことはないが、その面影は確かに残っている。

 だが、もし彼女が本物だとしたら。かつてこの国を救った大聖女が、なぜあのような目立たぬ場所から隠れるようにして姪の晴れ姿を見つめているのだろうか。


「……アルヴィンさん? どこを見ているんですか? 警護中ですよ?」

「いや……」


 ニックの声に振り返る。

 再び柱の影へ視線を戻した時には、もう灰色の修道服の姿は消えていた。

 ……私の見間違いだったのだろうか。


 再び歓声が上がり、セーニャ様が観衆へ向けて可憐に小さく手を振る。

 その無垢な笑顔を見ているうちに、やはり先ほどの光景は気のせいだったのだと、私はすぐに意識の外へ追いやってしまった。

 


 ――それから、三年の月日が流れた。


 

 前々から情勢の怪しかった北方の国との戦端が開かれるや否や、私は最前線の第一治療院へと派遣された。

 戦地における治療院や幕舎には癒しの力を持つ聖女が配置されるのが常だ。そしてこの第一治療院には、王太子の婚約者という立場にありながらも、己の使命を果たさんとするセーニャ様の御姿があった。


 設備も人員も整ってはいるが、常に血の匂いが付きまとう場所。そんな中で、セーニャ様は癒しの力を惜しみなく振るい続けている。

 その姿はまさに聖女の名に相応しく、この治療院は怪我人が溢れながらも、どこか希望に満ちていた。


 なにせ並の聖女であれば一日がかりの傷でさえ、彼女は難なく癒してしまうのだ。

 白銀の光を浴びれば、どれほど深い傷も瞬く間に完治する。兵士たちは歓声を上げ、奇跡を目の当たりにしたかのように彼女を称賛した。


「アルヴィンさん、見てくださいよ! 深く抉られていた傷がもう跡形もないんですよ!」


 興奮気味に声をかけてきたのは、血まみれで運び込まれてきたばかりのニックだ。功を焦って無茶な突撃をしたらしい彼は真新しい皮膚を撫でながら、神を仰ぐような目でセーニャ様を見つめていた。


「ありがとうございます、セーニャ様! これですぐにでも戦場に戻れます!」

「ふふ。次はお気をつけて、勇敢な兵士様。頑張ってくださいね」


 セーニャ様がにっこりと微笑みかけると、ニックは顔を紅潮させて意気揚々と立ち上がった。今すぐにでも戦場へ飛び出しかねない彼を諌めるように、私はその肩を軽く叩く。


「無茶をするな、ニック。命あっての物種だぞ」

「平気ですよ。セーニャ様がいれば僕たちは無敵なんですから! ……それに引き換え、南の第七幕舎にいる旧世代はどうしようもないらしいですね」

「第七幕舎? ……旧世代?」

「あれ、知らないんですか? 死にかけの兵ばかりが運ばれる第七幕舎のこと」


 前線にほど近く、すぐに戦線へ戻れるこの場所が第一治療院だ。セーニャ様の力を見込んでか、ここには前線で活躍した兵士や貴族の子息が優先的に運び込まれてくる。

 番号が大きくなるにつれて各拠点は戦場から離れていくが、その中でも第七幕舎は、地方から招集された雑兵や重傷者が送られる場所だった。戦略的にも地理的にも、重要度は低いと言えるだろう。


 そして「旧世代」とは、三十年前の戦争に従事した者たちを揶揄する言葉である。

 ニックは声を潜め、どこかで仕入れてきたらしい噂話を得意げに語り始めた。

 

「最初は若い聖女が担当していたらしいんですけど、担当の護衛兵と逃げ出したそうでしてね。それで代わりに現れたのが、なんとテレーゼ・ヴェスティーアだって噂なんですよ」

「テレーゼ様だと……? あの御方は引退されてから修道院に入られたと聞いていたが……」

「戦争の話を聞いて年甲斐もなく血が騒いだんじゃないですか? でも来たのはいいけど、かすり傷を塞ぐのがやっとなんだそうですよ」

「……そんな馬鹿な」


 老いた聖女が徐々にその力を失っていくというのは事実らしいが、だからといってニックの語る噂話をそう簡単に信じる気にはなれない。かつての東南戦争に参戦した聖騎士団長から、テレーゼ様が残した伝説は何度となく聞かされていたからだ。


 私が話に乗らないのが面白くなかったのか、ニックはムキになったように言葉を重ねる。


「第七幕舎に運ばれた兵は、みんなベッドに縫い付けられて二度と出てこれないそうですからね。そういえば……僕と功を競い合ってた騎士が手違いで第七幕舎に運ばれていったんですよ。あー、あっちに送られなくて本当に良かった。セーニャ様がいれば僕は何度だって戦えるんですから。この調子で、絶対に最年少の聖騎士になってみせますよ!」


 そう言って無邪気に笑う彼の瞳は、純粋な野心と、セーニャ様に対する絶対的な信頼に満ちていた。


 確かにその気持ちもわかる。血みどろの戦場において、セーニャ様の献身的な姿は一輪の白百合そのものだ。

 私自身もこの治療院の警護兵として、その笑顔を守れることを誇らしく思っていたのだが――


「……ふん。またこんなに負傷兵が運ばれてきたのか」

「これはハミルトン殿下。ご無事で何よりでございます」

「前哨戦を眺めていたが、大した相手ではなかった。この戦、早々に片がつくだろう」


 ニックが顔を青くしてその場に跪く。大勢の護衛兵を引き連れて現れたその人は、我が国の王太子、ハミルトン殿下だった。


 彼は此度の戦争の最高責任者として任命され、我が軍を率いる立場にいた。次期王という地位を見据えた箔付けのための采配なのだろう。

 とはいえ、当然ながら自ら剣を振るうことはない。気の利いた策を練るようなこともしない。

 しいて言うなれば、この治療院を拠点にセーニャ様とともに兵士を管理し、彼らを鼓舞しては前線へ送り出す役割を担っているだけだった。


「それにしても……みっともないと思わないか」

「はて、何がでしょうか」

「あの兵士どもだよ。情けないと言うべきかもしれんな。本来ならば、あのように無様に傷つく駒など私の軍には不要なのだ。それがどうだ。セーニャさえいれば、あのような塵屑どもも直して再利用できる」

「……殿下。彼らは国のために命を懸ける誇り高き兵士たちです。そのようなことを……」

「ほう。家柄で選ばれたにすぎぬ名ばかりの聖騎士の分際で、この私に意見するとはな。随分と偉くなったものだ」


 ……情けない話ではあるが、殿下の言うことは間違っていない。努力を怠ったことはないが、私が聖騎士の立場にあるのは家の力が大きいのだろう。

 それが痛いほどに分かっているからこそ、私は奥歯を噛み締めて深く頭を下げる。殿下は鼻で笑い、香水を染み込ませた布で口元を覆った。


「おい、セーニャ。そいつらは後にして、まずは私を癒してくれ」

「まあ、どこかお怪我をされたのですか?」

「剣戟を捌いた時に、な。お前と違って私は戦場に立ってきたのだ。つべこべ言わずに早くしろ」


 足を差し出して居丈高に命じる殿下に、セーニャ様はすぐさま手をかざした。

 同期の護衛兵の一人が、そっと私に耳打ちする。


「矢に驚いて落馬したんだよ。……みっともないのは誰なんだかな」


 私は無言で苦笑を返す。こちらとしても、名ばかりの司令官に多くを求めるつもりはなかった。

 それに、この戦に負ける要素などどこにもない。

 どんな傷もたちどころに癒すセーニャ様がいる限り、我が軍は戦力を失うことがないからだ。


 あとは、敵がいつ絶望して音を上げるか。

 駆け引きも何もない。ただ底なしの物量で相手を押し潰すだけの、戦とも言えぬ不毛な戦いだった。


 *

 

 治療院には絶え間なく負傷兵が運び込まれてくる。

 最新の兵器を投入した敵国の抵抗は想定以上のもので、戦場には即死した兵士の亡骸が数多く転がっていると聞く。

 ……本来であれば撤退を余儀なくされるような局面であったろうに、彼らは後退を許されなかったようだ。『死にさえしなければ治せるのだから、一人でも多く敵兵を殺してこい』、という身もふたもない命に忠実に従った結果だった。


「ニック……! お前、また無茶をしたのか!」

「アルヴィンさん……あはは、さすがに今回ばかりは死ぬかと思いました……」


 担架の上で力なく笑うニックは、右手の指を切り落とされていた。敵の刃を避けきれなかったのだという。肩口からも絶えず血が流れ落ち、その顔色は蒼白を通り越して、死人のように真っ白になっていた。


 それでも彼は、セーニャ様の癒しの力を受けるとたちまち生気を取り戻す。

 とはいえ、血を流しすぎている。本来であれば数日は療養が必要な状態であろうが――


「第二陣、治療が終わった者からすぐに前線へ戻れ」


 無情な王太子の采配に、ニックの顔が強張った。


「ハミルトン殿下。第二陣はいまここに戻ったばかりです。確かに傷はすぐに癒えますが、体力は消耗しております。せめて数日は休ませてください」

「ならぬ。敵が油断している今こそ好機だと分からんのか。奴らに休む暇を与えず、波状攻撃でかの拠点を攻め落とすのだ!」


 戸惑うようなざわめきが広がっていく。

 殿下の意を汲んだ将兵が「承知しました」と頭を下げ、配下の兵らを一喝した。


「一刻も早く戦を終わらせるためだ。治療を終えた者から順に前線に合流せよ!」

「そんな……!」


 誰かの悲鳴が響く。

 だが殿下は気に留めることもなく、治癒を続けるセーニャ様の背中に怒鳴りつけた。


「セーニャ! そんな一人一人に無駄に時間をかけるな! まだまだ運び込まれてくるんだぞ!」

「は、はい……。みなさま、もう少しの辛抱ですから……頑張りましょうね」


 休む間もなく放たれ続ける治癒の光。

 それからも血と泥にまみれた兵士が次々と運び込まれ、傷を塞がれてはまた死地へと送り出されていった。

 

 ――終わりの見えない循環がようやく途切れたのは、夜もとっぷりと更けてからのこと。

 

 昼間の喧騒が嘘のように静まり返った陣地。

 最後の兵士を癒し終えた彼女を自室の天幕へと送り届ける道すがら、歩みを進めていたセーニャ様が、ふらりと軽くよろめいた。


「セーニャ様……!」

「も、申し訳ありません。少し、足元がふらついてしまって」


 慌てて駆け寄り、その細い肩を支える。いくら類稀なる力を持っていようとも彼女はずっとそれを使い続けているのだ。体力も限界であろう。


「大丈夫ですか。ご無理をなさらず、明日はお休みになった方が……」


 案じる私に、彼女は静かに首を振った。


「このくらい、平気です。……伯母様は、もっとすごかったのですから」

「それは……テレーゼ様のことですね。三十年前にこの国を救った、素晴らしい大聖女だったと聞き及んでおります」


 彼女の溢した呟きに思わず反応すると――

 これまで大聖女として完璧に取り澄ましていた彼女の表情が、ぱっと花開くように明るく輝いた。


「――ええ、そうなの! 伯母様はとても、とても素晴らしい人だったのよ」


 前のめりなその反応に、思わず面食らってしまう。

 彼女と言葉を交わす機会はそう多くない。

 だからその無邪気で愛らしい笑顔は、私が初めて見る年相応の少女のものだった。


「そうなのですね。差し支えなければ、どんな方だったのか教えていただけませんか? テレーゼ様の功績はよく聞き及んでおりますが、あまり表に出ることを好まない方だったようで、その人となりはあまり知らないのです」


 見上げれば、星のない夜空の代わりに焚かれた松明の淡い光が周囲を照らしている。

 その柔らかな光を横顔に受けながら、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。


「私、昔から聖女になるためにと厳しい教育を受けていました。……痛くて、辛いことばかりだったの。でもね、伯母様だけはいつもこっそりと飴玉をくれて……訓練の時間も休み時間にしてくれて、私のことをとても可愛がってくれていたのよ」


 よほど慕っていたのだろう。過去を語る彼女の瞳は、きらきらと輝いていた。


「責任感が強く慈愛深い方だったと、団長から話を聞いておりました。評判通りの人格者だったのですね」

「ウィル聖騎士団長ね。あの方は伯母様の護衛兵だったから、伯母様のこともよく知ってるのよね。……ふふ」

「……なにか?」

「思い出したの。伯母様ったらね。砂糖と塩を間違えたスープを兵士の皆さんに振舞ったんですって。癒しの力でも味ばかりはどうしようもなかったって、笑っていたわ」


 くすくすと笑うその姿を微笑ましく思いながら、私は深く考えもせず相槌をうった。


「仲がよろしかったのですね。……セーニャ様がこうして頑張られていることを、きっと喜んでいらっしゃることでしょう」


 セーニャ様も今や大聖女の再来と呼ばれている。身内としてもさぞかし誇らしいだろうと思ったのだが――

 私の言葉を耳にした瞬間、さっきまでの愛らしい笑顔が嘘のようにスッと消え失せた。


「……」


 一切の光を宿さない、凍りつくような虚無の瞳。

 彼女は私を探るように、ただ静かに見上げている。


「……そんなわけ、ないじゃないですか」


 彼女は私の傍からそっと離れると、振り返ることなく自分の天幕へと消えていった。


 失態を犯したことは確かだったのに。翌日に顔を合わせた彼女は、何事もなかったかのようにこれまでと変わりない笑顔を私に向けていた。



 ――戦局はと言えば、局地的な勝利の報とは裏腹に、最前線の戦況は泥沼の様相を呈していた。やはり敵国の兵器の存在が大きいのだろう。第一治療院は、文字通り血と臓物の臭いがこびりつく地獄と化していた。


 しかし、どれほど凄惨な状態の兵士が運び込まれようともこの場所では死者は出ない。

 セーニャ様の振るう奇跡が、彼らを強制的に死の淵から引きずり戻すからだ。


「あ、あぁ……嫌だ、もう、行きたくない……! 腕が、腕がもげたんだぞ……っ!」


 血まみれの床に縋り付いて懇願する兵士。その顔を、ハミルトン殿下が軍靴で容赦なく蹴り飛ばした。


「ええい、五月蝿い! 見ろ、お前の腕は元通りくっついているだろうが!」


 殿下の言う通り兵士の腕には傷痕ひとつ残っていなかった。だが呼吸は荒く、恐ろしいものを見るような目で治ったばかりの腕を見つめている。


「この役立たずの塵屑どもめ、貴様らは我が軍の無敵の剣であろうが! さっさと前線へ戻って敵の首を刎ねてこい!」

「殿下の仰るとおりですよ」


 激昂する殿下の傍らで、セーニャ様は鈴を転がすような声で笑った。

 返り血ひとつ浴びていない純白の聖衣を揺らし、すがりつく兵士の頭を優しく撫でる。


「神は皆様に試練を与え、そして打ち勝つ力をお授けになりました。さぁ、勇敢な兵士様。もう一度、お国のために頑張りましょうね」


 肉体は完璧に修復されている。

 しかし兵士はもはや自力で立ち上がることもできず、へたりこんだまま絶望に顔を歪めていた。


「……チッ、使えぬ連中だ。使えなくなったお荷物は南の第七幕舎にでも放り込んでおけ!」


 殿下の命により、完全に心を壊し『抜け殻』となった兵士たちが次々と馬車へ放り込まれていく。

 私はその異様な光景を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 ……これが最適解のはずだ。

 三十年前も同じようにして勝利を迎えたのだから。


 だがどうしたことか。第一治療院を包む空気は、日に日に狂気に染まっていった。


 治される。前線へ送られる。負傷する。

 運び込まれてはすぐに治される。また前線へ送られる。そして、負傷する――


 一度目、二度目は奇跡に歓喜していた兵士たちも、三度目、四度目ともなれば癒しの光に頬を引き攣らせ、五度目を超えたころには激しく拒絶するようになった。


「……アルヴィン、さん……」


 背後から耳に届いたのは、うわ言のような声。

 振り返ると、そこには見知らぬ老人のような顔をした兵士が立っていた。


 いや――違う。


「……ニック、なのか?」


 先日まで希望に満ちた目をしていた、私の従弟だったはずの男。その体には傷ひとつなく、セーニャ様の奇跡によって完全に治されている。

 だが、髪は白く抜け落ち、窪んだ両目は虚空を彷徨っていた。


「僕、これで四回目です。内臓をぶち撒けたのは。……でも、セーニャ様が、治して、くれるから……アハハ……」


 焦点の合わない目で私を見つめ、ニックはへらへらと笑いながら手元の剣を落とした。


「また、行かなきゃ……セーニャ様が、頑張れって……アハハハハ……!」


 狂気を孕んだ笑い声が治療院に響き渡る。

 今日もまた兵士たちが前線へと送られ、明日もまた同じように運び込まれてくる。

 

 いつ終わるともわからない、心をすり減らすばかりの消耗戦。

 かつての東南戦争のように、敵も味方もすべてが擦り切れるまで何年も続くのではないかと。


 そう絶望していた私を嘲笑うかのように――結末は、呆気ないほど早くやってきた。


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