女子高生は花を食べる
タイトルだけ見ればちょっとお耽美な雰囲気がありますね。
これはこうがさんが高校生の頃のお話です。
私は私立の高校に通っていました。
住んでいたのはまぁまぁ田舎でした。どれくらい田舎かと言えば、バスが一日数本しかないような場所です。
数本はちょっと盛ったかな…。記憶にあるのは一日二本くらいの時刻表です。
土地柄か、大多数が公立に通い、私立に通うのは本当にいいとこの子か、公立に落ちて仕方なく滑り止めに通う子でした。
当然のように姉は公立に通い、私も公立を第一志望にしていました。
で、普通に公立落ちましてね。
しかも何を血迷ったか、受けた高校がそこそこ遠かったんですよ。
自分を追い込むためとかではなく、「絶対公立落ちるからせめてここにしてくれ」みたいな感じで受験した学校でした。
スクールバスが出るバス停まで片道二十分、そこからスクールバスに一時間程乗って通っていました。
帰りは行きとは違う場所に降ろされるんですが。
同じ方面のスクールバスでは、クラスの違う同級生と雑談を交わす楽しみがありました。
その同級生の中におっとりした育ちの良いお嬢さんがおりまして、育ちの良い子ってこういう子なんだろうなぁ、と密かに憧れていたものです。
仮にシンシアさんとしておきます。ニックネームを外国人女性にしていたので仮名の仮名として。
ある日、バスを降りると金木犀の香が漂っていました。
当時は今ほど金木犀の香は流行しておらず、お手洗いの芳香剤と揶揄されることもありましたが、
私は幼い頃からその木が大好きだったのです。
手の届く距離にある私よりも少し上背のある金木犀は、愛らしい花を満開にしておりました。
シンシアさんもその香を楽しんでいたと記憶しています。
高校生の私達は暫し立ち止まり、金木犀の香を楽しんでいました。
そして、「金木犀の花はみかんの皮に味が似ている」と言った子が小学生の頃にいたことを、こうがさんは唐突に思い出してしまったのです。
私達は15、16歳くらいだったでしょうか。
そう、好奇心が制服を着て歩いている年代だったのです。
「じゃあ、食べてみんべ!」
と、皆で金木犀の花を食べました。
金木犀の花は、フルーティーな味がする、という情報もあったかと思います。
ただね、食べる時って、洗ったりしますよね。
雨上がり、車の通りが多い道に咲いた金木犀。
それを洗わずに食べる。
とてつもなくまずかったです。
シンシアさんは翌日体調不良で休みました。
後日、復活してきた彼女に「あれが原因だと思う」と笑いながら言われました。
原因を責めない彼女の育ちの良さを改めて感じたものです。
時が流れ、当時の友人達と会うことは殆どなくなりましたが、今でも金木犀が咲く道を通ると思い出します。
大人になった皆様。
高校の頃を思い出してください。
訳もなく大笑いし、話は纏まりがないながらも話題は尽きず、好奇心旺盛で実戦形式であらゆる知識や体験を積み重ねていませんでしたか。
現在十代、二十代前半の皆様、経験は本当に大切です。
文字で説明を見るだけでは、金木犀の香は想像もつかないでしょう。
人工的な香は一年中あれど、実際に咲いている愛らしい花弁や芳醇な香、散った花が道路に敷き詰められているような何とも言えない、いっそ哀悼にも似た気持ちを抱く瞬間。
それらは、実際に秋から冬に向かう季節の中でしか経験できないものです。
秋から冬に向かっていく、言葉で表現することが難しい寂寞の想い。
金木犀の香は、自然と私の中のそんな気持ちを激しく揺さぶるものだったのです。
それは今でも変わりはありません。
車から外に出た時、愛犬と河原を歩いている時、年を重ねた今でも、金木犀の香は私の奥底にある寂寥感を刺激します。
そして、好奇心のみで花を口にした思い出は、寂寥感を柔らげながらも過ぎた日を懐かしむ気持ちを呼び起こしているのです。
今年も金木犀の季節が過ぎ去ります。
また来年の季節を楽しみにしています。
方言で出身地がばれそうです




