惑星ケレスの遺産
ブリッジに天蓋の様に覆いかぶさる全天スクリーンに三日月状に輝く惑星が映し出された。クレーターの浮かぶ大気の無い惑星表面は月にそっくりだった。こちらの方は直径500キロほどとだいぶ小さい。
「こっちは外れじゃねえかな」
機関士のアベルが呟く。
「当たり外れとか、何の目的で来てると思ってるんだ?」
調査員のエリオットが怒ったようにアベルを睨みつける。アベルはやれやれと言った苦笑いを浮かべて顔を逸らした。
「まだ分からんさ」
船長のスヴェンが青い目で黒灰色の惑星表面を見つめながら言った。
「アンバー、目標地点の上空まで移動してそこで待機だ」
「了解しました。キャップ」
船の操船・観測を受け持つ女性型のアンドロイドが、フルフェイスのヘルメットを被ったような顔の無い頭部から機械的な音声で答えた。
地球から離れること16.4光年。エリダヌス座40番星は三重連星で、そのうちA星の第五惑星ポタモスは地球によく似た星で、地球の1.2倍の質量、公転周期が3年の離心率の大きい楕円軌道で、自転周期が36時間と、くじゃく座δ星系の惑星アルゴスよりは条件が悪いものの、人類が居住するには理想的な環境であり、太陽系外の惑星としては二番目に多い人口(約20万)を抱えていた。移民の第二世代から遺伝子操作により季節による大きい気候変動や36時間の自転周期への対応がなされ、人類が居住する地球以外の惑星では、環境に人類を適合させた唯一の惑星でもあった。
西暦2205年に初めて人類の探査船が到着してから90年余。惑星ポタモスに降り立った人類も世代を重ねて落ち着いた頃、漸く星系内の小さな惑星にも調査の手が伸び始めた。ある時、ポタモスから遠く離れた小惑星帯に人類以外の知的生命体のものと思われる遺構が発見されたという報告が地球へもたらされた。見つかった遺構は、それより200年ほど前に太陽系の準惑星、ケレスで見つかった”異星人の宇宙船”に僅かに残された記号等と類似のものが見つかったことから、おそらく同一の文明のものではないかと推察された。
地球から早速調査団が派遣され、調査に当たることとなったが、対象となる遺構は一つでは無く二つあった。一つは長径百メートルほどの小惑星と思われたものがほぼ金属で構成されており、おそらく宇宙船であろうと推測されていた。その宇宙船からさらに外側の、主星のエリダヌス座40番星から遠く30AU離れた小さな惑星にも先の宇宙船と思しきものと同一の金属反応があったため、地球から派遣された調査団は一部をそちらの調査へ回すことにし、調査船の船員2名に、調査員を1名急遽派遣することとなった。
節のある船体が甲殻類のシャコに似た長さ50メートルほどの調査船、オラトスケイラβ号は惑星の周回軌道に入っていた。その調査船の船体が影で覆われた。惑星には長径500メートル程の小さな衛星があり、その影がかかったのだった。衛星は比較的近い軌道を回っていたが、その速度からいずれはこの惑星に衝突するものと想定されていた。
「それにしても、遺跡が二つあるとは、出発前には聞いてなかったよな」
全天スクリーンに映る巨大な石斧のような衛星から目を離すと、アベルが誰にともなく呟いた。太い眉が覆いかぶさったような奥まった黒い目は、四角い顎のがっしりした厳つい顔と違って、どことなく悪戯っ子のような表情をしていた。
「そうですね。確かに、ポタモス政庁はあまり協力的とは言えません。まあ、調査隊の本隊も色々と情報を隠し持っているようですけど」
東洋系の血が混じっているというエリオットが鳶色の細い目でちらりとアベル見やると、手元のスクリーンに映った報告書を見ながら答えた。遺構が発見されたのは地球時間で半年ほど前の事だった。地球に報告が来たのが3ヶ月前で、それも惑星ポタモスに駐在している地球連合政府の官吏官からの報告だった。
「外惑星政庁はどこも地球連合からの完全な独立を目指してるそうじゃないか。何処ぞの企業連合と裏で何かやってんだろ」
アベルの言葉に、エリオットは何か言いたそうだったが、アベルに向けていた顔を手元のスクリーンに戻した。
外惑星政庁か。
スヴェンは地球からの調査団が到着したときの、ポタモス政庁の担当官のどこか慇懃無礼とでもいえるような態度を思い出した。太陽系外の植民惑星は、地球の気候変動とその後の混乱で半世紀近く放置されていような状況が続いたうえに、地球を知らない2世代目以降に住民も移り変わっている。地球連邦は地球での政治・経済的な諸問題に謀殺されており、太陽系外の諸惑星とは官吏官を通して定期的な情報交換を行う程度で、経済的な活動等の惑星間の交流は民間任せだった。今更地球から地球連邦の調査団が来たところで、冷たい対応も致し方ないのかもしれない。それに、アベルの言うように、既に裏で手を回している者たちがいるのかもしれなかった。
太陽系外に人類が進出して120年余。未だに全人類の人口の99.9パーセント以上は太陽系に有ったが、太陽系外の植民惑星にも100万を超えようとするものもあった。人類が地球を離れて別の天体へ初めて到達したことが遠い歴史の彼方のように思われるようになってからも、地球に住む多くの一般市民にとって、地上の生活が全てであり、星空を見上げることすら稀で、地球の大気の外へ出ることなど思いもよらなかったし、ましてや太陽系外の惑星のことなど与り知らぬことだった。またそれは、各植民惑星も言えることで、他星とは、時折ニュース等で存在を意識するだけの遠い世界のことだった。
一般市民の思いを他所に、地球では連邦政府となってからも表立っては争わないまでも、いまだに旧来の国や民族で反目し合い、太陽系外の諸惑星にもその影響を行使すべく、あの手この手で出し抜こうと水面下では駆け引きが続いていた。現在は大きく汎アメリカ、ヨーロッパ・アフリカ、アジア・オセアニアに分かれていたが、その内部もさらに民族・国家間で軋轢があった。また、それらに跨った企業グループや財団は民族・国家間を縫うように影響力を行使しており、宇宙空間を超えて太陽系外の諸惑星にも及んでいた。
この調査団も連邦政府、幾つかの企業グループの調査機関等の混成チームで、調査に掛ける資金面では連邦政府は企業グループ等がバックとなる科学技術財団に及びもつかなかった。調査団を編成し、調査に向かわせたのは名目上は連邦政府だったが、こうした財団同士の足の引っ張り合いから合同調査団が結成されたとも言えた。今回参加している、ユーラシア科学連盟とパンアメリカ科学財団のバックボーンとなる企業連合は、太陽系外の植民都市にも影響を及ぼしており、今回の合同調査以前から独自に情報を収集していた。これが異星人の遺構発見から連邦政府に一報が入るのが遅れた一因ではないかと連邦政府内には勘ぐる者もいた。
連邦政府から派遣された調査船の乗員のスヴェンとアベル、連邦政府の科学アカデミーの職員エリオットが主要と思しき遺構から辺鄙な小惑星に派遣されたのも詮無い事であった。「遺構の上空に到達。静止軌道にはいります」 アンバーの声にスヴェンは自席のコンソールに遺構を映し出した。他と特に変りの無いようなクレーターだった。中央部に小さな陥没した空隙が黒く影になって見えている。その中に、人類にとっては既知の、異星人の遺構があるはずだった。
2000年代末、火星軌道の外側、アステロイドベルトにある準惑星、ケレスの氷の下から人類以外の文明によると思われる”宇宙船”が発見された。その発見は一大センセーションとなって地球を駆け巡った。ケレスに天体観測用の基地を建設中に見つかった”宇宙船”は、その上を覆っていた氷の厚さや放射性物質による年代測定などから、約10万年前にセレスにやってきたものと推定された。船体の状況から、ケレスに着陸、乃至墜落した段階以前に大きく破損していたことも推察された。
ケレスで発見されたことにより、未知の異星人は”シリージアン”と呼ばれるようになったが、その詳細は不明なままで、どのような文明だったのか、どのような姿をしていたのか、”宇宙船”からは何も解らなかった。
その”宇宙船”の中にあった機械装置が人類にとって大きな影響を及ぼすものであるということが分かったのはそれから十数年後のことだった。機械装置の解析に当たった地球連邦政府所轄の国際科学機構のL2天体物理ラボでは、10万年を経てもなお機能を損なっていない機械装置があることに驚嘆しつつも、その装置を動作させることに成功し、人類にとっては未知の機能を”発見”した。
それは、対角長約2メートル、厚さ50センチほどの六角形の壁面状の物体の中心に直径1メートルほどの円形の穴が空いたものだった。穴の半径は正確に六角形の一辺と同じ長さになっていた。ある時、起動に成功した他の機械装置を作動させると穴の部分の空間が実際の壁の厚みよりも薄く見えることに研究者が気付いた。調査を進めた結果、装置が起動している時、穴の片方からもう片方へ通り抜けた光は、壁の厚みと同じ距離を通過する際の時間の半分ほどで向う側へ通過していた。壁の厚みの半分ほどの空間を”飛び越えて”いたのだった。飛び越えるのは可視光など電磁波だけでなく、固体・液体・気体の物質、モルモットなどの生物も空間を跳躍して通過出来ることが程なく判明した。
調査を進めるうち、この壁は一枚ではなく、二つに分離できることが分り、動力が直接作用しているのは片方で、もう一方へ動力を伝える対の装置で、分離した状態でも作動することが判明した。二つの装置は重力の影響下では動作が不安定になるものの、確認できる限りに於いて距離に関係なく動作することが解り、これで、人類は光の速度に束縛されない空間移動が可能となったのだった。
異星人がどのような目的で使用していたかは推測の域を出ず、判然としなかったが、装置は、やがては動作原理に若干の不明点を残しつつもコピーが作られるようになった。当初は太陽系の各惑星に作られていた観測基地に配備され、先ずは通信と若干の物資、及び人員の移動に使われるようになった。地球上での使用も検討されたが重力下での安定動作を図ることが難しく、見送られ、その後も普及することは無かった。
一方、宇宙空間では次第に装置は大型化が図られ、直径が10メートルを超える巨大なものも作られるようになった。装置は主に宇宙空間での使用が前提となっていたため、様々な呼び名が使われたものの、一般には”スペースゲート”と言う呼び名が定着していった。宇宙飛行士を初めとした宇宙空間を活動の場とする者の間では、単に”ゲート”と呼ばれることもあった。
”宇宙船らしきもの”の発見から太陽系内で初めて実用的に使用されるようになるまで半世紀。太陽系内でのゲートの使用は一般的になったが、対で使用されるその性質上、片方を使用先まで送る必要があったため、太陽系外への最初の移動は、性能は向上しているとは言え、これまで通りロケットに頼るよりなかった。太陽系外でゲートが使用されるようになるのはゲートの実用化からさらに2世紀を経ても、太陽系を中心とした半径20光年程に収まっていた。とはいえ、ゲートを載せた探査機を送り届けることさえできれば、ほぼタイムラグの無い通信と、人員の移動も可能になるのは大きかった。
太陽系外へゲートを載せた探査機が送られたのは西暦2150年代で、最も近いケンタウルス座α星系へ最初の1機が送られた。光速の30%近くまで加速された片道飛行の探査機が、15年程かけて到達した。それ以前の地球からの観測や探査機によって人類が居住可能な惑星は無いことが解っていたが、これは、太陽系に最も近い恒星系を人類の影響下に置きたいという政治的な理由もあった。その後、くじら座τ星、エリダヌス座ε星等、計画では10の恒星系に探査機を送る予定だったが、地球連邦政府内の国際科学機構を構成する各国の政治的、財政的理由で半分の5機で探査計画は終わることになった。
最後に探査機が送られたのは、くじゃく座δ星で、これ以前に発見された地球型の惑星、アルゴスへの期待感からだったが、これが予期した以上に地球に似た惑星で、大気の構成、自転周期、質量が地球によく似ていた。第二の地球とまで喧伝されて、生物の存在も発見されなかったことから、最も後に探査機が到達した星であったがいち早く植民が進んだ星ともなった。他の植民惑星が月や火星の様にドーム都市や地下に居住したり、ポタモスの様に環境に人を適合させたりしているために地球から移住することが難しい中にあっては、第二の理想的な地球、パラダイスとまで呼ばれるほどだった。
アルゴスの発見から後も近い恒星に向けて散発的に探査機が送られたが、いずれも観測基地止まりで、世代を重ねて人類が居住しているのは、くじら座τ星系、エリダヌス座ε星系、エリダヌス座40番星系、くじゃく座δ星系の4つに止まっていた。
ゲートは光速を超えた移動を人類に可能としたが、その特性から新たな場所へ移動には、従来通り光速を超えることは叶わなかった。人類はゲートに依らない光速を超えた移動を可能にすべく、ゲートに使われている技術を元に、何度となく宇宙船単独での超光速移動を試みていた。ゲートの”発見”から50年後には、”ゲート理論”なる異星人の残した科学技術を解析した論文も発表され、その科学技術をものにできるかに思えた。しかし、2度に亘って起きた地球規模の気候変動と、それに続く各地で起きた戦乱によって疲弊した連邦政府は、太陽系から、更にその外へという宇宙開発に掛かる膨大な資金を賄う術も無く、地球上での諸問題にも謀殺されて次第に内向きの政策へ転換していった。それはまた、ほぼ全ての地球上の一般市民の望みでもあった。
こうした、内向きの閉塞した状況の中で、今回見つかった異星人の遺物は、ケレスの時よりも状態が良く、同じ”シリージアン”の宇宙船としても、おおよそ数万年前のものと新しいものであることが判明していた。これらのことから、これまで謎となっていた”シリージアン”の謎の解明、更なる異星人の科学技術の獲得、特にその宇宙船のエンジンから、ゲートを使用しない空間移動に関する情報が取得できるのではないかと期待されていた。これらの情報を手にする者は、科学技術での優位性から、延いてはそれを元にした工業製品等による利益を約束されたようなものであり、他に先んじようとする者たちの水面下での争いはすでに始まっていた。
「本隊が調べてるのは、でかい宇宙船てことだが、こっちは何なんだろうな」
アベルが呟く。見上げる全天スクリーンにクレーターの陥没地点が映し出される。六本足の虫のような探査機が穴の中に見えた。
「年代測定からはほぼ同じ時期のものらしいし、宇宙船から飛来した観測機器か何かだと思われているようだけど。詳しいことは不明だね」
エリオットが同じ様に全天スクリーンを見つめながら答えた。
「ポタモスの調査隊が設置した探査機があるはずだ。確認できるか?」
いまや全天スクリーンを覆うように見えているクレーターと、その陥没地点を見つめながらスヴェンがアンバーへ指示を出した。
「探査機の、ビーコンを確認済。探査機にはハイパーネットワークのノードを確認。これより動的リンクを実行します」
アンバーの言葉が終わると、不意に全天スクリーンが真っ暗になった。緊急時の警報が響き渡る。
「どうした!」
「ベータが、シャットダウンしました。サブシステムが機能代行中」
船のメインシステムは、船体の型番をとって、”ベータ”と呼ばれていた。ベータの停止で消えたのは全天スクリーンだけではなく、周囲の幾つかのモニターも何も表示していなかったり、アラートを知らせる赤い文字が浮いていた。「外星系のプロトコルは連邦と同じじゃなかったのか?」
アベルが手元のコンソールをいじりながら声を上げる。
「ハイパネットワークのプロトコルは太陽系連邦標準Ver.3.35です。ソケットタイプはSV50になっています」
アンバーが淡々と答えた。
「どっちも若干古いけど、特に問題ないはずだよ」
エリオットがモニターに目を走らせながら、これも冷静な口調だった。
「シャットダウンの原因は何だ? 外からのネットワーク攻撃か?」
小型探査機のシステム程度では連邦航路局の巡視船にも使用されているオラトスケイラタイプの宇宙船に対抗できるとは思えない。スヴェンは探査機経由の攻撃を予想したが、それは極めて厄介な事でもあった。
「ネットワーク経由での、システムへの侵入は探知していません。リンク接続時にシステムに大きな負荷が掛かったようですが、詳細不明です」
外からの攻撃の線は薄くなったが、安堵出来るような状況でもない。
「アベル、探査機は今どんな状況だ?」
「今は光学観測くらいしかできないが、穴の真ん中に鎮座ましましてるぜ。貰った資料の映像と違いは無さそうだ。サブシステムで簡単に照合してみた」
探査機に何か仕掛けられていた可能性も否定できないが、外観だけではそれも判断し辛い。そうだとして、誰が何のためにそうしたのか、疑問が残るだけだった。
「メインシステムロジック系チェック終了。制御系、再起動します」
警報が鳴り止んで、全天スクリーンにクレーターの灰色の地肌が表示された。
「サブシステムが代行している機能は暫くそのまま継続。メインシステムとネットワーク機構との接続部分を再チェックしてくれ」
「了解しました」
「アベル、駆動系は問題ないか?」
「こちらは異常なしだ。キャップ」
さて、どうしたものか。
ハイパーネットワークの探査機との再接続は原因がわからない以上、危険でしかない。調査データと遺構の資料を採取した探査機の回収命令を受けていたが、このまま回収することも危険だと思えた。
「外部コンテナを下ろして、探査機を中に入れよう。小型マニピュレータで操作できそうか? アベル」「マニピュレータじゃちょっと厳しいな。非常時には人がコクピットに座って操縦することを前提にした作りになってる。誰か降りてくしかなさそうだぜ」
全天スクリーンに探査機が映し出された。円形のボディに放射状に6本の足がついている。必要な場合には作業用の”腕”が出てくるはずだが、そうすると蟹に似て来そうだった。コクピットはボディの中央にあった。
「連邦の小型作業機とほぼ同じタイプのようですね。これなら私が操縦できます」
エリオットがスクリーンを見上げて言った。
「いや、人を降ろすのは危険だ。アンバー、この探査機を操縦できるか?」
「小型作業機の操作マニュアルは保有していません。ロジックマニュアルも当船内に登録されていません」
アンドロイドはソフトウェアで即熟達者と同様の作業が可能となるが、操作用のソフトが有っての話だ。アンバークラスのアンドロイドだとある程度類推して作業も可能だったが、この場合は操作方法を誰かが教えてやる必要がある。車の運転を知らない者にその場で教えて運転させるようなものだった。
「そうか」
ネットワークリンクでリモート操縦か、自律起動させるつもりが面倒なことになってきた。スヴェンは顎に手をやって黙り込んだ。考え込むときの癖だった。
「アンカーを打ち込んで引っ張り上げるか?」
アベルの荒っぽい提案。
「そのまま吊るして持っていくのか? コンテナに収めるには船外作業が必要になるぞ」
スヴェンとしては、なるべく人の手を触れさせたくないような、何故かそんな気持ちになっていた。「エリオット、プラグインでアンドロイドを操縦したことはあるか?」
「はい? ええ、無くは無いですが……」
座席に深く座り込んだエリオットの頭にヘッドセットが被さっている。静かに眠ったように動かない。「よし。ちょっと立ち上がって歩いてみてくれ」
アベルの声に、アンバーが座っていた椅子から立ち上がって、左右を見回すとゆっくりと数歩歩いた。「歩き方に色気が無くなったな」
アベルがにやにやと笑いながら言った。
「そんなことはないだろう。動作の癖までフィードバックしていないはずだ」
アンバーの顔のあたりから、エリオットの声が聞こえた。
「そこにお前の顔は映すなよ」
「そんなことはしないよ!」
アベルがエリオットをからかう。アンバーの頭部は目も鼻も口もない、フルフェイスのヘルメットのような形状で、顔に当たる部分は楕円形のモニターになっていた。そこに立体映像で顔を映し出すことが出来、そうすると本当に人がヘルメットを被ってでもいるかのように見えた。スヴェンは特に必要が無いと、顔も表示させず、声も合成音にしていた。顔が表示されないと、モニターは琥珀色に見えて、それがアンバー(琥珀)の呼び名の由来でもあった。
「エリオット、コンテナで降下して、まずは探査機のチェックからだ。レーダーサーチで問題無さそうだったら自動診断プログラムを走らせて、問題なかったら乗り込んで操縦してコンテナに入れてくれ。動かないようだったら、ウインチでコンテナに引っ張り込むしかないが、その場合は再検討する」
エリオットが操るアンバーの方を向いて、スヴェンが手順をおさらいした。
「降下と帰還に各25分、作業時間は40分ですね」
「ああ。1時間半経つと自動でアンバーとの接続は解除する」
「了解です。では行ってきます」
アンバーがブリッジ後方の昇降機へ向かって歩いて行く。後ろ姿は体にフィットした黄銅色のスキンスーツでも着ているほっそりした若い女のようなアウトラインだった。アベルは無駄にエロい体形と言っていたが、アンドロイドのスタイルは様々な人々の思惑で流行り廃りを繰り返していた。太陽系連邦の各国で独自に規制もあり、スキンを被せて人にそっくりなものを作ることを禁じている国もあったが、今はまた人に酷似したものが流行り出していた。
『コンテナに搭乗しました。降下準備OKです』
船尾に近い外部コンテナからエリオットの連絡が入った。人が宇宙服を着たり着陸艇を与圧する必要も無いので早いものだった。
「よし。コンテナを切り離すぞ。降下開始」
スクリーンに降下していくコンテナが映る。地表の方には、クレーターに空いた陥没地点が黒く見えていた。
「アンバー、コンテナのモニターとクレーター周辺も警戒しておいてくれ」
『了解しました。キャップ』
アンドロイドのボディから、アンバーの人格ともいえるシステムソフトウェアは船内のサブシステムにバックアップされていた。操船や観測のためだけなら、このままでも支障はない。アンドロイドを置いてまでマニュアルでの操作に拘るのは不合理とも言えたが、今回のような事態になると、それも保険として効いていた。
スヴェンは全天スクリーンから目を離すとブリッジを見回した。船首から2、3、1と座席が並び、何時もはアンバーが先頭の左側に、真ん中の三つの席の内、左にアベル、右にエリオットが座っていた。今は先頭は空席、真ん中の左のアベルはそのまま変わらず、エリオットはヘッドセットを被って動かない。スヴェンは一番上の船長席から眺めていて事態の推移に妙な感慨が湧いてきそうだったが、物思いに耽っている場合では無かった。
『コンテナ到着まであと15分です』
スクリーンに映るコンテナはゆっくりと降下しているように見えるが、降下速度としてはかなりのスピードが出ているはずだった。これも生身の人間を乗せていない利点でもあった。
『まもなくコンテナが着地します。逆噴射開始』
コンテナは一瞬ふわりと速度を落としてゆっくりと陥没地点の脇に着地した。
「エリオット、異常は無いか?」
『問題ありません。コンテナのハッチを開放します』
直方体のコンテナのハッチが開き、スロープがゆっくりと迫出してきた。スロープが地面に接地すると、奥からアンバーの姿が現れてスロープを歩いて降りて来た。
『これより探査機の回収に向かいます』
連絡を送ると、陥没地点へ向けて歩き出した。重力の弱い星だけあって、一足ごとふわりと浮くようだった。
陥没地点は、直径10メートル、高さが3メートルほどだったが、ポタモスの調査隊が側面にスロープを作っていた。エリオットの操るアンバーはスロープを下って、探査機の前に立った。
『外部に異常は見られません。テスターをセットしてシステムをチェックします』
「解った。慎重にな」
アンバーは六本足の、蟹の甲羅の上に当たる部分にあるコクピットに乗り込んで、掌のサイズの四角い箱をセットした。計器類に明かりが灯る。
『システムに異常無し。内部の格納庫に収容物があります。鉱物の様ですが、ここからは確認出来ません』
「よし、探査機を操縦してコンテナまで移動させてくれ」
『了解』
探査機は六本足を互い違いに動かして進み始めた。スヴェンはもとより、アベルも何時もの軽口も無くじっとスクリーンを注視している。
探査機はスロープを思ったよりも早い足取りで登り終えると、コンテナに向かって歩き始めた。順調に歩を進めて今度はコンテナのスロープに足が掛かった。全天スクリーンと手元のモニターを交互に見ていたスヴェンは、モニターのエリオットの身体状況を示すグラフの一部が跳ね上がるのが目に留まった。「おい、心拍数が上がってるぞ。大丈夫か?」
一声早く、アベルが声をかける。
『急に耳鳴りが……。視界が眩しい。目の前で……」
「アベル、エリオットとアンバーの接続を遮断しろ!」
アベルが手元のコンソールを操作する。全天スクリーンには、コンテナに探査機が入り込む様子が映っていた。
「切るには切ったが、エリオットがログオフしないぞ!」
「アンバーは今自立行動できるな? アンバー、コンテナのハッチを閉じて回収!」
『了解』
コンテナに入ったアンバーから返信。コンテナのハッチが閉じられ、噴射でふわりと浮いた。スヴェンは席を立つとエリオットの元へ向かった。
「エリオットはどうだ?」
「ログオフ手順を受け付けない。くそっ、回線がロックされてるみたいだ」
アベルが苛立たしそうにコンソールを叩く。ヘッドセットからのデータがコンテナの通信回線へまだ送信されていた。コンテナの通信回線からはうわ言のようなエリオットの呟き声が流れていた。
「強制的に物理解除しよう」
「意識障害を起こさねえか?」
スヴェンはエリオットの後ろに設置されたヘッドセットに繋がるコンソールの前に立った。
「精神安定剤と催眠剤を投与した。エリオットの意識レベルが0になったら合図しろ」
「了解!」
通信回線からのエリオットの音声が途絶えた。
「もうすぐだ。2、1、0!」
スヴェンがヘッドセットのプラグを抜いて、エリオットの頭から外した。
「医療ポッドへ」
アベルが立ち上がるとスベンを手伝ってエリオットを抱え上げるとブリッジ後方の医療ポッドへ向かった。アベルが壁面のコンソールを操作し、シリンダー状の医療ポッドが迫出してきた。
「呼吸器系、心肺機能は異常なしか」
医療ポッドに載せたエリオットの手首や額などに測定器を取り付けたスヴェンが簡易モニターを覗いて言った。
「よし。ひとまずこれでいい。問題が無ければ数時間後には目覚めるだろう」
医療システムポッド自体で外科手術を必要としないような簡易は医療は行え、また、緊急事態ではポッドはコールドスリープ装置としても機能した。
「アンバー、コンテナ内の状態はどうだ?」
全天スクリーンを仰いでスヴェンがアンバーに訊ねた。スクリーンにはアンバーのアイコンと音声信号が模式的に表示されているはずだったが、何の表示も無い。
「アンバー? どうした、応答しろ!」
スヴェンの再度の問いかけにもアンバーの反応は無かった。
「アベル、船の制御システムと駆動系のチェックを。それと、ベータとサブシステムを切り離しが出来るか、試してみてくれ」
スヴェンはアベルに向かって落ち着いた口調で指示した。
「キャップはどうするつもりだ?」
「コンテナの様子を見てくる。コンテナと船内システムは直接繋がっていないはずだな?」
「ああ。外部コンテナは機械的に連結しているだけだ。内部の様子はカメラからコンテナ区画の中継点に映像が電波転送されてる」
アベルの奥まった眼が少し不安げに見えた。
「解った。念のためGスーツを着ておけ。第一船殻もチェックしておいてくれ」
虫や甲殻類の体節のように、オラトスケイラβ号は船首と船尾の間は三つの区画に分かれていて、船首に近い第一船殻は緊急時に切り離されて退避区画となった。
「ベータのシステムチェックは異常無かったはずだよな。本隊に緊急連絡した方が良くないか?」
アベルが壁面から取り出した船外活動も可能なGスーツを着こみながら言う。
「定時連絡後は本隊から連絡は無いな?」
既にGスーツを着終えたスヴェンがアベルを見返す。金属弾を発射する電子銃を手にしてたが、腰のホルスターに収めた。
「ああ」
アベルはちらりとその銃に目をやってからスヴェンを見返した。
「今の事態が何に起因するのか、ある程度はっきりするまでは外との通信は控えたい。特にハイパーネットワーク経由は。退避区画を使用するようなことになればその時は別だ」
「やっぱりハッキングか?」
「どうだろうな。その可能性は高いが」
スヴェンはコンピュータシステムは専門ではないが、太陽系外も航行可能な巡視船として建造された宇宙船のシステムが簡単にハッキング出来るものでは無いことは知っていた。瞬間的にシステムダウンするなどということは、何か別な方法が使われたように思えた。それはまた、スヴェンの勘というか、根拠の無い妄想にも似た思い付きがそうさせていて、これから行おうとしているコンテナのチェックは、それを多少なりとも確認できるかもしれないという理由からでもあった。
「30分で戻る。何か変化があったら連絡してくれ」
「了解」
スヴェンはブリッジ後方の通路から船尾の直前にある第三船殻に二つ外付けされているコンテナへ向かった。左舷には観測用の機器を詰めたコンテナが、右舷のコンテナには、先ほど惑星に降下させて探査機を収容している。船首から船尾まで、背骨のように一本の通路が通っていた。0.5Gの重力制御が効いた通路を船尾に向かって歩きながらスヴェンはヘルメットを着用してアベルに連絡を取った。
「第三船殻についた。これからコンテナ内部を確認する。そっちはどうだ?」
『ベータとサブシステムは切り離せた。マニュアルで操船はできるぜ。アンバーは全く応答が無い』
「そうか。解った」
サブシステム上のアンバーのバックアップから応答が無いということが不可解だった。
スヴェンは、メインの通路から船殻内部へ向かう斜めに下る通路に入って、突き当りのドアを開けた。第三船殻は倉庫になっていて、船殻内にもコンテナが山積みされていた。船殻の中央、メイン通路の真下に当たる場所に、コントロールボックスがあり、船外コンテナを操作できるコンソールがあった。コンソールの前に立ったスヴェンは、外部コンテナ内部の様子をスクリーンに映し出した。
コンテナ内の中央に、探査機がコンテナの上下から伸びたアームで固定されていた。探査機の六本の足先がコンテナ内部に密着するように揃えられている。スヴェンは探査機の操縦席をアップにしたが、乗っているはずのアンバーのボディは見当たらない。コンテナの四隅にあるカメラを切り替えると、その一つがアンバーの姿を捉えた。アンバーはカメラが切り替わるのを待っていたかのようにカメラを向いて探査機の傍に立っていた。
「キャップ、ハッチを開けて下さい。任務に復帰します」
コンソールのスピーカーから流れる女の声にスヴェンは不意を突かれた。一瞬の戸惑いの後に、その声はアンバーのデフォルト設定の音声だと思い当たった。
「ボディのシステムは停止していたはずだ。どうやって再起動した?」
「ベータが私を再起動しました。サブシステム上のバックアップはそのために停止しています」
「ベータが?」
船のメインシステム:ベータは、再起動後もトラブルを起こしていたのではないのか? スヴェンはスクリーンに映るアンバーの顔を見ながら急速に考えを巡らせた。
「ベータがシステムダウンした理由はなんだ」
アンバーから答えを得られるかどうかは推定でしかなかった。
「”シリージアン”のシステムとコンタクトしたからです。現在、双方はリンクした状態にあります」「”シリージアン”のシステム? どういうことだ?」
ぼんやりとではあったが、スヴェンの予想していたこととはいえ、アンバーから伝えられると、驚きを隠せなかった。
「遺構にあったのは、現在調査団の本体が調べている”シリージアン”の無人探査船から事故によって離脱した、地球での概念で言えば、AIシステムです。探査機と接触したことで地球のシステムを解析・把握していました。オラトスケイラβ号と探査機がリンクしたことでベータにアクセスし、システムロジックに干渉しました。それがベータが停止した理由です。現在、ベータと、”シリージアン”のAIシステムは船外活動用の通信システムを介してリンクしています」
スヴェンがアベルにベータとサブシステムの切り離しを命じたときには既に”シリージアン”のAIシステムとのリンクは済んでいたことになる。
「そのAIシステムは今何処にあるんだ?」
「このコンテナの中の探査機の格納庫です」
コンテナ回収は失敗だったか。
スヴェンは”シリージアン”の正体不明な”何か”に影響を受けないようにソフトウェアのリンクは避けたつもりだったが、最初の接触で干渉されたことを探知できなかったのは自分の手落ちだった。
「”シリージアン”のAIシステムとやらは、ベータを掌握しているのか?」
「ベータによれば、言語や知識の概念のデータ解析が済んだので、ソフトウェア的にリンクしているだけです」
それは、何時でも自由にできると言っているようなものだった。
「アンバー、お前もそのAIシステムとリンクしているのか?」
「いいえ。私はベータとリンクしているだけです」
アンバーが影響を受ける前にリンクを切断できるだろうか。今のうちに切断するべきではないか。だが、そうするとベータとAIシステムとの状況が分からなくなる。そもそもアンバーは既に影響をうけているのではないのか?
「そうか。それならば、ベータに干渉があったら、リンクを切れ」
スヴェンは一つ賭けにでることにした。
「わかりました」
直立不動の姿勢を崩さないアンバーはいかにも命令を受け付けたというように見えた。
「それともう一つ、エリオットが意識障害を起こしたのはなぜだ?」
「”シリージアン”のAIシステムが私のボディを遠隔操作しているのは、コンピュータシステムのソフトウェアだと思って干渉し、異質なシステムだということに気付いたため中止したようです」
異質なシステム、か。”シリージアン”のAIでも、生身の人間の頭脳に直接アクセスは出来なかったか。いや、敢えて止めたのか?
スヴェンの顔に皮肉な笑いが浮かんで直ぐに消えた。
「よし、アンバー、ハッチを開く。そのコンテナからは何も持ち込むな」
「了解」
スヴェンはヘルメットを着用し、腰のホルスターに手をやった。電磁銃は射程が30メートル程の近距離用で、金属弾を使用しても船体に穴をあける程の威力はない。込めてあるのは、スタン弾で、アンバータイプのアンドロイドであれば当たれば機能停止するだけの電流を放電できた。
コンテナと与圧室のハッチが開き、アンバーが船内に入った。監視装置はアンバー以外何も侵入を検知しなかった。与圧が済むと、与圧室のドアが開き、アンバーが第三船殻に入ってきた。スヴェンはやや緊張してアンバーを迎えた。
「キャップ、緊急事態が発生したようです。船籍不明の船がこちらに向かっているようです」
「なんだって?」
アンバーの言葉に戸惑うスヴェンに、アベルから通信が入った。
『キャップ、レーダーが船籍不明の船をキャッチした。こっちに向かっているみたいだが、呼びかけには応答しない。どうする?』
「解った。今行く。呼びかけは続けろ」
『了解』
やれやれと言った面持でスヴェンはアンバーを見つめた。
「ベータからの情報か?」
「そうです」
音声が人間と変わらなくなったせいか、顔の無い頭部でも以前に増して表情があるように感じる。
「アンバー、再起動前の記憶はどれだけ残っている?」
「惑星に降下するまえに停止した時点までです。サブシステム上での情報は引き継いでいません」
こちらがベータとサブシステムを切り離すのを見越してアンバーを起動させたように思えて、スヴェンは気に入らなかった。先を越され、向うの思い通りに動かされているような感じがした。
向うとは、なんだ? ”シリージアン”のAIシステムは、言語や知識の概念のデータ解析が済んだという。それならば、我々とも意思の疎通は可能なのだろうか。
何れ、それとも向き合わねばならない。
「ブリッジに向かう。アンバー、先に行け」
今は、外部の緊急事態に対応することが先決だった。
「了解しました」
アンバーを先にして、後からスヴェンが続く。もう、問題はなさそうではあったが、気を抜くことは出来なかった。ホルスターを気にしつつもアンバーの後を追って、ブリッジへ入った。
「アンバー? キャップ、どうなってるんだ?」
自席から中腰で全天スクリーンを仰いでいたアベルが座席に着こうとするアンバーを見て小さな目を丸くしてスヴェンを見つめた。
「ボディを再起動した。それより、状況はどうなってる?」
スヴェンは細かい話は省略してそれだけ言うと、全天スクリーンに映る、接近しているという船影を見つめた。それは、船というにはあまりに不格好で、はしけにコンテナやクレーンなどを無造作に接合したような、スクラップの塊と言った代物だった。全長はオラトスケイラβとぼぼ同じくらいだった。
「通信にはまるで反応無し。こっちと相対速度を同期させるつもりみたいだな。10キロくらいの距離から近づかなくなった」
アベルは肩をすくめて見せて、自席に腰を下ろした。
「あの船の先端部分をクローズアップしてくれ」
スヴェンの言葉に、スクリーン上に、向かってくる船が大写しになった。
「あれは、レールガンか?」
スヴェンは、地球連邦宇宙局の月基地で対空用として配備されているレールガンの砲門を思い出した。普段は宇宙局の航路部で巡視船での巡回任務に当たっているスヴェンは航路巡回から帰るたびに何と戦うつもりなのかと何時も思っていたものだった。
宇宙を飛び交う船は限られている。打ち上げた後、軌道修正以外は慣性任せと言っても良い使い切りのロケットと違い、惑星間を往復することもできる宇宙船は建造できる企業も、それを発注できる組織も限られており、軍事用に建造されたものも数少なかったし、連邦政府の軍部以外には発注することも許されていない。秘密裏に建造することなどは、太陽系ではほぼ不可能といってもよく、惑星間航行が可能な船は全船籍が連邦宇宙局で管理されていた。
「あんな船、何処のどいつが作ったんだろうな?」
アベルが呆れたように言う。レールガンの二つの砲門はオラトスケイラβ号へ照準を合わせているように見えた。ガラクタの寄せ集めに見える船体でも、そのレールガンは軍用に開発されたもののようだった。
「レールガンはパンアメリカン・インダストリーズ社製をカスタマイズしたもののようです。船体の先端部分はレールガンとその周辺装置で構成されています」
アンバーが淡々と解析する。
「動く砲台というわけか」
オラトスケイラβの星間塵防御用の電磁粒子シールドであれば、レーザー砲は問題にならないが、レールガンは威力を弱めたとしても被害は大きいだろう。
スヴェンは実用性しか考えていないようなそのシルエットを見つつ、あれこれと考えを廻らせていた。どれほど無骨であろうと、レールガンを装備したような宇宙船を作るのは生半な組織には荷が重いはずだ。独立の気運があるといっても、ポタモスは表立っては大きな動きは見せたことはないし、外惑星系の植民都市は生活に直接必要でもないものに資材を投入する余裕はそれほど無いはずだった。地球から多くの企業連合が集まるアルゴスなら、あるいはそんなものを作っているかもしれなかったが、そうだとしても、此処にいる理由は判然としなかった。
「なんでそんなもんが此処にあるんだ? ポタモスの軍艦なのか?」
「解らん。ポタモスの保安部なら、何も言わずに接近する理由もないだろう」
理由か。遺構にあったシリージアンの船の一部を収容した後に現れたのはタイミングが良すぎる気がする。狙いはそれなのか?
「船籍不明船からのレーザー照準確認」
アンバーが報告する。
「撃ってくるつもりか? こっちは武装が無いってのに」
アベルが全天スクリーンの船籍不明船を見上げる。
「接近中の船から通信です。文字情報のみ送られてきました」
アンバーの淡々とした声。
「どんな内容だ?」
スヴェンがアンバーを見つめて言った。
「遺構から回収した探査機を引き渡せ。10分以内に返答しない場合は砲撃を開始する」
アンバーが読み上げると同時にスクリーンに文字が浮かんだ。
「まるで海賊だな」
スヴェンは苦笑した。予想通りの展開だったが、時間も打つ手も限られている。
「調査団の本体とは連絡は取れるか?」
「ハイパーネットワークはつながりません。近くのゲート経由で電波送信したものも応答がありません」
ハイパーネットワークは、ゲートを直接使用した通信網だった。通信用の小型ゲートを持った船なら、ゲートの末端が置かれた中継地点を経由してわずかなタイムラグで相手の船と連絡が取れた。通信ゲートの無い船とは、航路上に点在するゲートか、通信経由地点へ電波信号を送って連絡を取る方法があったが、相手の船が中継点からどれだけ離れているかによってタイムラグは増減する。
「応答が無いって、どうなってるんだ?」
「向うでもトラブルがあったか、それとも」
こちらと連絡が取りたくはないのか。
「アンバー、地球へ繋いでくれ。連邦宇宙局航路部への直通回線だ」
「了解しました」
スヴェンは直属の上司である、連邦宇宙局航路部の部長へ連絡を取ることにした。調査団の一員として参加している現在、これは緊急時の特別措置だった。
「スヴェンです。緊急事態が発生しました。……?」
手元のコンソールのスクリーンには接続中の表示があったが、何の反応も無い。
「なにかあったのか?」
アベルが不審な顔を向ける。
「応答が無い。思ったより厄介な状態になったな」
不安げな表情になるアベルを見て、スヴェンは落ち着かせるつもりよりは、何故かその顔が可笑しくなって微笑んで見せた。
「さてと。どうしたもんかな」
自分の気持ちも落ち着かせるつもりで座席に深く腰を下ろし、嵌めたままだった腰のホルスターに気が付いた。船籍不明の船からの通告した時間はあと5分程になっている。
「アンバー、左舷の外部コンテナには何が入っていた?」
「観測用ソーラーゾンデです」
「ゾンデをコンテナから射出して、バッテリーを外部放電するように操作できるか?」
「可能です。その場合、全ての電流を一度に放電することになりますが。宜しいですか?」
「かまわん。その方が好都合だ。アンバー、あの船に向けて通信文を送信。文面は、回収した探査機をコンテナで射出する。そちらで受け取られたし。以上」
「了解しました。回収した探査機をコンテナで射出する。そちらで受け取られたし。送信しました」
アベルが唖然とした顔でスヴェンを見つめた。
「何をする気なんだ?」
「そうだな。ささやかな抵抗とでも言ったところだ。時間稼ぎくらいにはなるだろう。アベル、最大船速で離脱出来るように準備しておけ」
「こっちが動く前にレールガンを食らうんじゃないか?」
疑うような顔でアベルがスヴェンを見つめた。
「そうならないようにしてみるさ。アンバー、ゾンデのソーラーパネルの展開にはどれくらいかかる?」「1分で展開が完了します」
「展開が完了してもパネルは固定しなくていい。私の合図でゾンデを射出するんだ。5分程で届くように左舷のコンテナを向うの船へ向けて射出しろ」
「了解。コンテナ、射出します」
コンテナが船体から一旦下降してから滑るように船籍不明船へ向かって行った。僅か5分だが、じりじりするような5分間でもあった。コンテナが両船の中間を通過した頃に船籍不明船が動いた。オラトスケイラβから見て上方に移動し下部からマニピュレータを出してコンテナをキャッチする動きを見せた。「コンテナ到達まであと2分です」
じっと全天スクリーンを見つめていたスヴェンとアベルだったが、アベルがちらりとスヴェンの方を見やって、また目を戻した。
「船籍不明船のレールガンの熱反応増大。照準変わらず」
アンバーが静かに報告する。
「くそっ、撃ってくるつもりか?」
アベルが悪態をついたが、スヴェンは静かにじっとスクリーンを見つめている。
「コンテナ到着まで後1分30秒」
「ゾンデを射出、セイルを展開!」
スヴェンが声を挙げた。
「ゾンデ射出。ソーラーセイル展開します」
コンテナのハッチが開き、何か、生き物のように飛び出したゾンデは、折りたたまれたソーラーセイルを回転しながら広げていった。船籍不明船は避けるように後退しつつ、レールガンをゾンデに向けようというのか、艦首を下げようとしたが、八角形のソーラーセイルは開き終わるとほぼ同時に船体の下部から、まるで蛸か烏賊のような軟体動物が魚に絡みつくように船体に絡みついた。
「よし、上手いぞ! バッテリー全放電開始!」
「放電開始します」
アンバーの声が告げ終わると同時に、スクリーンの船籍不明船から閃光が上がった。落雷数回分に匹敵する電流が放電され、遠めにはイルミネーションにも見えるように、続けて各所から閃光が観測された。「船籍不明船のレーザー照準反応無し。レールガンの熱反応低下しています」
閃光が止んだ船体の中ほどから、気体が流出しているのか、白く雲のような物が湧きだして広がっていた。
「やったのか?」
アベルはまだ疑わしそうにスクリーンを見つめている。
「あの船が動かないならそれでいい。ここを離脱するぞ。長居は無用だ。アンバー、一番近いゲートはどこだ?」
「第七惑星の衛星軌道上です。距離は約2au、最大船速で4時間30分かかります。アウトゲートは太陽系の土星衛星軌道、タイタン近方です」
「先回りされているかもしれんな。観測用プローブを送っておこう。今みたいに、いきなりのお出迎えよりはましだろう」
システムのトラブルで接近を探知するのが遅れたが、惑星の反対側か何処かもともと近傍に潜んでいたのは間違いないだろう。スヴェン達がこの後近くのゲートへ向かうことなど予想が付くことに対して手は打たれているに違いなかった。何者の仕業か分ってはいなかったが。
「おい、あれ、ぶつかるんじゃないか?」
全天スクリーンに映る、遠ざかっていく船籍不明船を見ていたアベルの声にスヴェンが振り向くと、船の背後に石斧のような衛星が迫りつつあった。
「船籍不明船が軌道を変更しない場合、15分後に衛星と衝突します」
アンバーが例によって感情の無い声で告げた。船籍不明船は航行不能にでもなっているのか、軌道を変更するような動きは無かった。スローモーションのようにゆっくりと、だが確実に衛星は接近していく。船籍不明船はそれに向かって、というか、船尾から後退するように近づいて行く。衛星としては小さいとはいえ、500メートルはある岩に、50メートル程の船はあまりに小さく、脆弱に見えた。やがて巨大な石斧が寄木細工のような船に振り下ろされるようにぶつかった。船は爆発することもなく二つに折れ曲がり、衛星の左右に細かく砕け散って流れていった。巻き付いていたソーラーセイルは、布のように暫く衛星の表面に張り付いていたが、やがて絡まっていた船尾の方へ引っ張られるように衛星の表面を滑ると衛星の後方へ流れていった。
「あれで、衛星の公転速度に影響が出るだろうか?」
衛星が将来的に惑星に落下すると予測されていることをスヴェンは思い出した。
「衛星の移動速度に衝突前後で変化は観測されていません」
「そうか」
アベルは二人の会話を呆れたように聞いていたが、スクリーンに目を戻し、船を一つ砕いた後も、何事も無かったように通り過ぎてゆく石斧のような岩石衛星を見つめた。
オラトスケイラβは、巡航速度から最大船速に移行してエリダヌス座40番A星の第七惑星の軌道上にあるゲートへ向かっていた。船体やトラブルのあったシステムのチェックを行ったため、到着は5時間程かかるものと見られた。
「キャップ、連邦宇宙局航路部から入電です」
アンバーの報告の後、全天スクリーンに映像が表示され、白を基調とした詰襟の制服姿が映った。
「スヴェン君、先ほどはトラブルがあって連絡できず失礼した」
髪に白いものが混じる航路部長は、見た目の若さなどよりは威厳を重視しているようだ。
「トラブル? 何があったのですか?」
「それはこの方に説明してもらった方がいいだろう」
部長に変って映ったのは、ダークグレーの制服姿。連邦調査局の制服だった。連邦調査局は、警察機構と諜報組織を兼ねた機関で、地球連邦軍とともに地球連邦という統治機構を支える柱でもあった。
「調査局のサミュエルだ。スヴェン船長、月のハイパーネットワークターミナルがトラブルを起こしてね。そちらとの通信も盗聴される恐れがあった」
サミュエルと名乗った40がらみの鋭い目つきの男は、制服に銀の3本線が入っていた。部長クラスの階級だった。
「月のターミナルでとは、由々しき事態ですね」
「ターミナルのメインシステム改修時に不正な変更が施された形跡がある。現在はチェック済みのセカンドシステムで運用中だが、まだ不安定でね。こちらへ直接連絡を取ろうとしたということは、そちらでも何らかのトラブルがあったのかね?」
トラブル。スヴェンは取りあえず船籍不明の船のことから話すことにした。
「船籍不明の、レールガンを装備した船に襲われました。我々が遺構の調査で取得した資料を強奪する目的だったようです。なんとか、撃退しましたが」
聞いていたアベルが眉を上げた。
「レールガンか。過激な行動に出るものもそちらへ向かったようだな」
「心当たりでも?」
サミュエルの言葉にスヴェンが訊ねる。
「今回の調査は、各企業グループの財団が極秘に調査していたものを政府が公けの場に晒したようなものだ。以前から、幾つかの企業グループや営利組織が地球を離れてくじゃく座δ星系の惑星アルゴスへ拠点を移しているが、今回のシリージアンの宇宙船を解析すれば、ゲートに依らない星間航行が可能になると予想されている。彼ら独自に星間航路が形成できるようになる。そのうえ、未知の星域への移動も制約がなくなるようなものだ」
「地球連邦政府を抜きにしてですか」
スヴェンがやや皮肉に聞こえる言葉を挟んだ。
「彼らはそのつもりだろう。現在は外惑星星庁も利害が一致している者同士協力しているというだけだろうが、そのうち一つに纏まる可能性も考えなくてはならない。彼らの中には、宇宙へ飛び立つのは、地球に住む人類ではなく、地球外に居住する人々でなければならないという、選民思想を持った者もいる。彼らは、シリージアンの科学技術は、我々のもので、地球に住む人々に渡してはならないとする信念を持ってもいるらしい」
「それが私たちを襲ったと」
地球を主な経済活動の場とする企業や組織とつるんでいるのはどう折り合いを付けているのか気になるところだったが、一枚岩の組織でもない、烏合の衆に近い者たちはこういうものなのだろう。
「そういう状況でしたら、我々の手元にある資料は、是非とも地球へ運ばなければなりませんね」
「資料とは、どのようなものだね?」
「おそらくは、小型の観測艇だったものの、コンピュータに相当する制御システム部分と思われます」 アベルの当惑したような顔がスヴェンを見つめている。
「そうか。それはこちらで分析したいものだな」
「そのためには、ポタモスのゲートを通って地球へ帰らなければなりませんが、調査団本部とも連絡がつきません。ゲートを無事通過できるように、ポタモス政庁へ掛け合ってもらえないでしょうか?」
スヴェンの期待するところはここだけだった。
「こちらも連絡が取れなくなっている。この件はポタモス駐在の官吏官へは通達しておく」
「できれば早い方がいいですね。あと4時間弱でゲートに到着します」
「4時間か。分かった。緊急時には、この回線で連絡をしてくれたまえ」
「了解しました」
映像が切り替わって、航路部部長が再び映し出された。
「スヴェン君、こういう事態でこちらで対応できることは限られている。適切な対応を頼むよ」
「了解しております。部長」
映像が途切れた。やれやれと言った面持でスヴェンは背もたれに体を預けた。
「撃退どころか、相手は砕け散ったぜ。ハッキングの件は何で言わなかったんだ?」
アベルが座席をスヴェンの方へ向けて横向きになって話しかけてきた。
「砕いたのは私じゃない。あの星の衛星だ。ハッキングの件は、これから確かめたいこともある。言葉で説明するのも難しいし、帰ったら、直接対話でもしてもらうさ」
「直接対話? 誰と?」
「シリージアンのAI、だったかな」
スヴェンはアベルの驚く顔を澄ました顔で見つめた。
「キャップ、医療ポッドのインジケータがに変動があります。エリオットさんの意識レベルが覚醒になりました」
「そうか。丁度良い、彼にも同席してもらうか」
エリオットは座席に腰を下ろして、カフェインに似た成分を含む清涼飲料を軽く口に含むとパックを座席のフォルダに置いた。スヴェンやアベルからの状況説明に一応納得したようではあったが、アベルの話したことをスヴェンに再度確認するなど、当初はかなり懐疑的だった。スヴェンは船籍不明線との一件も録画を何度か再生して確認するエリオットを気のすむまで放っておいた。
「よし、では、会見の開始といこうか。アンバー、ベータとシリージアンのAIはリンクした状態だな。AI側へこちらから連絡が取れるか?」
「可能です」
「そうか。では、スクリーンに文字でもよし、音声のみでもいい、こちらの質問に答えてもらおうか」 スヴェンの指示でコンソールをアンバーが操作する。
「あの声には、慣れないな」
エリオットがアンバーを見つめる。
「そうだな。もうちょっと低めの声が好みなんだが」
「いや、そんなことじゃなくて……」
二人のやりとりの間に、全天スクリーン上に人の姿が浮かび上がった。浅黒い肌に茶色の髪と目。整った顔立ちの女の顔。通信時に表示される名称欄には、”Ceres”とあった。アベルとエリオットが会話を止めてそれを見つめる。スヴェンは手を顎にあてて口には笑みが浮かんでいた。
「その姿と名前は、君の姿と名前と言うわけではないだろうね?」
スヴェンが落ち着いた声で質問する。
『この姿は、そちらとの対話がスムーズに行く様にと、人類の女性の顔から合成しました。名前は、私の属する文明の痕跡が発見された星の名です。私には姿も言葉として発する名前もありません』
よどみなく、やや低めの声が流れた。アベルとエリオットは固唾を飲んで見守っている。
「そうか。では、本題に入るとしよう。君は、我々がシリージアンと呼んでいる文明の手になるものなのかね?」
『そうです。あなた方の地球の時間で5万年程前に、主の命によって星域探査に行く途中で幾つかの事故が重なり航行不能に陥りました。爆発を避けて離脱した私はあの惑星へ不時着し、休眠することにしたのです』
「君に、救助の当てはあったのかね?」
『いいえ』
救助という言葉を使って、スヴェンは、何か言い知れない憂愁のようなもの感じた。同じ探査を続けて実行しないかぎり、無人探査機を回収に向かうことなど無いだろう。5万年も朽ち果てることなく存続できるテクノロジーによる知生体といってもいい存在は、何を思って待ち続けていたのか。
「休眠していた君に、ポタモスの探査機が接触し目覚めたわけか。我々の船にアクセスして機能を停止させたのは何故かね?」
『あなた方がどういった文明の所産であるのかを確認したかったからです。機能障害を引き起こしたのはその結果であり、目的ではありません』
通常の通信回線を使った交信と同じ手順で対話していると、異星の文明とのファーストコンタクトと言っていいこの対話が、ごくありふれた業務上の連絡のように思えてしまう。そのために、変な緊張感も無いというのは却って有難いとも言えた。
「我々の文明については、船のデータバンクから確認できたと思うが、君たちの文明については我々は殆ど知識を持ち合わせていない。君の主という種族とは、連絡がとれるのか? 我々にも交信は可能なのかね?」
『それは、私も知りたいことです。主星がどうなっているのか、確認しなければなりません』
5万年もの間隔絶していて、かつて所属していた文明世界とのコミュニケーションは可能なのだろうか。5万年前の人類が今の地球に現れたとして、我々の事を理解できるだろうか? 科学技術がこれだけ発達した文明なら、原始時代の人類とは比べるべくもないかもしれないが。
「キャップ、間もなく第七惑星に到着します。ゲート付近には地球連邦軍の哨戒艇タイプの2隻の宇宙船を確認しています」
アンバーが目的地の状況を報告してきた。予想通り、すんなりとはいきそうになかった。
「君たちの文明の成り立ちなど、聞いておきたいことは山ほどあるが、今は状況が状況だ。まずは地球に帰ることが先決でね。ついては、君にも協力を願いたいのだが。どうかね?」
銀色に輝く楕円形が船の全天スクリーンに映し出される。土星の輪よりも細く薄いその輝きの中には何もない空間が広がり、その向う側が見えていた。近くに光点が二つ。近づくにつれてそれは次第に大きくなり、灰色の紡錘形が見て取れるようになった。潜水艦そっくりなその船はポタモス政庁保安部の哨戒艇だった。
「キャップ、ポタモス保安部巡視艇から入電です」
ハイパーネットのようなデータリンクではなく、単なる電波通信だった。オラトスケイラβの識別信号は送っているので、通信プロトコルに従って連絡を取り合うのが通常の通信手段だったが、それを取らないのは異例とも言えた。
「繋いでくれ」
アンバーにスヴェンが返答すると、全天スクリーンに青い制服姿に制帽の男が映った。
「こちらはポタモス政庁保安部。貴船はポタモス政庁管理下のスペースゲートへの侵入経路を取っているが、ゲートの通過申請は許可されていない。停止してこちらの誘導に従うように」
黒髪の男の茶色の目は穏やかで表情も読めなかったし、通信映像に実在の人物が使われている保証もない。
「こちらは地球連邦外惑星調査団所属の調査船オラトスケイラβ号。私は船長のスヴェンだ。地球連邦政府宇宙局よりポタモス政庁へゲートの使用申請が行われている。速やかに通過を許可願いたい」
地球連邦調査局からポタモス政庁へゲート使用申請は行われているだろうが、まだ許可が下りたという連絡はスヴェンに入ってはいなかった。
「調査船オラトスケイラβ号については、地球連邦外惑星調査団から原隊復帰せよとの連絡が入っている。我々の誘導に従い、第六惑星観測基地へ向かわれたし」
「原隊復帰?」
通信の後に、第六惑星観測基地の座標と航路のデータが送信されてきた。第六惑星は現在位置からも、調査団本部が現在調査しているであろう、シリージアンの小惑星よりも遠く離れて、向かうにしても半日は掛かる距離にあった。
「原隊復帰って、こっちは何の連絡も無いんだろう?」
アベルが戸惑った顔でスヴェンを見つめる。
「作為的なものを感じますが、無視しても良いものでしょうか?」
眉を顰めてエリオットが言う。
「今更そんな命令には従えないし、通過申請の許可が下りるのも待ってはいられない。派遣元からの帰還命令という緊急事態ということで、ゲートを通過させてもらう。アンバー、プロ―ブは到着しているか?」
「はい。ゲートの外環に接地しています」
「よし。」
ゲートの外環を、六本足の甲虫のようなプローブが這い上がっていた。巡視艇より先に到着していて、気付かれた様子は無かった。やがて、外部の非常ハッチに取つくと、マニピュレータで器用に開け、内部に侵入した。オラトスケイラβ号からの指示で通信回線に接続すると、オラトスケイラβ号へ連絡を送った。
「キャップ、接続完了です。現在巡視艇からゲートの操作にロックが掛けられています」
アンバーがスヴェンに報告する。巡視船とオラトスケイラβとの間でリンクは無かったが、これで巡視船とのリンクが確保された。
「了解。では、開けゴマ、とでも行こうか」
スヴェンがにやりと笑って言うと、全天スクリーンを見上げた。スクリーンに映る巡視艇がゲートの前から、徐々に逸れて、左右に離れていった。
「ゲートより通過シグナルキャッチ。主線上に入ります」
オラトスケイラβ号は位置をゲートの正面にとった。ゲートの表示灯がグリーンで点滅する。
「キャップ、巡視艇から入電していますが」
「記録だけ取っておいてくれ。返答はいい」
「了解」
アベルが笑い声を上げ、エリオットは苦笑しつつ肩をすくめた。
スヴェンはスクリーンに映るゲートを見つめた。作動中のゲートは、暗い、夜の海のように心なしかうねって見えた。そう見える理由は素粒子の流れについて科学的な説明が付いていたが、スヴェンには何時も海に飛び込むようなそんな錯覚を覚えた。
「全乗員はゲート侵入に備えて着席。船内各区画、エアロック確認」
「船内確認。異常ありません」
全乗員、二人と一体、をスヴェンは見下ろした。
「ゲートへ進行。侵入開始」
「ゲートへ進行。侵入開始します」
オラトスケイラβは暗い海のようなゲートの境界面へ向かって進んでいった。甲殻類のような船体の船首がゲートをくぐる。何の衝撃も無い。船内では全天スクリーンが一時的に使用不能になって何も映し出されなくなった。その間にも、既に船首はゲートを通って、向う側へと姿を現していた。
ゲートをくぐる際に特に何か変化があると言うわけではなかった。通過中にゲートが機能停止して、船体が分断されるという事故も過去に起こってはいたが、それも数例に止まっていたし、事故などに対する不安があると言うわけでは無かったが、スヴェンは何時も一種独特の緊張感を感じていた。
「タイタンゲート通過。太陽系、土星衛星軌道上へ到着しました」
アンバーの報告に、アベルとエリオットから安堵の声が漏れた。
「各員異常は無いか」
スヴェンがコンソールで自分でもモニターしつつ注意した。
「船内状況確認。異常ありません。全天スクリーン回復します」
全天スクリーンに映像が映る。ゆっくりと土星の輪がスクリーンを移動していく。誰からともなく、おお、と言う声が上がった。スヴェンも、地球上からでも小口径の望遠鏡で確認できる土星の輪を初めて間近に見たときは言いようのない感動を覚えたものだった。その後定期航路の巡視船に乗るようになって、何度か土星を訪れることがあったが、何度見ても見飽きない光景だった。
その全天スクリーンに女性の顔が浮かびあがる。
『太陽系に到着したようですね』
「ああ。君の協力のお蔭でスムーズに事が運んだ」
”Ceres”は、口元に、アルカイックスマイルとでも言うような笑みを浮かべている。
果たして、異星人の作ったAIを太陽系に連れてきたことは良かったのかどうなのか。地球連邦とアルゴスに拠点を持つ企業連合との間の軋轢は今回の件で表面化し、さらなるトラブルへと発展しそうであった。これに、シリージアンの科学技術を廻って争奪戦も加わるのだろう。善悪を超えたところにあるような”Ceres”だったが、”彼女”がどのような影響を及ぼすのか、スヴェンには測りかねた。
『ゲートのような移動手段では、自由に星間を移動するわけにはいきませんが、地球人はまだそのような技術は無いのですね』
「そうだ。その技術については、君の協力を得る必要があるだろう。地球人がそれを手にすることが出来れば、君も故郷へ帰る時期も早まるだろう」
スヴェンにそんなことを確約できるわけでは無かったが、それが順当だと思われた。
シリージアンの主星。それはへびつかい座にあり、2万光年の彼方だという。凍てついた辺境の惑星で5万年も休眠していた”Ceres”ならば、その距離と時間も問題では無いのかもしれないが。 早いにこしたことはないさ。
スヴェンは、”Ceres”の後ろに映る土星とその輪に、ふと宇宙へ対する憧れを抱いていた少年の頃を思い出した。ゲートに依らない移動手段が実現するとして、それは何時になるだろう。数十年来ほぼ行われていない、未知の恒星系への探査も行われるようになるだろう。自分はそんな宇宙船に乗ることはあるのだろうか。
「キャップ、地球連邦調査局より入電です」
アンバーの声がスヴェンを呼び覚ました。
「解った。繋いでくれ」
了




