忘却の痛み
風花が消えた。
祠の風とともに、彼女の姿は崩れ、音もなく消えていった。僕はその場に立ち尽くしていた。手を伸ばしても、何も掴めなかった。声を出しても、誰にも届かなかった。
彼女は、僕のせいで風になれなかった。
僕のせいで、記憶にも残れなくなった。
家に戻ってから、僕は何度も彼女の名前を呼ぼうとした。けれど、声にならなかった。思い出そうとしても、顔が浮かばない。声も、仕草も、すべてが霧のように消えていた。
ただ、胸の奥が痛む。
理由はわからない。何かを失った気がする。何か、大切なものを壊してしまった気がする。
秋になると、赤いトンボが空を舞う。
そのたびに、僕は立ち止まる。空を見上げて、風を感じる。胸が締めつけられるような感覚に襲われる。
誰かが、そこにいた気がする。
誰かが、僕のそばにいた気がする。
でも、思い出せない。
風が吹くたび、耳元で誰かの声が揺れる。
「赤いトンボが飛んだら——」
その続きを、僕はもう二度と思い出せない。
それでも、風が吹く限り、僕はその声を探し続ける。
忘れてしまった誰かのために。
壊してしまった何かのために。
そして、僕自身のために。