歴史学者と数学者
ある日の夜、議論好きの学者たちが集まる酒場でこんな話題が出た。
「歴史学者と数学者、頭が良いのはどちらだろうか」
これに傲慢さで有名な数学者が自信満々に答えた。
「そんなもの、数学者に決まっている。
この世で数学ほど優れた学問はなく数学ほど人の世で役に立つ学問もない」
数学者は嫌われ者だったので客たちは次々に異論を唱えた。
数学者は待ってましたとばかりに「証明」を開始する。
「俺は10年前に友であるユダヤ人の歴史学者と船旅をしていたがその最中に嵐で遭難してしまったことがある。
船には20人が乗っていたが長きに渡る漂流で水と食料は乏しく皆で分けては救助までとても足りない。
そこで俺は提案した。公平な方法で生き残る人間を決めようとな。
提案者の俺を1番目として20人の輪を作り8番目の人間が毒を呑む。
そうしたら今度は9人目のところから再び8番目の人間が毒を呑む。
これを繰り返して最後に残った人間が神に選ばれしものとして生き残るというルールだ。
そうして俺は見事に生き残った」
「はんっ、何を言い出すかと思ったら。
話しているのは頭の良さだ、運の良さじゃないんだよ先生」
酔客の一人が野次を飛ばすが数学者は冷笑する。
「これだから馬鹿は困る。
俺が生き残ったのは断じて運任せなどではない。
このゲームで最終的に生き残る順番の人間はJ(n,k)=(J(n−1,k)+k)modnの再帰式で求められる。
nに総人数である20を代入しJ(20,k)=0になるkの値を算出すれば
その数字を毒を飲む順番に指定することでそれ以外の人間がどんな順番で並ぼうとも
最終的に1番目の俺が必ず生き残ることになるのだ」
「な、何て野郎だ。ズルして自分だけ生き残りやがったのか」
「ズルではない。歴史学者も他の者たちも計算すればこうなることには気がつけた。
だが奴らは自分の並ぶ順番をくじ引きで決めるというだけで運任せのギャンブルだと思い込んだ。
これが愚者と数学者の差だ。歴史学者と数学者、どちらの頭が良いかは明らかだろう?
反論があるなら言ってみるがいい」
勝ち誇る数学者。
周囲の者たちはそれが何とも気に入らなかったが理路整然とした説明の前には口を噤むしかない。
だが沈黙はそれまで黙って酒を飲んでいた劇作家の笑いによって破られる。
「……気に入らんな。何がおかしい」
「あぁ失礼。しかし笑わずにはいられないでしょう。
頭が良いつもりの数学者が10年たっても友人の歴史学者に命を救われたことに気づいていないのですから。
こんなに哀れな喜劇は劇場でもそうは見られません」
「何だとっ!?変な言いがかりをつけるな。俺は自分の知恵でやつを出し抜いて生き残ったのだ」
「あなたの考え出したゲームは数学的ですが同時に歴史的でもあるのですよ。
帝政ローマ期の政治家にフラウィウス・ヨセフスというユダヤ人がいます。
彼の書いたユダヤ戦記は後に「エルサレムの破壊について」という題でラテン語翻訳されますが
その一節にヨセフスがローマとの戦争中にユダヤ側の司令官として戦うも敗北し
追い込まれたユダヤ人たちが集団自決を決意する場面があります。
そこでヨセフスは40人の生き残りで輪を作って3番目の者を殺し、それを繰り返すことを提案すると
自分と友人を16番目と31番目に配置して生き残り自分たちだけローマに降伏しました」
「お、同じだ。人数と順番こそ違うが同じ方法じゃないか」
驚く人々に劇作家は頷く。
「その通り。このトリックはヨセフスの問題として歴史学者には広く知られている逸話なのですよ。
ユダヤ人の歴史学者ならばこの話は当然知っています。
ご友人はあなたの浅はかな企みを看破していた。
その上で自分の命よりも友情を選んで沈黙し生き残りの席をあなたに譲ったのです。
しかし10年間あなたは友情で生かされたことも分からずに自分が賢いと思って生きてきた。
これほどの喜劇、笑わぬ方が失礼というものでしょう」
数学者はその言葉に顔を真っ赤にすると席を立ち、震える手で勘定を済ませて酒場から逃げ出した。
そうして二度と顔を出すこともなかったという。
愚かなり数学者。
けれど人よ、ゆめゆめ慢心することなかれ。
我らはみな数学者。
小賢しい計算で利を求めても、いつだって誰かに生かされているに過ぎぬのだ。
それを忘れず傍らの歴史学者に感謝して生きるがよい。