第一話 日常の崩壊
セイレーン王国首都レイジールで暮らすアリシア=セイレーンの朝はその日もいつも通りになるはずだった。
日が昇る前から誰もいない中庭で魔法の鍛練に励み、軽く汗をかいて部屋に戻る。着替えた後侍女に連れられて大広間に行き、そこで両親と共に朝食を済ます。その後読書をしながら過ごすことになっていたのだが、平和な日常はそこまでだった。
始まりは唐突に訪れる。
アリシアが部屋で読書をするため廊下を移動していると、突如轟音が鳴り響いた。身を竦めながらも何が起きたのかを確認するため、廊下の窓から街を見て言葉を失った。
街のそこらじゅうから火の手があがり、大小様々な魔獣が何体もいる。よく見ると街の警備兵が何人か挑んでいるようだがことごとく蹴散らされていた。真下では城壁の一部が崩されそこから魔獣が次々と城の敷地内へと入ってきているではないか。
――これはやばい。
そう感じて弾かれたように走りだし、一階へと向かう。そこは兵士やら使用人やらが走り回り、慌ただしくなっていた。
と、近衛兵が一人アリシアに近づく。
「姫様!」
「状況は!?」
「魔獣がいつの間にか大量に現れて街はパニック状態です。城壁も崩されて何とか食い止めていますが……」
「宮廷魔法師と騎士団は?」
「何割かはすでに街に出払っています」
「分かりました。では私は――っ!?」
会話の途中で轟音が立て続けに二回響いた。
それは、城の象徴でもある塔が折れて一階に落ちてきた音だった。
「大変です! 防御結界が破られました!」
伝令役の兵士が青ざめた顔で切羽詰まったように報告してくる。
防御結界とは城壁から上を覆う巨大な魔法障壁のことである。首都レイジールの最終防衛線であり、それが破られたということは城にいる人間にとって絶体絶命そのものだった。
「姫様! 急いで城から避難して下さい!」
「で、ですがお父様やお母様や他の人達は……」
「両陛下もすぐに避難させます。我々は街の民衆を誘導しなければなりません」
「だったら私も手伝います!」
「あなたの避難が最優先なのです。分かってください」
「っでも……分かりました」
兵士達に諭されて裏門から不承不承避難するアリシア。
「姫様……どうかご無事で」
城が魔獣に埋め尽くされたのはその数分後のことだった。
辺りは火の海。建国からずっと存続し続けてきた街が炎を噴き上げながら崩れていく。
そんななか、アリシアと護衛の近衛兵二人は魔法で襲い来る魔獣を蹴散らしながら街の外に向かってかれこれ数十分は全力疾走していた。いくら身体強化魔法をかけているとはいえ疲労の色は隠せない。三人共息を切らし額から汗が流れ落ちる。
「はあ、はあ……くっ」
「あと少しです! 頑張って下さい!」
近衛兵がアリシアを励ます。元はただの少女であるアリシアのスピードは目に見えて遅くなっていた。
「もう少しで街から出――」
「……え?」
いきなりだった。先頭を走っていた近衛兵の首が飛んでいた。残った体が切断面から血を噴き出しながら前のめりに倒れる。
「きゃあぁぁああ!!」
「くそっ! 一体何が起きた!」
腰の剣を抜いてアリシアを守るように構えるが敵がどこにいるか分からない。
と、何かが近衛兵の体を斜めに通り過ぎた。すると、ゆっくりと左肩から右腰にかけて切れ込みがはいり上半身がずり落ちる。
そこでやっと目の前の魔獣の姿を視認することが出来た。周囲の風景に同化して分かりにくいが、鎌のような部分に血が付着して、魔獣の存在を浮き彫りにしている。
と、魔獣が鎌を勢いよく薙いだ。アリシアは咄嗟に魔法障壁を展開してそれを防ぐ。
「っ!!」
ガキィィン!! と、凄まじい音をたてて鎌と障壁がぶつかり合う。
「この……!」
反撃しようと手をかざした瞬間、何かが脇腹に食い込んだ。メキメキという嫌な音を聞く暇もなく、横に吹っ飛ばされる。
「がっ……! あぐ……」
地面に何回もバウンドしながら壁に激突するアリシア。激痛と脳震盪でその場をのたうち回ることしかできない。どうやら魔獣の一体に体当たりされたようだ。
(迂闊……! 魔獣は一体だけじゃなかったのに!)
後悔している間にも、何体もの魔獣がアリシアに襲い掛かってくる。
身体中傷だらけで動こうにも動けない。これまでか、と諦めてぼんやりと周りを眺めた。
「お、ギリギリだな」
言葉と共に、魔獣が次々と何も無かったかのように消えていく。
――何が起こった?
彼女の心の中に浮かんだのはその言葉だった。
目の前には空から降りてきた変わった風貌の男女二人。片やみずぼらしい服を着ている青年。片や白い布に身を包み翼が生えている女性。
「転移した先が火の海とか……しかもグッドタイミング」
「これだから退屈しないのよ、あんたと一緒にいるのは」
うんざりとした様子の青年とは対照的に女性は心底楽しそうな声音だ。
「……あなた達は一体――」
「あたし達? うーん、何ていえばいいのかしら」
「そんなことよりこの状況をどうにかしようぜ」
「っと、そうね。こんな所でゆっくりしてたら火だるまになっちゃうわ」
そう言って女性は何かに集中するように目を瞑った。
「ティナ、どうだ?」
「えーっと……獣っていうか化け物みたいなのが街全体に数えきれない程いるわね」
「生き残りはいるか?」
「残念だけど、その女の子だけみたい」
「……そうか。ティナ、もういい。あとそこのお前、立てるか?」
青年に手を掴まれながら、アリシアはゆっくりと立ち上がった。
「な、何をする気なんですか?」
「あの化け物共を倒す」
「どうやって――ひゃ!?」
青年は女性と女の子を抱き寄せながら言った。
「この街ごと跡形もなく吹っ飛ばすんだよ」
瞬間、視界が真っ黒に染まり、アリシアは気を失った。