6 デライラ・エストラーダ
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書類上の夫が王都へ向かうのを見送ってから五日後のことだった。
「大変です! 何者かが魔の森に火を!」
「また隣国か?」
「今回はこちら側から火の手があがっています!」
ほんの少し考えて、私は笑った。ここまでするか、と。
タイミングから見て、これは王妃と第二王子の手の者の仕業だろう。我々が第一王子を支援しないように、この地に縛り付けておくために。いや、あるいはこの辺境ごと潰す気かもしれない。迷惑なことこの上ない。第一王子を押し付けられた上にこれか。
「兵士たちはすぐに準備を! ドラゴンの出現に備えろ! 他は消火と避難誘導に全力を尽くせ!」
以前、奇妙に時空が歪んでそこからドラゴンが出現した。あの魔の森が存在すること、それが世界の何かのバランスになっているのだろう。
「投石機の準備! ありったけ矢を集めておけ」
指示を飛ばして外に出る。あの日のように、魔の森の上空はすでに奇妙に歪んでいた。
「まずい! やはり来るぞ!」
そこから時間をかけて、空が裂けていく。
私はほんの少しだけ祈った。前回ドラゴンは真っ直ぐこちらに来た。隣国が火をつけたのに。隣国のせいなのに。だから、今回はあちらに行って欲しい。
亀裂から大きな爪がのぞいた。
その爪を見た瞬間、私の腹は熱くなる。ドラゴンの呪いを受けた部分が熱を持って動いているような感触だ。
次にのぞいたのは金色の目。赤い鱗に金色の目のドラゴンは、間違いなく上空から私を捉えていた。耳を塞いでも意味がないほどの大きな咆哮を上げてドラゴンは亀裂から這い出て、エストラーダ領に向かってくる。
「まったく。この前も今回も隣国へと行けばいいものを! よほど私が好きなようだな!」
私のかけ声と共に投石が始まった。
以前のドラゴンよりも動きが鈍い。いや、以前はこれほどの台数の投石機はエストラーダになかった。これは書類上の夫の金で揃えたのだ。
「何とか地上戦に持ち込め!」
石が何度かドラゴンに当たる。矢も立て続けに放っているので、何本かは命中してドラゴンの翼に小さな穴が開く。
早い段階でドラゴンは魔の森に落ちた。これでまた村を焼かれる事態は避けられる。というか、今回のドラゴンはまだ火を噴いていない。ドラゴンの種類だろうか。
「ああなれば、ただのデカいトカゲだ!」
夫の金で念のためにと買いそろえておいた手投げ式の爆弾がドラゴンには有用だった。標的が大きいので狙いやすい。ついでに魔の森の他の魔物も討伐できる。
まさかこんなに早く使う機会があるとは思っていなかった。「こんなのがあるよ」なんて情報を持って来た頼りない体躯の書類上の夫を思い出す。鍛錬して足腰は少し鍛えられたが、エストラーダ領の男たちに比べたらまだまだ細い。
ドラゴンとの戦闘中にそんなことを考えている自分に気付いて、ふっと笑った。以前のドラゴンの時は死なないように必死だった。父が丸焦げになり、足の速い兄は囮を買って出て怪我を負いながらもドラゴンの目の前をひたすら走ってくれた。
あの時に比べたら、父も兄もいないのに相当楽をしている。でも、ドラゴンは心臓を刺さなければ死なない。この役目は私がやらなければいけない。
手投げ式の爆弾による煙が晴れてから、私はドラゴンに近付いた。
さすがに二度目の呪いともなれば、どうなるか分からない。
一瞬だけそんな考えが頭を過ぎったが、机の引き出しに入れた遺書は必ず誰かが見つけるだろうとドラゴンの心臓に剣を突き刺した。
ライナーやセルヴァが、兄を探し出すだろう。
あぁ、書類上の夫はどうするだろうか。あの回復魔法があるから、ここにとどまっても邪険にはされないはずだ。ロイドだって兵器の開発に乗り出して変なものを作っていたし。何だったか、唐辛子入りの煙幕だったか? あれは魔物にも効きそうだ。
いや、そもそも書類上の夫は第一王子だった。
王妃と第二王子さえ退ければ、彼は国王になれる。私は取り乱すことしかできなかったが、彼は私にとって家族にも等しいセルヴァに回復魔法を使ってくれた。
あれは諦めてはいたが、痛みの分かる男だ。投資も成功させていて先見の明もある。カリスマ的な国王ではないが、ロイドみたいな側近を複数つければ優しい良い王になるだろう。傲慢ではない国王もいい。そうすれば、辺境だってもっと支援してもらえる。
私から見たらよちよち歩きの黄金のヒヨコのような男だが、あれはあれで面白い。彼にこんな辺境など似合わない。
私みたいに戦いに明け暮れて呪い持ちで学園にも通っていない者ではなく、ちゃんと令嬢教育を受けた王妃にふさわしい令嬢を迎えたらいい。
私はここで魔物を狩り続ける。いや、その前にドラゴンの呪いですぐに死ぬか。
前回はドラゴンを殺してすぐに腹が熱くなった。今回は心臓が掴まれたように痛い。
「辺境伯様!」
多分、私は死ぬだろう。二度もドラゴンの呪いを受けたのだから今回こそは無事では済まない。
兵の声が聞こえるが、ドラゴンの心臓に剣を突き刺したまま私は気を失った。
目を開けると、そこには綺麗な黄金が広がっていた。
私はどれだけ金、金と思っているのだろう。死んでからも金を見るなんて。王家にケチられたことをよほど根に持っているのだろうか。
目の前の黄金をぎゅっと掴むと柔らかかった。
しかも、その黄金はモゾモゾ動く。何本かブチブチと黄金が抜ける。
「痛い……」
最近の黄金は喋るらしい。ぼんやりしていると、黄金が起き上がって人の形になった。
「辺境伯?」
ふむ、黄金に呼びかけられた。死後の世界でも貴族制なのか。
しばしぼんやりしていると、目の前で手をひらひら振られる。
「おかしい、呪いは消えたはずなのに」
黄金は私の服を勝手にめくって見ている。腹に冷気が当たってすーすーする。
「腹の呪いは消えてる。じゃあ、心臓か……」
勝手にシャツの胸元のボタンをはずそうとしているので、思わずその手を掴んだ。触れるとはどういうことだろうか。
「ん?」
「あ、良かった。気付いたか」
良く見たら黄金は彼の髪と目だった。書類上の夫に大変よく似た男がラフな格好で側に座っている。
手をついて起き上がると、自室のベッドの上だった。ということは、目の前の男は書類上の夫か?
「どういうことだ?」
「ドラゴンが現れたと聞いて、王都からすぐに戻って来た」
「私の……呪いは?」
「私の回復魔法で何とかなった」
起き上がって自分のシャツをめくる。
ずっと、あの日から毎日あったはずのどす黒いものが腹にない。襟ぐりを掴んで胸元を見るが、そこにも何もない。
「まさか」
書類上の夫の肩を掴んで、すぐにシャツをめくる。腹には何もない。というか、なんだこの腹は。白すぎる。
「いや、待て。男はこっちに出るのか」
呪いが彼に移ったのではないかとズボンを脱がせようとすると、慌てて距離を取られる。
「解呪は魔法で成功した! 移ってない!」
「本当か」
「えっと、心臓部分なら見せられるが……下はちょっと……」
彼は恥ずかしそうにそう言ってシャツを大きくまくった。どす黒い呪いはどこにもない。
私は安堵のあまりベッドボードに背を預けた。
「王宮はどうなった。あのケチ臭い陛下の容態は?」
「知らない」
「は?」
「会う前にあなたがドラゴンを討伐して怪我をしたという知らせが入ってきたから、とんぼ返りだ。途中でライナーからドラゴンの呪いの話を聞いて……」
「ライナーめ。私の渾身の遺書を勝手に読んだな」
はぁと私は大きくため息をつきかけて、それどころではないと思い出す。
「いや、待て。なぜ陛下に魔法を使わずに帰って来た。今すぐ帰れ、反逆扱いされる」
「そんなことはない。だって私は辺境伯の婿なのだから」
「それは王命を断っていい理由にならない」
「ではこう言えばいいだろうか。私を一度も積極的に守らなかった父よりも、私は辺境伯を助けたかった。それだけだ」
彼の黄金のような金髪がさらりと揺れた。
自分の手を見ると、先ほど掴んだのは彼の髪だったらしく黄金色の髪が数本パラパラと落ちる。
「王命に逆らえばどうなるか分かっているのか?」
「分かっている」
「では、なぜ?」
「私はあなたにとってヒヨコで、何の助けにもならないことは分かっている。でも、それでもあなたが痛い思いをしている時、呪いで苦しんでいる時には抱きしめたい」
「……あなたはただの書類上の夫だ」
ヒヨコだと自分で言いながら、何を恥ずかしいことを大真面目にピヨピヨと口にしているのか。
私はドラゴンと戦って先ほど目覚めたばかりだというのに。なぜこんな告白紛いなことを書類上の夫から言われなければいけないのか。
大人しく陛下に回復魔法をかけて、適当な貴族令嬢と結婚し直せばいいものを。せっかく送り出してやったのに。ライナーとセルヴァまでつけて。あの二人はこの行動を傍観したのか? 後で倒れるまで稽古をつけてやる。
「私にとっては、ただの押し付けられた夫だ」
「私はただ……あなたに生きていて欲しかった。あなたの痛みなら代わりに受けたかった」
魔物一体狩れないくせに、何を偉そうに言っているのか。女のように綺麗な顔立ちをして。
「私のエゴだということは分かっている」
しかもこうやって早々に予防線を張ってくるのも気に食わない。何がエゴだ。人間なんてエゴでしか生きていないだろうが。私だってこの結婚を金のために受け入れたのだ。
しばらく黙って考えた。こんなにイライラするのは、なんとか解呪しようとする兄を止めた時以来だ。別に私が死ぬことなんてどうでもいいのに、兄は私を助けようと盲目的に行動した。
目の前の書類上の夫の何が最も気に食わないのかを私は黙って考える。
魔物が狩れないことは最初から分かっていた。鍛えれば、まぁなんとか人食いウサギくらいは狩れるだろうし。武力がなくても彼には先見の明と金を稼ぐ力がある。それに回復魔法まで。その魔法はドラゴンの呪いでさえ解呪できるほどだ。
一体、私はこの男の何が不満なのか。
「……病み上がりなのにすまない。私が王命に逆らったことでエストラーダ領に迷惑はかけない。どうせ王家にはかなり民衆から不満が溜まっていたようだから、ロイドと一緒にそのあたりは何とかするから」
ベッドのそばから離れようとする書類上の夫の背中を見て、私はやっと分かった。
この男の、大事な場面で逃げようとするところが嫌いなのだ。
「待て」