4 オフィール第一王子
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ヒーロー視点です。
目を開けると少し隙間の空いたカーテンの向こうは真っ暗だった。
高熱を出した後のような倦怠感が体にある。
回復魔法を久しぶりにたくさん使ったから、体がついていかなかったようだ。魔力の配分も下手くそだった。
「目が覚めたか」
側近のロイドではない声がしてそちらを向くと、エストラーダ辺境伯がベッドの側のイスに足を組んで座っていた。
「辺境伯? ロイドは?」
「あなたの側近なら休ませた。神経質で気を回しすぎるからな。横で今にも死にそうな顔で看病されてはかなわないだろう」
ぺちりと額にひんやり冷たいタオルが置かれた。
彼女の紫の目がこちらをしっかり向いている。辺境に来て三カ月ほどだろうか。やっと彼女の目を正面から見つめても平気でいられるようになってきた。生気に溢れて、命をかけて辺境を守っている彼女が眩しすぎて直視できなかったのだ。
「今日はあなたのおかげで三人の兵士の未来が守られました。オフィール殿下、我が領の兵士たちを助けていただきありがとうございました」
彼女はイスから立ち上がって跪いたので、私は慌てた。
「辺境伯」
半身を起こしたので、せっかく置いてもらったタオルがずり落ちる。
「セルヴァは腕を切り落とさなくて済み、ノートンは足の壊死を免れ、ピーターは視力を著しく失いませんでした。本当にありがとうございます」
「やめてくれ、辺境伯。私が勝手にやったことだ」
「それでも、助かりました。殿下はお力を隠していらっしゃったのに我が領の兵士たちのために使ってくださいました」
私はここで初めて辺境伯が非常に丁寧に喋っていることに気付き、おかしな気分になった。彼女は最初から対等で、私を敬う言葉遣いをしていなかったのに。こんな言葉遣いもできるのか。しかし、感心よりも寂しさを大きく感じた。
「そんなかしこまった喋り方はやめてくれ。その……私たちは一応夫婦だろう、その、書類上は」
辺境伯のつむじに話しかけていたが、彼女がバッと顔を上げる。
「えぇ、まぁそうだが」
彼女の口調が乱れている。
「辺境伯は魔物を前にしても取り乱さないのに、あの時は叫んでいたから気付いたら回復魔法を使っていた。そもそも治せる自信もなかった」
いつも冷静で、使用人にエストラーダを侮辱された時は静かに怒って、取り乱すことなんてないだろうと思っていた彼女が恐ろしく取り乱していた。兵士たちをきっと家族のように思っているのだろう。そう感じたらロイドの制止さえ振り切って回復魔法を使っていた。
「すべて私が勝手にやったことだ。私はいろいろとあって全てを諦めてここに来た。正直押し付けられた結婚だと思っていたし、疲れていた。死にたくさえあったが死ぬ勇気は出なかった。でも、初日に魔物と戦う辺境伯を見て自分が情けなくなったんだ。あなたの方がよほど王族らしかった」
「そんなことは」
「ずっとこのままではいけないと思っていたんだ。でも、一歩がどうしても踏み出せなかった。諦めて殻にこもっていた方が楽だから。あなたを毎日見ていたから、私は今日回復魔法を使おうと踏み出せたんだ。だから礼を言うのはこちらの方だ」
「……正直、やらかした鼻持ちならない王子を押し付けられたのなら躾をしてやろうと思っていた。まさか金以外の形で助けられるなんて思ってもいなかったんだ。私はまだまだ思い上がっていたようだ。何でも一人でやってこそ辺境伯だと」
「ははっ」
大真面目な表情で正直に言われたので、私は笑った。久しぶりに心から笑った気がする。
「魔の森に入れられたのは躾だったと思う」
「あんなものは躾ではない。子供でも狩れる魔物だ」
回復魔法を使っても、辺境伯はロイドや母が心配していたように搾取し続けることはなかった。彼女の部下が死にそうな時は駆り出されるくらいだ。
魔の森についていくことはないが、私も魔物討伐から帰って来た兵士たちを迎えてすぐに致命傷を治療できるように待機はしている。エストラーダの者たちは強いので、ほとんどの兵士はめったに致命傷を負うことはない。
ある日彼女に唐突に連れ出されたのは、ドラゴンとの死闘が繰り広げられた荒れた村だった。何かが焦げたような臭いがまだ辺りに充満しているが、たくさんの人々が資材を運び込んでいる。
「やっと復興に踏み出せることになった。あなたの金を使って」
辺境伯は大股で歩きながらそう口にする。
父が支援をケチってずっとこの村は住めない状態だったのだ。
「どのあたりでドラゴンを殺したんだ?」
「ここだ」
教会らしき建物があったのだろう場所を彼女は指差す。
「父もここで黒焦げになって死んだ」
辺境伯がそんなことを言い出すとは思ってもおらず、私は息を呑んだ。彼女は冷静で、淡々とした口調ではある。
「先代エストラーダ辺境伯は英雄だ。あり得ないほど短い間隔で起きた二度のスタンピードを鎮圧したと聞いている」
「あぁ、その通りだ。あのスタンピードはおかしかった。まぁ、魔の森に兵と金がかかりすぎるからなんとか消滅させようとした隣国の仕業だが。あちらの国王と辺境伯は代替わりしたからな、方針も変わる」
「ドラゴンも隣国のせいだったのだろう?」
「あぁ、魔の森を消滅させたい気持ちは分かるが。だが、我々がここに住む前からあの森はここに存在した。後から来た人間がどうこうするのは傲慢なことだ」
少し足場は悪いが、辺境伯は難なく進む。私はこけない様に注意しながら前だけ向く彼女の後を追った。
「城の中を歩いて肖像画を見たのだが、辺境伯には兄がいたのだな」
「あぁ、二つ上の兄がいた」
「その……兄君もドラゴンの討伐で?」
「兄は腕に火傷を負った」
「それなら古傷でもなんとか私の回復魔法で……」
なんとなくおかしさを感じていた。肖像画の中に辺境伯の兄はいるのに、城でも他でも見たことがなかったのだ。
「兄はもういない。私がドラゴンを討伐した後、怪我が治ってから城の金品を盗んでどこかへ逃げた」
「……どうして……」
彼女はこともなげに口にするが、私はあんまりな現実にそんな凡庸な言葉を絞り出すことしかできなかった。
「さぁ? 妹にドラゴンを討伐されて悔しかったのか。剣を握れなくなる怪我をして辺境伯を継がないことにしたのか。別に火傷をした辺境伯で良かったのに。どちらにしろ、兄はもうこのエストラーダ領にはいない。私はもう兄は死んだと思っている。万が一、生きて帰って来ても尻尾を巻いて逃げた男はエストラーダ領には必要ない」
がれきに足を取られて私は転びかけた。尻尾を巻いて王都から逃げ出したのは、まさに私だ。無力で情けない第一王子。
すっと力強い手が伸びて来て、転ばずに済んだ。すぐ近くに見えるのは彼女が頭の高い位置で結んだ紫紺の髪だ。見たこともないほど綺麗で思わず触りそうになったが、ハッとして引っ込める。
「私の夫は少しひ弱だな。生まれたての黄金のヒヨコのようだ」
「申し訳ない。恥ずかしながらこういう整備されていない場所は初めて歩いた」
「少し鍛錬でもしてみるか」
「それは厳しい躾だろうか」
「いいや? 単なる軽い軽い運動だ。あなたは足腰が弱すぎる」
ははっと辺境伯は笑った。なぜかそれは悲しい笑い方に見えた。
だが「私の夫」と呼ばれたのは初めてだったので、不覚にも乙女のように心臓の音が速くなった気がした。
ドラゴンに壊滅させられた村の復興が進む中、そして私が辺境にやって来て一年が経った頃。王家から手紙が辺境に届いた。しかも、なぜか辺境伯宛ではなく私宛だ。
中身は国王の容態が思わしくないから、回復魔法を使いに王都に戻って来いとのことだ。
「殿下がここで回復魔法を派手に使ったので、その事実が王都まで届いたのでしょう」
「ロイド、すまない」
「……はぁ。いやまぁどのみち……回復魔法がなくても王都には呼び出されていたと思います。なぜなら、王都での第二王子の評判がよろしくないので」
伝書鳩と人脈を駆使して情報を集めたロイドが難しそうな顔をしている。
「第二王子が王太子になったのに、なぜだ? 今更また第一王子を担ぎ出そうと?」
辺境伯も王家からの手紙を見ながら難しい顔をしている。この辺境では集めようと積極的にならない限り王都の情報など入ってこない。
「第二王子の粗暴な性格が広まっているのでしょう。今までは殿下もいたのでそれほど問題視されていませんでしたが、どうも新しく婚約者になった公爵令嬢に暴力をふるったようですね。それで筆頭公爵家から見放されかけています」
「へぇ、気が合いそうだ」
辺境伯は冗談のように言うが、王都ではそんなことは通用しない。
「これは罠です、殿下。きっと殿下が行けば王妃と第二王子の手の者に殺されます」
「だろうな」
「しかし、行かなかったら行かなかったでより面倒なことになるだろう? 行っても行かなくてもあちらにとっては好都合だな」
辺境伯の言う通りだ。
王命に逆らったと軍でも差し向けられるか、処罰されるか、あるいは王都に行って殺されるか。
「筆頭公爵家から接触がありました。あちらは第一王子殿下に王位について欲しいそうです」
「おやおや、泥沼の王位争いだな」
辺境伯はこれまたどうでもいいことのように言う。
「私はもう辺境伯と結婚しているんだが」
「婚姻無効でも何でも使える手はありますからね」
「いいじゃないか。王都に行って美しい貴族令嬢と結婚すれば。あなたにこの辺境は似合わない。いつでも離婚しよう。ただし、もらった金は返せない」
金にだけ執着を見せて、あっさり離婚を切り出す辺境伯に私は頭痛がした。この前「私の夫」なんて言っておきながら舞い上がったのは私だけか。
「辺境伯は私を裏切った女とまた婚約しろと?」
「婚約して殺せばいいじゃないか。事故でも偽装して。そして他の好きな女と結婚したらいい」
だめだ、考え方が暴君のようだ。
「辺境伯のおっしゃることは少し過激ですが、殿下。第二王子が国王になっては国が乱れます。公爵令嬢と再婚約して、適当に冤罪を被せて婚約破棄をしましょう。これはあちらが先にやった手口ですから」
だめだ、ロイドまでそんなことを。
「私はあなたは王に向いていると思うがな」
「辺境伯もそう思われますか!」
「強い者が王である必要はない。辺境では分かりやすい武力が必要なだけで。もちろん知力でもいい。あなたはきちんと民のために動ける人だ。そんな国王の方がいいだろう。何より辺境に金をケチらない」
「はい、殿下は国王にふさわしいです!」
なぜか意気投合をここにきて始める、側近と書類上の妻。
「私はもう王都から逃げて来た身だ。王位にだって興味なんて」
「しかし、行かない訳にはいかない。行かなければ恐らくエストラーダ領まで巻き込んで問題になる。王都の事情に巻き込まれるのは私も困る」
「残念ながらそうでしょうね……殿下もそれは不本意でしょう。これからやっと復興を始めるエストラーダ領にまた新たな争いの火種が」
「セルヴァの娘も悲しむだろうな。この間、あなたも抱っこしただろう。しかも名付けまでしていた。オフィーリアだったか?」
息さえ合い始めた書類上の妻と側近。
回復魔法を使った兵士たちからは暑苦しいほどの感謝を受けている。家族ぐるみで付き合いもさせられたし、生まれた赤ん坊を無理矢理抱かされた。小さくて軽いはずなのに、命の重みを感じるあの感触を思い出す。
「まぁ、離婚はいつでもできる。書類だけは書いておこう。そうだ、あなたが王都に行くのなら選りすぐりの護衛をつけよう。ライナーとセルヴァなんてどうだ。あの二人がいれば騎士団が襲ってきても対応できる。必ず一人は側に付けておくように。そうしたら襲われても殺されはしない。そして他の令嬢と婚約の運びとなったらすぐに離婚しよう」
こういう時まで男前すぎる辺境伯。
私が行かなければエストラーダ領を巻き込んで難癖がつくだろう。税を上げられても困るし、軍を差し向けられても困る。
私自身も歩き回ったこの地にそんなことが起きるのは嫌だ。やっと、ドラゴンの爪痕から復興を始めたというのに。そう思うくらいに愛着は湧いている。
二人の勢いにやや流されるように、王位に興味はないが私は王都行きを決める他なかった。