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「すみません、今、準備中です」


Bar「barrel」のドアを開けると、よそ行きの絹川の声がした。


「この時間は時給が発生してますかー?」

志麻子が顔だけ出して尋ねると、バーカウンターの椅子に座ってPCを開いていた絹川が顔を上げて、目を見開いた。

「志麻ちゃん?どうした?」

「今バイト中?時給は発生してますか?」

「しておりませんよ、そこ、気になんの?」

絹川がふっと笑って、志麻子を手招きした。


座って座って、と言われて憧れのバーカウンターの脚の長い椅子によじ登るように座る。

「酔っ払いを落として倒す為の高さなの?」

「また変なこと言って…。どうした?今、なんか受けてきたの?」

総北は前期のカリキュラムを学生が提出する前に、一週間だけお試しで講義を受けられる。もちろん必修である専門カリキュラムはお試しじゃない講義が始まっているので、お試しできるのは全体カリキュラムだけだが。


「うん。『文字の世界史』ってやつ。面白かったよ」

「あー、それ、今日か」

「んで、そこで赤堀にあってさ、キヌがbarrelで休んでるよって聞いたから。赤堀も、ここだとメイメイとしょっちゅう大学デートできていいね。…オーナーさんは?」

志麻子がキョロキョロする。

「雅春さんは、上で仕事してんじゃないかな。この上、オーナーの自宅だから」

「ふうん。ご挨拶したかったなあ」

などと言ってると、絹川が手早くコーヒーを淹れ始めてるのに気付く。

「あ、ごめんね!お構いなく…!通り掛かっただけだから!」

「まあまあ、一杯引っ掛けてけって」

「じゃあお金払う」

「いいから。俺の奢り。…」

そう言った後、少し黙って、ドリッパーにお湯を落とし出す。

志麻子もなんとなく黙って、絹川の手元を真剣に見守った。


「…どうぞ」

「…っはー、あ、ありがとう…!」

「コーヒー淹れるだけで、そんな真剣に見守られると思わなかった」

「白熱したわあ」

「…」

絹川は自分の分もカップに注ぐと、

「…なんかあった?志麻ちゃん」

と訊いた。

「…」

志麻子は珍しく沈黙して、コーヒーを口にしたが、「あっち!」と慌てる。

「志麻ちゃん、ふうふうして飲まないとさ」

「熱くありませんけど?!」

「何その逆ギレ…」

絹川は呆れたように言って、志麻子がフウフウする様子をカウンターの中から見守っていたが、


「…沖田に告白された?」

突然、核心を突いた。


「…」

志麻子が驚いて絹川を見上げると、絹川は達観したような表情で、「わかるよ」と言った。

「沖田が志麻ちゃんを好きなのは、見てたらわかったよ。言っただろ、あいつ、最初から志麻ちゃんを気にしてたんだって」

志麻子は答えず、コーヒーを啜った。

「ンまい」

と呟く。絹川は口角を上げて、

「ありがとう。…それで、とうとう付き合い出したわけだ。長い片思いだったけど、やっと報われて…」

「断った」

ポツリと志麻子が呟いた。

「…え?」

絹川が自分の耳を疑うような表情になる。

「今何て言った?」

「…沖田に、付き合えないって、言った」


「……は?」

絹川が信じられない、と言わんばかりに眉を顰める。

「なんで?志麻ちゃん、ずっと好きだったよな?沖田のこと」

コクン。頷く。

「…今も、好き、なんでしょ?」

コクン。

「じゃあ、…じゃあ、なんで?」

1ミリも理解できない。絹川は片手で頭を抑えて、志麻子を見下ろした。


「…私ね、実を言うと、すごくつらかったの。高一で、沖田に振られてから」

志麻子がそう、打ち明けた。

「つらくてつらくて。つらいつらいつらいー!って、キヌ達に当たり散らしてもつらくてさ。特につらかったのが…沖田が、瞬と付き合ったってことなの」

コーヒーに目を落とす。

絹川は何も言わない。

「仕方ないことだ、祝福してあげなきゃ、気にさせちゃダメだ、って、思うんだけどさ。失恋なんかで、友達まで失くしたくないって、変わらない態度でいなきゃって、思うんだけどさ。どうしても、それまでと同じではいられなくて。二人に誠実であろうとすると、距離を取るしか思いつかなくてさ…」

志麻子はふうぅ、と息を吐いた。

「…つらかった」

誰にも言わないでね、とポツリと呟いた。


「志麻ちゃん。それって、…もしかして」

絹川が声を押し出す。

志麻子が絹川を見上げた。

「…あんな思いを、これから瞬にさせるのがわかってるのに、沖田と付き合えない」


「…!ばっ…!」

絹川が珍しく激昂した。

「馬鹿なのか!?いや、馬鹿だとは思ってたけど…っ、そんなことして、誰が幸せになるんだよ!」

「…わかってる」

「わかって、ねえよ!そんなこと、土井さんだって望んでねえだろ!」

「私は望んでたっ」

志麻子が叫んだ。


「私がずっと好きだったの知ってて、付き合うなんて酷いって!沖田に告られた時に断ってくれたら良かったのにって!早く、…」

ぐにゃ、と表情を歪ませる。声に嗚咽が混じる。

「…早く…別れてくれたらいいのにって…!ずっと、ずっと、そう思ってた。ずっと、ずっと、消えなかった…!」

腹の中から何か絞るように吐露する。ポロポロ涙が溢れた。

「…資格ないんだよ、私…、同じこと、出来るわけない…!」

「…っ…そ、そうかもしれないけど、でも…」

絹川は暫し、言葉を失った。


「…どうすんだよ。恋ってさ、全部、そういうんじゃん…。志麻ちゃん、誰かが好きな男をまた好きになったら、そうやってこれからも、全部…」

「そんなのわかんなあいよおお」

とうとう、うわあんと志麻子が声を上げて泣き出した。

「志麻ちゃん」

「わかんないよお、これからの恋なんて、考えられないし、わかんないよおお、でもさ、でも私、でも…」

ゴシゴシとニットの袖で涙をふくと、顔が擦れて痛くなった。


「こんな風にしか出来ないの…」


目を腕で隠したまま、蚊の鳴くような、声で言った。



カウンターで顔を突っ伏してわんわん泣いて、志麻子は泣き疲れて眠ってしまったようだ。

はっと気付くと、絹川の上着を掛けられて、ソファに寝かされている。対面の一人用の肘掛け椅子で絹川が座って、肘掛けに頬杖ついて志麻子を見守っていた。

「ねっ、た!」

ガバリと飛び起きた。

「寝たねえ」

「ごめん!」

志麻子は慌てて時計を探す。

「大丈夫、まだ夜の開店準備まで時間あるから」

「ごめんん〜!私、寝て、椅子から落ちた?」

「落ちる前に運んだ」

「わああ…ごめん、重かったでしょ…いや。皆まで言うな」

スンッと真顔になる。

「重くないって。…志麻ちゃん」

絹川がひどく真剣な顔で志麻子を見た。

「ん?」

「沖田と、本当に付き合わないの?」

「…うん」

志麻子はこくんと、頷いた。

「…瞬のこと、だけじゃなくて…それだけじゃなくて…上手く言えないんだけど…」

本当に上手く言える気がしなかったが、絹川が待っててくれたので、志麻子はゆっくり言葉にした。

「ずっと沖田を諦めようとしてきて…ずっと悲しい気持ちでいたから。沖田を好きって…思うと、もう、悲しくなっちゃう…のかな」

絹川は何も言わずに志麻子の話をじっと聞く。

「後悔するかもしれないけど…。言ってることわかんないね」

「…わかるよ」

優しく言ってくれる。そして、「あのね」と真っ直ぐ志麻子を見た。

「志麻ちゃん、好きだよ」

「…えっ、わあ、びっくりした。今、好きだよって聞こえちゃった…!」

「好きだ」

「…」

まさか。

志麻子は信じられないものを見るように絹川の顔を見上げた。

絹川は真剣な顔で、

「沖田と付き合わないんなら、俺にもチャンスが欲しい」

「ちゃ…んす…」

「志麻ちゃんを口説かせて」

「くど、くどく…んです?」

「口説くんです」

ふっと笑って、立ち上がった。

志麻子の座るソファの、志麻子の隣に絹川が座る。

「え?え?き、き、きぬ…」

ぶわっと真っ赤な顔になった志麻子は咄嗟に後ずさって、反対側の肘置きに背中を預ける。

と、そんな志麻子の座るソファの背と肘掛けに手を置いて、絹川が腕で志麻子を囲い込んだ

「志麻ちゃん、…好きだよ」

また言った!志麻子は全身が熱くなる。

「…志麻ちゃんはいずれ沖田と付き合うだろうって思ってたんだ」

距離が近い。目を逸らしたいのに、逸らせない。

「志麻ちゃんがずっと沖田見てたの知ってるし、沖田もそのうち、自分の気持ちに気付いて土井さんと別れると思ってた。…俺は沖田とのことは…邪魔できんし。元凶だからさ。…でも、志麻ちゃんが沖田と付き合わないって決めたんなら…」

強い双眸で、志麻子を射抜く。

「もう、遠慮する気はない」

「…き、ぬ…」

真剣な絹川の目にすくむように、志麻子は身動きできない。

「きぬ、あの」

「断るなよ」

志麻子の言葉を先読みするように絹川が言った。

「まだ、振らないで。俺、頑張るから。毎日、頑張って志麻ちゃん、口説くから」

「ま、毎日ぃ…」

気が遠くなる。

「好きだよ、志麻ちゃん。俺のせいで顔真っ赤にしてんの、嬉しいわ。可愛い」

もう始まってる…!

志麻子は慌てて、

「ちょ、キヌ、一旦、それ仕舞って、お、落ち着いて話し合おうっ」

「仕舞う?」

「それ!色気!色気仕舞って!すごいことになってるから、今!」

「はははっ」

絹川が破顔する。

「何言ってんだか、志麻ちゃんはもう…。マジで大好き」

「わああ、わああっ」

志麻子の身体の中で爆竹が破裂しまくる。

「キヌ、口、閉じて!口から色気が出てる!」

「…」

「わああ、違う、口じゃないっ、じゃあどこから!?」

「あほ」

「あほだああ、私ぃっ」

「はははっ、アホだ。はははっ、やべえ、腹痛ぇ」


絹川の腹筋が崩壊しても志麻子を惑わす色気は一向に収拾が付かず、志麻子は這々(ほうほう)(てい)で逃げるように帰宅した。


その夜、…久しぶりに、沖田以外のことを考えながら、眠りについた。



誤脱報告いつも本当に助かります。

いいね、ブクマ、評価も嬉しいです。ありがとうございます。

感想、日々の楽しみです。有難いです。大事に、何度も読ませて頂いております。ご返信しない無礼をお許し下さい。

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