表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

夏と夕と

作者: 江菓
掲載日:2023/08/17

 「なぁ、この世界滅ぼしてみたくない?」

大きくリズム良く鳴く蝉の声に紛れて、隣からそんな言葉が飛んできたことに驚いて顔を横に向ける。よく焼けた小麦色の肌に頬や額に絆創膏を貼った少年、ユウトがこちらを見てにこっと笑いながらもう一度同じ言葉を復唱した。

「何言ってんのユウ君、暑すぎておかしくなっちゃの?」

「おかしくねぇよ、俺は正常だよ!」

「正常な人はそんな事言わないよ。」

「ナツ君はお堅いなぁ〜、雑談じゃ〜ん!」

「雑談にしても物騒な議題すぎるよ。」

ユウトはそうか〜?と言いながらもう食べ終わったアイスの棒をガジガジと噛んでボロボロにしている。

「でも、面白そう。ユウ君はどうやって滅ぼすの?」

「おっ、いいねぇ〜!ん〜やっぱ俺は怪獣だな!!」

そう言いながら少しキツそうな自分のシャツにプリントされた緑の体に黄色のとさかがしっぽまで生えた可愛らしい怪獣を指さす。

「火を吹いて悪い奴らをコテンパンにして、大きな体で街を破壊するんだ!体は頑丈で戦車にだって負けないぞ!」

ふんふん、と鼻息荒く力説するユウトを見ながらモナカアイスの最後の一欠片を口に入れた。口の中が急激に冷たくなって、バニラとチョコの味が広がる。モナカの皮が上顎に引っ付いて、それを器用に舌で剥がした。

「悪い奴らと良い人はどうやって見分けるのさ。」

「うーんと、こ、この怪獣は、分かるんだ!良い奴と悪い奴!こう、えっと、とにかく分かるの!」

ユウトは少ない語彙力ではこれ以上説明することが出来ないと、声を大きくして怒鳴るようにナツトにそういった。

「ふーん、いいじゃん。てっきり人間は悪い奴って言ってみんなやっちゃうのかと思った。ちゃんと区別してくれるんだね、優しいね。」

その言葉を聞いて、ユウトはわかってくれるかと言わんばかりに目を輝かせ、そうだろ!そうだろ!俺の怪獣は強くて優しくて良い奴なんだ!とさらに鼻息荒く声高らかに拙い言葉で説明した。

「ナツ君は!?ナツ君はどうやって世界を滅ぼすの!?」

「僕は・・・」

 気が付くと熱くまとわりつくような風がひんやりした風に変わり、ジリジリと肌に焼き付けるような太陽は傾いて、空をオレンジ色に染めていた。

「そろそろ帰らないと、ママに怒られちゃう。」

「あー、もうそんな時間か〜」

「帰ろ、ユウ君。」

「・・・あ、つ、次はいつ遊ぶ?明日?」

「僕、明日から一週間おばあちゃん家に行くんだ。だから次遊べるのは一週間後かな。」

「へぇ〜そうなんだ!いいな〜帰ってきたら話聞かせてくれよ!」

「うん、帰ってきたらいっぱい話すよ。この公園で待ち合わせね。」

「おう!じゃあ一週間後!!またな!!」

そういうとユウトは手を振って足早に公園から出ていった。同じ方向なのにいつも一緒に帰ってくれないユウトの背中を追うように、ナツトも歩いて家路についた。


 一週間後、ナツトは朝7時に起きて準備をすると公園へ走った。この一週間であったことをユウトに共有したかったからだ。祭りの話、花火の話、海の話、いとこから聞いた怖い話、いっぱいあった面白い話を早くユウトに話したかった。

 公園にはまだ人の姿はなかった。ユウトといつも座るベンチは寂しそうに木々の日陰で冷たくなっていた。

「珍しいな、いつもならもうユウトいるのに。」

独り言を呟きながら、乱れた呼吸を整え自販機で水を買って冷えたベンチに座る。雲一つない快晴な空のおかげで太陽からの光を浴びれるほど浴びてほてった体にツルツルした材質のベンチの冷たさが心地いい。早くユウトに話したかったがまだ来ていないなら好都合、ちゃんと喋れるように話を整理していよう。喋りたいことはいっぱいある、一つ一つ丁寧に整理していればユウトはすぐに来てくれるはずだ。

「やっぱり一番目の話はアレかな・・・」

独り言は蝉の声にかき消される。生ぬるい風に頬を撫でられながら、ナツトはユウトの到着を今か今かと待っていた。

 結局ユウトが公園に現れることは無かった。オレンジ色の住宅街の中を歩きながら、一週間前の別れ際の「じゃあまた一週間後!!」と言っていたあの言葉は嘘だったのかと少し苛立ったが、ユウトが約束を破るような男ではないと一番知っているのはナツトだった。ユウトが約束を破るということはユウトに何かあったということ。そう思うとナツトは少し寒気を感じた。

「ユウト、病気でもしたのかな・・・」

お見舞いに、とも思ったがよく考えてみればナツトはユウトの家を知らない。学校からの帰り道は途中で分かれ道があるし、公園からの帰り道はいつもユウトがさっさと帰ってしまうかお使いがあるからと別々だった。

「夏風邪なら長引くよね。まぁ、あとちょっとで学校が始まるし、もし会えなくても学校で喋ればいっか。」

ユウトを心配しつつ、ナツトは家に帰った。それから数日はユウトの家を探したが見つからず、公園にユウトが現れることもなかった。

 夏休み明けの学校一日目。ナツトはソワソワしながら集団登校の集合場所にいた。早く学校に行ってユウトに会いたかった。それなのに、いつも遅い3年生の子や学校に行きたくないと駄々をこねる1年生に手を焼き、結局いつも通りの時間に学校に着いた。「もっと早く来たかったのに」

小さく呟いて、校門をくぐって集団登校から解放されると足早に教室へ向かった。

「ユウ君!」

教室の扉を開けると同時に、いつもより少し大きめの声を響かせた。教室はわいわいガヤガヤとしていて、少し大きなナツトの声に気を留める者はいなかった。ナツトの席の後ろ、ユウトの席は空席でまだ来ていないみたいだった。

「まだか・・・」

きっと同じ班の子に駄々をこねられて手こずっててまだ登校できてないんだ、ユウトも大変だな。口の端からこぼれる言葉に心の中で適当な理由をつけ、提出する夏休みの宿題を整頓しながら、一ヶ月ぶりの教室を見回す。一ヶ月ぶりの教室は新鮮で、肌の色や髪型なんかが変わったクラスメイトはまるで別人だ。

 チャイムが鳴る。これから学校が始まるという予鈴だ。ユウトの席はまだ空席で、もしかしたら怪我でもして入院しているのかも、と嫌な考えが頭をぐるぐるしている。

「よーし、朝の会するぞ〜。」

そう言いながら担任の先生が教室に入ってくる。低めだがよく響く先生の声にまだ立っていたクラスメイトが、そそくさと自分の席に戻って背筋を伸ばした。出席をとる先生の声に耳を傾け、自分の番を待つ。

水多(ミズタ)ナツト。」

「はい、元気です。」

返事をすると先生は次の名前を読み上げる。ユウトの名前は呼ばれることは無かった。

 教室を出ようとしている先生を引き止める。先生はこちらを見て一瞬悲しそうな顔をしたがすぐにいつもの顔に戻って、どうした?と優しく聞いてくれた。

「ユウ君はおやすみですか?入院とかしてるならお見舞いに行きたいので教えてください。」

森田(モリタ)は・・・家の事情で引っ越したんだ。」

「ユウ君そんな事言ってなかったです。嘘ですよね。」

「嘘じゃないさ、本当だよ・・・」

「嘘、」

続きの言葉が喉まで上がってきたが先生の顔を見てすぐに引っ込んだ。これ以上言わせるな、と言いたげな視線は小さなナツトを真っ直ぐ見つめていた。

「早く移動しなさい。一時間目は理科室だ。」

「はい・・・。」

こちらの返事を聞くと先生は教室を出ていった。授業で使う物を持って教室から理科室へと移動するクラスメイトの集団の後ろをとぼとぼとついて移動した。

「いつもならユウ君がいて楽しいのにな・・・」

小さな独り言は喧騒に飲まれ消えていった。

 僕はその日生まれて初めて、退屈という言葉を実感した。


 高校二年の夏休み、クーラーの効いた部屋でナツトはスマホを弄っていた。夏休みと言えばやはり友達と出かけたいという気持ちもあったが生憎、ナツトの友人はほとんどが運動部に所属しておりこの時間は部活で汗を流している。部活動に所属しておらず、彼女も居ないナツトには外出する理由も楽しみも無かった。それでも暑く苦しい外に出たいと思ってしまうのは幼少期の楽しい夏の思い出のおかげだろう。

「プールとか行きてぇ〜。」

ぼーっと見ていたSNSの投稿はクラスメイトや知り合いが海に行ったプールに行ったという楽しいものが溢れていた。

「でも無理だよな〜。あ〜、呼んだらすぐ遊んでくれるフッ軽な奴がいればな〜」

独り言を言っていても何にもならないことなどよくわかっているのに口からぽろぽろと溢れてしまう。いつからこんなに独り言言うようになってしまったんだろう。はぁ、とため息をついてスマホをズボンのポケットに入れて机に向かった。

「あと残ってんのは、読書感想文だけか。高校生になって自由研究とかない代わりに問題集増えて読書感想文も難しくなったんだよな〜。」

原稿用紙や筆記用具などをリュックに詰めながらまた独り言をこぼす。

「図書館行ってくる。」

「はぁ〜い。お昼は?帰ってくるの?」

「あ〜、適当に外で食べるわ。」

「はぁ〜い、気を付けてねぇ〜」

「いってきます。」

リビングでドラマを見ながら緩い返事をする母の行ってらっしゃ〜いを背中で聞いて家を後にする。自転車に乗ると図書館へペダルを漕いだ。

 涼しい図書館で課題図書を探してみる。3冊とも借りられているのか、探すのが下手なのか、見つけることが出来ずにリュックで取っていた席に腰を下ろした。読書感想文について詳しく書かれたプリントをまじまじと見る。

「課題図書よりちょっと多いけど自由図書にするか・・・」

顎に手を当て、これまで読んだ本で書けそうなものを脳内でピックアップする。ジャンルがなんでもいい代わりに原稿用紙枚数が多いため書きやすいものが好ましい。

「あ〜、あれ面白かったな。」

図書館なので小さくはあるがどうにも独り言が出てしまう。周りを見るとほとんどがイヤホンやヘッドホンをしており、少し安心した。スマホと財布だけはズボンのポケットに突っ込んで、脳内に浮かんだ一冊の本を探しに本の海へと歩みを進めた。


 こっちか、あっちかとジャンル分けされあいうえお順に片付けられた本棚に並ぶ背表紙から一冊を探す。

「さ・・・さ・・・殺人・・・殺人から始まる本って多いんだな・・・えっと・・・」

沢山ある本の中から一冊だけを見つけるのは至難の業なんだなと痛感していると、目の端に黒いものが動くのが見えた。気になってそっちを見る。もう何もいなかったが何故か懐かしい匂いがして、その影が行ったであろう方へ導かれるようについて行ってしまった。本棚の角を曲がった黒い影が見えて、また追いかける。そのまま、影を追いかけ着いた先は使われていなさそうな暗い男子トイレだった。掃除されていないのかドブのような臭いが鼻腔を刺激する。床のタイルはホコリを被って白くなっており、足を上げるとスニーカーの靴底の跡がくっきりついている。手洗い場もカラカラに乾いており、石鹸を入れるであろうネットはもうずっと仕事をしていないと言わんばかりに萎びている。

「ここは・・・入っちゃいけないとこか?やべ、早く出なきゃ。」

そう言いながら引き戸についた鉄製の取っ手を持ち右に引く。ガタッと大きな音を立てて、扉は少し揺れるだけで動かない。

「えっ・・・」

再度ガタガタと開けようとするも、扉が開くことはなく鍵を見るとかかっていない。

「なんで!!建て付けが悪いのか!?」

開けようとする度、ガタッガタッと音が鳴るだけの壁と化した扉は諦め、窓の方へ向かった。

「うわっ・・・」

窓枠にはベトっと油のような何かがはりつき気持ちが悪い。それでも、外へ出るため、出れなくても新鮮で綺麗な空気を吸うために窓を開けようとする。

「くそっ、なんでっ!?鍵は空いてるのに!!」

こちらもまたガタガタと音が鳴るだけで一向に開く気配はない。痺れを切らして手を強く握りガンガンと窓ガラスを叩くが、手の痛みが増えるばかりで窓ガラスには罅ひとつ入らない。窓を諦め長時間閉じ込められる可能性を考え、蛇口を捻ったり電気を付けようと試みるが電気も水も通っていないらしくうんともすんとも言わない。

「どうしよ・・・」

扉についたすりガラスで外の様子を伺おうとしていると、ひやっと嫌な寒さを背後から感じる。キィッと錆びた蝶番の嫌な音が聞こえる。音の正体を見るため、ナツトはゆっくりと固まった身体を動かして後ろを振り向いた。

 そこにはナニカがいた。一番奥の個室、人間の腕が乱暴に扉を開けており、窓からさす自然光を少しさえぎっていた。それだけならどれだけ良かっただろう。その扉を抑える人間の腕は異様に長細く、バニラアイスのように白かった。

「ひっ・・・」

恐怖が脳を支配し、パニックを起こす。体が硬直し、動くことが出来ない。ナニカはずるっずるっと粘着質な音をたてて個室から出てこようとしている。

「ハッ・・・ハッ・・・」

見たくないのに目が離れない。見てはいけないと脳が拒否反応を出しているが、体が石になったように動けない。嫌な臭いが鼻をかすめる。昔行った葬式で似た臭いを嗅いだことがある。死体の腐った臭いを強い花の香りで隠そうとしている嫌な匂い。しかし今回の場合は強い花の香りではなく、下水のような酷い悪臭をまとっている。

ずるり

聞きたくない嫌な音がトイレの中に響き渡る。個室から黒い泥にまみれたやけに白い肌色のぶよぶよしたナニカが這い出てくる。片腕はぶよぶよと太く、扉を抑えているもう片方は細長いというアンバランスな身体にナツトは目の前のナニカが生きた普通の人間ではないと確信せざるおえなかった。ナニカの目はこちらを凝視し、その視線には憎悪と苛立ち、そしてはっきりとした殺意が込められていた。ナニカはずるずると粘着質な音を立ててこちらに腕を伸ばす。その腕はぐっちょりとした藻をまとっており、悪臭が強くなる。

「ハッ・・・ヒュッ・・・」

呼吸が上手くできない、喉に髪の毛の束が詰まっているようなそんな感覚がある。気持ちが悪い。ナニカの伸ばした腕が、手が、ナツトの足首を掴んだ。真冬の水よりも冷たいぶよぶよの手が力強く足首を掴んでいる。そのままずる、ずる、とゆっくり化け物の方へ引きづられている。

死ぬのか?このまま死んでしまうのか?死んだらどうなるんだ?この化け物に食われてしまうのか?もしくは一部になる?嫌だ、死にたくない、死にたくない、助けて、助けて助けて助けて助けて助けて助けて

「カヒュッ・・・たす・・・ヒュッ・・・けて・・・」

バキッガシャンッ

大きな音が背後から聞こえたかと思うと、体を支えていた扉が動いて背中から後ろに倒れ込む。頭と背中に少しの痛みを感じつつ、新鮮な空気を感じ安心する。

「もう大丈夫ですよ。」

渋いハスキーな声にのせられたその言葉に理由のない安堵を感じ、朦朧とする意識に身を委ねた。


 心地よい風を感じ目を開ける。見知らぬクリーム色の天井が広がった。

「こ、ここは・・・うっ・・・」

上体を起こすと足首に激痛が走る。かけられていたひざ掛けを剥ぐと自分の足首が見えた。化け物に掴まれた一部が青黒く変色し、熱を帯びていた。

「なっ、なにこれ、いっ!」

足首を少しでも動かすとビリッと痛みが走る。涙目になりながらもナツトは自分がいる場所を見回した。座り心地の良いソファ、よく見知った壁の色、設置された書類用の棚には大量の本が収められている。

「図書館の・・・どこかか・・・?」

そうつぶやくと同時に部屋の扉がガチャと開いた。入ってきたのは、ぼさついた頭、推定30代、だるそうな細い目、顎の先に顎髭を少し着けた冴えない男だった。

「目が覚めましたか。」

「その声は!?」

男の口から発せられた声は自分を助けてくれた人と全く同じ渋くハスキーな声だった。男は手に持っていた氷嚢を変色した足首に乗せる。突然の冷たさにびっくりするも徐々に慣れ、熱を帯びていた足首の痛みが少し楽になる。

「厄は払いましたが痛みはしばらく続くと思います。」

「あ、ありがとうございます・・・」

「なんであそこにいたんですか?」

男に怒る様子はなく、ただ疑問のようにそう聞いてきた。ナツトは先程、あの男子トイレに辿り着くまで話を詳細に話した。男はうんうんと遮ることなく話を聞いてくれた。

「ふむ、なるほど・・・」

男は顎髭をジョリジョリと撫でながら眉間に皺を寄せた。

「ここでよく会う知り合いとか友人とかいますか?その中に最近亡くなったりした方は?」

「いえ、施設の人とは挨拶する程度ですし身近で不幸は無いです。」

「ふむ・・・」

「あの、さっきのってなんなんですか?」

「あぁ、あれは悪霊です。」

「悪霊・・・。」

突然のオカルトチックな言葉をゆっくり噛み砕くように聞いた言葉を繰り返す。

「でも普通の悪霊とは少し違う。あの方は自分の意思関係なく、強制的に悪霊化させられたんです。」

「強制的に悪霊化・・・?そ、そんなことできるんですか・・・?」

「えぇ。あの人は、少し前にあの場所で人生に疲れ諦め自ら命を絶った方。私は成仏してもらえるよう安心させに来たんです。ですが・・・今日来てみれば悪霊化していました。・・・悪霊化するには早すぎる。」

「な、なるほど・・・」

男はあっ、と思い出したように自己紹介を始めた。

「私は、朝林(アサバヤシ)。亡くなった方が、安心して成仏できるようにする仕事をしている人間です。」

「あっえっと、僕は、水多ナツトと言います。高校生です。」

「自己紹介感謝します。」

朝林は深々と頭を下げた後、本題なんですがと話を始めた。

「君、ナツトさんにはまだ根深い縁が繋がっている。」

「え、縁?」

「えぇ、縁というのは人と人との繋がりのことです。縁結び、なんてのはよく聞くでしょう。」

「はい、なるほど・・・。」

「君にはたくさんの縁が繋がっている、その中に最も深く根強く繋がっている灰色、死人の縁があります。その縁が今回の悪霊化した方の後ろに続いていた。君が懐かしいと感じた人影と繋がっていると私は考察しています。・・・ここ数日悪霊化した者から同じ縁を感じ取っていました、おそらく・・・」

言いずらそうに口ごもる朝林。その先の言葉はナツトを傷付けてしまうとわかっていた。

「僕と・・・縁深い人が、悪霊を量産してるってことですよね・・・。」

「えぇ、ですが私にもこの悪霊化事件の心当たりのある人物がいます。いや、人物というより”化物”ですが。」

「化物・・・?」

「えぇ、少し前にある者の封印が解けた。ソレは人を悪霊に変え、人と人との縁に潜り込み身を潜め、多くの人の命を狙っている。君と縁深いその人も多分、利用されています。」

朝林の目には憎しみとも悲しみとも取れる感情がこもっていた。ナツトは自身の手が震えているのに気がつく。だが、その震えが恐怖から来るものなのか怒りから来るものなのかは分からなかった。

「ぼ、僕はどうすればいいんでしょうか。何か、なにか手伝えることはありませんか?」

「私は、君はきっと次の標的になっていると考えている。危ないものにはついて行かないこと、気になっても好奇心は抑えていただきたい。私の連絡先を教えます。ソレや何かを感じたら連絡してください。小さなことでも構いません。」

「分かりました!」

電話帳に朝林という名前が追加される。普段の友人などは基本SNSやメッセージアプリに追加する程度で電話番号を交換するのは少し新鮮だった。時計を見るともう八時だった、母さんが心配してしまう。

「帰らなきゃ!いっ・・・」

「ご家族には連絡しているから安静にしていてください。迎えに来てくれるとのことです。」

ナツトは朝林に何から何までありがとうございます、と礼を言って迎えが来るまでソファに座って足首をいたわった。


 迎えに来た母は部屋に入るなり、涙もそのままにナツトに抱きついた。

「ナツト!!あぁ、良かった・・・生きてる・・・ぐすっ・・・」

「母さんごめん、心配かけて。」

「ナツ!無事か!?」

母より少し遅れ、祖母が部屋のドアに手をかけていた。祖母までも現れるとは思っていなかったナツトは驚いた。

「ば、ばあちゃん!?なんで・・・」

「あぁ、元気じゃな。よかったよかった。」

祖母はナツトの頭を少し撫でると部屋の隅にいた朝林の方を見る。ナツトは祖母と母に朝林を説明しなければと思ったが、祖母は朝林と穏やかに会話を始めた。

「朝林さん、お爺様はお元気ですか?」

「はい、大変元気で現在でも朝起きたら滝行に出ていくほどです。」

「フフフ、相変わらずパワフルですねぇ。」

「ナツトさんの苗字を聞いてまさか、とは思いましたがやはりあなたのお孫さんだったのですね。」

「あの節はどうもありがとうございました。」

「いえいえ、その後マサトさんは?」

「マサトは、この子が6歳の時に・・・」

「そう、ですか・・・お悔やみ申し上げます。」

「ありがとうございます。あの子が30まで生きられたのは朝林さん達のおかげです。本当に、ありがとうございました。」

祖母は深々と朝林に頭を下げ、朝林も深々と頭を下げている。ナツトはそんな2人の姿を眺めながら、会話に出てきたマサトという名前に亡き父の顔を思い出していた。父はナツトが小学生に上がって少ししてから起きた無差別殺傷事件に巻き込まれ亡くなった。唯一の死者だった。

「ナツト、歩ける?」

「ん、あぁ大丈夫。」

父と遊んだ思い出の中にいた所を母の声で掬い出される。

「お大事に、何かあったら連絡ください。」

「ありがとうございました。」

部屋を出る際、朝林にもう一度家族でお礼を言って、母と祖母の手を借り車へ移動した。


 ベッドに寝転びもう居ない父親のことを思い出す。

「父さんは、優しかったなぁ。」

父親、マサトは優しさを具現化したような男だった。下手くそな絵でも上手だと褒めてくれて、自転車に乗れないと泣き喚いても「大丈夫、ナツトならできるさ」と根気よく向き合ってくれた。キャッチボールも勉強もできないと駄々を捏ねても怒るようなことはせず、大丈夫、ナツトなら出来るよと励ましてくれた。今でも緊張したりネガティブになった時は父親のその言葉を思い出して乗り越えることもあった。母もポジティブで優しい父親のことを良く話して「パパならこう言うよね!」とチャレンジしている母をナツトは小さな頃からよく見ていたのを覚えている。母もナツトもそんな父親が大好きで、失った日のことは今でもよく覚えていた。

「ヒーローか・・・。」

ナツトの手には新聞の切り抜きがあった。ジップロックに入れられた切り抜きは茶色く変色し、時が経ったのを感じさせる。

『商店街で無差別殺傷事件。被害者3名、うち1人死亡。死亡したのは近くに住む水多マサトさん30歳。犯人は隣県に住むサタケヒロヒコ容疑者。サタケ容疑者は突然ナイフを取り出し、近くにいた小学生の女の子とその母親を切りつけ、それを見た水多さんがサタケ容疑者を止めようとして応戦し刺された模様。』

何度も読んだ新聞の切り抜き。皆が口を揃えてこういった『ヒーローみたいだった』と。友達からもヒーローみたいでかっこいいと。死んでしまったのは悲しいけれどでも、と。でも、

「でも、僕は・・・どんな形であれ・・・生きてて欲しかった・・・」

ぼろぼろと溢れた涙がジップロックに落ちて新聞の切り抜きが見辛くなる。もう起きてしまったこと、仕方なかった。今日の祖母と朝林の会話を聞くに、父親の死は回避しようのない事だったのだと容易にわかった。30まで生きたのも奇跡だと言わんばかりの祖母の言葉も考えるとこの事件で死んでいなくとも、違う場面で違った形で死んでいた。

「仕方ない、よね、」

ジップロックに乗った涙をティッシュで拭き取り、引き出しに片付けた。涙を拭って眠りにつくため目を閉じた。足首の痛みはもう気にならないくらいにはなっていた。クーラーの風が髪を優しく撫でる。幼少期頭を良く撫でてくれた父親を思い出す。大きな手で撫でてくれる、その手はひんやりと冷たかった。


 足首はまだ青黒く痛々しい見た目をしているが、痛みと熱はもう全くなかった。起き上がって一階へ降りると母が味噌汁をよそっていた。

「おはようナツト、足は大丈夫?痛みは?」

「もう痛くないよ、見た目は痛そうだけどね。」

「そう、良かった!今日は大事をとって家で安静にしていたら?」

「うーん、そうしたいんだけど読書感想文やらなきゃだからね。今日は本屋に行くよ。」

カウンターに置いてあるご飯と味噌汁をダイニングテーブルに運び並べる。

「お母さんも一緒に・・・」

「いいよ、てか今日生け花教室でしょ?」

「そうだけど・・・」

「大丈夫、本買ったらすぐ帰ってくるって。今回は生け花のコンクールにだすって意気込んでたじゃん。応援してるからさ。」

「そう?じゃあ、教室に行ってくるわね?無理しないでね?」

母は不服そうに味噌汁を飲んだ。塩気の効いた卵焼きをおかずに白飯を口に入れた。

「すぐに帰ってきなさいよ?」

「うん。」

「家にひとりが嫌ならおばあちゃん家に行ってもいいからね?」

「うん。」

「おばあちゃん家の鍵は玄関にあるドーナツのストラップがついたやつね。」

「わかった。」

母の話を聞きながら、朝食を食べ終わると母に行ってきますと言って家を出た。

 自転車を漕ぎながら、図書館で読んで面白かった本は自分で買って持っておくべきだなと考えながら本屋へ向かった。本屋へは問題なく到着し、探していた本も手に入れることが出来た。本屋の壁には『〇〇夏祭り!』と二日後から開催される夏祭りのポスターがデカデカとはられていた。

「夏祭り・・・」

「ねぇねぇ今年は花火するかなぁ~」

突然隣から大きな男の子の声が聞こえ、びっくりしつつちらりと横を見る。ナツトの横には麦わら帽子を被った同い年くらいの男の子2人がポスターを眺めていた。小学生6年生くらいの2人はポスターを見つつ片手に持ったアイスを舐めている

「やるでしょ!去年はなかったもん!」

「今年は一緒に見ようね!約束!」

「うん!約束!」

2人は仲良しらしく指切りげんまんをしていた。その後ろを通り抜け、自転車に飛び乗る。何故だろう。大切な誰かを忘れている気がする。忘れるわけないと思っていた人、忘れちゃダメな人、大事な約束をした人。

 気がつくと小学生の時よく行っていた公園へついた。ナツトの脳裏を過ぎるのは小学生の時よく遊んだ一番の友達『ユウ君』のこと。

「懐かしいな・・・」

何も変わっていない公園の中に自転車を止めて、ナツトは思い出のベンチへ駆け寄った。日陰でひんやり冷たいベンチ。昔はあんなに大きく見えていたのに、今はもう小さく見える。ベンチに座り、一番の友達のことを思い出す。

「森田ユウト。懐かしいなぁ、元気かなぁ。」

ユウトが引越したと聞いてからナツトはこの公園へ全く足を運ばなくなっていた。この公園はあまり人が寄り付かず、ナツトとユウト2人の特別な場所だった。そこに他人を連れてくるのは気が引けて、ナツトは友達の家や自宅で遊ぶようになっていた。

「そういえば、どこに引越したか聞いてないな・・・」

家に帰ったら聞いてみよう、とベンチから立った。次の瞬間、時が止まったように周りの音が聞こえなくなった。煩く鳴いていた蝉の声が遠のいていく。ジメッとした暖かい風が冷たくひんやりとした風に変わる。寒い。

「なに、なにが・・・そうだ、電話・・・」

ポケットからスマホを取り出し、朝林の電話番号を選びかける。ワンコールで通話中になり、耳に当てるが何も聞こえなかった。

「朝林さん!!助けて!!」

なんの返答もない。もしかしたら誤作動で出ていて、朝林には聞こえていないかもしれないという不安に駆られる。聞こえない。声が出ているのかも分からない。怖い。でも、

「月ノ公園です!!何も聞こえないです!!お願いします!!助けて!!」

ナツトの意志と関係なく涙がボロボロとあふれ始める。手の先や足先がまるで氷水につけられているかのように冷たくなる。周りを見ても何もいないし誰もいない。何が起きてるのかわからなかった。怖い。苦しい。ここで死んでしまうという絶望がナツトの心を蝕む。

「あさ・・ばやし・・さん・・・たす・・・けて・・・さむい・・・・くるしい・・・」

手と耳の間からスマホが滑り落ちる。背中、腹、太もも、肩・・・身体中が殴られたように鈍く痛む。引っぱたかれたような痛みが頬に走り、口の中に血の味が広がる。髪を引っ張られた時の様に頭が痛い。酸欠の時みたいに目がチカチカして、目の前が端から少しづつ暗くなる。

たすけて・・・いたいよぉ・・・  君───

「ナツトさん!!」

耳障りのいい渋い声が静寂の中にいたナツトの耳に響いた。冷たくなったナツトの体を暖かなものが包み込む。その瞬間、ナツトの耳には蝉の声が嫌になるほど響き渡り、体の痛みや異常な寒さも感じなくなった。

「大丈夫ですか!?」

「あ、あさ、ばやしさん・・・すみま、せん・・・」

「いえ、大丈夫ですよ。落ち着いてください。ゆっくり呼吸して。」

朝林はナツトをベンチに座らせる。横に座り、持っていたペットボトルの水を飲ませてくれる。

「すみません、私の飲みさしですが1口くらいしか飲んでないので・・・」

朝林の言葉を聴きながらナツトはペットボトルの水を飲んだ。冷たすぎずぬるくもない調度良い温度の水はナツトの喉を潤し、心を落ち着かせる。

「落ち着いたらで大丈夫です。何があったのか教えてください。」

 ナツトは落ち着くと先程あったことを包み隠さず全て朝林に話した。耳が聞こえなくなり、もう死んでしまうかもしれないという恐怖や絶望、手足は冷たく、身体中に様々な痛みが走り、死を直感したこと。

「なるほど・・・。」

「でも、身体に異常が起きていたあいだ周りにも何もいませんでした。」

「ふむ、多分ですが・・・深い縁の人の記憶を追体験したのかもしれない。」

「記憶を・・・追体験・・・?」

「本当に心当たりはないですか?最近じゃなくても、亡くなった友人、特に、その・・・日常的に暴力などを受けていたりした方は・・・。」

言いにくそうに朝林はだんだん声が小さくなる。日常的な暴力、その言葉を聞いて思いつく人間はいなかった。

「僕の周りに、虐待やイジメを受けていた友人はいません。気がついてないだけ、かもしれませんが・・・。」

「・・・」

「僕の友人で引越したと聞いた人は1人だけです。でも、”引越した”というのが本当かどうかは僕は知らない。」

「その子の名前は?」

「森田ユウト。僕の一番の友達です。」

「なるほど・・・。」

朝林さんは苦虫を噛み潰したような顔をする。嫌な真実に気がついてしまったとでも言いたげだ。

「あの・・・ユウ君、ユウトは、生きてますよね?」

「・・・私は、縁が誰と繋がっているのか、大体分かるんです。そういう力を持っている。ナツトさんは友人が多いようですね。今よく見て気がついた。君の友人の中に一人だけ親友の縁が繋がっている子がいました。その色は、」


灰色


朝林はすみません、と言ってこちらから顔を背ける。そうか、そうだったのか。ナツトはもうとっくの昔からわかっていた。でも、認めていなかっただけだった。引っ越したと、自分に言い聞かせていた。ユウトがナツトに一言もなしに引越すなんてありえないのに。病気で床に伏して、でも今は元気にどこかで高校生活を謳歌していると、いつかどこかでばったり出会ってまた昔のように公園でアイスでも食べながら喋るのを夢に見ていた。

「そっか・・・ユウ君は・・・もう・・・いなかったんですね・・・」

ナツトはユウトの他とは違う違和感に気がついていた、しかしそれが何なのかは小さなナツトには分からなかった。でも今なら分かる。

「サイズの小さい服、見ないことがなかった絆創膏、家に帰るのを渋った姿、周りとユウ君の距離感・・・そっか、ユウ君・・・ごめんね・・・」

ナツトは服が濡れるのも構わずぼろぼろ泣いた。ユウトへの謝罪を心の中でし続ける。きっと助けを求めていた、気が付けなかった。気付けていたら、ユウトはまだナツトの隣にいたかもしれない。

「うっ・・・うぅ・・・」

「・・・」

朝林は無言でナツトの背中を撫でた。その手は骨張っていてでも、暖かくナツトを安心させてくれる。ナツトは悪くないと、そう言ってくれているようだった。

 泣き腫らした目を濡らしたハンカチで冷やしながらナツトは朝林と帰路についていた。

「すみません、自転車任せちゃって。」

「いいんですよ、泣き腫らして帰ったらまたお母様に心配されちゃいますからね。」

「ありがとうございます。」

少しの静寂が空間を支配する。朝林に任せた自転車のカラカラという音だけが2人の間に響いている。

「やっぱり」

沈黙を破ったのはナツトだった。

「ユウ君が悪霊化に関係しているんですか。」

「そう、なってしまうね。」

「そうですか・・・」

「でも、そのユウトさんは操られているだけだと思います。」

「昨日言っていた”化物”ですか?」

「はい、もう君には話しておいた方が良さそうですね。私は今日の出来事で今狙われているのはナツトさん、君であると確信しました。そのうち現れるかもしれない。」

朝林を見ると眉間に皺を寄せている。本当は話したくないと言いたげだ。

「話したくない、ですか?」

「・・・えぇ、知ってしまえば縁が繋がる。」

「縁が繋がる?僕とその”化物”はもう繋がっているんじゃ・・・?」

「縁は知り合った者同士で繋がるものです。こちらが知らずに向こうが知っている状態、もちろん逆も然り。その一方通行状態は縁と呼ぶには不充分なんです。基本縁が繋がると念が飛ぶ。」

「念?」

「例えばナツトさんにお母様が幸せになって欲しい、という念を飛ばせば親子という縁が手助けして具現化しやすい。」

「じゃあ、僕が好きな芸能人に幸せになって欲しいと送る念は一方通行だから具現化しないって事ですか?」

「まぁ、端的に言えばそうですね。繋がった縁は念の力を2倍や3倍にすると思って欲しい。元の念の力が小さくても縁が繋がってさえいれば、その念は届く人に大きな影響を与えるんです。例外もありますが。」

「なるほど、じゃあ僕と”化物”の縁が繋がると”化物”の念が届きやすくなってしまうってことですか?」

「そうだね、そう思ってくれて構わない。でもまぁ、アイツは縁を操る力があります。」

「え、縁を操る力!?」

「えぇ、操ると言っても縁に潜ったり死人同士なら縁を繋げることが出来る程度です。」

「し、死人同士の縁を繋げる・・・?」

「悪霊化させる方法でもあるんです。死者は生者よりも感情などの影響を受けやすく、死んだ者同士の縁は繋げやすい。大きな負の感情を持つ人と同性同年のあまり負の感情を持たない人を繋げることで、負の感情を共有して両方悪霊化する・・・。」

「そんな・・・」

「そんな危ないヤツのことを君に話していいものか・・・」

顎髭をジョリジョリと触る朝林。ナツトは覚悟を決めた。

「大丈夫です、朝林さん。教えてください、ユウ君を操っている奴のことを。」

まっすぐ朝林を見つめるナツト。朝林はその目を見て、こちらもまた決意したように話し始めた。

「ソイツの名前は世毒(ヨドク)。本名は、朝林良太。私の実兄です。」


 ナツトは湯船につかり、自分のいまだうっすら変色が抜けない足首を見つめながら今日朝林から聞いた話を思い返す。

「じ、実兄!?」

「世毒は負の感情が具現化した化物で数千年前から封印されていました。私の兄、良太は世毒に魅了されてしまった。お恥ずかしい話です。18の時に兄さんは封印されていた世毒の考えや思想に影響を受け、20歳になると世毒の封印を解き、その身を世毒に差し出した。」

「じ、じゃあもうお兄さんは・・・」

「えぇ、死んでいます。骨は朝林の墓ではなく世毒が封印されていた井戸に父によって捨てられましたがね・・・」

「・・・。」

「当時は怒りや悲しみもありました。ですが、今はなんとも思ってないですよ。ただの封印しなければいけない対象です。」

「退治とか成仏はさせられないんですか?」

「そうですね、退治するには世毒の力がまだ強すぎますし、成仏させることはできません。霊と化物は別物なんです。霊は魂を持っていてその魂をあちら側へ送ることが成仏になる。しかし、化物の8割ほどは感情なんです。感情に魂は無い、成仏させられません。あとの2割程は魂ですが、感情と魂が混濁していて切り離すことが困難になってしまっていることが多いんです。一緒に退治してしまう以外方法は無いんです。」

「一緒に・・・」

朝林さんの悲しそうな顔がありありと思い出される。ナツトはどうすることも出来ない無力感に苛まれながら風呂を出た。


 次の日、ナツトは朝林からの電話で飛び起きた。時間は八時、休みの日にしては健康的な時間だった。

『すみません、この時間なら起きているかと思ったんですが・・・』

「大丈夫です、何かありましたか?」

『実は、今日仕事で学校に行くんですが少し遠いところでして。もし昨日のようなことがあっても駆けつけることが難しいんです。』

「昨日はありがとうございました・・・僕は今日一日家で静かにしておいた方がいい、と言うことですか?」

『いえ、それは心苦しいので・・・。そこでなんですが、私と一緒に行きませんか?』

「えっ?」

『私の中で危なさを天秤にかけてみたんです、ナツトさんを一人にするのと私と一緒に危ない所へ行ってもらうのを。その結果小さな差異ではありますが、私と一緒に行動した方が安心という考えに落ち着きました。』

電話越しの朝林は、もしやることがあったり嫌でしたら大丈夫ですからね?と焦ったように付け加えた。

「一緒に行きます!何持ってけばいいですか!」

 日差しが肌を焼き、コンクリートの道路からジワジワと暑い熱気が放たれ、上からも下からも暑さが襲ってくる。そんな中でも部活動に勤しむ学生達の声が外からでもよく聞こえてきた。他校に来ることないため、他校の生徒の部活風景に少し新鮮さを感じた。

「ナツトさん、こっちです。」

「は、はい。」

別にやましいことは何も無いのになぜがスパイでもしているかのような後ろめたさのようなものを感じながら校門をくぐる。朝林にピッタリくっつくように後ろをついて歩き、ついたのは職員室。ガラガラと朝林が引き戸を開けると、中から溢れるコーヒーの香りがついた冷気が暑くなったナツトを包み込む。

「涼しい~」

小さく独り言が漏れるほどに涼しい職員室は、夏休みであるせいかあまり人がいなかった。すみません、と声をかけた朝林に気が付いたロングヘアをポニーテールにした女性教員がこちらに走ってくる。疲れているのか少し暗い印象を受けた。

「こんな遠い所へ、暑い中わざわざありがとうございます!」

「いえいえ、仕事なので。」

「そちらの方は?」

そう言いながら女性教員はナツトの方に目を移す。ナツトは何もいいわけが思いつかず、慌てふためいているとすぐに朝林がナツトを紹介した。

「助手です。弟子、とも言えるかもしれませんね、こんな仕事ですから見て覚えたりする方が早いんですよ。勝手に同行させてしまい申し訳ありません。」

「あ~!なるほど!いえいえ、大丈夫ですよ!2人の方が強い物も退治できますもんね!こちらへどうぞ!」

そう言って納得した様子の女性教員にパーテーションで区切られたソファへ案内される。女性の首には田宮と書かれたネックストラップが垂れ下がっていた。目の前に出された小さなペットボトルに口をつける。お茶が冷たく喉をとおりすぎ、中からも外からも冷やされたナツトは気持ちよくなっていた。

「それで問題の幽霊が出るプールのお話をお聞きしたいのですが・・・」

「はい、まず事件が起こったのはつい一週間前のことです。柿野という、うちの新人教師がプールの清掃に出て行ったっきり行方不明になったんです。」

「プールの清掃に?」

「清掃、と言っても部活動で使った後にしっかり掃除したかを確認しに行った、という方が正しいですね。生徒の一人が髪留めか何かをプールに落としたかもしれないと言っていたらしく、それを探すついでにプールの掃除がしっかり隅々まで、できているかを確認しに行くと言って出ていきました。二時間たっても戻らず、教員と柿野が受けもっていた水泳部の生徒数人で探しに行くと、鍵やスマホなんかを残して柿野だけ居なくなっていたんです・・・」

「なるほど・・・」

「それからプールで幽霊を見たと言う生徒が多発しまして・・・挙句教員にも何人か柿野先生らしき人を見かけたと・・・」

「見かけただけでしょうか?なにか声とか聞きませんでしたか?」

「確か・・・生徒の数人が『ここはどこ?』『誰かいないの?』『助けて』と言っている柿野先生らしき声を聞いたと言っていました。」

「なるほど・・・」

田宮はすみません、と涙を拭い声を震わす。

「柿野を成仏させてやってください・・・」

「・・・分かりました、調べてみます。」

少しの沈黙の後、朝林はプールを調べるために鍵を田宮から受け取った。

「そうだ、こちらも。」

そう言って差し出されたのはふたつのネックストラップだった。片方には『朝林』、もう片方には『水多』と大きく載っており、その上には『学校関係者』という言葉が少し小さめに載っている。それを首からかけ、涼しい職員室に別れを告げて朝林と共にプールへ向かった。

 先程まで燦々と地上へ光を降り注いでいた太陽は雲が前を横切るせいで実力を発揮出来ずにいた。プールは少し遠く、大きなグラウンドを横切らなければ行けない。

「グラウンドでかぁ~すげぇ。」

「ナツトさんの高校は小さいんですか?」

「ん〜、周りにビルとかいっぱいあるせいでグラウンドはほぼないようなものですね〜。プールもないし。まぁトンカチなので水泳の授業がなくて良かったな~と思ってます。」

「そうなんですね、私もしばらく泳いでないので腕が鈍ってそうです。」

ふふふ、と朝林は思い出すように笑う。ナツトは、先程違和感を覚えた鍵を貰う時のことついて聞いてみようと思った。

「朝林さん、話変わるんですけどさっき鍵受け取る時になんで少し考えてたような感じだったんですか?なにか気になることでも?」

「・・・えぇ少しだけ。」

朝林は少し思案した後、ナツトさんは助手ですしね、と言って続きを喋り始めた。

「先程、田宮さんは『柿野を成仏させてやってください』と言っていました。現在柿野さんは行方不明、普通は助けてくださいなど希望的な言葉を言う方が自然です。ですが、田宮さんはもう死んでいると確定させるような物言いだったので・・・少し気になったんです。」

「あぁ、確かに・・・」

「まぁ一週間経って見切りをつけているようにも見えますがね・・・」

「そういえば、朝林さんは能力で見たんですか?柿野さんの安否とか。」

「えぇ、田宮さんと柿野さんの縁を見ました。」

「どうだったんですか?」

「柿野さんは生きています。ただ・・・」

「ただ?」

「縁が薄くなっています、早く見つけなければ消えてしまうでしょう。」

「縁が・・・消えたら・・・ど、どうなるんですか・・・」

「この世界から消えてしまいます、神隠しです。」

 プールの入口には校門のミニバージョンのような横に引くタイプの門がついており、南京錠と錆びて茶色くなった鎖で固く施錠されていた。南京錠を貰った鍵で解除すると、鎖がゴロゴロと音を上げて土の上に着地した。鎖を持ち上げ、横にどけただけで手が茶色く鉄臭くなった。ナツトは最悪だなと思いながらもういいや、とガラガラと大きな音を立てて門を引いた。入って左手側には同時に5人が使える長いタイル作りの流しがあり、雲の隙間から見え隠れしている太陽の光を浴びてキラキラと青色系のタイルが輝いている。右手側には扉が2つあり、片方には女性更衣室、もう片方には男性更衣室のプレートが扉の上についていた。ナツトが流しで手を洗っている間に、朝林はキョロキョロと周りを見回している。縁でも見えているのだろうか?と思いながらナツトは手に着いた茶色を、設置されていた石鹸を使い洗い流した。

「更衣室見ますか?」

「いえ、先にプールを見に行きましょう。鍵など柿野さんの持ち物が落ちていた場所はプールサイドだと聞いていますから、先に見に行きたいです。」

「分かりました。」

どうぞ、と渡されたハンカチを使わさせてもらいナツトは朝林のあとを追って、小学生の頃よく地獄のシャワーと呼んでいたシャワーの下を通ってプールサイドに足を運んだ。水がないプールは新鮮で、水がある時よりも大きく見えた。シャワーの下を通ってプールに出たすぐ右手側には屋根があり、ベンチが2つほど置いてあった。プールサイドの端には黄色い丸が紐で繋がったコースロープが蛇のようにとぐろを巻いて放置されている。プールサイドのコンクリートやプールの中はカラカラに乾いており、学校掲示板に貼られていた幽霊騒動によりプールの一時閉鎖を告げるプリントが頭をよぎった。

「こんなに乾いたプール見る機会ってなかなか無いから新鮮だなぁ。」

独り言を漏らしながらナツトは水の入っていないプールを覗き込む。液体の入っていないプールはどこか物足りなく感じた。朝林がプールの調査を一通り終わらせると、次は更衣室を調べにもう一度戻った。ナツトも朝林について行く。朝林が鍵を開け、ふたりは男子更衣室に入った。中は薄暗く、窓から入る明かりを頼りに中を見回す。

「暗いですね~外の明るさで余計に。」

「ですね、電気は・・・」

カチカチと朝林が電気のスイッチであろうものを操作するがつく気配は無い。仕方ないかと外から入る僅かな光とスマホのライトで対応することにした。広いとも狭いとも言えないような微妙な広さがある。しかし、一クラス分の男子が入れば一人一人の使えるスペースは狭そうだなと思った。靴は外で脱ぐ形式で、足元はすのこになっていて当たり前だがすのこはよく乾いている。壁際には格子状の棚がコの字型にあり、明らかにこの空間の許容人数より多い。よく見てみるがあまり収穫は得られなかった。

「ふむ、手がかりはなし。次は女子更衣室ですね。」

「そうですね、なんでしたっけ?髪留めが~と、か・・・」

目の端を何かが通ったように見え、そちらに振り返る。しかし、振り返った先には先程開けた門があるだけで特に気になるものはなかった。

「どうかしました?」

「えっ、あ〜、いや、なんでもないです。」

「そうかい?何か気づいたら行ってね。」

「はい!」

見間違いだろう、そう思った。ここ数日あった様々な出来事のせいで、無意識な怯えや恐怖からそういう何か幻覚のようなものを見ているんだ。ナツトはそう自分に言い聞かせ、見なかったことにした。朝林が女子更衣室に入るのを追いかけ自分も中に入った。女子更衣室は男子更衣室を鏡合わせにしたような部屋で、調べたが特に何か見つかる訳では無かった。

「何もなし・・・これからどうしますか?」

「一度、柿野さんの持ち物などを見せてもらいましょう。よく使っていた物には縁が結びつきやすいですから、柿野さんの薄くなった縁を見えやすくしてくれるかも知れません。」

「なるほど、じゃあ職員室ですね!」


ボチャン


プールの方から大きな音がした。誰かが、水に飛び込んだかのような音。宙を舞ってもう一度水に戻る水滴のぽちゃぽちゃという音も聞こえた。冷や汗を背中に感じる。先程、プールに水が入っていないのを確認したはずなのに。今、プールの方からありえない音がしたという事実に息を飲む。

「あ、朝林さん・・・」

「えぇ、向かいましょう。」

ナツトが声をかけると朝林はすぐに反応し、朝林とナツトはプールの方へもう一度向かった。

 プールには透明な液体が並々まで入っており、プールの底に書かれていた線や数字がぐにゃぐにゃと歪んで見える。

「こ、これは・・・?」

「異界化・・・!?なるほど、厄介な・・・」

朝林はキョロキョロプールを見回し、ナツトはプールに溜まった透明な液体を凝視していた。透明な水面(みなも)は、先程誰かが本当に飛び込んだかのように波がたっている。じっ、と見ているとプールの中に何かきらりと光る物があるのに気がついた。なんだろう、と目を凝らしてそれを見た次の瞬間、ナツトは魅入られるような感覚に襲われる、何かにグイグイと引っ張られるように足が進む。一歩、また一歩とプールサイドをナツトの意志とは関係なく進んでいく。

「あ、あさ・・・」

固まった口を必死に動かし、朝林を呼ぶ。

「ナツトさん!」

腕を掴まれる。顔が固定され振り向くことも出来ないがこの温もりは朝林のものだとすぐにわかった。

「『どうしてあの子ばっかり』」


ボチャン


冷たい液体がナツトの体を包み込む。強く握られた腕の一部だけが暖かい。ぽこぼこと下から上へ泡が昇っていく。先程、上から見ていた時は透明でプールの水色の底が見えていたのに、今は濃い青が足元を支配している。上を見ると海の中から見上げた時のような太陽の柔らかい光が差し込んでいる様を見ることが出来た。寒い、でも綺麗だなぁ、もうどうでもいいや、ナツトの頭の中をそんな言葉がぐるぐるとめぐり、他のことを考えられなくする。ふと、プールの中に見えたあの光る何かのことを思い出した。キョロキョロと周りを見回す。深い青の世界にキラキラと光る物はよく目立ち、ナツトの少し先に海の底へ沈みゆく姿を捉えた。冷たさで感覚のない体を動かし、そのキラキラした物へ近付く。目の前にきたキラキラを両手で包み込むように捕まえる。じんわりと手のひらから、緩やかに温かさが体全身へ巡る。これはきっと、誰かの大切なもの。グイッと身体が上へ引っ張られる。水の抵抗でキラキラを落としてしまわないようにナツトはギュッとキラキラを抱え込む。ホーー、と汽笛のような音が聞こえた。悲しくも聞こえるその音は、昔博物館で聞いたクジラの声の様に落ち着く音だった。

 げほっ、と口の中にいた水を吐き出す。喉についた水を激しく咳をする。

「大丈夫かい!?」

そう言って朝林は、嘔吐くナツトの背中をさすっている。身体がびしょ濡れになり、夏なのに異常な寒さがナツトを凍らようにまとわりつく。

「大丈夫、です。はぁ・・・はぁ・・・」

肩で呼吸をしているが頑張って抑え落ち着かせる。

「プールに、光るものがあって、それを見てたら、海の中に、でも拾えました、キラキラ!」

激しい咳で痛めた喉を、必死に働かせて先程の事を朝林に説明する。支離滅裂だろうナツトの言葉に、朝林は一通り喋り終わるまでうんうんと相槌をうちながら聞いてくれた。

「大丈夫、落ち着いて。何となくわかったから。」

「これ・・・拾った・・・キラキラ・・・」

そう言って、力強く握っていた物を朝林に見せる。ナツトの手の中には白い女性物の髪留めが握られていた。少し磯臭い白い髪留めを朝林は受け取るとマジマジとそれを見た。

「なるほど・・・」

「なにか、分かりましたか?」

「えぇ、お手柄ですナツトさん。」

立ち上がると濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪い、髪からポタポタと肩に水滴が落ち一定のリズムを刻んでいる。

「現れます。」

「えっ?」

そう言って朝林は屋根の下にあったプールサイドのベンチを指さした。ナツトが指をさされたベンチを見ていると、シュワシュワと効果音がつきそうな様子でジャージを着た女性が項垂れている姿が現れた。朝林とナツトはその女性の元へ行く。

「柿野スミレさん、ですね?」

「!?は、はい!!わ、私の事!見えるんですか!?」

女性、柿野はこちらをびっくりした様子で見て安堵したのか涙を浮かべている。

「もう大丈夫ですよ、あなたはみんなに見えています。」

「よ、良かった・・・うっ、よがった・・・ひっく・・・」

ぼろぼろと涙を流す柿野の背中を朝林は優しく撫でていた。ナツトは朝林のもう片方の手に握られていた白い髪留めを見ていた。ナツトが拾ってきた白い髪留めがトリガーになり柿野が現れたことは明白だったが理由がイマイチ分からなかった。

「ナツトさんがみつけてくれたこれのおかげで田宮さんの生霊が弱くなっています。今から柿野さんと田宮さんの生霊、嫉妬の念の縁を切ります。ナツトさん、柿野さんをよろしくお願いします。」

「い、生霊の縁!?」

朝林に頼まれ泣きじゃくっている柿野の背中をさするナツト。朝林はナツトの質問に後で答えます、と言ってベンチに座る2人の前に手を合わせて立つと、何か呪文のような物を唱え始めた。その瞬間泣きじゃくっていた柿野が静かになり、ナツトに寄りかかる。見ると柿野は目を閉じ眠っているようだった。

 朝林が呪文のようなものを唱え始めてから一分ほど経った頃、ナツトは柿野側から小さな声が聞こえてくることに気が付いた。柿野を見るが相変わらずすやすやと眠っている。朝林を見るとまっすぐ柿野の方を見ている。いや、柿野の方と言うには少し目線が上だった。そう気付いた瞬間、ナツトは言いようの無い恐怖で心臓がキュッとなる。柿野の背中側から嫌な圧を感じる。見てはいけない、聞いてはいけない、そう思いナツトは柿野の体を力強く支え、強く目を瞑り朝林の唱える呪文に耳を傾けて頭をそれでいっぱいにした。

 一時間ほど経ったような気分だった。朝林に終わったよ、と声をかけられ目を開けた。柿野は相変わらず眠っているが、呪文を唱えていた時に聞こえていた小声は聞こえなくなっていた。プールサイドの壁に設置された時計は最後に見た柿野を見つけた時間から20分ほどしか経っていなかった。

「もう大丈夫ですよ。」

そう言われ、固まった体を動かすために眠っている柿野をベンチに横たわらせ立ち上がる。プールはカラカラに乾いており、初めて見た時と変わっていなかった。自分の体もしっかり乾いている、というか濡れたことは無いと言いたげだった。

「柿野さんを保健室へ連れていきましょう。」

「わかりました、僕が背負います。」

「ありがとうございます。」

朝林は平気そうな顔をしているが額から流れる汗や小刻みに震えている手を見れば疲れているのが見て取れた。ナツトは眠っている柿野を背負い、プールの外へ出る。朝林が開けた鍵を全てかけ、共に保健室へ向かう。運動場を歩いているとこちらに気付いた運動部の生徒が走ってくる。野球部やサッカー部、少し遠くのテニスコートからテニス部も走ってきた。

「柿野先生!!」

「良かった!!」

「大丈夫なんですか!?」

柿野が多くの生徒から慕われているのがよく分かる。朝林と共に柿野は怪我などはなく今から保健室に連れていく、という旨を伝え運動場を後にした。保健室に行くと保健の先生が驚いたようにこちらを見て、柿野を見るとすぐにベッドへ案内してくれた。柿野はベッドですやすやと眠っている。

「柿ちゃん!!」

ベッドのカーテンを閉めたと同時に保健室に数人の生徒が駆け込んでくる。

「先生、柿ちゃんは!?」

「落ち着いて、今眠ってるわ。」

保健室の先生に声をかけた小麦色によく焼けた肌の集団は、柿野が顧問を務める水泳部員であるとわかった。

「あなた達が柿ちゃんを見つけてくれたんですよね?」

一人の女子生徒がこちらをじっと見つめる。部長っぽい彼女はこちらに深々と頭を下げた。それに続き他の生徒も頭を下げる。

「ありがとうございました。」

あげた女子生徒の目には涙が溜まっている。ずっと心配していたのだろう、とナツトは思った。

「見つかってよかった、柿野先生はこちらにいますよ。」

そう言って朝林とナツトが横にどくと、すみませんありがとうございます!と言って生徒達は柿野が眠るベッドに向かった。保健室の先生に挨拶して保健室を後にする。職員室に向かわなければならない。

 職員室に入って挨拶すると田宮がスっと現れた。

「柿野は成仏しましたか?」

悲しそうな顔をしてそう聞いてくる田宮にそこはかとない恐怖をナツトは覚えた。

「柿野さんは生きていました。今は保健室で眠っています。」

そう朝林が伝えると、田宮はびっくりした顔をした後、ニコッと貼り付けたような笑顔になった。

「そうなんですか!良かったです~!一週間程行方不明だったし、幽霊として現れるって生徒たちが噂するからてっきりもう・・・生きてたんですね!良かったぁ~!!」

取り繕うような早口でそう捲し立てる田宮を朝林は冷めた笑顔で見つめていた。

「そういえば、プールで助手がこんなものを拾いました。心当たりは?」

そう言って朝林はキョトンとしている田宮にプールで拾った白い髪留めを渡す。田宮は無言で髪留めを見つめていたかと思うと、ポロポロと涙を流し始めた。

「これ、プールで、拾ったんですか・・・?」

「えぇ、色々ありまして助手が命懸けで。」

「そんなわけ、だって、これ、ミツキちゃんの、海で・・・」

田宮がぺたんと床に座り込み、髪留めを胸に抱いてすすり泣いた。そんな田宮にも朝林は背中をさすり、落ち着かせていた。

 田宮は落ち着くと来た時と同じようにパーテーションで区切られたソファへ案内された。

「そちらの髪留めは?」

「これは、私の友人の物です・・・。大学生の時、海に行った時に離岸流に巻き込まれてそのまま・・・」

この髪留めだけ見つからなかったんです、どうしてこんなところに・・・と田宮は不思議そうだった。

「そのご友人、田宮さんのこと今でも守ろうとしてくれていますよ。」

「そう、だったんですね・・・」

田宮はギュッとその髪留めを握りしめる。その顔には初めて見た時より明らかに明るく穏やかになっていた。

「・・・過度な嫉妬はご友人を悲しませてしまいますよ。」

朝林がそう声をかけると、田宮はハッとした表情になった。

「すみません、私・・・馬鹿だなぁ・・・ありがとうございます。」

田宮からその言葉を聞いたあと、仕事は終わったと朝林と共に職員室を出た。職員室を出て、保健室の前を通ると中からタイミングよく起きた柿野が顔を出した。柿野はこちらに気付くと深々と頭を下げた。

「ありがとうございました!!掃除の確認と生徒のひとりが髪ゴムがないって言ってて、探しに行ったら変な空間に迷っちゃって・・・プールから出れないし、プールに来た人誰もこっちに気付いてくれなくて・・・」

「お疲れ様でした、柿野さんはよく頑張りましたよ。」

「すみません、お手数おかけしましたありがとうございました!」

そう言って顔を上げた柿野は、ナツトのネックストラップを見て目を丸くした。

「水多・・・あ、あの君、もしかして水多マサトさんの・・・」

「父の知り合いなんですか?」

「お父様・・・こんな偶然あるなんて・・・」

「?」

「私、小学生の時に水多さんに助けてもらったんです!」

そう言って柿野はジャージの袖を捲り、大きな切り傷の痛々しい跡を見せてくれた。

「も、もしかして、無差別殺傷事件の!?」

「はい!!あの時助けて貰って、今こうして先生になることが出来ました。感謝してもしたりません、ありがとうございます!」

そう言って深々とまた頭を下げる柿野に、ナツトは複雑な気持ちを抱えていた。

「い、いえ、良かったです。」

「お恥ずかしながら、私は助けてくれた水多さんが死んでしまったというのを聞いたのが事件から4年ほど経った後でした。母が小学生の私には言えない、と高校生になってから教えてくれたんです。」

柿野は表情豊かで話している間ずっと顔がコロコロ変わっていた。

「その頃の私は反抗期でグレていて・・・こんな私を守るために死んでしまったんだって申し訳なくなりました。そこで決めたんです!私を守って、無くなった方、水多さんみたいにかっこよくて強い人間になろうって!それからたくさん勉強して、運動が得意だったので体育の先生になって・・・この命がなかったら出来なかったことです。ちゃんと生きようって、思えました。ありがとうございます、ってずっと言ってるけど失礼かもですね・・・すみません、でもすごく感謝してるんです。」

そう言って柿野はナツトに深く頭を下げた。そうか、父の死は無駄になんかならなかったんだ。

「顔上げてください。僕も父の守った命がこうして生きていて嬉しいです。言葉変ですよね、アハハすみません。でも嬉しいことは伝わって欲しいです。」

「伝わりました!これからも私、自分の命を大事に生きようと思います。」

そう言って深々と頭を下げあった。少し談笑した後、ナツトは朝林と柿野に別れを告げて学校を出た。バス停まで歩いて行く道のりは、朝よりも太陽の光が弱く楽だった。

「朝林さん、生霊との縁って切れるんですか?」

朝林は突然話しかけたのに少しびっくりしていたが気になるよね、と話してくれた。

「生霊って言っても普通の生霊と、主と切り離された生霊がいるんだ。」

「主と切り離された生霊?」

「そう、殆どの場合は生霊を飛ばしている人が相手に興味が無くなれば生霊も消えるんだ。でも稀に、気持ちが強すぎて飛ばしている人が相手に興味を無くしても生霊が残って自我みたいなものを持ちはじめることがあるんだ。」

「い、生霊が自我を・・・?」

「まぁ人間の魂が作り出した、もうひとつの自分みたいなものだしおかしくは無いんだけどね。」

朝林は顎髭を触り、思いにふけるように山を見上げた。

「田宮さん自身も生霊がいたなんてこと知らなかっただろうね。」

「そ、そうですかね・・・なんか、怖かったですよ?」

「多分次のターゲットがいたんだろうね。柿野さんへの嫉妬はもうあまりなさそうだった。でも、多分もう辞めるんじゃないかな。自分を卑下して周りを妬んでも意味無いし、自分を愛することを思い出しだろうから。」

「な、なるほど・・・」

「でも、今日の田宮さんの生霊。プールに集まっていた他の霊を巻き込んで異界を作り上げてたから・・・多分この件も、もしかしたら世毒が関わってるんじゃないかな。」

「こ、こんなところでも世毒が・・・」

「あいつはどんな所にでも現れる。他人の縁を道にしてね。」

バス停にはちょうどバスが来ており、朝林とナツトはそのバスに飛び乗った。バスの中には珍しくチラシが貼ってあり、内容は夏祭りについてだった。人の少ない車内で朝林はナツトに差し支え無ければと父マサトの話を聞かせて欲しいと言われた。

「普通の父親ですよ。話すこととかあんまりない・・・」

「亡くなった方を思い出すのはいい事ですよ。思い出す側も思い出される側も。」

その朝林の言葉にナツトは共感して、ドがつくほど優しかった父親の話をした。

 よく知る町に到着し2人はバスから足を下ろした。朝林はこれから今日の報告書を書くために行く場所があるらしくナツトはひとりで帰路に着いた。家に帰り、汗でベトベトになった体を洗い流す。部屋に戻るとベッドと毛布の隙間に体をねじ込む。スマホでSNSを開くとクラスメイトや友達が口を揃えて『明日の夏祭りは絶対に行く』と投稿していた。ナツトはその数の多さに、嫌な胸騒ぎを感じた。調べてみると昨日まで見る専だった友達のアカウントも夏祭りについて言及し、参加の意を表してる。

「なんでみんなして・・・夏祭りに何かあるのか?」

SNSを駆使し今年の夏祭りについてよく調べるが例年と変わらない。しいて言うなら久々に花火が上がることぐらいだった。

「花火か?でも、なんだろう・・・違う気がする・・・」

ナツトは何とも表現できない違和感のような、嫌な予感のようなものを朝林へのメールにしたため送っておいた。

『明日の夏祭り、一応僕も行ってみようと思います。』


 蝉の声とソースや醤油が焦げる匂いが入り交じった神社の境内。屋台がいくつも並び、その隙間を多くの人がゆっくり歩いている。本殿は暗く長い階段の先だがその手前にある広場は多くの人が集まり、賑わっていた。ナツトは見知った顔に見つかると面倒くさそうだな思い、見つからないように顔を下げてスマホに目を落とした。

『私も感じました、一緒に行きましょう。』

朝林からの返信は簡素だが心配が読み取れた。うだるような暑さに、手で顔に風を送る。ナツトはふと視線を感じ、知り合いに見つかったかとそちらに視線を移す。ガヤガヤと人の波が出来上がっている祭り会場。人と人が行き交うその隙間に黒い甚平に和風の蛙の面をつけた子供がスポットライトを浴びているかのようにナツトの注目を引いた。緑、白、金、黒で構成された蛙の面は動くことなくナツトをじっと見ている。ナツトの耳からガヤガヤと騒がしかった雑音が遠のく。懐かしさを感じる。

「っゆ───」

「ナツトさん、お待たせしました。」

朝林の声が聞こえナツトはハッと我に返る。耳はまた雑音をとらえ、うだるような暑さに襲われる。朝林の顔を一瞥し、先程の蛙の面を探してもう一度人混みを見る。

「ナツトさん?どうかしましたか?」

特徴的で見ればすぐ分かるはずだがそこに蛙の面は見えなかった。

「いや、さっき・・・いえ、すみません、知り合いがいたように思えて。」

「そうですか、この人混みじゃあすぐ見失っちゃいますよね。」

朝林の返答に同意し、きっとなんでもないと先程の出来事を飲み込んだ。

「何が起こるか分かりませんが・・・とりあえずお祭りですし、楽しみましょう。」

「そうですね!」

ナツトは朝林と夏祭りに湧く人間の波に飛び込んで行った。

 金魚すくい、射的、くじ引き、ボールすくい、たこ焼き、焼きそば、フライドポテト、カステラ、たい焼き・・・様々な屋台が所狭しと並び、そこに浴衣や半袖の老若男女が並び思い思いに楽しんでいる。ナツトの隣で朝林も焼きそばを食べながら歩いている。

「多いですねぇ。」

「ですね、暑さでバテそうです。」

ナツトと朝林は軽い雑談をしながら、人混みに揉まれる。雑音として耳に届く人々の声に少し耳を傾けると、ある瞬間から同じ言葉が聞こえだした。

「花火がもうすぐ始まるらしいです。」

「おや、もうそんな時間ですか?」

朝林が腕時計を確認した。

「確かに、もうすぐです。」

「じゃあ移動しますか?」

「いいとこ知ってるんですか?」

「もちろんです!ついてきてください!」

ナツトは朝林を連れ、人混みを抜け出すと光のない本殿へ続いている長く暗い階段を登った。

 広い境内の真ん中に鎮座する本殿は活気のある下とは違い厳かな雰囲気が張り詰めていた。

「ここからなら・・・」

そう言いかけてナツトは少し考えた。なぜ自分は花火を見ようとしているのかと、確かに楽しもうとは朝林と話して決まった。

「すみません、なにか・・・おかしくないですか?」

しかし、本来の目的は嫌な違和感の正体を暴き、何か起こったら阻止すること。朝林の顔を見ると朝林も気が付いたのか額に手を当てている。

「・・・すみません、私としたことが明らかにおかしい。」

──操られている。

直感がそう叫んでいる。きっと今この祭りに参加している人、ほとんどがアイツに操られここに集められている。活気ある祭り会場は、遠くで幻影のように輝いている。それを朝林に伝えようとした瞬間、夏には似合わない冷たい空気が頬を撫でた。そうだ、これもおかしい。いつもなら夏祭りはこの神社では開催されない。もっと街の近くにある神社で行われる。こんな山に引っ付いたような神社はこの地域に『なかった』はず。

「っ、はっ・・・」

喉が張り付いたように声が出ない。呼吸が荒くなる。ナツトは朝林を見た。しかし、そこには朝林の姿はなく代わりに朝林とよく似た男がいた。年齢は20代ほど、背丈は高く、朝林によく似た顔をしているがこちらの方が凛々しく若々しいと感じる。


──世毒──


脳裏を過ぎった名前に吐き気を覚える。初めから騙されていたらしい。夏祭りを共に歩き渡った相手は朝林ではなかった。頼りになる朝林はここにはいない。その事実は、ナツトを震え上がるほどの恐怖に支配するには最適だった。

「ナツトくんだね?」

「おま、えは・・・世毒・・・!」

「良哉から聞いたんだっけ?そうだよ、俺が世毒!君たちの新しい支配者だ。」

世毒は嬉しいそうにナツトを見下している。178あるナツトを優に超える世毒は、月の光をその真っ白い肌で反射させている。

「ナツトくん、君には見てもらいたいものがあってここに連れてきたんだ」

恍惚な表情を浮かべる世毒。ナツトは金縛りにあったように身体が動かず、拳を握りしめることすら出来ない。ナツトから向けられる憎悪の視線に気付くと世毒はさらに喜んだ。ふと、どこからか嫌な匂いがしてきた。例えるならそう、死んだ生物の体が腐ったような腐臭。

「あぁ、やっと来た」

そう言って世毒が見つめる方へナツトも目を動かす。ナツトの目に飛び込んだのは巨大な白い魚のような形をしたモノだった。全長30メートルほどに見える巨大な魚が宙に浮き、祭り会場の上にいる。頭と思われる部分には目玉が大量に着いており、ぎょろぎょろと様々な方向を見ている。魚は傷だらけで血を流している。

「おいで、化鯨」

世毒がそういうと巨大な魚はこちらへ近付いてくる。ソレが近付けば近付くほど、ドブのような嫌な匂いが鼻を刺す。吐き気を催し喉まで挙がってくるが、身体が動かずどうすることも出来ない。ソレを間近で見て気が付いた。魚の肉部分が蠢いている。

「うっ・・・」

魚の肉だと思っていた部分は人間、正確に言えば死人だった。一人一人が絡み合い窮屈そうに呻いて助けを求めている。

「美しい」

世毒はそう言って口角を上げていた。蠢く中から、白く細長い腕がナツトの前にするりと伸びてくる。その腕の主は助けを乞うように、ナツトを見つめていた。助けなきゃ、ナツトは動かない体を必死に動かそうと力を込めゆっくり手を伸ばす。しかし、ナツトの前に伸ばされた腕を先に掴んだのは世毒だった。

「いけないじゃないか」

そう言いながら、世毒は掴んだ腕を捻りながらちぎり、土の上に捨てる。腕の主は甲高い悲鳴をあげ、蠢く死人の波に飲み込まれて見えなくなった。地面に捨てられた腕はビチビチと血を撒き散らしながらそのうち動かなくなり、灰になった。

「この・・・やろ・・・」

絞り出すように声を上げるが世毒にはなんのダメージも入れることが出来ない悔しさに涙が出そうになる。

「さぁ、遊んでおいで化鯨!」

世毒がそう叫ぶと化鯨はまた空を泳ぎだし、祭り会場の方へ向かった。

「にげ・・・て・・・」

喉から掠れた声が出る。小さな声は誰に届くことも無く暗闇に吸い込まれていった。ナツトは突然体が浮く感覚に驚く。なにが、と下を見るとナツトの足は地面に着いておらず宙に浮いていた。そのまま祭り会場を背に世毒の目の前に連れてこられる。

「ふーん、君は・・・ふふっ、たくさんの縁を持っているね。どうだ俺と手を組まないか?今こちらに来るなら自我を保ったまま新しい世界を見せてやってもいいぞ」

世毒は自信満々に提案をする。ナツトは喉が軽くなっているのに気が付き、唾を飲み乾いた喉を少し潤した。

「僕は、なんと言われようがお前に協力するようなことはしない!」

力強くそう言い切るのを見届けた世毒は浮かべていた笑みが真顔になる。

「そうか、なら死ね」

ナツトの体がふわりと宙に浮いたと思った瞬間、重力に従い下へと落ちる。その先は石でできた階段。ナツトは悟った。僕はここで死ぬのか、と。なんの能力もない、無力な自分には抗うことが出来ない。ナツトは目を閉じた。瞼の裏に現れるのはクラスメイト、友達、祖母に母、そして────

「ユウ君、ごめんね・・・」

『目を開けて』

「ナツトさん!!」

閉じていた目を開けた。満天の星を背景に蛙の面をつけた少年がナツトに手を伸ばしていた。ナツトはその手をとる、それと同時にドサッと鈍い音がし、背中に衝撃が加わる。

「大丈夫ですか!?ナツトさん!」

一番に目にしたのは朝林の焦った表情だった。ナツトは朝林にお姫様抱っこされているらしい。

「だ、大丈夫です!ありがとうございます。」

酷い音はしたが痛みなどは一切なかった。朝林は安堵したように表情を和らげ、下ろしてくれた。

「本当ですか?良かった。」

「そうだ、朝林さん!上に!アイツが!」

そう叫ぶと朝林は顔を強ばらせた。

「分かりました、ナツトさんも」

「僕は助けなきゃ、ユウ君を。」

そういうと朝林は少し戸惑ったが、すぐに「分かりました、どうかお気をつけて。」と言って階段を登っていった。その背中を少し見たあとナツトもまた階段を駆け下りる。ナツトは根拠の無い確信があった。あの怪物鯨の中、中心にユウトがいると。

「待ってて、ユウ君!!」

怪物鯨が大きく口を開ける。祭り会場を濃い腐臭が包み込む。周りにいる人達は声を一切出さず、顔色を変えることも無くただ真顔で空を見上げていた。まるで、怪物鯨に飲み込まれるのを心待ちにしているかのように。ナツトは祭りに来ていた人々と共に暗闇に包まれた。


 目を閉じているのかも開けているのかも分からない暗闇に少し怯えながら、1歩1歩手探りで進む。周りにいたはずの人はおらず、息が詰まるほどの腐臭も今は全く感じない。ただ、暗闇だけがナツトを包み込んでいた。

 どのくらい歩いたか分からない。前に進めているのかも分からない。

「でも、進むしかない。」

ナツトの心にはみんなを助けるという気持ちもあったが、ユウトを助けたいという気持ちが一番強かった。ユウトを探してナツトは歩き続けた。

──どこからか生温い風が吹いてくる。

まるで暑い夏の日に頬を撫でる風のようなそれを、ナツトは追い求めるようにそちらの方へ足を進めた。


 ナツトは目を開けた。肌を焦がすような日差しに目が眩む、でも直ぐに慣れた。目の前に広がるのは慣れ親しんだ公園。ビビットカラーの半袖シャツで汗を拭って、オアシスを求めて涼しいベンチへと走る。ベンチには先客がいる、よく見知った顔はこちらに気付くと目を細め口角を上げた。

「ユウ君!」

「ナツ君!遅いよ!」

はい、これ!と言ってユウトからチューチューの片割れを手渡される。ありがとう!と言って受け取り2人で火照った体を冷やす。ユウトは黒い甚平に身を包み、カエルのお面を顔の横につけている。

「新しいお洋服?」

「そう!お兄ちゃんがくれたの!」

「お兄ちゃん?」

「そう!良太お兄ちゃん!優しいんだ~!」

嬉しそうにそう話すユウト。ナツトは良太という名前を聞いてやはり世毒がユウトを唆していると感じた。

「ねぇナツ君もお兄ちゃんと一緒に新しい世界を作ろう?」

「新しい世界?」

「そう!お兄ちゃんはこの世界を一回まっさらにして新しく世界を作るんだって!」

「その世界に今いる人は行けるの?」

「ん~お兄ちゃんはダメって言ってた・・・でも、お兄ちゃんに協力したらいいんだって!だからね!ナツ君もお兄ちゃんに協力して、俺と一緒に新しい世界で遊ぼ!」

キラキラとした瞳で語る嬉々として語るユウトにナツトは悲しい顔をした。

「ナツ君どうしてそんな悲しそうなの?俺と遊ぶの嫌?」

「そんなこと絶対ない!でも、僕、お兄ちゃんには協力できない。」

「なんで?そうだ!ナツ君が言ったようにしてるんだよ!この世界壊す方法!」

「えっ?」

「一回みんなを集めていい人と悪い人を区別するの!分けていい人だけ生かすために終わるまでどこか別の場所で安全に暮らしてもらうってやつ!!」

ユウトは嬉しそうに語った。

「この大きなクジラはね、ナツ君のアイデアを使ったんだ!クジラがみんなを飲み込んで悪いやつは殺して、良い奴はクジラの中で生かすんだ!」

すごいでしょ!とユウトは笑った。しかしその笑顔はナツトからするととても怖いもので、昔のユウトの面影はなかった。太陽のように笑うユウトはもう居ないんだろうか?

「ユウ君・・・」

「何?ナツ、君・・・」

ナツトはユウトを抱きしめた。あの頃の無邪気なユウトに戻ってきて欲しかった。振り払われるだろうか、そんな心配は必要なかった。

「どうしたの、ナツ君。」

「少しだけ、つらいの。」

「・・・そっかぁ、俺優しくて強くてかっこいいから、ナツ君が辛くなったらいくらでもこうしてあげるよ。」

ユウトはそう言ってナツトを抱きしめ返してくれた。暑くて苦しい程強く抱き締められる、でも心地よかった。大丈夫、ユウトはまだ染まりきってはいない。まだ間に合う。

 ここに来て20分も経っていないはずなのに蝉の声が落ち着きはじめ、空がオレンジ色になりナツトは不思議と帰らなければいけないという衝動にかられ、ユウトは顔が暗くなる。

「ユウ君帰ろう、ママが待ってる。」

「嫌・・・。」

「なんで?ママが心配するよ?」

「しないよ・・・ねぇ、ナツ君。俺ともう少し遊ぼ?きっともうすぐお兄ちゃんもくるし、遊ぼう?怖くないよ、俺がいるから、ね?」

ユウトの縋るような瞳がナツトを見ていた。ナツトの右手を握る手は力強く少し冷たい。

「ユウ君はおうちに帰りたくないの?」

「・・・」

「じゃあ、僕のおうちに帰ろう!」

「えっ?」

「大丈夫、ママは怒らないよ。パパがね、困ってる人には優しくしようってよく言ってて、ママもよく言ってるんだ!ユウ君が困ってるなら、おうちに帰りたくないなら帰らなくっていいよ。」

ユウトは困惑している。でも、ナツトにここにユウトひとりを残していく選択はなかった。

「ねぇユウ君、帰ろう?」

「でも、その、ママが」

「ユウ君のママ?大丈夫だよ!僕のママからちゃんとお電話してもらうから、ね!」

ぎゅっと握った手を引く。ナツトに引っ張られ、ユウトの体はベンチを離れる。ユウトはダメなんだと声を上げるが、ナツトは決してユウトの手を離さなかった。

「ユウ君は、優しくて強くて、僕が辛くなったらまたぎゅって抱きしめてくれるんでしょ?僕もそんなユウ君が大好きで、ユウ君が辛くなったら抱きしめてあげたいの!ごめんね、ユウ君。助けてあげられなかった・・・」

「ナツ、君・・・」

ユウトの小さな手を握るナツトはユウトよりも大きくなっていた。自分だけ生きて成長してしまった、本当ならユウトも一緒に大きくなれたはずなのに。

「ごめん、ごめんね、ユウ君の苦しみに、辛さに気が付けなかった・・・弱くて、助けられなくて、ごめんね・・・」

ボロボロと膝を濡らす。ユウトの左手を握ったまま体を丸まらせ、ナツトは嗚咽する。髪を優しく触られる。小さな手がナツトの頭を撫でてくれる。

「俺も、俺もナツ君に、助けを求めれば良かった・・・怖かった、ナツ君に嫌われるのも、ママに言われてまた殴られるんじゃないかって、ナツ君はそんなことしないのに、わかってたのに、俺も弱かった・・・ごめんな、ナツ君・・・」

顔を上げるとユウトがあの日、最後に見たユウトの姿になっていた。少しサイズの小さい怪獣のTシャツ、絆創膏がたくさんついた顔、太陽のような笑顔。ふたりは涙を拭きあった。東の空はもう紫色がオレンジ色を追いかけ始めている。ナツトは立ち上がり、ユウトに手を伸ばす。

「帰ろ、ユウ君。」

「・・・うん!」

ユウトは少し迷ってはいたが、心を決め差し伸べられたナツトの手を握った。公園の出口へ歩く。ナツトはにこにことユウトと笑い合う。

「やっと、手を握ってくれたね。」


──ありがとう、助けてくれて。



 涼しい風が頬を撫でる。日差しはまだ強いが、風はもう冷たく冬への準備を始めている。夏祭りの日、ナツトはあの後病院のベッドで目を覚ました。隣でナツトが目覚めるのを待っていた朝林からナツトが怪物鯨に呑み込まれた後のことを説明された。あの後、朝林は世毒を封印するため戦っていたらしい。途中で怪物鯨が夏の空に溶け消え、世毒に隙が生まれたことで無事封印。ナツトは世毒が封印された小瓶を見せてもらったが中には黒いモヤのようなものがおり、素人のナツトでも邪悪な気を感じた。厳重に封をされおり、中からは開けられないだろうと朝林は語った。朝林はナツトに怪物鯨について教えてくれた。元々は骨鯨という妖怪でもう消えかけていた所へ世毒が様々な死者の縁を繋ぎ合わせて化け物に作りあげていたらしい。死者と骨鯨は意識をほとんど世毒に吸われていたため、骨鯨の心臓として骨鯨を動かしていたのはユウトだった。ナツトがユウトの呪縛を解し、骨鯨の心臓から解放した事で骨鯨と骨鯨に繋がれていた縁も解放され成仏したと教えてもらった。

「すごいよ、ナツトさん。君はユウトさんだけでなく多くの魂を救った。ヒーローだよ!」

朝林はナツトにそう言って笑いかけた。ナツトが退院するのを見ると次の仕事へと去っていった。今でもたまに連絡を取っている。あれからナツトはユウトについて図書館で調べた。ユウトはナツトと別れたあの日、実の母親とその彼氏に過度な虐待を受けた末瀕死になり、死んだと思った2人に月ノ公園の花壇に埋められた。公園の管理人が花壇に花の植え替えを行ったことで発見された。殺されて3日後だったらしい。母親と彼氏は捕まり未だ刑務所。司法解剖でユウトは埋められてしばらくは瀕死の状態で生きていたらしい。

 立ち並ぶ灰色の墓石の間を歩いてひとつの墓石を目指す。手には缶ジュース二本とお供え用の花や線香を入れた紙袋。

「あ、あった。」

とりあえず失礼する前に心の中で自分が誰なのか何をしに来たのかを説明し、墓を綺麗にした。墓石に水をかけ、花入れの水を変え、花を挿し、蝋燭をさして火をつける。線香に蝋燭の火を少しもらい、振って小さくして線香を置いた。そしてやっと手を合わす。

「久しぶり、ユウ君。これ好きだったよね。」

そう言いながら缶ジュースのコーラの方を墓前に起き、自分はサイダーの方に口をつける。それから、ナツトはユウトに語りかけるように墓の前に座って長い話をした。ユウトが死んだ後、ナツトは会えなくてもしばらく公園に通っていたこと、中学の話、高校の話、一緒にやりたかったゲームの話・・・

「ユウ君、きっとユウ君が生きてたら今頃さ、呼び方恥ずかしいよねってなってさ、僕がユウトって呼んで、ユウ君がナツトって僕のこと呼んでそうだよね。ユウトって呼びたかったなぁ。」

少し滲んだ景色を手で拭って、元に戻す。もう空が暗くなってきた。ナツトは帰り支度をする。

「じゃあそろそろ帰るね。」

そう言ってコーラの缶を持ち上げる。軽くなったコーラの缶に恐怖よりも嬉しさを覚える。

「また来るね、ユウ君。いや、ユウト。」

そう言ってナツトはユウトの眠る墓に背を向けた。


またな、ナツト。


振り返るようなことはせず、ナツトは歩みを進めた。ナツトは頬を濡らした、子供のような無邪気な笑顔で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ