シン・イソラ9 磯良の美醜は
「『理屈と膏薬とは、どこにでも引っ付く』とは言うけれど」
と脚本書きは、呆れたような声を出した。
「とうとう『彦六が騙されていた』のを説明し切っちゃったねぇ。ヘリクツにしても立派なモンだ。最恐怪談『吉備津の釜』が、アタシの中では犯罪小説・スパイ小説に上書きされちゃったよ」
純子は盟友の脚本書きが、相棒の屁理屈王に脱帽したのを微苦笑すると
「片山クン。探偵として『以上証明終わり』で良いの?」
と、せっついた。
「まあQ.E.Dではなく、説明終わりが正確なトコだけどさ。それにしても、実はまだ言い足りないことが有ったりするんじゃない?」
「実は有る」と修一は苦笑いした。
「『吉備津の釜』冒頭の、『妬婦の養ひ難きも』から始まるイントロダクションを、キミたち”男社会がどうのこうの”って批判してただろう。”嫉妬深い女はサイテーとか、男の論理だ”って」
「してたけど、それが何か?」
と純子は言い返した。
「片山クンは男だからね。御不満かな? それとも、男の嫉妬にウンザリする女だってサイテーじゃないか、とでも反論したいの?」
「いや、もっと原作を精読して欲しいと思ってね」
と修一は、相棒の指摘に澄まして応じた。
「特にこの『害の大なるに及びては 家を失ひ国をほろぼして 天が下に笑を伝ふ』ってくだりなんかをさ。『吉備津の釜』では、嫉妬深い妻の磯良は恨みで我が身を焼き尽くし、浮気者の正太郎を取り殺すけれど、別に国を滅ぼしたわけではないよ。権力者を誑かして国を滅ぼす『玉藻の前』とは違って」
「んー、ちょっと大げさに書いちゃっただけじゃないの? 筆が滑ったとかさァ」
と脚本書き。
「確かに磯良が及ぼした被害範囲は、妾と夫の殺害という、極私的な範囲内だけの出来事だけど」
一方、純子は「世の中から失笑を買う、って記述は確かに妙だね……」と相棒の指摘に反応した。
「上田秋成がこれから書こうとしているのは、極上ホラーなんだ。スプラッタ要素まで含んだ、いわばR-15の。だから”笑い”の要素はとことん排除されてる。強いて言うなら、暢気な彦六がちょっとだけコメディ・リリーフ的役割を振られてはいるけど」
「岸峰さんの言う通り、上田秋成は腕を振るって読者が”怖い”を満喫できる話を書いた」
と修一は頷いた。
「だけど『ああ、あの事件をモデルにしたんだな』と、分かる人には分かる要素を入れたくなっちゃったんだね。言ってみると”マニア受け”狙いのニヤリ笑い。そのヒントがイントロ部分なんだよ」
◆
「マニア受け?」と脚本書きが首を捻った。
「ちょっと詳しく説明してごらん」
「えーと、じゃあ先ず、年代と場所が詳しく設定してある件。年代は赤松満祐が嘉吉の乱を起こした五十数年後。そして場所は主に、播磨と備前だ」
と修一が受けて立った。
「昔々ある所に、という語り出しではないんだよ」
脚本書きの反応は「ふ~ん」と、あまり芳しからざるものだった。
「実在の場所を出すのは、リアリティを上げるためによく使われる手法だよ。特撮の神様 円谷英二特技監督は、実際の写真と寸分違わぬミニチュアの街並みを造ることで、都市破壊の臨場感を出している」
そして「流行りの都市伝説だって同じじゃん。口裂け女なんか『昨日、三丁目の××公園にいた』とか、日本各地でウワサ話が一人歩きし始めて、リアル感が出たんだし」と切り捨てた。
「日時と場所が書いてあるくらいじゃ、片山クンの言う”マニア受けニヤリ笑い”の意味はワカンナイね」
「じゃあ、怨霊の名前が磯良である件はどう?」
と修一は次のヒントを投げた。
「磯良という名前から連想されるのは、まず第一に志賀海神社の海神『阿曇磯良』だろ? これは『吉備津の釜』の注釈には漏れ無く書いてあると思うけど」
「うん、知ってる」と脚本書きも認めた。
「牡蠣や鮑が張り付いた怖い顔の神様。ただ怖いのは顔だけで、性格はシャイだけど優しくて親切な神様よね。航海の無事を叶えてくれる」
「ところが阿曇磯良の顔が怖いというのは、実は間違ったイメージなのかも知れないよ、だって阿曇磯良は白覆面で現れるんだから。本人が『顔は怖いからお見せ出来ません』って自己申告しているけど、実際には誰も観たことがない」
と修一は訂正した。
「山幸彦ことホオリノミコトの結婚相手トヨタマヒメや、ウガヤフキアエズノミコトと結婚したタマヨリヒメの親戚筋なんだからね。竜神や巨大鮫かも知れないけれど、人間体はたぶん岸峰さんや水口さんに負けないくらいの超美形である可能性の方が高い。むしろ異種婚姻って色々と面倒だからって、あえて不細工ぶりを自己主張してるんだと思う」
「それに」と修一は続けて「『吉備津の釜』原文には、磯良さんを『うまれだち秀麗にて』と描写してあるだろう? 磯良さんは美人だったんだよ」と指摘した。
「結婚当初は正太郎も『其志にめでて むつまじくかたらいにけり』と仲の良い夫婦だった。遊び好き・面食いの正太郎も満足する美人さんだ」
「??? それなら何故、上田秋成は怨霊へと変身する女の名を『磯良』としたの?」
と純子はポカンと口を開けた。
「私は何となくだけど、ずっと磯良さんが不美人だと思い込んでいたよ。阿曇磯良が怖い顔でなく、本編磯良も美人さんなんだったら、ちょっとイメージが変わっちゃう」
「磯良さんが不美人だというイメージは、古典文学として『吉備津の釜』を読んだときには、必ずと言っていいくらい『磯良とは、顔に鮑や牡蠣殻がこびり付いた怖い顔の海神 阿曇磯良から取られていて……』というような注釈が付いているからじゃないかなぁ。僕が初めに読んだ児童向けの怪談集では、注釈ナシだったせいで、磯良さんの事を美人なんだと思っていたから」
と修一は推論を述べた。
「磯良さん不美人説の出所は、原作者 上田秋成の責任ではなく、注釈をつけた諸先生によるミスリードの結果なんじゃない? ホラー感を強調するあまりの、いわば贔屓の引き倒し」
それから修一は
「上田秋成は雨月物語のおかげで怪奇小説家のイメージが強いけれど、国学者の本居宣長と『日の神論争』を繰り広げるほどの国学者でもあったんだよ。だから古事記や日本書紀は徹底的に読み込んでいただろう。当然、阿曇磯良の親戚であるトヨタマヒメやタマヨリヒメについても、己の掌を指すように知っていたさ」
と説明を続けた。
「むしろ鬼の顔のイメージは、鳴釜神事に由来するものだろう」
「鳴釜神事は『吉備津の釜』にも出て来るけど、吉備津神社に伝わる占いだよね。磯良さんの実家の」
と純子が頷いた。
「神社の下に埋められている鬼の首が、釜を唸らせたり、沈黙したりすることで事の吉凶を占うという」
「そう。埋められているのは温羅という鬼だとされる。桃太郎のモデルとも言われている吉備津彦に退治された鬼だね」
修一は相棒の発言に頷いた。
「そして温羅は、自分の首を祀るのには妻の阿曽媛が行うよう、吉備津彦に頼んだんだ」
「おおう! アソヒメ+ウラで、アソラか! それが転じてイソラになったと」
と脚本書きが唸った。
「見事に鬼の顔と女性を融合させたねぇ。美女の後ろに控えしは鬼の首ってか?」
「けれど」と脚本書きは論駁を開始した。
「怖い顔なら、通説通りの阿曇磯良怖い顔説のままで良いんじゃない? 片山クンは、阿曇磯良は怖い顔説を否定してるんでしょ。わざわざ怖い顔説を否定しながら、別に鬼の顔を持って来るなんて変だよ。二度手間と言うかサァ。アソラが転じてイソラになったというのも苦しいし」
そして「人間の時の磯良さんは美人だった。けれど怨霊になってからは怖い顔に変化した、で済むハナシじゃない」と結論した。
「怒りに震える般若の顔に!」
「そこなんだよ」と修一は落ち着いた声で脚本書きに対応した。
「怨霊となって荒れ狂う磯良の顔は、般若すなわち鬼女のイメージだろ? 牡蠣殻がこびりついた系の怖い顔とは違うんだよ」
こう返されて、脚本書きは「うっ」と言葉に詰まった。
「生霊磯良は、衰弱しきった病人の顔。怨霊磯良は鬼女の顔。それに比べて阿曇磯良が自己申告したのは、瘡蓋に覆われたような怖い顔。一言に怖い顔と言っても、全く系統が違う」
修一はそう反論すると、脚本書きに
「怨霊磯良は、鬼の顔であることに意味が有るんだ」
と宣言した。
「ただし上田秋成が、阿曽媛の末裔たる姫巫女を、物語中で磯良と命名したのには『磯良であると書いておけば、読者は勝手に阿曇磯良を想起してくれるだろう』と意図していた可能性は、もちろん高い。いわば”ミスディレクション”だよ。誤解を招くためのミスリードではなく、観客の注意を脇へズラすためのミスディレクション。怖い顔といっても2系統あるのに、鬼の顔から注意を逸らすためのね」