シン・イソラ8 仮称「イザワショウタロウ」の殺人
脚本書きはドスンと腰を下ろすと
「片山クンの言う、コン・ゲームの意味が分かったよ」
と息を吐いた。
「備後守護の山名政豊は、備前・播磨侵攻を諦めていなかったってコトだね」
うん、と修一は頷いた。
「山名政豊は、赤松政則との合戦に敗れて備後に引っ込みはしたけれど、備前・播磨を諦めてはいなかった。大規模侵攻は控えていたとしても虎視眈々、忍びや斥候は必ず赤松領に潜入させていたはずだ」
「それで備後鞆の浦の遊女は、山名勢に目を付けられたのか」
と純子が唸る。
「初め、袖は赤松側の『草』じゃないか、と疑われたんだね。自軍がやっている事は、必ず敵軍もやっているだろうと」
「身辺調査のために袖に接触した山名政豊の配下が、仮称ショウタロウか!」
脚本書きは膝を叩くと
「有り得る」
と合点した。
「調査の結果、シロと判明はしたものの『何かの時に使える駒』として、手元に囲っておいたんだ。袖は愛人というより道具として、ショウタロウに身請けされたんだ」
「そんな時、得意の絶頂にあった赤松政則が急死する」
純子が興奮した調子で捲し立てた。
「山名政豊にとってはチャンス到来ってとこだね」
うむ、と脚本書きが頷いた。
「情報将校である仮称ショウタロウは忙しくなるよ。直ぐに赤松領に潜入しただろう」
そして「ショウタロウが諜報活動を行っている間、袖の面倒を見ていたのが磯良なんだよ」と付け加えた。
「『夫は父上の勘気に触れて、座敷牢に留め置かれておりまする』とか言って、金品の差し入れをしていたんだ。この場合、磯良のことも”仮称イソラ”としていた方が良いね。正太郎の妻『磯良』ではなく、仮称ショウタロウの忠実な部下という意味で」
「袖の目には、仮称イソラは『出来た女性』と映ったはずだ。なにしろ妾の自分に優しく接してくれるんだから」
純子はタメ息をついた。
「仮称イソラが、上司の命令で『手駒のケア』をしているとか、考えもしないだろうから」
「偵察行から戻った仮称ショウタロウは、本格的に播磨潜入を企てると、”妾”の袖を伴って荒井の里に滞在することを決意した」
修一は二人に
「行商人や修験者に変装して赤松領をウロツクよりも、愛人とともに逃避行を続けるバカ息子といった偽装のほうが、土地の人の口も軽くなるだろうからね。現に彦六は『力を合わせて一緒に暮らそう』とまで言ってくれたぐらいだ」
と説明した。
「潜入工作を行うには、最高のシチュエーションだね」
「でも……それだったら、なぜ『吉備津の釜』事件が起きたの?」
純子が腕を組んで疑問を呈した。
「仮称ショウタロウが潜入工作員だったら、目立たず騒がずで、静かに潜伏していたほうが得策でしょう? 山名政豊が備前・播磨へ再侵攻する時まで」
「忍びや乱波・透波と呼ばれた潜入工作員の任務は、敵情視察だけではないよ。火付けみたいな破壊工作もすれば、流言飛語のような世情不安を煽る世論操作もする」
修一は純子に言うと「山名政豊にしてみれば、赤松政則の死は播磨侵攻のチャンスだったんだが、山名政豊にも動けない理由があったんだ」と続けた。
「1493年、山名政豊は嫡子 俊豊や一門衆の山名時豊と内戦中だったんだ。山名政豊は俊豊や時豊に勝利するが、山名家はボロボロだっただろうね。とても他国に侵攻する余裕は無い」
「山名正豊は自分の息子と戦争したの?」
純子が少し驚いたように口を開いた。
「下克上の時代って、親と子が、兄と弟が殺し合った時代だとは知ってはいるけど」
「うん。山名政豊は、伯父の時豊を殺し、息子の俊豊を追放することで内戦を鎮圧したんだ、そして俊豊に替えて致豊を後継者に指名してる。だが山名政豊自身も1499年には死去。赤松政則が急死してから3年後だね」
修一の解説に「おー! こりゃまた微妙なタイミングだ」と感想を漏らした。
「山名政豊が、赤松政則みたく急死したんじゃないなら、1496年から97年ごろって、そろそろ体調が悪くなってきた頃合いかもしれない。もはや侵攻が叶わないかもしれない赤松領内に、自軍の腕利きエージェントを埋伏しておくよりも、後継者に彼を引き継いでおく方が、より得策と考えても不思議じゃないねぇ」
純子も「うんうん」と同意すると「仮称ショウタロウには帰還命令が下った。けれど単に足跡を残さず撤収するだけじゃモッタイナイ、ショウタロウはそう考えた」と辣腕情報将校の動機を推察した。
「赤松領内で大規模怨霊騒ぎを演出すれば、仮に山名政豊が死んだとしても、赤松勢が備後侵攻を企てるリスクが下がる。戦国シミュレーションゲームで例えると、流言飛語で敵国の治安を下げ内政値にダメージを与えるようなモノか」
「仮称ショウタロウは、その時々の主君よりも祖国に忠誠を誓うタイプなんだよ。『我が愛するは主君に非ず。備後の山河なり』とか。だから帰還命令が下りてからも49日間、対赤松工作を継続したんだ」
と、脚本書きは”仮称イザワショウタロウ”という架空の存在に、思いっ切り感情移入を見せた。
「かくなる上は、愛妾 袖にも、備後の山河のためにその身を捧げてもらわねばならぬ」
「ちょっと舞、入れ込み過ぎ」と純子は脚本書きを窘めた。
「でも、袖を手にかけたのは仮称ショウタロウで間違いないね。たぶん毒殺」
「そう。毎日ちょっとずつ毒を飲ませながら、一方では親身になって粥や薬を飲ませて介抱し続けた。袖が死ぬまでの7日間ずっとだよ。真面目なヒトって怖いわぁ」
脚本書きは、仮称イザワショウタロウの二面性と冷酷性とを好き勝手に語って、両手で自分の身体を抱いて怖気を振るった。
「そして、ショウタロウに御札を与えて42日間の御籠を勧めた陰陽師は――ショウタロウと同じく――山名の潜入工作員で間違いないだろうね。スパイが修験者や旅僧に偽装するのは割とスタンダードだから」
「だろうねぇ。怨霊イソラに擬態していたのも、御札をくれた陰陽師と同一人物。昼間は姫路や高砂を巡りながら『あな怖ろしや。荒井の里に夜毎怨霊の出でて、里は死に絶えたるがごとし』とかウワサバナシを撒き散らしていたんだよ」
純子はそう配役を決めつけた。
「夜は夜で、裏声で女性っぽく怒鳴りながら駆け回る」
二人の掛け合いをニコニコしながら見守っていた修一だが、ここで「それじゃあ陰陽師が過労死しちゃうよ」と口を挿んだ。
「姫路とかで怨霊バナシを流すのは、籠城明けからで良いんだよ。荒井の里撤収後の追加作業だね。怨霊イソラが暴れていた間は、陰陽師は昼寝していたさ」
「どうして?」と純子が反論した。「播磨を震撼させるなら、現在進行形で流言飛語したほうがいいじゃない?」
脚本書きも「純子が正しいと思う」と盟友を支持した。
「怨霊が心願成就した後じゃあ、ウワサを流しても気の抜けたサイダーみたいなものでしょう。もう怨霊は満足して、成仏しちゃったんだからさ。『本日分完売しました』の札を立てた人気スイーツ店みたいなモンだ」
「それでも予定した籠城期間が終わるまでは、あまりウワサが広まって欲しくないのは確かなんだよ」
と修一は繰り返した。
「だって、腕に覚えアリって兵法者が、荒井に乗り込んで来ちゃ困っちゃうじゃないか。『怨霊なにするものぞ。我が名刀の錆とせん』とか言うようなカンジの」
「あ~、狒狒退治をした岩見重太郎みたいな、放浪の剣士か……」
と純子が納得した。
「名声を得たい腕自慢とか、フツーに居そうな時代だよね」
「確かにそんなヤヤコシイのが出て来たら面倒だね。了解」
と脚本書きも矛を収める。
「それに、そこまでの騒ぎになったら赤松軍正規兵も出張って来そうだしね。仮称ショウタロウは撤収のタイミングを失っちゃうか」
「でしょ? 怨霊バナシを流布するのが撤収後であるのには、必然性と合理性とがあるんだよ」
修一は二人を言いくるめると
「で、まんまと磯良に濡れ衣を着せたショウタロウだが」
と切り出した。
「道具として使い捨てた袖には、多少は哀れに思うところが有ったのかもしれない」
「今さらどうしてよ?」と脚本書きが反論する。
「同じ屋根の下で暮らしていた愛人に、ジワジワと毒を盛るような冷酷非情な男だよ。しかも日に日に衰弱していく愛人を、親切めかして毎日看病しながらさ。この女は始めから殺すつもりだった道具、って冷徹に割り切ってなきゃ、出来ない相談だって。あるいは美女を嬲り殺しすることに、性的興奮を覚えるサイコパスかのどちらかだ」
「けれど仮称ショウタロウは、荒井の里から撤収するに際して、切った髷を残していってる。目立ちやすいよう軒先に吊るしてまでしてね。髪の毛は他所で調達した可能性がないわけじゃないけど、ショウタロウはちゃんと自分の髷を切って置いて行った気がするんだよ」
と修一は脚本書きに指摘した。
「死を暗示・演出するだけなら、大量の血を部屋中にブチ撒けておけばいい。確かに髷だけが残されていたのは怪奇演出として秀逸だけど、死の偽装における必然ではないよね。だから髷を切ったのは、哀れな袖の墓に入れてもらうため、せめて一緒に葬ってもらうために思えてならない。残された彦六なら間違いなくそうするだろう。まあこの場合にしても、水口さんの『仮称ショウタロウがサイコパスであった説』を、否定する心算は無いけどね」
そして「これで『彦六が騙されていたパターン』の説明終わり」と結んだ。