シン・イソラ5 死体無き殺人事件
井沢家と香央家の追手は八方に手を尽くし、ついに憎き正太郎の逃亡先を突き止めた。
播磨国の高砂に近い、荒井と呼ばれる寒村の外れである。
遊女 袖の出身地であり、彦六という袖の従弟が住む場所であった。
井沢の家に残された磯良が病死してから、早や二月が経とうかという頃合いである。
追手が彦六の住いに近付くと、異様なその姿が見て取れた。
戸といわず窓といわず、建物すべてに御札がビッシリと張り巡らされていたのだ。
怪しみながら踏み込むと、中には彦六が呆然と座り込んでいた。
「我々は井沢の家の者だ。ここに嫡子正太郎が匿われているであろう。隠し立てすれば容赦はせぬぞ」
追手が厳しく問い詰めると、彦六は「滅相もございませぬ」と頭を土間に擦り付けた。
「あな怖ろしや。正太郎さまは磯良さまに取り殺され、骨の一片も残ってはおりませぬ」
そして彦六が取り出したのは、正太郎が消えたときに軒先に引っ掛かっていたという、男の髷であった。
「残されていたのは、これが全てでございます」
◆
「こんなカンジかねぇ」
脚本書きはスラスラと、彦六が追手にした説明を組み立てた。
「四十九日の喪が明けて、東の空が白んできたと喜び戸を開けたら、図らずも未だ真夜中。と、同時に隣家で魂消る声がおき、斧を掴んで駆け込んだが、人っ子ひとり居りませぬ。ただ戸口にベタリと血しぶきが飛び、髷が軒に引っ掛かっていたばかりで」
「追手は信じたかねぇ。男物の髷と乾いて黒くなった血しぶきの染み。そして一面に張り巡らされた御札。怪談としては雰囲気満点だけど」
純子は頭の後ろで手を組んだ。
「けれど片山クンから、これは死体無き殺人事件だ、と推理ジャンルに誘導されちゃったからね。いろいろ考えちゃうよ」
「うん」と脚本書きも頷く。「室町末期から戦国初期の時代の人でも――そりゃ迷信深い人は多かっただろうけど――合理的思考の人もいたはずだ。なにせ今現在より、刀剣を使った荒事には慣れていただろうからね。神仏も祟りもクソ喰らえ、みたいなサ!」
そして「片山クンはどう考えているの?」とストレートに疑問を発した。
「当然、磯良の怨霊の仕業という、超自然的解釈は抜きでね」
「可能性は二つかな? 超自然的な解釈を抜きにした場合」
探偵は指を一本立てた。
「まず一つ目。彦六が追手を騙そうとしてるパターン」
「うむ。それは『死体無き殺人事件』と示唆されて、アタシにも分った」と純子。
「正太郎は、そのうち追手が荒井の里に目を付けるだろう、と気が付いていたから、袖と一緒に更に遠くへと逃げたんだね。そして協力者の彦六に、追手が来た時の後始末を頼んでいたんだ」
「ええ! 愛人の袖も死んでなかったってコト?」
脚本書きは一瞬混乱したが
「ああ……彦六の証言が全部ウソなら、袖が磯良の生霊に殺されている必要は無いのか」
と即座に理解を示した。
「袖が埋葬されてる土饅頭は、中身がカラッポの盛り土なんだ。まさか追手は、墓暴きまではしないだろうからね」
「そそ。正太郎の家の血の跡なんて、ニワトリとか魚の血を振り撒いておけばいい。科学捜査なんて無い時代だから、どんな動物の血液かなんて分からない」
純子は舞の見解に頷くと「髷なんて、高砂くらいまで足を伸ばして、金に困った人から買えばいいんだ。金ならある!」と笑った。
「追手は正太郎の死を疑ったかもしれないが、そこから先は雲をつかむ様なハナシだからね。東国にでも高飛びされたら、追跡する手がかりも無い。まあイソラ様の祟りを土産話に備前に引き返したんだろう。あるいは、その後も探索を続けたが、収穫なしで撤収したか」
修一は淡々と純子の後ろを引き受けたが
「岸峰さんの推理は、岸峰さんらしく穏便なモノだけど、もっと陰惨な場合も有り得る」と加えた。
「本当は死体があって、土饅頭の下にちゃんと埋葬されていた場合。一体、あるいは二体の死体が」