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シン・イソラ2 イソラ迎撃作戦(時代背景)

「『カーツーム』と『アラモ』??」

 純子は目を丸くした。

「その二つは戦争映画でしょう?」


 しかし修一は「なるほど」と舞に向かって頷いた。

「怪談も戦争映画も、どちらも籠城側の敗北で終わる作品だね」



『カーツーム』とは、1885年にイスラム教徒の指導者マフディーと、イギリス軍のゴードン将軍とが戦った、ハルトゥームの籠城戦を描いた戦争大作。

 ハルトゥームは陥落し、ゴードン将軍は戦死する。


 また『アラモ』とは、1836年にメキシコのサンタ・アナ軍と、テキサス独立派のトラビス中佐他とが戦ったアラモ砦の籠城戦を描いた大作。

 砦に籠城した独立派は全滅してしまう。



 脚本書きはウフフと笑うと「ご名答」と修一に答えた。

「怪談は基本、守備側敗北エンドでしょう? でも戦争映画だと『北京の55日』や『のぼうの城』みたいに、籠城側勝利の作品もあるよね」


「あるある」と純子。

「守備側勝利には、ハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』も入れておいてよ。『アラモ』と同じく『皆殺しの歌』が使われているけど、コッチは劣勢の籠城方勝利の痛快作」


「そこよ! 痛快感!」

と脚本書きは身を乗り出した。

「強力怨霊の一方的完勝では、怖さを楽しむことは出来ても、痛快感というかカタルシスが無い。……いや怪談映画においては怨霊の方が正義なんだから、怨霊勝ちは当然なんだけどさ。だけど悪役の守備側も強大だという設定が無ければ『大魔神』みたいにカッコイイ! とはならないでしょう?」


「まあジャンルが違うから」と、純子は舞をなした。

「怪談に求められているのは怖さで、怪獣映画の特撮エンタメ感じゃないわけだし。大魔神アラカツマ様を怪獣って言っちゃうのはアレだけど」


「いや、だからさ」と脚本書きは、前のめりのままに言いつのる。

「例えば『吉備津の釜』の悪役 正太郎にも、御札以外の対抗手段――迎撃手段って言ったほうが良いかな――を持たせてみたいワケだよ。『こちら前進観測班。イソラ、第一防衛ラインを突破。第二防衛線に接近しつつあります』みたいなサア」


「お・おう」と純子が応じる。

「『多連装ロケットシステムは、敵接近阻止射撃開始せよ。戦闘ヘリ団、到着はだか?!』みたいな?」


「それよそれ!」と脚本書きはテーブルを叩いた。

「もちろんBGMは伊福部いふくべ先生のマーチで!」

 それからフウと息を吐くと

「ま、時代的な制約があるから、武器は火矢と落とし穴くらいしか出せないだろうけどねぇ」

と頭の後ろで腕を組んだ。

「鉄砲伝来は1542年だから、嘉吉かきつの乱からどんなに長く見ても50年後くらいまでの『シン吉備津の釜』じゃ、まだ登場させられないねぇ。なにしろ正太郎は、祖父が姫路付近の赤松領から岡山に引っ越してきて三代目」



 嘉吉の乱というのは、播磨はりま備前びぜん美作みまさか守護しゅごであった赤松満祐あかまつみつすけが、1441年に六代将軍 足利義教あしかがよしのりを京都屋敷で暗殺した事件。


 赤松満祐は、その後播磨の坂本城(姫路市書写)に帰って守りを固めたが、幕府軍の攻撃によって自害。


 播磨は山名持豊やまなもちとよ、備前は山名教之やまなのりゆき、美作は山名教清やまなのりきよという山名一族の領土となる。


 ちなみに、この時播磨を加増された山名持豊は、後の山名宗全やまなそうぜんで、但馬たじま備後びんご安芸あき伊賀いが・播磨と五ヶ国を有する大大名となり、応仁の乱(1467年~)では西軍の旗頭となる。


『吉備津の釜』は、赤松家家臣であった正太郎の曽祖父そうそふが、1441年の嘉吉の乱を機に「吉備国きびのくに 賀夜郡かやぐん 庭妹にわせ」(現 岡山県 岡山市 北区 庭瀬)に引っ越し、父 井沢いざわ正太夫しょうだゆうの代には豪農となっていたところから始まる。


 正太郎は農業が嫌いで、家が裕福なのをよいことに酒色しゅしょくに溺れる生活を送っていたのだが、この時の正太郎の年齢を20歳と仮定すると――

〇1491年ごろ 正太郎、酒色に溺れる

〇1471年ごろ 正太夫、正太郎をさずかる 正太夫20歳 正太郎0歳

〇1451年ごろ 正太郎祖父、正太夫を授かる 祖父20歳 正太夫0歳

〇1441年 嘉吉の乱 正太郎曽祖父30歳 祖父10歳(と仮定する)

〇1431年ごろ 正太郎曽祖父 子を授かる 曽祖父20歳 祖父0歳

といったタイムテーブルにでもなるであろうか。

 ゆえに年代的に、正太郎が鉄砲や大筒おおづつを装備して、怨霊イソラを迎え撃つのは不可能ということになる。


 参考までに、嘉吉の乱(1441年)から1491年ごろまでの播磨と備前の戦況を見ておくと……

1441年 『嘉吉の乱』発生。将軍足利義教死亡。実行犯の赤松満祐討伐される。


(1443年 『禁闕きんけつの変』発生。後南朝勢が京都に侵攻し、三種の神器の一つ「神璽しんじ」を奪取した。)


1458年 『長禄ちょうろくの変』発生。赤松家遺臣が南朝に侵攻。南朝の自天王・忠義王を討って、神璽を奪取する。この戦功によって、赤松政則あかまつまさのりは赤松家再興を許される。

 このときの赤松家の領地は加賀半国・備前新田荘・伊勢の一部。


1467年 『応仁の乱』始まる。赤松政則は東軍に属し、旧領国に侵攻。西軍の山名氏から67年に播磨奪取。68年には備前・美作も奪回。

 赤松家旧臣であった井沢一族が、備前庭妹(岡山県北区)で豪農に成りあがったのもこの時期か。

 兵農分離が行われる前と言うか、農民が戦時には武器を取る時代。豪農になった井沢一族が赤松側に立って戦闘参加した可能性は高いだろう。


1474年 『応仁の乱』東軍西軍間に講和成立。赤松政則は播磨・備前・美作の領有を正式に認められる。(加賀半国と伊勢の一部は既に放棄)

 この数年前くらいに、井沢正太郎が生まれていると思われる。


1483年 山名氏の備前侵攻。

 播磨・備前・美作を支配していた赤松政則だが、1468年には一族の有馬元家と1482年には一族の在田氏と内戦。反乱は鎮圧するものの147年には、幕府から出仕を停止させられている。

 そのような中で備前は山名政豊の侵攻を受ける。赤松側は迎撃するも大敗し、姫路に撤退。

 赤松政則の下手な戦争指揮に激怒した浦上則宗うかかみのりむねら重臣は、赤松政則を追放し、赤松政則は堺に逃亡。


1484年 赤松政則、9代将軍 足利義尚あしかがよしひさに謁見し、播磨に帰還。

 同年、隠居していた前将軍 足利義政の仲介により、赤松政則と浦上則宗は和解。


1485年 赤松勢の反撃が開始される。赤松勢は山名政豊に勝利を続け、山名政豊は1488年に但馬たじま(兵庫県北部)に撤収した。

 赤松領はこのような経緯を辿たどったために、赤松政則を筆頭には頂くものの守護独裁はできず、重臣たちの集団指導体制となる。

 正太郎の幼少期は、大動乱の最中であったと言えるだろう。


1491年 赤松政則は10代将軍 足利義材あしかがよしきに仕え、六角高頼ろっかくたかより討伐に参加し軍功を重ねる。

 正太郎が酒色に溺れていたころ、と推定される時期である。

 もしかすると、正太郎は六角討伐に参加することを望んだが叶えられず、荒れていたのかも知れない。


1493年 赤松政則、半将軍はんしょうぐん渾名あだなされていた幕府の実力者 細川政元ほそかわまさもとの姉を後妻にむかえる。

 細川政元は、管領として幕府を牛耳ぎゅうじり将軍をげ替えるほどの辣腕らつわんぶりだったが「飯綱いづなの法」を用いて空を飛ぶなどとウワサされていた怪人。

 また赤松政則が後妻にむかえた”めし”こと洞松院とうしょういんは、「天人と思ひし人は鬼瓦おにがわら 堺の浦に天下るかな」と中傷の落書きが京都に張られるほど不器量ぶきりょうだったという。

 赤松政則と”めし”の政略結婚が成立した二日後、細川政元は将軍を義材から義澄へと挿げ替える。『明応めいおう政変せいへん』だ。


1496年 赤松政則、従三位じゅさんみとなる。異例の昇進であった。

 なお昇進2ヶ月後、鷹狩に出た赤松政則は急死。


1499年 後継者争いで、赤松家中で内戦が勃発。

 ”めし”が赤松家後継者 赤松義村の後見人となる。


1521年 成長した赤松義村は”めし”の後見をいとうようになり、”めし”らに対して挙兵するが敗北。殺害される。

 以後、赤松領は”めし”が事実上の当主として治めた。


 日本に鉄砲が伝来するのは、この20年後のこととなる。

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