シン・イソラ10 真・阿曽羅
「……鬼の顔……鬼の顔?」
純子は相棒の指摘に反応し、小声でブツブツ呟いていたが
「アッ!」
と大声をあげた。
「そう言えば『吉備津の釜』事件発生前後に、落書きで”鬼瓦”と悪口を書かれた女性が実在したよね。しかも赤松家の関係者だ」
「”めし”だ……」
脚本書きが唸る。
「管領 細川政元の姉で、政略結婚で赤松政則の後妻になったヒト。不器量ゆえに、未婚のまま尼僧になったんだけど、俗人に戻って嫁入りしたんだ」
「そう。”めし”こと後の洞松院は、鬼瓦と揶揄されるほどの不器量だったとされている」
修一は頷くと「もっとも、細川政元も赤松政則も敵の多い人物だからね。落書きが反政元派か反政則派の誹謗中傷だったのは間違いないだろう。”めし”は絶世の美女ではなかったかも知れないけど、鬼瓦とまで貶される顔ではなかった気がする。赤松政則との間に”小めし”という娘も生まれているし」と申し添えた。
「それに」と修一は続けて「時代や地域で美醜の概念なんてスグに変わっちゃうでしょ?」と笑った。
「引目鉤鼻瓜実顔、つまりチマチマ・ポッチャリが美人の条件とされた時代の紫式部に、写楽の役者絵を見せたら『怖ろしや』ってビックリすると思う」
「……『村上海賊の娘』も、ヒロインがハーフだったせいで醜女あつかいされていたって設定だったね」
純子が別の例えを上げた。
「大江山の酒吞童子にも、漂着した白人説があるし」
「ま、そんな感じ」と修一は同意した。
「細川政元の姉がハーフだったとは思わないけど、彫りの深いバタ臭い目鼻立ちだったんだろうね。だから鬼瓦。今ならむしろモデル事務所からスカウトがかかるような『美形』だったのかも知れない」
「けれど」と修一は続けて「”めし”が赤松政則と結婚した時期が、磯良と正太郎とが結婚していた時期と微妙に被ったようになっているのは単なる偶然なんだろうか?」と問題提起した。
「まあ、上田秋成は『吉備津の釜』の中で、正太郎と磯良が婚礼を上げた日を何月何日と明記しているわけではないし、嘉吉の乱からおよそ五十数年後くらいとしか読み取れないわけだけど」
「……単なる偶然だとは思えない」
脚本書きは渋々といった感じで同意を示した。
「しかも、ちょうど管領の細川政元が将軍を挿げ替えた『明応の政変』という重大事件があった時期だからね。明応の政変の一年前とか二年後とか書く方が読者にも判りやすいし自然だよ。これは『忍ぶれど 色に出りけり 我が恋は』じゃないけれど、隠すことによって寧ろ際立たせる手法だ」
「そうすると、磯良の実家の設定というのもクセモノだね。これを見てよ」
今度は純子が、モニターを示しながら発言した。
「ドラ息子の嫁探しをしている井沢正太夫に、仲に立つ人が言ったセリフなんだけど『吉備の鴨別が裔にて 家系も正しければ 君が家に因み給ふははた吉祥なり』。つまり『吉備の鴨家の系統で良い家系だ。血縁関係となれば何かと有利ですよ』みたいな事を言ってる」
「ほほう。露骨な勧誘よな。血縁関係による閨閥形成ってヤツだ。各派閥の中でも割と強固な閥だねぇ」
と脚本書きは薄笑いした。
「で、正太郎の父は何と答えた?」
「『香央は此国の貴族にて 我は氏なき田夫なり 門戸敵すべからねば おそらくは肯ひ給わじ』。つまり『香央家が貴族なのに対して、井沢家は土豪に過ぎません。家柄が違い過ぎて纏まらないでしょう』と答えてる。一応喜んではいるけれど、無理無理って諦めている感じ」
純子の答えに「シッカリしろ、正太夫! 諦めたら、そこで終わりだぞ!」と脚本書きは激を飛ばしたが
「でも、結果から見れば破談になったほうが、一同平穏無事だったよねぇ」とタメ息を吐いた。
「そして、これは物語中では井沢家と香央家のハナシではあるのだが、当然のごとく赤松家と細川家の閨閥形成の暗喩ってコトだ。分かるヒトには分かる書き方って、片山クンが言っていたヤツ」
「そう。赤松家は以前、将軍を暗殺して取り潰しになった家。残党が頑張って再興は叶ったケド。対して細川家は、将軍を凌ぐ勢力を誇る管領の一族」
純子はうんうん頷いて
「しかも将軍暗殺を際立たせるためにか『将軍暗殺から50年後』みたいなイントロだよねぇ」
と呟いた。
「磯良の正体――あるいはモデル――は”めし”で間違いないんだよ。こりゃ、上田秋成は怨霊ホラーを書いたと見せて、実は鬼顔の”めし”が夫の赤松政則を殺したという告発小説を書いたってことになる」
「”めし”が結婚したのが1493年。子供が生まれて、1496には夫と死別しちゃってる。鷹狩に出掛けての急死だよ。結婚していた期間は、たった3年間か。赤松政則に男児はいない。”めし”との間以外にもね」
と脚本書きは、腕を組んで下顎を撫でた。
「”めし”は赤松家傍流の男児を娘の婿にすることで、事態を収拾する」
脚本書きは「う~む」と唸ると「赤松政則は静養に出掛けると称して、外に女でも囲っていたのかね。従三位になったバッカだよ? 得意の絶頂で浮かれていただろうし」と決めつけた。
「鞆の浦に袖を囲った正太郎と、たびたび城を空けては静養に出掛ける赤松政則。重ねて見るな、と言う方が無理。しかも家に残されているのは、どちらも格上の妻。いや表面上は、赤松政則は六角討伐の軍功で従三位にまで昇進し、義弟の細川政元より上席にはなってるけど、それも細川政元の権力あっての事だから。すると仮に赤松政則も不倫に走っていたとすれば、それは”めし”の容貌が原因というより、格上妻が煙たかったんじゃないのかな」
◆
「ちょっとは信用する気になった? 磯良の顔が鬼である必然性を」
修一の問い掛けに、脚本書きは「多少の悔しさはあるが、一応は認めざるを得まい」と笑った。
「けれど、名前がイソラである必然性には疑問が残るね。アソラでイイじゃん。片山君はミスディレクションだと言うけれどさ」
「アソラ姫にしなかったのは」と純子が割って入った。
「阿修羅をイメージさせるからじゃない? 修羅道の阿修羅」
「なるほどね」と脚本書きが盟友の発言に納得した。
「興福寺の国宝阿修羅像は、美少年顔で人気だけど、モロ鬼顔の像もあるからなぁ。鬼顔を連想するヒトだと、アソラ=”めし”の仕掛けに、簡単に気が付いちゃうか!」
「それだけじゃないんだよ」と純子は微笑んだ。
「阿修羅を連想されちゃうと、”めし”の夫殺しの動機に簡単に想像がつくんだ」
「動機だってェ?!」
脚本書きが頓狂な声で訊き返した。
「不倫されてカッとなって刺しました、的な三面記事ニュース案件じゃないの? ……いや切った張ったじゃなく、仮称ショウタロウが袖を始末したときみたいな毒殺なんだろうけど」
「阿修羅が戦う動機はね」と純子が盟友に教えを垂れた。
「実の娘のため、なんだよ」
「”めし”の娘って……”小めし”?」
脚本書きは呟いてから「ああ!」と目を大きく開けた。
「赤松政則が、外で男児を生ませちゃったら、赤松家当主の座が他所へ行っちゃうってコトか」
「そうそう」と純子が頷く。
「”小めし”は単なる次期当主の腹違いの姉になっちゃうってこと」
脚本書きは「あり得る」と大きく頷くと
「直接手を下したのは、”めし”に随行して来た細川家のニンゲンかねぇ。”めし”自身が赤松政則の妾宅を急襲したとは思えんし」と暗殺者を推察した。
「確たる証拠は無いけれど」と今度は修一が口を開いた。
「別所則治じゃないかと思うんだ」
「ベッショ・ノリハルねえ」と脚本書きが鼻を鳴らした。
「片山クン、ミステリでは解決間近になってから、新たに容疑者を増やすことはアンフェアって言われるんだよ?」
「固有名詞としては出ていなかったかも知れないけど、上田秋成はチャ~ンと物語の始めの方で登場させてるよ」
と修一は、アンフェアと言われたことに抗議した。
「キミが『マテリアル&メソッド』で片付けた部分」