シン・イソラ1 イソラの脅威
「日本三大怪談といえば『四谷怪談』 『皿屋敷』 『牡丹灯籠』とされていることが多いと思うけど」
映研の美形脚本書きは、よいしょう! と生物部室の椅子に座ると、元気にくだを巻きはじめた。
「アタシゃ、大いに不満なんだよねェ」
生物部員の片山修一は、脚本書きの水口舞に愛想笑いで応じると
「まあ三大マルマルには、諸説あります、が付き物だからね。三大稲荷社なんて、筆頭の京都伏見稲荷以外は”群雄割拠・くんずほぐれつ”なんだもの」
とブリキ缶を差し出した。
「牡丹灯籠のお露さんを外して、『累ヶ淵』を推してる向きもあるし」
鉄より硬いと評判の、北九州名物「堅パン」を充がって、面倒な美形の脚本書きの口の回転速度を、当面少しでも鈍らせて様子をうかがう腹づもりらしい。
片山と論文の読み合わせを行なっていた、これまた美貌の生物部員 岸峰純子は、相棒のそんな遅延工作の意図を知ってか知らずか
「私だったら、四谷怪談は当然ランクインさせるとしても、あとの二つには『耳なし芳一』と『吉備津の釜』を推したいなぁ」
と脚本書きに応じた。
「プラスもう一作なら、『稲生物怪録』を入れる」
◆
『耳なし芳一』は、小泉八雲の『怪談』に『耳無芳一の話』として収録された、盲目の琵琶法師が平家の怨霊に琵琶の演奏を所望される怪談。
主人公(芳一)が盲目なだけに、平家の怨霊は読者の前に具体的な姿を見せず、声と音と触感とで描写されるだけ。
これが想像力を搔き立てて滅法怖い。
『吉備津の釜』は、上田秋成が書いたとされる『雨月物語』の中の一編。夫 正太郎に騙され、捨てられた妻の磯良が、怨霊と化して大暴れする。
なんと言っても怖いのが、怨霊から逃れるために御札を張り巡らせた住居に籠城した正太郎が、磯良から取り殺される衝撃のラスト。
正太郎は、陰陽師から「42日間、住居から一歩も出てはいけない」と厳重に警告されていたのだが、最後の夜に怨霊の罠に嵌り戸を開けてしまう。
断末魔の絶叫!
正太郎の友人で、壁一枚を隔てた部屋に住んでいる『隣人』彦六は正太郎の身を案じ、慌てて部屋を飛び出すが、目にしたものは……
『ともし火を挑げてここかしこを見廻るに、明けたる戸腋の壁に、腥々しき血潅ぎ流れて地につたふ。されど屍も骨も見えず。月あかりに見れば、軒の端にものあり。ともし火を捧げて照し見るに、男の髪の髻ばかりかかりて、外には露ばかりの物もなし。』(原文)
(彦六はともし火をかかげて、正太郎の部屋を見回したが、開け放たれたままの戸口の脇の壁に、びっしょりと血しぶきが掛かり地面にまで垂れているだけだった。無残な死体が転がっているわけでもなく骨さえ落ちていない。ふと月明りで気が付いたのは、何かが軒先に引っかかっている様子。ともし火を近付けて照らしてみると、男の束ねた髪の毛がゴッソリと引っ掛かっていた。他には何一つ残されていない)
◆
「分ってらっしゃる」と舞は満面の笑みで盟友に応じた。
「小泉八雲だったら、『骨董』のなかの『幽霊滝の伝説』や、『茶碗の中』も捨てがたいけどね。でもやっぱり『耳無芳一の話』がピカいちで怖いか」
そうして「雨月では、ひとつ選べと言われたら文句無しに『吉備津の釜』。私も同感」と続けた。
「嫉妬深い女性はサイテー、みたいな秋成自身の感想部分は別にして」
「ま、ま、そこのトコロはさぁ、当時の出版業界の事情もあるんでしょう。江戸期の読本業界なんて、カンペキ男社会なわけだし。秋成クンだって、本が売れなきゃメシが食えない」
純子は手を抜いた感じに江戸期の文豪をクンづけで弁護すると
「で、舞は結局ナニをブレインストーミングしたいわけ?」
と真正面から探りを入れた。
「まさか『耳なし芳一で有名なヘイケガニを食べてみた』なんて動画を撮りたいから、旨い食べ方を教えろ、なんて言うんじゃないでしょうね? スベスベマンジュウガニみたく毒を持ってるわけではないから、サワガニみたいにカリカリに揚げるか、イシガニみたいに味噌汁にすれば、無理やり食べられなくはないと思うけど」
「食べないよ。と言うか、人面ガニなんて誰が食べるか」
脚本書きは軽くうっちゃると
「いいかい?『四谷怪談』と『牡丹灯籠』と『吉備津の釜』、それに加えて『カーツーム』と『アラモ』の共通点って、なぁんだ?」
と謎かけをしてきた。