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トロッコバリエーション  作者: だるまんず
6/8

自己犠牲を伴う選択

 トロッコ問題のバリエーションの中でも特殊なのが、1人側がポイントを切り替える本人のパターンです。

 自殺願望のある人やこの世に未練のない人もいるかもしれないですが、5人の命を救うために自分が死にますか?


 自分が対象になってしまうと他人が対象になる場合とは違う特別な判断基準が設定されるように感じます。義勇心とでも言いましょうか。死ぬのが他人でない為、選択によって積極的に殺すという罪悪感がない。5人を救うために自らが犠牲になるという光景は、映画などではクライマックスシーンにありがちな展開。


 これは、移植医療の為に誰かを殺して複数人を生かす選択をする移植待ちの人の考えと逆のパターンになり、自分の命の為に他人を犠牲にすることへの罪悪感の裏返しに見える。


 くどいようですが、どちらも死なないのがベスト。命題としてどちらかが死ぬ前提だから死ぬのであって、死ぬことに何か意味があるわけではない。ところが、死ぬことに感動してしまう。

 結果として、他人1人と5人より自分1人と5人の対比の方が1人を選ぶと答える人が増えそうな気がする。命題として出されるなら「私なら自分を選ぶ」と言いたくなる。

 これはいったいなんだろう。


 利己的遺伝子の考え方であれば、自分の死は最大限避けるべきであり、たとえ相手が1万人であっても自分が生き残る選択をしてもおかしくはない。なのに、自ら選択して多数の命を残すために自らを犠牲にする。そんな姿を美しいと感じてしまう。十分に重いはずの命も極端に重いとわかると差し出す意味が生まれてくる。


 1つ好例がある。

 踏切の中で動けなくなった老人を助けようとして老人は助かり助けに入った人が死ぬ事故がありました。この事件では、老人を助けようと踏切に入った人の勇気が賞賛され、それは国会でも取り上げられ紫綬褒章も出た。バラエティ番組でもその人の勇気ある行動を賞賛して、どんなに立派な物だったかを報道していた。

 「踏切事故 紫綬褒章」で検索すれば、当時のニュースがいくつか出てくる。


 この事故が注目されたのは「自己犠牲」という映画でおなじみの感動パターンをリアルに体現していたことが原因だと思っている。世論がそれに反応するのも不思議ではない。


 でも、その人が自分の命が失われると理解したうえで助けようと思ったかどうかは不明。リアルの世界ではトロッコ問題のように必ず死ぬような結果は用意されておらず、その結果を知る手段もない。自己犠牲は結果でしかない。


 本来は二人ともが無事であることがベストであり、飛び込んだ人もそれを想定していたと思う。その想定通りであれば、おそらく大きなニュースにはならない。もちろん国会でも取り上げられないし勲章も出ない。ベストの結果では評価されず、死ぬことで評価される。この歪な価値観はなんだろう。

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