全人類対1人
今回からは全員を救うという選択肢は排除する。
トロッコ問題では「5人と1人」や「3人と1人」ぐらいの人数比率で語られる。トロッコというイメージでは何百人も死ぬというイメージにならないからだろうと思う。
でも、この問いは仮想の条件下での思考実験なのだから、トロッコが100万人を轢き殺すと設定しても問題ない。
そこで一気に「全人類と1人」まで数字を引き上げる。
ポイントを切り替えなければ全人類が死ぬ、切り替えれば1人が死ぬ、ポイントを切り替えるべきか。
おそらく、この場合は迷わない。全人類の命を守るために1人を積極的に選択する以外に選択する人はいないだろう。これでも迷う人がいるだろうか。
もちろん、これは前回考えた第三の答えを排除し、確実にそれが起こる前提。
このように数字が極端になれば答えは悩むことがなくなる。
では何人であれば迷う選択肢となりえるのか。
例えば、数の大きさに関係なく1人側にポイントを切り替える、たとえ2人対1人であっても1人側にポイントを切り替えると答える。
そう答える人はある程度いそう。犠牲が多数か少数かを選択するなら少数を選択する。論理として一貫している。何かを判断する基準となるのが論理であり、その論理を用いるならば迷いはない。
ところが、現実の世界はそうでもない。
ここに肝臓移植を待つ人と心臓移植を待つ人がいる。2人とも移植を受けられなければ長くは生きられない。健康な1人の人間から肝臓と心臓をそれぞれ移植すれば2人は生きられる。でも健康な人1人が死ぬ。数の問題であれば1人の命を消してでも2人の命を選択するべきとなる。
現実の世界では健康な人を殺してまで移植を待つ人に臓器提供は行われない。ポイントを切り替えて1人を殺せば複数人が生き延びられるのにそれをしない。間違いなく臓器提供を待ちながら死んで行っている人がいる。
もし、常に1人側を選択するべきであるならば、そういう法律を作れば可能だ。
某漫画が某小説の盗作だと問題になったことがあったが、こういう考察をしていれば自然にたどり着く世界。でも、現実の世界でそんなことをしている国家はない。
つまり、トロッコが複数の人間を轢き殺すことがわかっていて、しかも他方のレール上にいる安全な人間を積極的に殺せば複数の人間が生きられるのに、ポイントを切り替えようとはしない。民主主義国家が民意でポイントを切り替えないのだから、多数の意思はポイントを切り替えない選択だと思う。
でも、人数が極端に増えれば考えが変わってしまう。
臓器移植のようなケースは数人対1人になるけれども、仮に100人対1人ぐらいの命が救えるような医療技術が発見されたらどうだろう。千人なら? 1万人なら?
数字が変わると判断が変わる人が増えてくるはず。
全人類対1人であっても1人を選ばないという選択もありえるけれど、どこかで判断が変わる人の方が多いのではないか。
その判断を変える数字、理由、それはなんだろうか。